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三日目

残酷な描写アリ

目を覚ました瞬間、それが夢であると知って大きく息を吐いた。さっきまで見ていた悪夢の残滓が、喉の奥をひりつかせる。


組み敷かれて泣き叫ぶアマンダ。むせかえるような甘さと汗の混じった匂い。草いきれの中で自分の欲望を彼女にぶつけながら、その細くて滑らかな首に手を伸ばし……。


「……違う、そんなはずはない!」


恐怖と嫌悪感が入り混じり、胸の奥でうねっている。夢の光景に過ぎないと分かっていても、指先には生々しい感触が残っている気がして、吐き気を覚えた。


しばらく深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けてからベッドを降りた。


やがて食事が運ばれてくる。

覆いを取った瞬間、立ちのぼった香ばしい匂いに思わず目を瞬かせた。肉のロースト、焼き立てのパン、濃厚なスープに彩り豊かな果実。まるで祝宴の食卓だ。


けれど一口運ぶたび、胸の奥で違和感が膨らむ。

豪奢な料理なのに、どこか馴染んでいる。食べ慣れているような、当たり前のような。


――そんなはずはない。僕が恋しいのは、もっと質素で温かなアマンダの料理のはずだ。


その思いがかすかな疑念となって胸をざわつかせる。


食事が済んでしばらくすると、ノックの音とともに、ダニエルの声が響いた。


「ベッドに座ったらドアを開けます」


言われるまま腰を下ろすと、白衣姿の彼が入ってくる。冷静な目、無機質な態度。メモ帳がぱらりと開かれる音がやけに大きく響いた。


「では――続きを聞かせてください。学園を卒業された後は?」


彼の声に促され、僕は記憶をたぐり寄せる。


「学園を卒業した後は、魔術塔に採用されたんだ」


学園で鍛えた魔法陣の技術を評価され、若くして正式に採用された。平民らしからぬ魔力の量も決め手になったのだと思う。


最初は膨大な資料や符号に押し潰されそうになったが、やがて自分の研究が形になり、少しずつ成果が認められていった。


そんな日々の中で、僕はアマンダにプロポーズをした。

花束を用意することもできず、不器用に「一生そばにいてほしい」と口にしただけだったけど。

けれど彼女は涙を浮かべ、柔らかく微笑んで「もちろん」と頷いてくれた。

その瞬間、世界が光に包まれたように思った。


「仕事で成果を上げて、その過程でアマンダさんにプロポーズしたと」


ダニエルは無感情に言いながらメモを走らせる。


「僕は平民で、彼女の家は裕福ではないと言え男爵家だったからね。ある程度の立場は彼女と結婚するためには必要だったんだ」


言いながら、ぞわりと心の中に不快感が滲む。


「それで、お二人は結婚なさった、と」


「披露宴はささやかな物だったけどね」


馴染みの小さなビストロを借り切って、家族や親しい友人と同僚だけを招いて行った。


白いクロスのかかった木のテーブルに、色とりどりの料理。仲間たちの笑い声、拍手、グラスの澄んだ音。

アマンダは少し照れながら、それでも嬉しそうに僕の隣に座っていた。


幸せな思い出のはずなのに。


なのに――胸の奥に微かなざらつきが残る。思い出の中の彼女の微笑みが妙に癇に障る。


不愉快で腹立たしくて、叫び出したい気分になった。


そんな俺にダニエルが問いかける。


「それは何年前のことですか?」


「……三年ほど前のことだ」


答えたあと、ふと首を傾げた。


「けれど……なんだか、ずっと昔のことのように思えるんだ。遠い遠い昔に、霞の向こうで見た夢みたいに」


「それからは?」


僕の疑問をあっさり無視して、ダニエルは淡々と続けた。メモ帳のページをめくる音だけが、白い部屋に静かに響く。


「アマンダが妊娠したんだ。判明したときのことは、忘れられないよ」


小さな診療所で医師から『おめでとうございます』と告げられた瞬間を。二人で手を取り合って、歓声を上げたあの日のことを。


どんな名前が似合うか、どのような絵本を読んでやろうか。小さな幸せを積み重ねるような日々。


そして、迎えた新しい命。


生まれたてのシェリーは、本当に小さくて壊れそうで、まるで抱き人形のようだった。

おもちゃみたいな手、おもちゃみたいな指。その先についている薄くて小さな爪がなんだか奇跡のようで。

その小さな手が、僕の指をきゅっと握った瞬間は、今も忘れられない。


夜泣きのせいで寝不足になった日々、やっと首が座ったばかりなのに靴を買って帰りアマンダに笑われたこと、初めての寝返りにアマンダと歓声を上げた日、離乳食を食べてくれなくて途方に暮れたこと、初めて一人で立った日。


そして、満面の笑顔でパパと呼んでくれた日。


ーー甘くて幸せな記憶。


それなのに、なぜかそれは夢の中のことのようで、語れば語るほど指先からこぼれ落ちていきそうになる。


そして、胸の中に燻る抑えようもない違和感。


何かを殴りつけたい、ぶち壊したいという得体の知れない衝動が激しく胸の中で蠢いている。


そんな僕を観察するようにして、ダニエルは冷たく問いかけた。


「それからどうなりましたか?」


「……それから?」


街を歩けば、アマンダはしょっちゅう声を掛けられた。美しい彼女を放っておく男などいなかった。最初は笑って受け流していたが、僕の心には苛立ちが積もっていった。


「少しは警戒してくれ。君は人妻なんだぞ」


「あなたが心配しすぎなのよ」


そんな口論が増えていった。


そして、アマンダに付きまとう男の中には忘れられない顔もあった。


学園時代、アマンダにしつこく言い寄っていた貴族の男。

卒業してもなお、彼はアマンダを追い回していた。結婚して子どもが生まれても諦める気配はなく、しょっちゅう僕たちの前に現れてはすれ違うたびに嫌な笑みを浮かべてくる。


「人妻になっても、君は魅力的だね」


そんな台詞を、僕の目の前で抜かしたことすらあった。


アマンダにはきっぱり拒絶された。俺の心は荒んでいった。彼女は、俺の妻だったはずなのに!


同僚の男もまた、アマンダに妙に親しげに声をかけていた。


僕が不快感を隠さずにいると、彼は「ただの世間話ですよ」としらじらしく笑った。その冷淡な態度がますます僕を苛立たせた。


「私にどうしろって言うの?」


「もっと相手に冷たくしろ! 笑いかけるな!」


「仕事相手を無視なんてできるわけないでしょ!」


言い合う声にシェリーが泣き出し、アマンダが慌てて抱き上げる──そんな夜が何度もあった。


そんな日々に少し疲れてしまった僕は苛立ちを抑えきれず、夜毎酒場へ出かけるようになった。同僚に愚痴をこぼしては酒を煽る日々。


ある夜、いつものように酒場で愚痴をこぼしていた僕に同僚のエドマンはうんざりしたように告げた。


「惚気はもう十分だよ。こっちは息子が生まれて忙しいんだ。これからは長々と付き合ってやれない」


苦笑交じりにそう言ったエドマンを思い出して、思わず言葉を失った。そういえば、エドマンの息子って……ダニエルって名前じゃなかったか?


思わず、目の前のダニエルを眺める。


相変わらず、彼は冷ややかな視線でこちらを見ている。


胸に小さな不安が広がった。


違和感はあるのに、はっきりと分からない。まるで記憶のどこかが霧に覆われているようだ。


「…君は…君の父親は、なんて名前だ?」


「私のプライベートを貴方に告げる必要がありますか?」


問いかけは、冷たく撥ね付けられた。

ダニエルの瞳には一切の感情がない。まるで人形がこちらを見下ろしているようだった。


「……すまない。ただ……気になっただけなんだ」


かろうじて絞り出した言葉は、情けなく掠れていた。

ダニエルは返事をせず、静かにメモ帳に記録を書き込んでいく。ペン先が紙を擦る音だけが部屋に満ちる。


僕は拳を握りしめ、声を上げかけて──結局、何も言えなかった。


やがてダニエルは淡々と告げた。


「本日はここまでにしておきましょう。食事の支度ができ次第、また運ばせます」


そう言って立ち上がり、扉の前でこちらを一度だけ振り返る。その無機質な視線に射抜かれた途端、背筋に冷たい汗が伝った。


扉が閉まり、重たい施錠の音が響く。


一人取り残された部屋で、僕は頭を抱えた。


幸せだったはずの記憶が、ところどころ綻んでいる。

アマンダが笑った顔、シェリーが寝返りを打った日の喜び。

だがその記憶は、どこか夢の中のもののようでなぜか頼りない。


「……僕は、何を……忘れているんだ」


低く掠れた声が、真っ白な部屋に吸い込まれていった。




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