第87話 アレックスの日常(1)
朝日が顔を出し、ビエッツ村に光が差し込む。
鳥達が朝を知らせるように、チュンチュンと鳴いて住人を起こす。
「……んむぅ〜。」
鳥達の朝の知らせを聞き、犬のような耳をピョコピョコと動かして目を覚ます。
「んん〜〜〜〜っ! 朝か!!」
昨日の戦闘の疲れは残って無く、今日も絶好調で目を覚ます。
目を覚ましてすぐ背を伸ばし、ベッドの上で全身のストレッチを完了させて、窓の景色を見て朝だと確認する。
ベッドから飛び起き、慣れた手付きで身支度を素早く終わらせた俺は部屋の扉を開く。
「ハンナさん、おはよー!!」
階段を降りて受付で座っているハンナさんに挨拶をする。
「は〜い、おはよ〜。今日は朝からエルザさんの家に行くんだったわよね〜。」
「うん、そうだよ!」
「うんうん、そうよね。じゃあ、良かったわ〜、朝ご飯の容易出来てるわよ〜。」
「うえぇ! ありがとうございます!!」
ハンナさんは白髪交じりの金髪に、ふくよかな体格をした人で、おっとりした顔に丸い眼鏡をした優しい女性だ。
この村に来てからずっとお世話になっている人で、何かとお世話になっている。
食べずに行って、朝練が終わってから集会所に行って朝食を食べようかと思っていたのだが、昨日の会話で気を使ってくれたようだ。
見ると、受付付近のテーブルに食事がすでに置かれており、出来立てのパンの香りが部屋中に漂っている。
「うおぉ〜、マジかぁ! いただきま〜す!!」
「は〜い、どうぞ〜。」
テーブルには焼き立てのパンに目玉焼き、新鮮な野菜に牛乳が並べられている。
すぐ体を動かす俺に合わせた適量な量で、それでいて最適な栄養を考えてくれているのを感じる。
そんなある種の愛情を感じつつ、それに応えるつもりで綺麗に完食をする。
「ごちそうさまでした! 美味しかったです! 行ってきま〜す!!」
「は〜い、行ってらっしゃい。」
――――――――――
稽古前の準備運動を兼ねた走りで、バティルの家の前に着く。
「おはよー!」
「ぉ〜、おはよ〜。……そういや昨日、来るって言ってたっけ。」
「なんだぁバティル! 寝不足か!」
玄関の前でヨボヨボの老人の様に座り、目を擦っているバティル。
そんなバティルに目を覚まさせるつもりで大きな声で声を掛ける。
「まあそんな所。……てか、声大きいよ。耳が痛い。」
「これで眠気も吹っ飛んだだろ! 稽古やろうぜ!」
「母さんがまだだよ。」
「先にしたって良いだろ!」
「えぇ〜……。」
目を擦りながら嫌そうな顔をするバティル。
だが、別に普段からこの男がこんな怠惰な訳では無い。
普段は俺と同じくやる気に満ちていて、俺がバティルの家に来る頃には準備運動を済ましている。
俺がバティルの家に着くまでやっていた朝のランニングも、元々はバティルがやっていた事だ。「体を温めておいた方が怪我のリスクを下げられる」と何処で学んだのか分からない理論を展開していて、俺がこの村に来た時からやっていたのだった。
「まだ走ってないんだろ? 取り敢えず1周走ってこようぜ!」
「うえぇ〜〜〜、マジィ〜〜〜?」
嫌がるバティルを無理やり連れ出し、今日の稽古が始まる。
――――――――――
カンッ、コンッ、カンッ!
穏やかな風が流れる中庭に、風切音を立てて2人の少年がぶつかる。
朝練はすでに終わっており、今は午前の練習をしている。
一方は盾を持ち、もう一方は両手で剣を握る。
その両者のぶつかり合いを、赤毛の女性が真剣な目で見守っていた。
バティルの剣を盾で受け止めたにも関わらず、その威力を受け止めきれる事が出来なかった俺はノックバックする。
そんな俺を見たバティルは、ここぞとばかりに俺に急接近する。
剣を振るう初期動作を見た俺は、今回は盾で受けるのではなく右手の剣を振り上げる動作をする。
タイミングは完璧だった―――はずだった。
バティルは一個前の攻防で、俺がそろそろ1本を取りに来る事を察知していたのだろう。それがどこの動作だったのかは分からない。もしかしたら無意識に狙った行動を察知されていたのかも知れない。
俺はまんまとバティルのフェイントに乗せられ、もう止める事の出来ない、力の乗った右手を振り上げる。勿論、その場にバティルの姿はすでに無く、フェイントを仕掛けて様子を見ていたバティルは俺から見て右に移動していた。
完全にガラ空きの脇腹。
そこ目掛けて、今度こそバティルは剣を振る。
普通だったら避けることは出来ない。
しかし、俺はこの状況でも諦めない。
右手で剣を右下から左上に振り上げた俺の体は、遠心力で左に流れている。
なら、そのまま一回転すれば良い。
そう判断して、無理やり体を捻って回転する。
回転した事により、バティルの木刀に対して真っ先にぶつかるのは俺の左手に持っている盾だ。
バティルの木刀が俺の脇を狙っていた場所に、急遽、俺の盾が割って入る。
―――ヌルッ。
水猿流お得意の、攻撃を流す技で衝突音も無くバティルの攻撃を往なす。
「ぬわッ―――!?」
バティルは当たると確信していたのだろう。
ギリギリで攻撃を往なされた事で、バティルの体は完全に進行方向へ流れていく。
急ブレーキしようにも止まらず、かと言って俺のように回転して追撃しようにも、やった事が無い事を土壇場では出来ない。
回転する俺の体は、盾の次に右手に持った木刀が来る。
―――ヒュンッ!
短い風切り音を立てて加速する。
体勢の崩れたバティルの首へ、吸い込まれるように的確な軌道で剣を振る。
バティルの首に当たる直前、これ以上、さっきの俺のように避ける出来ないと確信を持てた所で、ピタッと剣を止める。
「勝負あり。」
今まで何も言わずに真剣に見ていたエルザが声を発する。
「いえぇ〜い!!!」
「んなぁ〜、また負けたぁぁ!!!」
さっきまでの真剣な顔は何処へやら。
俺達2人は、それぞれのリアクションをする。
「でもまっ、最後の突進は完全にやられたぜ! 焦って手が出ちまったし!!」
「まあ、起き上がりの暴れ警戒は格ゲーの基本だからな。」
「カ、カクゲー……??」
バティルは時々、この様に意味の分からない事を言ってくる。
「あ、いや、まあ要するに、チャンスの時こそ慎重にって事…!」
「そういう事か! 確かにな!!」
そんな会話をしつつ午前の稽古は終了し、バティルの家で昼食を食べる。
初めの頃は流石の俺でも気を使ってしまい、家族団らんの食事の場を邪魔したくないと余所余所しくしていたのだが、流石に2年近くも一緒に食事をしているとそんな気遣いをしなくても良いのだと分かる。
「ごちそうさまでした〜!」
エルザの手料理をペロリと平らげ、食後の皿洗いなどを手伝ってからバティルの家を出る。
「行ってきま〜す!」
向かう先はソフィアの家。
昼休憩のこの時間、狩りの無い日は毎日こうしてパーティーメンバーであるレイナに2人で会いに行く。
――――――――――
「ワンワンッ!」
「お〜テアン! よしよしよし〜!!」
ソフィアの番犬であるテアンは今日も元気にバティルへ走り出し、腹を見せて撫でて貰っている。
そんなテアンの様子を見ると、一見、頼りなさそうに映るが、あのソフィアの番犬と言う事もあってとても優秀だ。元々ガタイも良く、警戒心も常に持っていて、それでいて命令には素直に聞く従順さも持っている。番犬としては十分だろう。
そして、そんなテアンが守っているのはこの家……でもあるが、この家の前で育てられている薬草達だ。
なんでも、ソフィアが今やっている研究は魔力を瞬時に回復する薬を作る事らしく「魔法使いの革命を起こしたい」との事だった。
その効力は強力で、ソフィアが作った薬を飲めば即座に回復するのだとか。
ただ、その回復量を調整する事が出来ていないそうで、魔法が使えない人間と対処の仕方が分からない人間は死んでしまう劇薬らしい……。
それはここに生えている薬草もそうで、俺みたいな魔法が使えない人が触らない様するという事と、この薬草を誰かが持って行かないように、番犬のテアンは見張っているのだ。
「ワンッ!」
そんな事を考えながら薬草を見ていると、テアンは俺が薬草を取ろうとしたと思ったのか「ちょっと!」とでも言うように吠える。
「べ、別に取らないぞ。取っても俺には使い道がねぇからな……!」
なんだか本当に取ろうとしているかの様な、動揺した声を出てしまう。
そんな俺を見て、テアンはジトッとした目で「本当かぁ〜?」とでも言いたそうな顔でこちらを見る。
「いやいや、本当だって……!」
追加で冤罪だと主張するが、それが逆に怪しかったのか、テアンに続いてバティルもジト目でこちらを見る。
「怪しいなぁ〜。……テアン! あいつに『のしかかり』!!!」
「ワンッ!!」
まるでテアンの主人かの様にバティルは命令する。
俺の方へ指を指すバティルのその姿勢は、どこか演技らしさがあり、何かの物語のキャラクターを模している様だった。
そして、そんなバティルの命令をなぜか忠実に従い、テアンは俺の方へ走り出してジャンプをする。
「ぐへっ……!!」
大型犬の『のしかかり』を食らい、俺の体は地面に叩きつけられる。
それから俺の首に噛みつき、鼻を鳴らして俺を押さえつける。
ただ、噛み付いたと言ってもただのパフォーマンスである。
俺の喉に当たる牙は全く痛くはない。
明らかな甘噛であり、尻尾を振っている所から見ても本気ではない様子だった。
テアンなりの注意喚起であり、予行練習でもあるのだろう。
「分かってる、分かってるって……!」
「ㇵフッ…! ㇵフッ…!」
今度は鼻を鳴らして俺の顔面をベロベロと舐め始まる。
「あら、やっぱりバティル達じゃない。テアンが吠えたから何かと思ったわ。」
そんなやり取りをしていると、飼い主であるソフィアが玄関の扉から顔を出す。
その顔は若干呆れ顔であり、「警戒して損した」とでも言いたげな顔をしていた。
「ほら、いらっしゃい!」
家主にそう言われ、俺はベトベトの顔面のままソフィアの家に上がる。




