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記憶喪失になったヒロインは強制ハードモードです  作者: 春目ヨウスケ


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75. 夜明け




 最初に気づいたのは、寒さだった。


「……っ!」


 体の末端から凍りついていくような寒さ。あまりに寒くて手足の先から痛みが走った。

 その次に感じたのは、ちょっとの浮遊感、そして、強烈な重力だった。


「……っ、はっ!」


 息が出来なくなる程の重力がのしかかり、絶対零度の風が私の身体を襲う。耳は風の音で何も聞こえなくなり、有り得ない速度で真っ黒な空から真っ暗な地上へ。私は、真っ逆さまに落ちていった。


「……っ!?」


 このままじゃ死ぬ。そう思って目を閉じた時だった。


「ちょっと! 僕から離れるなんて聞いてないよ!」


 ぱしっ、とやけに大きな音がして私の両手に温もりが広がる。

 気がつくと、相変わらず落ちてはいるけれど寒さも風もなくなり、その速度ばゆっくりしたものに変わる。

そして、目の前には困ったように笑うその人がいた。


「お義兄様……!」


 お義兄様の手が左右片方ずつ、私の右手と左手に重ねられている。離れないようにぎゅっと握れば、お義兄様も握り返した。

 そして、お義兄様が下に、私が上に、まるで空中でダンスでもするように向かい合う。

 上から空を切りながら落ちるお義兄様の顔はよく見えた。


「危ないよ、ミアリー。無事にここまで辿り着いたのにさ。無駄になるところだったじゃん」


「……!」


 私はハッとして辺りを見る。

 夜……にしては暗すぎる。空には星一つ見えないし、暗がりでも遥か下に見える大地には明かり一つない。

 ……黒い絵の具で塗り潰されたように……。

 そんな状況に私は直感した。

 厄災だ。

 私は理解した。


「お義兄様、あの私の目が正しければ、厄災の真っ最中な気がするんですけど……?」


「真っ最中も何も……今、絶頂期(ピーク)だよ。だいぶ食い止められているけど」


「……は?」


「溶ける前の僕は、人類全員は死んで虫ケラになってしまえって本気で思ってたからさ……まぁ、願った通りになっちゃったよね」


「はぁ!? なっちゃったよねじゃないですよ! どうするんですか!?」


「んー、僕はもう何も出来ないかな? 厄災の起点として作られてはいるけど、特別、権限があるわけでもないし」


「はぁあああ!?」


 今がピークってだけでも耳を塞ぎたいのに、引き起こした張本人であるお義兄様も何も出来ないってどうすればいいのよ。

 顔面蒼白になる私。だけど、お義兄様は何故か呑気だった。


「そんなに焦らなくても対抗策はもう準備出来ていると思うよ。聖女由来の何かの装置が起動しているのを感じる。

 そのせいか、君は今、死なない体になっているみたい」


「聖女由来……? もしかしてリスポーン……?」


 私の手を見る。手先をよくみれば青白い光が滲んでいた。

 ……麗香が私の為に遺した装置が、私を守ってくれているんだ。

 目を閉じて、会えなくなった彼女をを想う。大切な私の友達、私は彼女に助けられてばかりだ……。


「麗香……ありがとう……」


 つい、そう呟いてしまう。すると。


「…………ムッ」


 そんな不満そうな声が漏れた。

 目を開けると、お義兄様は先程とは打って変わって、不機嫌そうに口元を歪めていた。


「あのさ、君ってさ……想像以上に人たらしだよね?」


「は? 何ですか、突然。普通だと思いますけど?」


「普通じゃない!

 レイカ?だっけ? あの女の子は僕にマウント取ってきたし、神様は負け犬の癖に、君にいつまでもネチネチ執着してるし! 2人ともマジでムカつくんだけど!」


「はい? ムカつくってなに……」


「君を好きなのは、僕だけでいい!」


「!」


 こんなに暗くても、お義兄様の両目はよく見える。あの茜空の目はただただ私だけを真っ直ぐに見ていた。


「何度でも言うよ。君のことが好き。僕以外の誰も許せないぐらいにね」


「……!」


「でさ……君はどうなの?

 君は僕のことどう思ってるの?」


「……っ」


 私の両手を掴むお義兄様の手の力が強くなる。対して、私は……手が塞がっているせいで、お義兄様の目も、お義兄様の思いも、全部受け止めることになって……息を飲むことしか出来なかった。


「私は……」


 さっき言えなかった返事を、まさか、ここで言う事になるなんて思わなかった。

 顔に熱が集まるのが分かる。それどころか、体までかあっと熱くなって、心臓がうるさくなる。

 でも、ちゃんと言わなきゃ……ちゃんとはっきりと。


「お義兄様……まずお義兄様の名前を教えてください」


 そう聞くと私を見つめていたお義兄様の目がゆっくりと大きく見開かれる。

 驚いている。それはそうだ。だって私は避けてきた。お義兄様の名前を知るのを、後戻り出来なくなる予感がしたから……でも、今は違う……。



「……私の好きな人の名前を、呼べないのは、困ります」



 その瞬間、お義兄様に抱きしめられる。

 お義兄様の腕が私の背中に腰に回される。どこにも逃がさないって言いたげなその腕の中で、私はそっとお義兄様に体を預けた。

 すると、お義兄様の声が頭上から聞こえた。


「ミアリー、本当に引き返せなくなるよ? いいの?」


 まるで警告のようなそれ。まるで、それだけはダメだって言われているような気がした。でも、その声音はお義兄様の不安と期待がごちゃ混ぜになったような声で……私は苦笑した。


「何ですか? 私に、好きな人の名前すら知らずに生きろって言うんですか?」


「……っ」


「お義兄様だけずるいんですよ。

 お義兄様は私の名前を呼んでいるのに、私は貴方の名前を知らない、呼ぶことすら出来ない。

 だから、呼ばせて下さい。

 お義兄様。自分以外の誰も許せないぐらい私の事が好きなんでしょう?」


「…………っ!」


 そう私が言うと、お義兄様は息を飲んだ。

 お義兄様は悩んでいた。明らかに葛藤していた。


「君は。本当に僕から離れられなくなるよ。

 妖精(フェアリー)の真名を聞くというのはそういうことだから……」


「……お義兄様、それ、今更ですよ」


「…………」


 私はお義兄様に微笑む。すると、お義兄様は息を吸って、ゆっくりと吐いて……緊張した面持ちで、でも、私に、他の誰でもない私に、はっきりと告げた。



「……ディオリス」



 その瞬間、時が止まったようだった。

 落下する私達も、黒い空も、暗い大地も全て硬直したように、確かに感じた。


「僕は、ディオリス・シルヴァリオ。

 それが、シルヴァリオ男爵家当主で、世界一の発明家ルキウス・シルヴァリオの兄弟で、君を、ミアリーを世界一愛している存在の名前だ」


 私を抱きしめるその人が、私に微笑み返す。

 不思議だ……お義兄様はまるでおぞましい呪いのように説明していたのに。お義兄様の名前を知った今、これ以上ないくらい胸がいっぱいで、心が満たされていくだけで、全然悪い気分にはならない。

 ……私、やっとこの人の名前を呼べるんだ。



「私も貴方を愛してます。ディオリス」

 


 だから、私は告げた。覚えたばかりのその名前を呼んで、あの時の返事を、私の本心を……私はこの世界にたった1人しかいないその人に伝えた。

 すると、お義兄様は……ディオリスはこれ以上ないくらい幸せそうに私に笑った……。

 だから、私も笑い返して……。

 その瞬間、私達は光に包まれた。








 私達を中心に鮮烈な光が煌めく。

 まるでここに星でも生まれたかのように目も開けられないくらい眩しい光は、忽ち空を覆うように広がり、黒い空を飲み込んで、光で満たしていく。

 だけど、その光はほんの一瞬の出来事。瞬きした瞬間に消えてしまったそれに、私は呆然としてしまう。


「な、なにこれ……」


「……へぇ……」


 何故か納得しているディオリスを見る。ディオリスは穏やかな顔を浮かべてそこにいた。


「精霊が真実の愛が必要だって喚いていたけど……そういうことか……あの予言もあながち外れていたわけじゃないらしい」


「ディオリス……?」


「ミアリー、見て。

 ……夜が明けるよ」


 お義兄様に促されて、顔を上げる。私達の身体がまたゆっくりとまた落下していく。

 そんな中、地平線に沿って赤い光が広がったと思うと、ゆっくりとその穏やかな光は昇ってきた。

 赤から橙色。橙色から黄色、黄色から青……まるで紙に絵の具が染み込んでいくように広がる色と光……新しい朝がこの暗闇に満ちていた世界に訪れる。

 黒い空が朝日に照らされて消えていく。今まで暗くその形すら分からなかった大地にも光が差す。草木の緑、家々の赤い屋根、満開の花々の白など、次々と世界は色を取り戻し、生命力を漲らせていく。


「ミアリー」


「!」


 名前を呼ばれてハッとして、ディオリスの方を見れば、ディオリスは空の彼方の方を見ていた。


「来たよ……朝日とともに来るなんてアイツらしいよね」


 ディオリスが見ているその方向に、顔を向けると、空の彼方で白銀の大きな翼が閃くのが見えた。






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