69. 崩落の後
「っ!」
床が抜け落ちる。
大量のキャンバスと共に、私と先輩は落ちていく。
壁も天井もヒビが入って砕けていくのが見える。
そして、その人が背を向けて部屋の扉を開けて何処かに行くのも……。
「待って!」
声を上げる。
だけど、届かない。暗闇に落ちてしまったせいで、みるみるうちに私は暗闇の底に、そして、その人の背中は小さくなっていく。私の声も何もかも遠のいていく……!
「待って! 待って……!」
それでも、私は手を伸ばす。声を上げる。
だって、その人を私は知っているから。
「お義兄様!」
だけど、その瞬間、私は暗闇に飲まれた。
いつの間にか意識が飛んでたみたい。
……気がつくと、声が聞こえた。
「…………ありがとう、レイカ。君のおかげで間に合った」
「どういたしまして……って、貴方いつの間に、擬似人格なんて獲得したの? 私の時はただの機械だったのに……」
「? 何か問題が……?」
「問題だらけよ! 出来るなら200年早くしてよ! そのせいで……私は要らない苦労をどれだけしたことか! 貴方がいれば、もっと楽に!」
「……レイカ。彼女が覚醒したようだ」
「!」
ゆるゆると瞼を開く。
目に飛び込んできたのはどこまでも広がる空、無数の美しい星々、そして……。
「エラキス様……?」
仰向けで寝ていた私の顔を覗き込むエラキス様がいた。
私が目を開けるとエラキス様が安堵の吐息を吐き、微笑みを浮かべた。
「調子はどうだ?」
そう聞かれて、はた、と気づく。私をあれだけ苛んでいた頭痛も朦朧としていた意識も今は無い。
急いで起き上がる。
手足も問題ない。びっくりするくらい普通に不快さもなく動いていた。
「あんなに酷かったのに……」
「本来いるべき世界に帰ってきたのだから、当然よ。ここにはエラキスもいるし」
麗香の声がして、そちらを見る。
そこには金髪碧眼の、まるで女神のように高貴で美しい女性がいた……いや、誰?
「あれ、麗香は……?」
「私が麗香よ」
「え?」
つい2度見してしまう。すると、彼女は困ったように笑った。
「忘れたの? 貴女とはほぼ毎日いた筈だけど? 数学オタクの通い妻さん」
「げっ」
このからかい方……! 姿形は変わっているけれど、この美しい人は、間違いなく私が知っている麗香だ。
唖然となる私に彼女はケラケラ笑う。
美人でも中身はそのまんまだ。
でも、その時、私はハッとした。
「先輩は!?」
辺りを見回す。
すると、私の傍らにいるエラキスを挟んで向こう側……そこに、先輩が眠っていた。
「先輩!」
すぐさま駆け寄る。
あの瞬間、確かに先輩はお義兄様に刺された。血だって凄い量が出ていたはずで、思わず、先輩の身体に触れる。
……その体は、まだ温かく、そして、緩やかに呼吸していた……顔色もそこまで悪くない。
「先輩……無事なの?」
目覚めていないだけで、私の目には先輩が生きているように見えた。
ふと戸惑う私の隣にエラキス様が、やってきた。
「彼は治療した。命に別状は無い」
「……!」
「刺傷も全て塞いだ。今は眠っているだけだ」
それを聞いて私は胸を撫で下ろす。良かった。無事で……。
だけど、エラキス様は、固い声で告げた。
「だが、このままでは良くない」
「エラキス様?」
「この世界は彼がいるべき世界じゃない。
彼の世界はあの世界だけ。他の世界では生きていけない。
今はまだ問題はないが、次第に息すら出来なくなるだろう。
……そうなれば、彼は死ぬしかない」
私の顔から血の気が引いていく。
やっと先輩と分かり合えたのに。こんな展開になるなんて……信じられなくて、顔面蒼白になる私に、エラキス様は告げた。
「彼を助けるには、彼を元の世界に戻すしかない」
「!」
なら、今すぐに先輩の世界に戻らなくちゃ! そう思って顔を上げる。ところが、その時、エラキス様も……そして、麗香も険しい顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「今、彼の世界は崩壊状態にある」
「……え?」
崩壊……?
その瞬間、脳裏に、立ち去っていったお義兄様の背中が過ぎった。
……嫌な予感がした。
「もしかして、お義兄様が、何かしたんですか?」
そう聞くと、麗香は驚いたように声を上げた。
「ちょっと待って!? お義兄様? お義兄様ってなに?
私の未来視には貴女にあんな人はいなかったはずよ。
それに、よりによってあれが貴方のお義兄様ですって!?」
「わ!」
私の両肩を麗香は掴むと私の眼前に迫ってきた。
ていうか、未来視? あれ? どういうこと!?
「れ、麗香、ちょっと質問が……!」
「質問したいのはこっちよ!
私が200年前に未来視した時には、貴女に兄は1人しかいなかった筈。
一体どうなっているの? これじゃ精霊に残した予言にズレが……」
「予言……?」
その瞬間、私の脳内で点と点が綺麗に繋がった。
200年前……聖女……精霊……予言……。
これはもう絶対に……!
「よりによって貴女なの!? あの大迷惑な予言を精霊に遺して、私の人生めちゃくちゃにしたのは!?」
信じられなくて私は麗香を二度見する。
その私の言葉に、麗香は呆気を取られた顔になり、不可解そうに眉根を寄せた。
「ちょっと待って。それもどういうこと? 私、貴女の人生がめちゃくちゃになるような予言を残したりなんか……いや、待って」
心当たりがあったのか、麗香は私の肩から手を離し、しばらく考え込むと、私の目を見た。
「お願い。全部話してくれる?
貴女の、ミアリーの人生の全てを」
そう聞かれ、私は意を決して……そして、今までの鬱憤も込めて、口を開く。
この私の話を……ろくな目にあってなかった、1週間にも満たない私の人生を、彼女にぶつけるように私は全て話した。




