67. 先輩
先輩は、明らかに麗香を睨みつけていた……どう見ても、完全に敵として。
「え……?」
何が起こっているのか分からない。
でも、何だかよくない予感がする。
麗香はそっと私を庇うように私を自分の後ろに追いやった。
「貴方とこうして話すのは初めてね……榊さん……」
「君は……旭の星じゃないね。誰?」
「貴方の記憶にはない人よ」
麗香は、敵意を向ける先輩にも毅然と向かい合う。
緊迫した空気がキャンバスで溢れたアトリエに流れている。
そんな中、麗香は口を開けた。
「私は、館 麗香……春日井かなえの友人よ」
「ふーん、友人……でも、本当に?
なら、何故……その絵に近づこうとしているのか?」
長い前髪の奥から見えるその光のない目に麗香が映る。その目に映る麗香は、1歩も譲らないとばかりに、険しい表情で先輩に見つめていた。
そんな麗香に、先輩は、淡々と告げた。
「あの絵はね、もう終わるんだ。ようやくね……」
終わる……? 痛みで意識が朦朧とする。けれど、絶対に聴き逃したらいけない気がして、私はふらつく体を無理やり起こした。
「どういうこと……? 先輩……」
だけど、先輩は私の声が聞こえていないのか、一瞥すらしない。
おかしい。そう思った時、気づいた。
私の体がゆっくりと透けて、輪郭の端から青白い光の粒になり始めてることに……。
……私が消えている?
けれど、そんな私に誰も気づかない。私を置いて話はどんどん進んでいく。
「僕はね、もっと早くにこの世界を消したかったんだ……なのに……」
「………………」
「ずっと、邪魔される……旭が遺した星からも、よく分からない君からも……。
なんで……本当になんでなんだ……」
先輩が1歩ずつこっちに……麗香の方に来る。
だけど、麗香は怖気付くことすらなかった。
「それは、貴方が消そうとしているこの世界が、私達の世界でもあるからよ」
「…………」
「私は、舘 麗香であると同時に、私は、この世界で聖女として生きた、レイカでもあるの」
私を庇うその手に力が入っていくのを私は感じた。
「貴方のせいで、レイカとしての私の生は、苦難続きだった。
だって貴方は創造主なのを良いことに、あらゆる方面から私達の世界をコケにしてきた。
厄災だけじゃない。情勢も大衆も思想も……全て貴方が裏で糸を引いて、誰も同情出来ないクズな人間ばかりの滅ぶべき世界にした。
エラキスに聖女に選ばれた私は、どうにか抗おうとしたけど、不可能だった。
でも、ある時、気づいたの。元凶を叩かないとどうしようもないって……。
だから、ここにきた……。
貴方を諦めさせるために」
……その時、私は気づいた。
気がついたら麗香の姿は変わっていた。
黒髪は、足元まで届くほど長いプラチナブロンドに。
学校の制服は、百合の刺繍が入った真っ白なローブに。
その雰囲気は、高貴で凛々しい美しい女神のようになっていた。
「貴方の望みは叶えない!
貴方がコケにしたその全てが私の大切なもの!
私達の世界は終わらせない!」
その瞬間、イーゼルに立てかけられたその絵から真っ黒な絵の具を食い破るように光が差した。
その光は部屋全体を照らすように広がり、私達を照らした。
その光に照らされ……先輩は舌打ちした。
「……アイツは、旭は、死んだのに……まだ星を……?
いや、違う……まさか……星が星を産んだのか……!?
……っ、更に邪魔が増えた……!」
そんな先輩に麗香は淡々と告げた。
「生まれたものは簡単には死なないわ。
生き残る為に、泥臭くてもかっこ悪くても足掻くの。
貴方の意思だけで潰れるほどヤワじゃないのよ、私達は!」
光を背に麗香は先輩を見つめ、先輩は顔を歪めた。
「創作物が、何、勝手に熱くなって……!
この絵は僕の絵で、君達はただの絵の具だ。
僕が正解なんだ。キャンバスは僕のもので、僕の自由が保証された世界のはずなのに! 旭はともかく、僕が描いた世界の中にある色素のほんの一部分にすぎない君が、何故描き手に反抗するんだ!
君らの世界を消すことが僕の願いだ! 大人しく従えよ!」
アトリエが揺れる。先輩の苛立ちに反応して、ガタガタと揺れ始める。
アトリエにぎっしり詰まった世界は、よく見ればそのどれもが黒く塗り潰されかけていた。
「……僕には、大切な人がいる」
その言葉に、私は目を見張る。
段々と頭がはっきりしてくる。彼の口から出たその言葉をつい最近聞いたから……。
「僕の大切なその人は、君らの世界にいるんだ!
君らの世界さえ消えれば、彼女は僕の世界に帰って来る。
彼女ともう一度やり直すんだ。あの日を……!
その為にも君らには塗り潰されてくれなきゃ困るんだよ!」
大量のキャンバスから突然、黒い絵の具が溢れ出す。どろりとした粘性のある液体は、あっという間にその質量を増やし、洪水のように麗香に向かって流れ込んだ。
「麗香……!」
私が叫ぶと、彼女は胸の前で両手を組んだ。
「エラキス!」
その名前を呼んだ瞬間、澱んだ絵の具で出来た洪水は光に呑まれた。
だけど……。
「舐めるな!」
絵の具の奔流は止まらない。あっという間に私から引き剥がすように麗香を飲み込んだ。
「星を通して力を借りているだけの君が、僕を阻むなんて出来るはずが無いだろう!
まずは君だ! その次に、この絵ごと消してやる!」
麗香を飲み込んでいった洪水の方に先輩がゆっくりと近づいていく。
ダメだ。
私は直感し、どうにか麗香を救おうと、そして、手を汚そうとする先輩を止める為に、私は立ち上がり、ふらつきながらも先輩の背にしがみついた。
「先輩! やめて!」
「……っ!? かなえ……?」
先輩が驚いているのが分かる。声も届かなかったはずなのに今度は私の声が届いたみたい。先輩の足が止まった。
「かなえ……? かなえ! そこに、そこにいるのか?」
先輩が勢いよく振り返る。その拍子に、バランスの取れない私は床に転んだ。だけど、先輩の目には私は見えない……先輩は必死に周りを見回してわたしを探していた。
「かなえ、かなえ……どこだ……?
いるんだろう? ここに!
僕はもう、君を見送ったりなんかしたくないんだ……。
お別れなんて認められない。僕は君ともう一度……!」
「…………」
お別れしたつもりだったのは、私だけだったんだ。ちゃんと別れを告げても、先輩は諦められなくて、まだ私を探して……。
私は、イーゼルの上にある絵を見上げる。
光を放っているけれど、それでもまだ絵は黒く塗り潰されたまま。あの世界は先輩の手で壊されようとしている……よりによって、私とまた出会う為だけに……!
「……っ」
歯を食いしばって立ち上がる。
止めなくちゃ……私が。
このまま私の世界に帰ったってきっと同じことが繰り返されるだけ。私がここで止めなくちゃ。
「せん、ぱい……!」
「っ!? かなえ……!
声はそこにあるのに、僕の目に映らない……なんで……どうして……?」
先輩は戸惑いの声を上げながら、アトリエの中を必死に探し回る。
でも、目の前に私がいるのに、その目には映らない
そんな時、洪水の中から麗香の声がした。
「……させないわ。絶対に会わせたりなんかしない」
その言葉に、先輩は目を見開いた。
「これも君の仕業か……!」
麗香は洪水の中でも動じることも臆することもなく、言い放った。
「諦めて!
それに、貴方だって、分かっているはずよ!
貴方と彼女の間にはどうしようも無い壁があるって!」
「……!!」
……。
それに、先輩は首を横に振った。横に振った瞬間、麗香を飲み込んだ絵の具が、麗香ごと集まって空中で巨大な絵の具の球体を作り出す。
「……っ! うるさい……! うるさいうるさいうるさい! お前なんてこの世界ごと消えろ!」
その球体は、真っ直ぐにあの絵に向けられて放たれた。
「……!」
まずい! 私は足をもたつかせながらも立ち上がる。
絵の前に出て、体を張って、この世界を守るしかなかった。
……その瞬間、私の脳裏にその光は過ぎった。




