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記憶喪失になったヒロインは強制ハードモードです  作者: 春目ヨウスケ


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68. 私の最期の記憶




 過ぎったのはトラックの光。

 私は何故かその瞬間、走馬灯のように過去を見た。



「あのさ……!」


 何でもない日だった。

 いつものように学校から榊先輩と2人で帰っていたあの日。

 いつも口少ない先輩が、突然、隣を歩く私に話しかけた。


「今日夕飯食べた後に、大事な話があるんだけど……いい?」


「何ですか、急に」


 急にそんなことを言い出すなんて変だと思って、先輩の顔を覗き込む。前髪の下で先輩の目が泳いでいるのが見える。頬なんてかいて、何だか照れ臭そうにしている。


「どうしたんですか? ここじゃダメなんですか?」


「あ、あぁいや……と、とにかく、夕飯の後がいい。僕のアトリエでさ、話したい」


「?」


 変な先輩。

 私はそう思って、先輩から目を離した時だった。

 目の前の道をフラフラと、女の人が歩いていた。

 見てられないくらい痛々しい人だった。

 艶のないボサボサの髪に、端から糸がほつれ擦り切れた衣服、痛々しい火傷跡だらけの手足。踵がなく靴べらが取れかけた泥だらけの靴……。

 妙だった。オレンジ色のアスファルト、どこからか聞こえる子どもの声、風に乗って香るカレーの匂い……そんな平凡な風景に浮いて見える明らかに異常なその人は、フラフラと頼りない足取りで、車が走る道路へ向かっていった。

 横断歩道も信号もない道路は車は減速することも無く、スピードを出して走っている。


「まずい……」


 私は荷物をほっぽり出し、走った。後ろから私を呼ぶ先輩の声がする。けれど、立ち止まれない。あの人を助けられなくなるから。


「そんなことしたらダメ!」


 トラックの前に身を投げ出そうとする女の人を引き止めようと手を伸ばす。私の手は確かにその人の腕を掴んだ。

 だけど。


「何するのよ!」


 気がつけば、女の人に道路に突き飛ばされていた。


「あ……」


 そう思った時、トラックの光に私は照らされていた。


 ……………………。


 気がつけば、私はアスファルトの上に転がっていた。

 何が起こったのか分からなくて、目を動かす。


「かなえ、かなえっ!」


 私の名前を呼ぶ声が聞こえる。彷徨っていた私の目が、私の傍で私を呼び続ける先輩を見つけた。


「かなえ! かなえ、かなえ!」


 そんな先輩の後ろには、驚いた表情で呆然と見つめる人々、止まっている多くの車と、到着したばかりらしい消防車と救急車……そして、あの女の人……。

 彼女が無事だったことにホッとして、先輩の方を見上げる。

 先輩と目が合うと、先輩は安心したのか、息を吐いた。


「かなえ……! よ、かった……! このまま目を開けなかったら、僕は……」


 私の手を握る先輩は、今にも泣きそうで、見ていられなくて、だから、どうにか安心させたくて……。


「せん、ぱい、私……」


 大丈夫ですよ……って言いたかった。


「このクソ女! お前のせいで転生出来なかったじゃん! クソ、クソ、お前がいなければ! 私は綺麗な美人に生まれ変わって! 色んな人にチヤホヤされて! こんな親ガチャ失敗のブスな人生とおさらば出来たのに!」


 言いかけた瞬間、私の意識は真っ赤に塗り潰された。




 私は死ぬつもりなんて一切無かった。

 ただあの人を引き止めたかっただけで、それ以上の意図はなかった。

 あの冬の日、倒れていた先輩と一緒。今に死にそうなあの人を見て見ぬふりなんて出来なかっただけ。

 だから……手を伸ばした。でも……死んじゃった。よりによって、先輩の前で……。


「そっか……」


 今、分かった。

 私は……あの時、自分の、春日井かなえの人生だけじゃなくて、先輩の人生まで壊しちゃったんだ。

 目の前で私を亡くした先輩には、私と話したいことも、私とやりたいこともあったはずで……私の死を受け入れるなんて、到底出来なかったんだ。

 だから、こんなに必死に……今の私が生きる世界を壊してでも、私を取り戻そうとしている……。

 だけど……。


「……私は……」


 キャンバス(私の世界)を庇うように抱えた瞬間、絵の具の洪水が私を襲う。

 洪水は私と絵を飲み込むと、アトリエの床を汚して私とキャンバスを残してどこかへ消えていく。

 抱えたキャンバスを見る。

 そこには先程と変わらない光が漏れている。

 ……どうにか守りきった。

 それに私は安堵する。けど、その代わり、私の体は絵の具で真っ黒に染まってしまった。

 制服も体も真っ黒になってアトリエの真ん中に座り込む。


「かなえ!」


 絵の具のせいで、私は先輩にも見えるようになったらしい。先輩は足を絵の具で滑らせながら、それでも空を爪でかいて必死に駆け寄って、真っ黒な私を抱きしめた。


「どこにも、もう、どこにも行かないでくれ……!」


 先輩の抱きしめる腕が痛いくらい私の体に食い込む。


「本当に、ここに居てくれるだけでいいんだ。

 君がいる、その事実だけでいい。

 それ以上、望まない……望まないから……だから……」


「先輩……」


 私を抱きしめたそのせいで真っ白になってしまったその髪が、黒く染まる。

 ほんの少しだけ私の知っている先輩に戻ったその人に私は手を伸ばした。

 その長い前髪に触れそっと押し上げる。

 先輩の夜の目がようやく見える。でも、先輩の目には私の影は見えても顔までは見えていないみたいだった。幾ら頑張っても目が合わない……視線が交錯しない……やっぱり、私達はすれ違ったままだった。


「先輩、私は……」


 そっと声を出す。ちゃんと、今度こそ伝わるように。


「ここにはいられません。

 私は、生きたいから……!」


「…………」


 先輩の目が大きく見開かれる。

 苛む頭痛も身体の不自由さも未だあるけれど、絵を抱えているからか、光に照らされているからか、段々と頭だけはハッキリしてくる。

 頭痛を堪えながら、私は先輩に微笑む。


「先輩は知らないでしょうけど、新しい私の人生、始まってまだ1週間も経っていないんです」


 そして、腕にあるその絵をそっと強く抱え込んだ。


「最初から散々な人生でした。

 目覚めた私は学校で1番の悪評高い女の子になっていて、クラスメイトから虐められるし、名前すら知らない元恋人からも散々な扱いを受けるし、精霊からは存在を疎まれるし、最後は、頭のおかしい狂信者に殺されちゃって、本当に散々でした……。

 でも、私、この世界が嫌いじゃないんです。

 だって、嫌いになれるほど何も謳歌していないから……。

 私の人生は、本当にこれからだから……。

 先輩は……なら、ここに戻ってもいいじゃないかって思うかもしれませんけど、1週間にも満たないとはいえ、私はもう、先に進んじゃっているんです。未来に……」


「…………っ」


「ごめんなさい。先輩、1人にしてしまって……。

 置いて行くつもりはなかったんです。でも、私はもうここにはいられない。貴方を1人にするしかない……。ここはもう私の世界(未来)じゃないから……」


 先輩の目が大きく目を見開かれる。揺れるその瞳が潤んでいく。それは雫となって、先輩の目から落ちていった。


「かなえ……嫌だ……」


 先輩は首を振る。何度も、何度も……。


「嫌だ。嫌だ!

 あんな世界より、こっちの方がいいじゃないか!

 ここには君の家族も、君の友人も、君の過ごした日常も何もかもある。

 どうせあの世界にはクズかゴミしかない! 心が汚いずるくて卑怯で他人の不幸を願うような人間しかいない! しかも、もう滅びるんだこの世界は!

 もう生きる世界はない! 未来は無い!

 君にはここしかない!

 ここしか、ないように……! 僕がしたんだっ……!」


 先輩の瞳からはらはらと涙の雨が降る。

 私の先輩で、私の世界の神様が泣く。その涙を指で私は拭った。


「だとしても……私はここじゃ生きていけない。

 ……だって、春日井かなえは、死んじゃっているから……」


「……っ!」


「先輩とは違うんです。私はもう先輩とは、違うんです。

 私達はもう一緒にいられないんです。どんなに願っても、どんなに手を尽くしても、私は、この世界にはいられない……」


「かなえ……かなえ……かなえ……!」


 拭った傍から先輩の涙が落ちてくる。私を抱き締めるその手がまた強くなる。


「君も諦めろっていうの?

 こんなに、こんなに願っているのに、夢見ているのに、すぐそこに、君がいるのに……。

 諦めろって……そんなこと出来ない……出来ないよ」


「出来なくてもやるしかないんです。先輩」


「!」


 泣くその人を抱きしめる。

 もう体温も心臓もない体で、まだ温かい先輩を、そっと……。


「遺されるってそういうことですから……私がいない世界を進むしかないんです。私達には選択肢なんて最初からなかったんですよ、先輩。

 どんなに願っていたって、叶わない願いなんです。

 諦めるしかないんです、先輩。

 ……お互いに、ね」


「……!」


 先輩の目と私の目がようやく合う。一瞬だけだけど、それでも確かに私達の目はあった。

 その先輩の目には、いつの間にか瞳から先輩と同じくらいかそれ以上涙を流す私がいた。


「私だって、諦めたくない!

 だって、修学旅行にも行っていない! 学校も卒業するまで通いたかった! 大学だって行きたかった! お母さんやお父さん、弟とまだまだ過ごしたかった。紗奈や麗華とはまだまだ遊び足りていなかった! それに先輩とだって……!」


 私は、もう過去には戻れない私は、口を震わせながら、それでもはっきりと、先輩に告げた。




「先輩とだって、あのまま一生、一緒にいると思ってた!」



 アトリエは静まり返っていた。

 ガタガタ揺れていたキャンバスも、黒い絵の具も、何もかもが静寂に包まれている。

 そこにいるのは、息を切らした私と、息の仕方も忘れた先輩だけ。

 先輩は涙の流し方さえ忘れて、固まっていた。

 ただ、ただ私を見つめて、呆然としていた。

 でも。


「…………僕は、ずっと怖かった……」


 ぽつりと先輩は零した。


「君はいつか、蝶のように僕の元から飛び立って何処かへ飛んで行くんじゃないかって。ずっと……。

 つまらない僕より良い人を見つけたら、僕らの関係は終わりだって、ずっと……。

 本当にずっと、君と僕のこの関係を愛しているのは、僕だけなんだと思って、怖かったんだ……」


「………………」


「でも、そうか……そうだったのか……」


 先輩が私の肩に顔を埋める。


「どうして……僕達の未来は無いんだ……何処にも……」


「……先輩」


「僕達はどうして、離れ離れにならないといけないんだろう……よりによって、僕達がどうして……!」


「………………」


 先輩の全身から、先輩の悔しさが、やるせなさが、全部伝わるようだった。

 でも、私は抱き締め返すことしか出来ない……だって、置いていくのは私だから。


「先輩、もう私の世界を壊したらダメですよ」


「……!」


 先輩が驚いたように顔を上げる。

 先輩の背中から私は手を離す。私を抱きしめる先輩の腕をゆっくり振りほどいて、その両手を取って、私は先輩より一回り以上小さな自分の両手で先輩の両手を包んだ。


「先輩。そこで私は生きていくんです。もう高校も大学もないし、家族も友人も……先輩もいない。きっと思い出す度に胸が痛むことになる。

 でも……私は生きていきます。そこで、生きていくしかないから。

 先輩と同じなんです、私も」


「……かなえ」


 そっと見上げれば、そこには泣き腫らした顔をしたその人がいた。

 想いを込めて、その手をぎゅっと強く握る。


「だから、これからは守ってください。私の未来を……私が生きる場所を。

 貴方しか出来ないことだから……」


「……っ」


「前にも言ったでしょう?

 私はここにいますって。だから、寂しがらないで。姿は見えなくても、貴方を私はいつまでも思ってますから……」


 先輩はもう……何も言えないようだった。息を飲んで歯を食いしばって、俯く。その目からとめどなく涙が降る。

 でも、私の手を振り払うことも掴むこともなかった。


「分かった……」


 静かなアトリエに、先輩の世界に、その声だけが響く。


「分かったよ……かなえ……。

 どうせ離れ離れになるのなら……君の為に僕は生きる……。

 君の未来を、この僕が……っ」


 そう、先輩が言いかけた時だった。






「何、自分だけ幸せになろうとしてんの?」






 気づいたその時、先輩がゆっくりと私に倒れ込んで来た。

 先輩の全身を私は受け止める。その瞬間、私の手に明らかに絵の具じゃない、生温かいサラサラとした液体が流れ落ちてきた。


「……っ!」


 目を見張る。

 急速に温度を失っていく先輩に、そして、先輩が倒れ込んだことで見えた先輩の後ろ側……そこにいつの間にか立っていたその人に……。



「本当、反吐が出るよ。過去()が君を許すわけがないでしょう?」



 たん、たん、とその人が持つ剣から雫が床に落ちる音がする。

赤い、赤い……どろりとしたそれが、点々と床に模様を作っていく。

 私はそれに震え上がるしかなかった。



「そう、許すわけがない……!

 この僕から……! この僕の全てだった、兄弟を……ミアリーを、奪っておいて、自分だけ幸せになんて!

 そんな虫酸の走る未来に行こうと言うならば、お前の未来ごと、お前の全てを滅ぼしてやる!」



 その人が床に剣を突き立てる。

 その瞬間、まるで乾いた古い絵の具がひび割れてキャンバスから剥がれ落ちるみたいに、世界が崩落した。







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