第81話 閻魔vs氷結の魔女(2)
―ソフィア視点―
エルザは死なない。
私は、ずっとそう思っていた。
『ふ〜ん。そんな事があったの。』
『…ああ。』
『人殺し…ね。まあ、そうなんでしょうけど、聞いた限りじゃ、降り掛かった火の粉を払っただけじゃない。私は気にしないわよ。』
『…そうか。』
『それとも断罪して欲しいの?』
『いや………どうだろうな…。』
『…それに、『生きる為に剣を振るって来た』って良い言葉じゃない。あなたの人生が凝縮した、あなたに相応しい言葉だと思うわ。それに―――』
『……?』
『――『私は絶対に死なない。』そう宣言してるみたい。ご両親の願い、お姉さんとの決意、あなたはきっと、生きる事を諦めない。パーティーメンバーとして、友人として、そう言ってくれた方が気が楽だし、頼もしいわ。』
『―――っ! ………ああ、そうだな。』
何度も一緒に戦い、死闘を乗り越え、エルザが心を開いてくれた時にしたやり取りだ。
あの時に確信した。エルザは絶対に死なないのだろうと。
何としても諦めずに戦い生き残ろうとするだろうし、自殺などは論外なのだと確信したのだ。
だからアル君が死んでしまった時も、悲しいだろうが、エルザは自殺は絶対にしないと思っていた。
あの意志の硬いエルザが、どんな苦境に立たされても生き残るために行動して来たあのエルザが、自殺を選択するとは到底思えなかったのだ。
死んでしまった両親の願い、妹を守る為に必死に前を歩いてくれたお姉さんとの約束、そして、心から愛したアルベルトからの最後の遺言。
エルザを止める物はいくつもある。
だからきっと大丈夫。
エルザは乗り越えられる。
そう思っていた――――
――――――――――
瀕死の状態での攻防が続く。
理性が飛んでいるにも関わらず、生きる為に振り続けた剣は、的確に私の首へと向かってくる。
右から左、左から右、斬り上げ、斬り下げ。
距離を取ろうにも流れるようなステップで距離が離れない。
魔法を使って距離を離すことが出来る。
しかし、もしエルザに当たって、エルザが起き上がらなかったらという嫌な想像をしてしまい、使う事が出来ない。
攻撃も出来ない、攻撃を受ける事も出来ない、何も出来ない状況の中、頭にはエルザの叫びがループしていた。
『私を殺してくれ。』
初めは、愛する人をモンスターに殺されたから復讐の為に暴れているのだと思っていた。だから執拗に死体を斬り付け、憂さ晴らしをしていると予測していた。
でも違った。
エルザは死ぬ為に戦っていた。
『なんで私を殺してくれないんだ。』
あの時やっていた死体の切り傷は、恐らくそういう意味が込もっていたのだと思う。
大事な人達の生きて欲しいという願いがエルザをここまで成長させたが、それは時に呪いにもなる。
エルザはアル君の死で絶望し、自分も死にたいと思っていても、数々の願いがエルザを止めていた。
律儀な女だ。
私だったらそんなの関係ないと言って行動に移してしまっていただろう。
……いや、そこまで律儀にしている原因は、それまでに何人もの人間を殺して来た事に対する後ろめたさも要因な気もする。
エルザは言っていた。
「沢山の人達の人生を終わらせた私が、幸せになっても良いのか。」と……。
その時は「勿論だ」と言って説得し、エルザも納得して話が終わったが、それでも考えてしまうのだろう。
人を殺して来た事で、『生きる事』、そして何よりも『剣を振る』という事に人一倍エルザは真剣だった。
『生きる為に剣を振ってきた。』
エルザがよく言っていた言葉だ。
その剣には、沢山の願いが籠っている。
そして、沢山の命がその剣には乗っている。
だから……
『死ぬまで剣を振るう。』
そういう結論になったのだろう。
彼女は自分で死ぬ事は出来ない。
自分で死ぬという事は、それまでの自分を否定する事になるから。
大事な人達の願いを破る事になる。
殺した意味を失う事になる。
それは彼女にとって、自分を構成する大事な物なのだ。
約束であり、罪でもある。
だが、それを無下にしてでも、エルザは死を選んだ。
今回のアル君の死は、それくらいエルザにとって深刻だった。
自分では死ねない。
だから、
誰かに殺されるしかない。
そんな結論に至り、エルザはこんなボロボロな姿になっても剣を振り続けているのだろう。
それが救いだと信じて――――
――――――――――
「エルザァァァァァァァァァアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
エルザとの距離が離れた瞬間を見計らい、私の人生で出した事が無いくらいの大きな声でエルザの名前を呼ぶ。
そして、予想通りエルザの動きは止まる。
エルザは何事かと追撃を止めて観察し始める。
「あんたが何でこんな事をしてるのか分かってる!!!」
この瞬間を逃さないと、私は続けて声を張り上げる。
「あなたは、誰かに殺されたいんでしょう!?」
ドーム状に陥没した爆心地は、私の声をよりエルザに届けやすく反射する。
「でも……そんなの駄目でしょう!
両親があなた達を守ったのも、お姉さんがあなたを守ったのも、アル君の最後の遺言も、皆あなたに生きて欲しくて、あなたに幸せになって欲しくてやった事なんじゃないの!?
こんなボロボロになって欲しくて……死んで欲しくてやったんじゃない!!!」
そんな事は、エルザ自身が一番分かってる。
だからこうして、エルザは苦しんでいるのだ。
それは私も分かってる。
でも、もうエルザを止めるには、こうして呼び掛けるしか無い。
エルザの蓄積されたダメージは限界を迎えており、下手に私の魔法を当ててしまえば、エルザは死にかねない状態だ。
だから、一番エルザが止められるであろう手段はこれしか無いのだ。
言葉に反応出来るかは賭けだったが、今の私の言葉で頭を抱えているのを見るに、どうやら私の言葉は届いている様だった。
「あなたが辛いのは分かってる!
あなたがアル君を心から愛しているのは、一番近くで見て来た私が一番分かってる!
でも、だからこそ、そんな愛した人の最後の遺言は!?
アル君は最後まであなたを思ってた!
あなたを最後の瞬間まで愛していた!!
そして、アル君はこうなる事も予測していた!
それでもあなたに生きて欲しいから、アル君はあなたに『生きて』って伝えたんでしょ!?」
私は「エルザは大丈夫、自殺はしない」とそう思っていた。
………エルザは強い人間だから、と。
私はエルザの『強さ』を見ていた。
だが、アル君は違った。
アル君は最後の最後までエルザを愛し、エルザに『生きて』と言い残した。
………自分の後を追わないように。
アルくんはエルザの『弱さ』を見ていた。
互いにエルザを見ていたが、視点は全くの逆だった。
「あなたもアル君の事を愛しているなら、大事に思っているなら、死ぬんじゃなくて、生きてそれに答えなきゃ駄目でしょ!!」
「黙゛れ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛え゛え゛え゛え゛!!!!!!!!!」
エルザは頭を抱え、鋭い眼光でこちらを睨む。
瀕死の状態にも関わらず、その殺気は衰えていない。
全身を突き刺すような殺気が私を襲う。
「いいえ、黙らないわ!!
あなたの行動は自己満足!!
そんな事をしてもアル君は喜ばないし、残されたお姉さんはどうするの!」
「……ま゛れ゛。」
「あなたがアル君の事を愛しているように、お姉さんもあなたの事を愛してた!
ここであなたが死んだら、今度はお姉さんが、あなたの様に苦しむ事になるんじゃないの!?」
「……黙゛れ゛。」
「生きる為に剣を振って来たんでしょ!!
死ぬまで剣を振るう? そんなのただの方便じゃない!!
生きる為に剣を振って来たんなら、生きて剣を振りなさいよ!!!」
「黙゛れ゛黙゛れ゛黙゛れ゛ぇ゛ぇ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!!」
続け様に痛い所を突かれてムカついたのだろう。
エルザは怒りに任せて私の方へ飛び掛かって来る。
次、エルザに魔法を使えば死ぬかも知れない。
魔法で捕縛したとしても、今のエルザは暴れて止まらないだろう。
最悪、氷で止めた時の様に暴れ出し、出血多量で死んでしまうかも知れない。
だが、こうして攻撃を避け続けていても、その出血多量へ向かっている事に変わりない。
エルザが近付いてくる。
剣の柄を握る右腕は、火傷でボロボロにも関わらずしっかりと握られている。
私から見て、左から剣が振り下ろされる。
考えている時間は無い。
私は逃げずにその場に留まり、エルザの剣が届く瞬間、左腕に氷の盾を作り出して受け止める。
――バリンッ!
それでもエルザの剣は止まらない。
なんでそんな力が残っているんだと言いたくなる怪力で、私の氷の盾を突破する。
エルザの剣は私の腕へ到達する。
エルザの剣は私の武気を切り裂き、皮膚を裂き、脂肪を裂き、筋繊維を裂き、骨で止まる。
コンッという音が骨伝導で全身に響く同時に、切り裂かれた神経達が痛覚を脳に伝えてくる。
「この―――――――」
魔法は使えない。
だから杖は必要ない。
私は右手に握っていた杖から手を離し、代わりに拳を握った。
――――――――――
エルザには同情する。
愛する人が死んでしまったのだ、悲しみもするし、狂いもするだろう。
愛していれば愛しているだけ、その悲しみは計り知れない。
だが、同時に怒りも湧いてくる。
あなたは生きる為に剣を振って来た。
どれだけ血を流そうが、どれだけ血に汚れようが、約束の為に醜くも足掻く姿を私は美しいと思う。
だからこそ、その信念を曲解し、愛する人の最後の言葉を無視して、死に向かうあなたに怒りを覚える。
あんたは生きて、生きて、生きて、生きて、幸せになる人間なんだ。
こんな所で終わりになんてさせない。
あなたと一緒に沢山の事を経験し、お互いの事を包み隠さず話し、あなたの苦しみを理解する者として、あなたを愛する人達の願いを知る者として、何としてもあなたを止める。
そして、あなたを愛する人達の為にも、今のあなたに言わないといけない事がある。
――――――――――
「――――馬鹿野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」
握られた拳が加速する。
左腕に剣が突き刺さったまま左腕を引き、同時に腰を左巻きに回転させる。
エルザは、まさか拳が飛んで来るとは思いもしなかったのだろう。
魔法が発動されると予測していたエルザの視線と意識は、私の拳に向いてはいない。
それにより、腰の回転で加速した右拳は、エルザの最終防衛ラインである左腕をいとも容易く通過する。
エルザと目が合う。
整った顔は怒りで眉間にシワが寄り、艷やかだった赤い髪は炎の影響で焦げ、潤いのあった肌は火傷で赤くなっていた。
そんな肌にも湿っている箇所がある。
眉間にシワが寄り、吊り上がった目尻から涙が下垂れ落ち、ボロボロの肌を濡らしていた。
エルザ自身、もうどうすれば良いのか分からないのだろう。
こんなにボロボロになってしまうくらい、こんなに狂ってしまうくらい、今のエルザはどうすれば良いのか分からないのだ。
馬鹿野郎と叫びながら、愛を込めて拳を握る。
―――ゴッ!
拳はエルザの顎を捉える。
無意識、無警戒だったパンチだったからか、首の筋肉に力が入っておらず、いとも簡単にエルザの首が捻れる。
「ぁがっ……!」
エルザは短い悲鳴を残してそのまま後方へ吹っ飛ばされる。
どんな時でも手を離さなかった愛刀から手が離れ、エルザは受け身を取らずにゴロゴロと地面を転がる。
「ハァ…ハァ…ハァ……。」
私も当に限界を超えており、スイングした勢いのまま地面に転がる。
超人の域に到達しているエルザなら、もしかしてまた立ち上がるのではないかと警戒して私も急いで体を起こすが、それが杞憂だったとすぐに分かる。
「やっと、終わった………。」
視線の先には誰も立っていない。
森の地形を大きく変える程の怪物同士の戦いは、ようやく幕を閉じたのだった。




