第90話 イクアドス
梅雨が明けてしばらく経ち、日陰で冷えた風を感じながら馬車の先頭から街が見える。
「うぉぉ〜〜……」
「わぁぁ〜〜……」
目の前に広がる景色に圧倒される。
どこまで続くのか分からない高い壁に、門の前には常に人の列が出来ている。
この壁は『第2次人獣戦争』の時に活躍した壁であり、2年前くらいにアレックスが言っていた「モンスターの大繁殖が起きて、それぞれの種族に壊滅的な被害が出て種族同士の結束が深まった」という感じの話を聞いたことがあるが、その話の舞台になった場所との事だった。
それ以降、ここイクアドスは鉄壁の要塞であり、多文化が交流する大都市となって今も繁栄を続けているらしい。
「ふふ〜ん、良い反応ね!!!」
声を上げて驚く俺とレイナに対して、ソフィアはなぜか誇らしげにドヤ顔をしている。あんたが作った訳じゃないだろうに。
なぜソフィアが同伴しているかと言うと「置いてけぼりにされるのが嫌だ!」と子供みたいな理由で駄々をこねて無理やり着いて来たのだ。
俺達と違って落ち着いているアレックスは、元々イクアドス出身なのだという。
アレックスは家出をしたと言っていたし、あまり良い思い出が無いのか、それ以上は言いたくないと珍しくテンションが低かったので、俺達もそれ以上は聞かなかった。
でもまあ、大勢の人とすれ違うこの街で、アレックスの事を知っている人と会うなんて確率はとても低いだろうから心配いらないとエルザ達も言っていたし、きっと大丈夫だろう。
「うぉぉぉ……すげぇ……!」
門を潜るとそこには異世界が広がっていた。
前世の世界の建物とは違う、レンガや木で出来た建物が並び、見た事の無い食材、見た事の無い動物に乗っていたり、見た事が無かった種族も歩いている。
(犬人族……じゃない! 多分あれは虎人族だ! 虎って書くから虎柄なのかなとか思ってたけど、普通に猫だ! 猫耳だぁ!!!)
馬車から降り、すれ違う人達を見て心の中ではしゃぎまくる。
「さてここからなんだが、姉さんの家に行った事が無いから分からない。」
「えぇ!? 区はどこなの?」
「リムリートだ。」
「あー、そこなら知ってる! 南の方だよ。」
俺が今だに1人ではしゃいでいる中、アレックス達は淡々と会話をする。
いや、俺だって都会に住んでいたから東京とかならアレックス達みたいになれるよ?
でもさ、ゲームとか漫画とかアニメとかで見た世界が目の前に広がってるとさ、何かこう、テンションが上がるんだよ!
そんな誰も聞いてない言い訳を心の中で叫んでいると、レイナも俺と同じ様に周囲をキョロキョロと見渡して今だに感嘆の声を上げている。
「なんか凄いね。」
「うん。こんなに人がいる所、初めてだからちょっとパニックになっちゃうよ。」
「あー、分かる!」
俺が東京に上京した時が正にそんな感じだった。
そもそも駅から出たいのにどこから出ればいいか分かんないし、周りの人もあっちこっちに行き来するからこんがらがるんだよな。
しかも、この世界だと地図アプリとか無いから、今どこに居るのかも全くわからないのがパニックに拍車を掛けるだろう。
「ははっ、まあそうだよな! こっちだぜ!」
そんな田舎育ちの俺達の会話を聞いていたアレックスが先導する。
15分くらい歩いただろうか。
人だかりの多い中心部から次第に離れていき、少し古めの住宅地を歩く。
「ここからがリムリートだぜ!」
そう言われて周囲を見るが、パッと見の雰囲気としてはあまり良くない。
なんか全体的に日陰になって暗いし、すれ違う人達も身なりが良くなく、部外者が来たからなのか、全員がこちらをチラチラと見ながらすれ違っていく。
「そうか。……ここからどう探すか。」
そんな俺の心の中とは違い、エルザは周囲の雰囲気などを気にせずにズカズカと歩きながら顎に手を置く。
「鍛冶屋をやってるんでしょ? じゃあ、煙突の煙を探せば良いんじゃないか?」
「確かにな。でも高い所に行かないとだろ、私は分からないぞ。」
「そんな事しなくても、そこら辺の人に聞けば良いじゃない。」
ソフィアはすぐに有言実行しようと、俺達から離れようとした直後―――
「エレノアさん、お疲れ様です!!!」
後ろの方からハキハキとした野太い声がする。
いきなりの大声に俺の肩は跳ね上がり、何事かと後ろを振り向くと、俺達の後ろに男が直立不動の姿勢で立っていた。
男の頬には切り傷があり、オールバックにした髪はガチガチに固められている。
筋骨隆々の体に鋭い目つきをしたその男の身なりは、前世の世界の価値観で見ると明らかにカタギじゃない人と思われる雰囲気をしていた。
「誰だ?」
「えっ……? あっ…。エレ、ノアさんじゃない……、え、でも、その赤い髪と顔は……。」
「エレノアは、私の姉だ。」
「あぁ〜!! これは失礼しました! 妹様でしたか! お噂は兼ね兼ね聞いております!」
強面のお兄さんは何故かエルザに向ける口調が丁寧だった。
いかにも普段は肩で風を切って歩いてそうな男が、丁寧な口調で喋っていると違和感が凄い。
「エレノアさんに会いに来られたんですか?」
「ああ。だが、どこにいるのか分からなくてな、姉さんの家を知ってるか?」
「ええ、勿論! 私がご案内しますよ!!」
「助かる。」
エルザは何事も無かったかのように強面のお兄さんに着いて行こうとするが、誰か分からない、それもカタギじゃなさそうな人に着いて行くのに抵抗感があるのでエルザに声を掛ける。
(母さん…! 大丈夫なんですか…? なんか危なそうな人ですけど……!)
「たぶん大丈夫だ。姉さんの手紙で何度か部下たちの話が出てたから、多分コイツも姉さんの部下だと思う。」
鍛冶屋なのに何でこんな厳つい男に部下がいるんだという疑問が上がる。
師弟の関係かと思ったが、目の前の男は鍛冶屋という感じがしないんだよなぁ…。
それに『部下』という単語からしても違和感を感じる。
鍛冶屋の師弟関係なら『弟子』と呼ぶと思うからだ。
「赤髪で人違いするって……この街にはそれなりにいるのに何で見間違えたの?」
俺は男の顔にビビって縮こまっていたのに対し、アレックスは持ち前の明るさで男に話しかける。
「そりゃあ、ここら辺に住む赤髪はエレノアさんしか居ないからな。それに他の奴って言っても、水猿流の連中だろ? こんな南まで来る訳がねぇ。」
「まあ、それはそっか。」
「姉さんは髪を伸ばしてるのか?」
「いえ、伸ばしてませんよ! なのでさっきは「あれぇ…?」とはなったんですが、だからといって挨拶しないと、それはそれで後が色々と、周りの目もありましたし………。」
「…………………。」
後で色々と……何が起こるんだ!?
周りも目って言ってたけど、別にこの強面のお兄さん以外は普通の人が通ってたぞ! あの人達は普通の人じゃないのか! こ、怖い! なんかここ怖い!
そんな不安を抱えながら、更に南へと歩を進めて5分くらいが経った位だろうか、視界の先に煙突から白い煙をモクモクと立ち上げている大きな家が見え始まる。
「あちらがエレノアさんの家です! まだお仕事をされてるみたいなので、あちらでお茶でも……―――」
「いや、大丈夫だ。教えてくれて感謝する。」
強面のお兄さんは鍛冶屋の敷地のすぐ近くにある、待合室のような小屋を指さして促したのだが、エルザは再びズカズカと敷地内に入ろうとする。
「ぃぃいや! あの……エレノアさんはお仕事の邪魔をされると、その―――!」
「ああ、やっぱりそこは変わってないんだな。」
「ええ、ですから―――っ!」
「問題ない。」
エルザはそのまま敷地内に入り、俺達もそれに従った。
俺はその会話を聞いていた者として「正直待った方が良いんじゃないかな」と思ったのだが、皆エルザに着いて行くので恐る恐る俺も従った。
強面のお兄さんはそれ以上着いて来る事はなく、敷地の前でポツンと置いていかれる形となる。
敷地を真っ直ぐ進むと正面に家があり、左を見ると鍛冶場のようだ。
エルザはそのまま左にある鍛冶場と見られる場所に向かい、扉の前に立つ。
扉の前には「仕事中」という木の板が下げられていて、扉の前ではパチパチと焚き火をした時の様な音が聞こえて来ており、誰かがいるのは確かのようだった。
―――ガラッ。
なんの迷いも無く、エルザは日本人に馴染み深い、引き戸の扉を開く。
「ゴラァ!!!!」
あまりにも突然の大声に俺の肩はビクンッと跳ね上がる。
直後、怒声と共に何かが飛んで来て、エルザがそれを何事も無いかのように受け止めた。
俺はエルザの後ろにいたから状況があまり分からないのだが、エルザがキャッチした時に「バチィン!!」という音を立ててキャッチしたので相当な速度で接近していのは予想できる。
凄い音だったので大丈夫かと心配になり覗いてみると、エルザの顔面に飛んできたのはハンマーだった。
「あぁん……?」
攻撃を受け止められた事に驚いたのか、中にいた人物は声を上げる。
鍛冶場の中は全体的に暗く、鍛造炉の火だけが煌々と輝いていて容姿はあまり分からない。
「久しぶり、姉さん。」
エルザはハンマーを投げ付けられた事に対して気にも止めていない口調で、目の前の人物に声を掛ける。
「んあぁ? ……おぉ! エルザか!!」
恐らく、向こうも向こうで逆光になっていたのだろう。
中にいた人物はこちらに近づいてから、エルザの顔を見て喜びの声を上げる。
「久しぶりだな!!」
そこにはエルザとは雰囲気が違うが、エルザに似た顔の美女が立っていた。




