73. 行って!
ここに来る前、エラキス様は私に確かに言っていた。
「良いかい? ミアリー。
君があの世界でやるべき事は2つ。
いち早く彼を説得すること。
そして、彼をあの世界の外に連れ出すこと。
この2つだけだ。特に、後者は出来るだけ早く頼む」
エラキス様は予知していたんだろう。この展開を。
「彼は本来あの世界には絶対に入れない筈の存在だ。
それが覆った今、彼の意志とは関係なく、そこに居るだけであの世界に歪みを齎す存在になっている。
迅速に彼をあの世界から出すんだ。元の君の世界に辿り着ければ、問題ない。
だが、それが出来なければ……」
「君の未来を保障出来ない」
その灰色の空から現れた黒い空は、その瞬間、この世界のものを巻き上げ始めた。
まるで世界から空気が抜かれ真空になるように、私が生きていた街が急速に地面から剥がされ、黒い空に吸い込まれていく。
家が、お店が、学校が……そして、私が……。
「うわぁ!」
「ミアリー!」
足が地面から離れ、宙に浮く。
そのまま空に吸い込まれそうになった私の手をお義兄様が掴んだ。
何故かお義兄様だけは地に足が着いたまま、何の影響も受けていない。
不思議だったけどそれどころじゃなかった。
「15分経っちゃった……!」
絶望的な状況に顔から血の気が引いていく。そんな時、お義兄様と目が合った。
「ミアリー、これは……?」
「お義兄様、急いで私達の世界に帰りましょう……!」
「は? 帰るって……」
その瞬間、私達が立っていた道が、アスファルトの地面ごと、大地から剥がれ落ち、そのまま上空に巻き上げられた。
「っ!」
お義兄様に即座に私は抱え込まれる。
そして、空を舞う瓦礫の間をお義兄様は跳び退り、黒い空から逃げる。
「どこに向かえばいい?」
「地面の下です! この世界の真下に広がる宇宙でエラキス様が待っています!」
「エラキス? 誰、それ……」
「説明は後です!」
お義兄様を急かして、地面へと向かう。
だけど、引き剥がされた歩道橋や、電柱、車、道路が私達を次々と襲ってきた。
「ッ!」
お義兄様はそれらを蹴り飛ばし、それと同時に下に向かう。
けれど、それより早く瓦礫となった街が私達を襲う。
砕かれたアスファルトの欠片や、剥き出しの鉄骨の柱が次々飛んでくる。加速して弾丸のようになったそれがお義兄様をみるみる傷つけた。
「お義兄様!」
その時、私はハッとする。
今更思い出した。私には聖女の力が、エラキス様の力があるのを。
馬鹿だ。目の前のことに必死で忘れてた。
私は即座に手を合わせる。
だけど、ふと、気づいた。
そう言えば、エラキス様は、私に帰ってこいとは言ったけど、力を使えとは言わなかった、と。
「……!」
嫌な予感がして、手を合わせ組んで祈る。
……最悪なことに、嫌な予感が的中した。私は聖女の力を使えなかった。どんなに祈っても何も起こらなかった。
「は? え? 何で……? 聖女の力が……」
その疑問にお義兄様が答えた。
「……君の力は多分、君を生かすために使われている」
「え?」
「何となくしか分からないけどね。君は今、自分を生かすので精一杯なようだ」
「……っ」
でも、それって、つまり……。
ガラスの欠片がお義兄様の頬に赤い横一線を作る。鉄筋がお義兄様の足を抉る。
お義兄様がどんどん傷ついていく……私は無傷なのに……。
きっとお義兄様は私に当たりそうなものは瞬時に判断して、自分の体で受け止めている。
それを私は見ているだけしか出来ないなんて……。
「……そんなの!」
その瞬間、私達に向かって信号機が飛んできた。
「……な!」
死角から飛んできたそれは、私達に真っ直ぐ向かってきた。
これは、お義兄様でも避けられない……!
「お義兄様!」
お義兄様を守ろうとその身体を抱きしめる。お義兄様が息を呑むその音が聞こえた。
その時だった。
「やっぱり私が必要じゃない! エラキス!」
私達に迫っていた信号機が、空中で止まる。
ハッとすると……そこにはまるで時が止まったかのような景色が広がっていた。
黒い空に吸い込まれかけた、コンビニも、木も、看板も、ガラスや土砂も空中に留まり、浮いたままそこで停止している。
その時、私は見つけた。
何もかも剥ぎ取られた地上に、その人がいることを。
「麗香!」
金髪を靡かせ彼女は両手を組んだまま、お義兄様と私に叫んだ。
「こっちよ!」
その声に反応し、お義兄様は一気に瓦礫の間を駆け下りて、麗香の元へ行く。
ほっとして息を吐く。だけど、地面まで辿り着いて、私は固まった。
麗香の手が震えている。その額からは汗が流れ、苦しそうに肩で息をしている……それを私は見てしまった。
「麗香、大丈夫!?」
お義兄様の手から離れて、慌てて麗香に駆け寄る。
手を伸ばすと……その手を跳ね除けられた。
「!」
「心配している暇は無いわ、貴女は早く」
「……でも!」
「私は大丈夫。無茶は慣れてるもの……世界を救うのも2度目だし。
それに、どうせここで奮闘するしかないの。今の私にエラキスのところに自力で行く手段はないから、もう帰るところはここ以外にない……だから、これでいいのよ」
「!」
愕然となる私に、麗華は微笑む。誰が見ても分かるぐらいその麗香の微笑みは強がっていた。
辛いのに彼女は私に心配させまいと最後に笑ってくれたのだ。
「精霊達によろしくね。
貴方達が私やあの時の人々に向けたような愛と善の心を取り戻してくれることを祈るって」
麗香は、その次にお義兄様を見上げた。
「貴方は、彼女を泣かしたら容赦しないから覚悟なさい! 泣かしたら冗談抜きであの世から祟ってやるわよ! 良いわね?」
「……は? なに、君、何で僕にそんなに上から目線なの?」
「貴方より彼女と付き合いが長くて、貴方より彼女と仲が良くて、貴方より彼女が好きな人間だからよ。一緒にお買い物なんて数え切れないぐらい行ったし、お泊まりだって何回もしたことあるわ。あと、ジュースの飲み合いっこしたこともあるわよ。間接キスって奴ね」
「…………は!?」
お義兄様が眉を顰め、額に青筋を浮かべる。
だけど、私はお義兄様どころじゃなかった。
「……麗香」
「ちょっと何で泣きそうな顔になるのよ、やめてよね」
「だって、帰る場所がここにしか無いってことは……」
「そうね……私達は会えなくなるわね」
「……!」
信じられなくて俯く私に、でも、と麗香は声をかけた。
「大丈夫よ。寂しく思わないで。もうお話は出来ないけれど……私は貴女を想ってる。ずっと」
「麗香……」
「もう死んだらダメよ? 私の大好きなかなえ。
だから、生きて……!!」
「……っ!」
私が息を呑んだ瞬間、ガラガラと音を立てて、地面に穴が空く。
穴の向こうには宙が見えた……。
驚く私に彼女は微笑むと、私を急かした。
「さぁ、早く、エラキスのところへ! 急いで!」
つい足が止まりそうになる。そんな私の手をお義兄様が掴んだ。
「行こう」
後ろ髪引かれながらも私はお義兄様に続いて宙に落ちる。いえ、落ちるしか私にはなかった。
麗香はもう私を見送る顔でそこにいて、もうテコでも何でもそこから動く気が無かった。
だから、私はせめて。
「ありがとう、麗香」
「…………」
「私の友達になってくれて!」
「……!」
「私もあなたのこと大好き!!」
穴から空に落ちながら、最後に見た彼女の顔は、涙混じりになってしまった笑顔だった。




