終幕
真っ白に塗り変わった世界はその瞬間、一瞬で色が着いた。
崩壊した建物は元の壮麗な白亜の屋敷に、赤黒く泥に塗れていた道は塵ひとつない赤茶けた煉瓦の道に、元の面影さえなくなっていた教会は金色に輝く元の姿に、描き直される。
未だ世界に蔓延り、虫の姿をした魔物を空を飛ばし、世界を穢していた黒も、白に塗り変わる。
過去から現在に至るまで、つい先程まで蔓延っていたそれも、地下奥深くに封じられていたそれも、まるで最初からそんなもの無かったかのように漂白され、消滅していく。
そして、世界中の時計が一斉に回り出す。
街の曲がり角に設置された巨大な時計も、店先に飾られた時計も、学校の教室の壁に掛けられた時計も、誰かの寝室に置かれた目覚まし時計も、その全てが動き出し、秒針を鳴らしながら、長針と短針は盤上で逆行し、示す数字を小さくしていく。
それに合わせ、朝日は星空に、星空は夕日に、夕日は青空になる。
その瞬間、輝くような光が大地を照らした。
先程まで人影すらなかった街には活気が、先程まで店員すらいなくなっていた店には賑わいが、先程まで生徒の姿が消えていた学校は騒がしさが、先程まで子どもの姿が無かった郊外のその家には彼女と彼の元気な声が上がった。
だが。
それは一瞬の内に絶叫に変わる。
世界は確かにリセットされた。
魔物は一匹残らず消滅し、魔物によって死に追いやられた人々も蘇り、約20時間前の、厄災が起こる直前の日常が戻る。
だが、どういうわけか……。
世界はリセットされたが人々の記憶までリセットされることはなく、自身が死ぬ直前までの記憶を、世界中の全ての人間が持ったまま蘇り、世界中で悲鳴や絶叫が響き渡ってパニックに陥った。
このパニックは数日経っても収まらず、世界各地で問題が起きた。
まずシンエ教会の権威は失墜した。
聖女戴冠式での騒動や各国首脳への対応が問題視され、各国から非難、糾弾され、また、厄災時の彼らの行動は大勢の人間に見られ記憶されていたことから民衆からの支持もなくし、急速にその権力を失い、シンエ教会の解体まで話が広がっていた。
次に、ガレストロニアの国王が変わった。
リセット後、ガレストロニア前国王レイナードは心身共に病んでしまい、公務どころか会話することさえも難しくなった。
その為、ロベールの兄であるその人が国王となり、レイナードは隠居することとなった。国内情勢は依然として混乱していたが、ガレストロニアの上層部は結束し、早急に代替わりを成功させ、新国王の下、国内情勢の安定化に務めた。
そんな最中、ガレストロニア騎士団は解体され、集団裁判にかけられた。
ガレストロニアの有史以来、国家を守り、国家の為に尽くしてきた騎士団だったが、その内情は腐れきっており、様々な犯罪行為が横行していた。
その上、厄災が起こったその時刻、騎士団は民間人が次々犠牲となる中でも、出動せず、騎士団本部で真っ昼間から娼婦を呼んで酒を飲んでいたことが発覚し、乱れた姿をした赤ら顔の騎士達の写真が新聞に掲載され、またこれに乗じて内部告発も起き、騎士団長の恐喝や性的暴行、横領などが明るみになり、騎士団は民衆の支持と王家からの信頼を失い、即座に解体された。
また、この事件の傍らで、騎士団長の子息であるイヴァンが、最愛の人を乗っ取った女に似ていたという意味不明な理由で、見ず知らずの婦女子を襲って傷害事件を起こし投獄されたが、彼の存在は誰にも気にかけられることはなく、ひっそりと忘れ去られていった。
かつて人々から尊敬の念を集め、教会からは聖女と崇められたロザリンデ・リンヅランという少女は、リセット後、聖女を騙った罪で、世界中の人間から追われる身となっていた。
彼女が聖女を騙ったことで神が怒り厄災が起きたのだという説が、世界中に広まり、教会を騙し世界を滅ぼしかけた魔女として、厄災の被害に遭った全ての人間を恨みを買い、彼女は世界中を逃げ惑うこととなった。
とある場所で、誰かに身勝手な理由で女の子を殺したことを謝罪し許しを懇願する姿が目撃されたが……彼女の運命は最悪の一言である。彼女には、残酷な魔女狩りの夜が待っている。
かつて彼女の味方だった両親や友人はリセット後、何故か全員行方不明になっていた。
だが、不思議な事に、まるで、最初からそんな人間はいなかったかのように戸籍や住居ごと消えており、人々は首を傾げることとなるが、魔女の味方だった彼らのことを気にかける人間は次第に消えていき、その存在すら忘れ去られていった。
様々な場所で様々な変化が起きた。
古くなったものは刷新され、腐ったものは処分され、罪を犯した者は然るべき罰を受けた。
急速に社会は変化し、平穏を取り戻していく。
否、社会だけではない。そんな世界と同じように人々の小さな生活も、大きな混乱の波に一旦飲まれながらも、平和な日常を取り戻していく。
何せ、もう厄災は訪れない。誰もが本当の意味での安寧を手に入れたのだ。
そして、それはシルヴァリオ邸に住む3人の人間も当てはまる。
厄災に纏わる様々な思惑よって引き裂かれかけたその3人だったが、厄災が終わりを告げ、真の意味での平穏が訪れた今、同じ屋根の下、今日も世界の片隅で騒いでいた。
「はああああ!? 何でお義兄様呼びに戻ったの!? ミアリー!
なんで? どうして? もう冷めちゃった? それとも他に男が……!? そんなの絶対許さないけど!?」
目の前の彼女の肩を掴んで、わなわな震える彼に、ミアリーと呼ばれた彼女は面倒くさそうにため息を吐き、こちらに背を向けネクタイを結んでいる彼にうんざりした目を向けた。
「ルキウスお義兄様、やっぱりこうなったじゃないですか……」
そのミアリーの声に、鏡の前で衣服を整えながらルキウスお義兄様と呼ばれた彼は、鏡越しに、嫌だ嫌だ何で何でと子どものように嫌がる自身の兄弟に、ため息を吐いた。
「……ったく、ミアリーが絡むと直ぐにガキになりやがる。
シルヴァリオ男爵家当主として少しは考えろよ、馬鹿め」
「はぁ!? 考えろ、何を!?」
声を荒らげる彼に、ルキウスはカフスボタンの確認をしながら告げる。
「お前は自分の発言も忘れたのか?
お前の名前は呪いだろ? ミアリーが口に出しただけで、漏れなく周囲にいる人間全員が呪われるだろうが」
だが、その真っ当な意見に対し、彼はむくれた。それはもう大いに。
「だからってお義兄様呼びは無いでしょう!? もう僕達、兄妹じゃないんですけど!? まぁ、最初から兄妹じゃないんだけど!」
しかし、ルキウスは動じることなく……むしろ、ぴしゃりと。
「だが、結婚していないだろ、お前」
「うぇ!」
「それ以前に、婚約もしてないし」
「ぐっ……」
「そもそもお前、どうやって彼女を今日、あの場所に連れて行くつもりだったんだ。
彼女を連れていくなら、はっきりとした地位や立場が必要だと分かっていただろうが。
だというのに、今の彼女には以前と同じ義妹という地位しかない。これはもうミアリーには、お義兄様と呼んでもらうしかないだろうが。
浮かれすぎて頭が吹っ飛んだか? この浮かれポンチ」
「ぐうぅぅ……!」
論破され彼は悔しげに声を漏らすことしか出来ない。
彼は本当は直ぐにでも婚約したかったが、国が世代交代や不祥事の後始末に追われ、貴族の婚約手続きまで手が回らない状況だったこともあり、延び延びになってしまったのだ。
悔しさから唇を噛む彼に、彼女は苦笑いを浮かべた。
「たった1晩だけですよ。我慢してください」
「でも!」
「でも、じゃないです。
そんな顔もなしです。困ります。
エスコート、してくれるんでしょう? 私を」
そう彼女が言うと、彼はハッとなり、噛んでいた唇はゆるゆると解け、弧を描き、にんまりと笑みを浮かべた。
「うん、僕がするよ。他の誰でもない僕がね」
そう言って、彼は彼女を抱きしめる。
自分があの日作ったドレスを着た愛しい彼女を。




