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記憶喪失になったヒロインは強制ハードモードです  作者: 春目ヨウスケ


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幕間 それは奇跡のような 3




 その小さい子猫(ミアリー)の最初の印象はあまり良くなかった。


 記憶喪失になったといっても、何せ直前までの彼女の印象は最悪の一言だった上に、彼女は怯えた様子で顔色を伺うばかりで、彼は面白味も何も感じなかった。

 ただ、人型はしているな、と思った。

 以前まで彼女や周囲の人間と同じような、嫌な意味ですっかり見慣れてしまった化け物の姿ではなく、記憶を失った彼女は、きちんと人の形をしていた。

 とはいえ、不快な存在には変わりなく、彼は憂さ晴らしも兼ねて、彼女をわざと貶していたのだが……。


「私が小指の爪なら、皮肉しか言えない名前も教えない器も小さい貴方は毛穴ぐらいでしょうね。ついでに、検査してその捻くれた性根も治るかどうか調べたらどうですか? 多分もう手遅れでしょうけど! だって見るからにもう末期ですものねぇ! 女の子に優しく出来ない時点で紳士じゃないし終わってるのに、その上で、その性悪さなんですから、もう無理でしょう! 何が優秀ですか! 円滑なコミュケーションが出来ない時点で人でなしなんですよ。まずは蟻から社会性を習ったらどうですか? 出来るものなら!」


 その小さい子猫は、小さい体を精一杯大きくして、勢い良く彼に噛み付いてきた。

 大して痛くも痒くもない噛みつきだったが、その目は本気だった。

 本気で、彼にやり返そうとしている。

 その必死さに、彼は思わず、感心した。


「へぇ……言うじゃないか」


 黒一色の世界に暮らす彼の心を、この小さい体で甲高い声を上げて反論する彼女は、確かに揺り動かしたのだ。


「ふーん、気持ち悪い子から面白味もない子になったんだと思ったけど……意外と、結構骨があるね?」


「……?」


「うん、楽しめそうだ、君は」


「………………は?」


 唖然とする彼女の顔が、はっきり見える。

 そう気づくと、ゆっくりと徐々に、黒一色だった彼の視界に色が着く。

 彼女の健康的な肌の色も、鮮やかなグラデーションが掛かった髪の色も、そして、いつか見たあの青空のような青い瞳も全て露わになって……今までなんとも思わなかった彼女の容姿がとても良く見えた。

 こんなに世界に色が着くのは、ルキウス以外は初めてだった。

 ぱあっと光が差したたように辺りが明るくなる。

 ……反対に、彼女は嫌な予感でも感じたのか、みるみるうちに青ざめていった。

 その反応が面白くなり、彼はつい笑みを浮かべて。


「……名前教えよっか?」

 

 ルキウスにも教えるのを躊躇った自分の名前を彼女に打ち明けようとした。

 深い理由はない。ただ彼女なら良いと、こんなに面白い人間は逃す方が勿体無いと思った。

 だが、その瞬間、勘の鋭い彼女はブンブンと首が引きちぎれるのではないかと思う速度で首を横に振った。


「いや、もう良いです……! 赤の他人でいましょう! 他人です他人! 貴方みたいな厄介で面倒くさくて性格が終わっている人、知らない方が実りある人生になる気がするし!」


 彼の名前を知るとどうなるのか知らない筈なのに、彼女は全力で拒否し赤の他人になろうとする。

  彼は益々面白くなり、その口元にある笑みを深くした。


「えぇ~! 酷いなぁ~血は繋がってないし、戸籍も別だけど、僕の義妹なのに~」


「それ、前の私の設定でしょ!? 貴方には関係ないって……!」


「気が変わった。

 あのねぇ、お義兄様、最近暇してて遊び相手(おもちゃ)が欲しかったんだよね。こんな傍に転がってたなんて知らなかったよ~ これからはちゃんと義妹ちゃんって呼んであげるね~」


「こんなの身内扱いしてたの私!? 最悪! 絶対嫌!! 貴方みたいな人、身内じゃないです! 後見人という名前のただの金蔓でいて下さい! お願いします!」


「残念。これから仲良くしようね、ミアリー。

 そんな君のお義兄様の名前はね~!」


「あーあ! あーあー! 聞こえない!聞こえないでーす!」


 必死になって逃げ回り、抵抗し、躍起になる彼女が彼には面白くてたまらなかった。

 記憶を失った彼女は……今のミアリーは、この世界に住む人間達の誰とも違った。

 当然、ルキウスとも違う。あの暴君はからかっても面白くないが、この小さい女の子は、ちょっと小突くだけで、100倍くらいぎゃあぎゃあ言い返してきた。



「おっはよ~! 朝から顔色悪いね~! 赤くなったり青くなったり、器用だね!」


「誰のせいだと思ってるんですか!? 寝起きに貴方の顔は心臓に悪すぎます!」


「ふふっ、それってドキドキするってこと?」


「えぇ! そうです! 嫌悪感でですがね! 鳥肌ですよ!

 何で、女の子が寝ているって分かっているのに部屋に無断で入って来てるんですか! ヘンタイ!

 怒りますよ!!」


 どんなに激しい剣幕で怒鳴られても、小さい子猫が必死に威嚇しているようにしか見えない。

 彼女は本当に面白い。この鳴る玩具(おもちゃ)を気に入り、彼はそんな彼女を一生、暇さえあればちょっかいかけ揶揄おうと決めた。

 だが、そんな時だった。



「お義兄様と住むのは嫌ですけど……!

 ……その、これだけは言わせて下さい。

 あの時、助けに来てくれてありがとうございました……」


「……!」


 子どもじみた感情に、その感情が混じるようになったのは。


「……お義兄様が来てくれなかったら、私、きっと酷い目に遭っていたので……。

 あの時、お義兄様が助けに来てくれて、ホッとして……凄く、嬉しかったんです。

 私のヒーローになってくれて、ありがとうございました」


「………………」


 あの日、夕日に照らされた帰り道で彼が見たのは、彼女の照れた顔だった。

 彼から逃げるように顔を背けながらも、その綺麗な青空の瞳を潤ませ、小さな口をきゅっと引き結び、耳たぶから柔い頬までこれ以上ないほど赤くした彼女に、彼は思わず、唾を飲み込んだ。

 初めてだった。

 今まで様々な人間を見てきた。そのどれもが醜悪で見るに堪えないものだった。

 だが、その顔は……他でもない彼女の顔は、可憐で、いじらしく、愛らしく、そして、輝かしく見えた。


「……君のさ。

 照れた顔、卑怯だね……」


 絞り出すようにそう告げることしか出来なかった。

 この顔を自分が引き出したのだと思うと、息を飲むことしか出来なかった。

 自分を思う時、彼女はこんな顔をしてくれるのだと理解したその時、彼の加虐心に、その心は混じるようになった。

 執着心、もしくは、✕✕と呼ばれるその心が。

 黒ずくめの彼の人生に、色の着いた花が咲いた瞬間だった。

 そうなれば、ますます手放せなくなる。彼女ともっと触れ合いたいと、もっと違う顔を引き出してみたいと欲張ってしまう。

 芽生えたばかりのその心は、急成長し巨大化していき、その結果、彼は狭量にもなった。


「そっかー 死んじゃっても別に構わないかぁー ふーん、へぇ~

 随分、酷いことを言えたね。

 本人の家族が近くにいるとも知らずにさ」


 彼女を害する全てが許せなくなり。


「……何か面白くない……」


「むっ、面白くないってなんですか! こっちは今最高の気分なんですよ? 可愛いでしょう! 今の私!」


「いや、まぁ、確かに可愛いよ……ちょっとだけ……」


「なんですか、ちょっとだけって素直じゃないですね」


 あのルキウスが作ったものだとしても、自分以外の誰かのものが彼女を彩っている事実を許容出来なくなった。

 彼は完全に彼女にハマっていた。ルキウスからは呆れられる程に。

 だが、彼女を思うと彼の目は常に色づいた美しい世界を見せた。

 それは、負の記憶しか残っていないサンディアラの光景すら変えるほどに。



「お義兄様、次はこっち! 次はあっちを見に行きますよ」


「ミアリー、興奮しすぎじゃない?」


「逆に落ち着いていられますか! こんなの絵本の世界ですよ! カラフルで華やかでどこを見ても絵になって!」


「ハイハイ、一旦落ち着いてね。転けたら台無しなんだから。

 ………………カラフル、か……」


 彼女の何気ない一言に、彼はじっと彼女を見つめ、そして、彼女越しに改めて街を見た。

 ……そこには冷たい雨が降り注ぎ、黒一色に塗り潰されたあの日の面影はない。

 明るく光に溢れた色鮮やかな世界が広がっていた。

 晴れ渡る空。円を描くように曲がりどこまでも続く白茶色の道、白、茶色、青、赤、色とりどりの石造りの7階建てのアパルトマン。そして、アパルトマンのベランダから降り注ぐ様々な色のゼラニウムの花びら。

 一通り見て……すると、一際、目立つ色合いをした彼女と目が合った。


「お義兄様、どうしました?」


 こちらの気も知らないで不思議そうに見上げる彼女につい笑ってしまう。

 彼女からすれば、ただの外出、ただの買い物かもしれない。

 しかし、彼からすればそうではない。


「……やっぱり君だな」


「はい? なんですか?」


「僕にはこの街より君の方が綺麗で、輝いて見えるよ」


「!?」


 驚き、彼女はみるみるうちに真っ赤になっていく。

 思ったことをそのまま話しただけなのに大袈裟な反応をする彼女に、彼は笑い、揶揄った。



 楽しかった。彼女との時間は。

 喜怒哀楽がはっきりしている彼女は、一緒にいてつまらないと思う瞬間がなく、コロコロ変わるその表情が、愉快でたまらない。

 その上、彼女は他人に不快なことなんかひとつもしない、醜い魂胆もなく悪どい行動もしない善性の塊だった。

 一緒にいて、居心地が良かった。

 ……本当に、居心地が良かった。

 時に怒りながらも必ず自分を受け止めてくれる、この小さな子猫のような少女は、自分が欲しい反応も言葉も……存在理由もくれる。そして、明日が楽しみになれるほど、この世界が好きになる。

 正に彼女は彼の希望だった。


 だが。


 だが、しかし……。


 ……彼の運命はどこまでも彼に非情だった。






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