第73話 遺言(2)
―エルザ視点―
「ア、アル……?」
眠っているアルの顔に手を伸ばす。
触れた瞬間に分かる違和感。
何度も触れた事のあるアルの頬は、私の記憶と違って冷たかった。
ドッ、ドッ、ドッ…………!
そんなアルとは対象的に、私の体は心臓が跳ね上がり、呼吸が乱れ、一気に汗が吹き出す。
いや、そんな訳無い。
あり得ない。
目の前の光景を、私の脳は処理を拒否する。
何も考えられない。
何がどうなっているんだ。
これは何だ。
隣に居るソフィアのように泣き崩れる事もなく、私はただ、ただただ固まって動けずにいた。脳も、体も、全てが停止していた。
「……エルザ。アルベルトが大事に抱えてた物だ。これはきっと……アンタへ向けてだ。」
停止している私に、ロックは話しかける。
それに何とか反応する事が出来た私は、まずロックの顔へ視線を向けていた。
視線の先のロックは今にも泣きそうな顔をしていた。
泣かないように眉間にシワが寄っていて、髭の生えた中年の顔は、眉間のシワにより一層険しく見える。
そして、目の前に差し出された物へと視線を落とす。
出されていたものはアルのメモ帳だった。
使い古されたメモ帳で、アルは「自作したんだ!」と私に自慢していたので覚えている。
そのメモ帳はクエストの時も持って行っており、雨の日なんかはずぶ濡れになって落ち込んでいたので、私が防水効果が高いポーチを買って上げたのだ。
そのポーチを使ってからは濡れる事も壊れる事も無くなって、満面の笑みで「ありがとう!」と言っていたのが印象的だった。
ロックは、そのメモ帳を開いた状態で私に向ける。
メモ帳の左のページには日常のメモが残されており、剣のコツを掴んだ時に書いたであろうメモや、結婚記念日に向けた準備のメモなどが残されていた。
それよりも目が引くのは右のページだ。
『愛してる。生きて』
大きく、短く、そう書いていた。
とても、アルらしい文だった。
アルは「人の為のハンター」とよく言っていた。
誰もやりたがらないクエストも進んでやっていたし、なんならクエスト以外にも困った人がいたら進んで助けに行くような人だった。
自分よりもまずは他の人の事を考える。
そんな人だった。
だから、死に際に何を思うのかを考えた時、きっとアルは人の事を想うだろう。
だから、この文章は、とてもアルらしい。
だから、
だから、
だから、
だから、この光景に信憑性が増してしまう。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
そう思った瞬間、止まっていた感情が爆発する。
「ぁぁああ、アル、アル、アルゥ……。なんで、なんでだ……!」
ずっと一緒だって言ったじゃないか。
年寄りになって、皺くちゃになっても一緒にいるって言ったじゃないか。
私がアルを看取るのは嫌だから、アルが看取ってくれるって言ったじゃないか……!
一緒にAランクのクエストをやるんじゃなのか。
強くなって、子供にいい顔をするんじゃないのか。
強くなって、私を守ってくれるんじゃないのか。
子供と散歩をするんじゃないのか。
子供と稽古をするんじゃないのか。
子供と一緒に、川の字で寝るんじゃないのか……!
いっぱい、いっぱい未来の話をした。
今後の目標、やりたい事、子供が出来た時の事。
いっぱい、いっぱい話し合って、笑い合って。
これがこのまま続くんだって、幸せが続くんだって、そう思ってたのに。
話が違うじゃないか……!!
「ぅぅぁぁああああぁぁぁぁ………………。」
アルとの思い出がフラッシュバックする。
『―――好きです。付き合ってください……!』
『その、エルザさんが子供に優しく接している所を見て、その、綺麗だなと思ってたという事もあって』
『ハンターっていうのはそういう役割なんだと思うんです。』
『はい、僕と付き合ってください。』
『凄く、綺麗です。』
『凄く美味しい。………凄く、懐かしい味がするよ……!』
『あなたが好きです。僕と結婚してください。』
『僕はエルザさんの事を愛してます。ですので、エルザさんを僕にください!』
『愛してるよ、エルザ。』
流れる思い出は、どれも良かった思い出ばかりだ。
アルと出会うまでの私は、過去など思い出したくもなかった。
いつも寝るのが憂鬱だった。
夢でまた、あの時の死体の山を見るのが嫌だった。
朝、起きるのが嫌だった。
死んだ両親の願い「生きて」という願いの為に、必死に生きて、苦しくても生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて……ただ、生きる苦しみだけが残った。
だから、目を開けるといつも落胆していた。
「今日も生きなければいけないのか……。」と。
でも、アルと出会った。
そこで、生きる喜びを知った。
寝る時の憂鬱はなくなり、目が覚めるとアルが目の前で吐息を立たている。
「今日は何をしようか。」とベッドから体を起こす。
いつしか生きるのが当たり前になっていた。
生きる喜びを教えてくれた。
生きる希望だった。
生きる理由だった。
アルは、命の恩人だった。
………なのに、もう会えないのか?
「嫌だ……、嫌だ…! 嫌だ……!!」
冷たくなったアルの右手を、両手で握る。
土下座するように頭を下げ、丸くなる。
お願いだから目を覚まして欲しい。
私の手の温もりで、少しでも温めれば、生き返るのではないかと思い、手を握る。
非科学的なのは分かってる。
そんな事をしても無駄なのは分かってる。
でも、諦めたくない。
受け入れたくない。
しかし現実は残酷で、いくら手を温めても、アルの手はピクリとも動かない。
「ぅぅぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……………。」
あの温かかった手の温もりを、もう一度感じたい。
そんな小さな願いも叶わないのか。
ザァァァァァァァァ……………――――――
雨が降る森に、悲しき叫びが響き渡った。




