第72話 遺言(1)
―エルザ視点―
雨が激しくなる中、私は疾走する。
アルが大型と1人で対峙した。
どうしてそうなったのかを聞くと、アランは「恐らく、商人を庇ってそうなったんだと思う」と言っていた。
状況を詳しく聞くと、左足が無くなった若い商人が小屋に現れ、大型モンスターに襲われたが、黒髪の青年が助けてくれたと言っていたらしい。
そこで班長は、その黒髪の青年がアルベルトだと判断する。
班長は、大型モンスターとの戦闘になると判断し、エルザに援助を要請しにアランを走らせたそうだ。
「ハッ、ハッ、ハッ…………アルは!?」
道を走った先に、破壊された馬車があり、そこに数人の人が居た。
馬車の近くには下半身だけの死体があった。
それを見て一瞬心臓が跳ね上がったが、その死体の衣服はアルが着ていた物ではない事から、恐らくアランが言っていた商人の仲間なのだろう。
「まだ分からないです…! 班長も森に入ってから帰って来てないので、結構奥まで入ったのかも知れないです…!」
そう言って左の方へ視線を動かしたので、私もそれに釣られて視線を移動すると、木々が折れて道になっていた。
「この粘液、ガノテルデね……。厄介な相手だわ。」
後ろに居たソフィアが、地面に残っていた痕跡を見てそう言う。
「…ああ。それに…水ありか……。」
ガノテルデの粘液は、水を含むと滑りやすい性質に変化する。
それにより、移動速度の上昇や、防御面もヌメヌメしていて攻撃が通りにくくなる。
魔法使いがいれば、その粘液を凍らせたり、燃やして乾燥させたりして粘液という鎧を剥ぐことが出来るが、一人となるととても面倒なモンスターだ。
Bランクのハンターが1人で相手にする物ではない。
「急ぐぞ。」
――――――――――
―――嫌な予感がする。
ティーカップにヒビが入るのを見てから、ざわざわと胸騒ぎが止まらない。
空に雲が掛かり、暗くなっているから、気分が落ち込んで不安が増長されただけかも知れない。
しかし、それだけでは説明できないような、なにか嫌な予感がしてならないのだ。
「急いで行かなければ」という気持ちと、「行きたくない」という直感が、私の足をチグハグにする。
夢の中で走っている感覚に近い。
視界は高速で移動しているのに、足元が走っている感覚ではない感じ。
リズムが違うというか、視界のスピードに対して歩幅が違うというか、とにかく違和感まみれの夢の時に近い状態だ。
激しい戦闘が行われたであろう道を進むと、倒された木やそうでない木に所々赤い血が付着しているのが視界に映る。
どちらの血か分からない。
しかし、それだけでも私の不安は増大していく。
アルの血ではない事を祈るしか無い。
――――――――――
どれくらい走っただろうか。
フワフワとした感覚のなか走っていると、道の先の開けた所で、大きな影が立ちはだかる。
「ハァ、ハァ、ハァ……。」
どうやらここが最後の場所のようで、私は状況を確認するために立ち止まる。
辺りを見ると、まず真っ先に見えるのはガノテルデの死体だ。
私からの方向だとガノテルデの後ろ姿しか写っていないが、ピクリとも動かない巨体と、雨で地面が濡れているにも関わらず、血溜まりが出来ている事から死体だと判断した。
ここでも勿論、周囲の木々は折られていて、激しい戦闘が行われたのだと推測できる。
しかし、私は安堵していた。
(そうか。討伐できたんだな……!)
アルが大型のモンスターと対峙したと聞いて「それは不味い。大型モンスターとの戦闘は、まだアルには早い」と焦ったのだが、私の見る目は間違っていたらしい。
まぁ確かに、最近のアルは感覚を掴んできたと言っていたし、実際に水猿流の扱いや剣の扱いも一つ段階を超えたと思ってはいた。
もう半年もすれば、私達と一緒にAランクのクエストに出る事だって出来ると感じていた所だ。
(ただ、まさか、それを一気に超えるとはなぁ………。)
初めての大型モンスターとの戦闘で、あの面倒くさいガノテルデを、たった1人で討伐するなんて聞いた事が無い。
もしかしたら、世界初の可能性すらあるんじゃないか。
今回アルがやった事は、それくらいすごい事だった。
(テールサーペントに手こずっていたあのアルが、強くなったなぁ。)
アルと出会った時の事を思い出す。
あの時もアルは、商人を助けようとしてテールサーペントの前に出たのだ。
なんで勝てないのに前に出たんだと思ったが、後に「人の為のハンター」という考え方を聞いて、納得して、尊敬したのだ。
ただ、こういうのは私の心臓に悪いから、今後は止めて欲しいものだ。
帰ったら説教臭くならないように気を付けて、そう提案しよう。
アルも疲れているだろうし、今日は結婚記念日だからな。
良い雰囲気を壊さないようにしよう。
そんな事を思いつつ、ガノテルデの頭の方へ移動する。
「―――なっ!?」
視界の先には、3人の守り人が木にもたれ掛かっている人物を囲っていた。
3人は村のハンター兼守り人で、何度も顔を合わせているので問題ではない。
それより問題なのは、木にもたれ掛かっている人物だ。
左足は欠損しており、左腕は盾ごと押し潰されていて酷いものだった。
気絶しているのか、力無く倒れて眠っているアルベルトがそこに居た。
「ソフィア……! 治癒魔法を……!」
「え、えぇ……。」
ソフィアにそう言って、私は透かさずアルに駆け寄ろうとするが、一番歳が行っている中年の男性、今日の班長であろうハンターの『ロック』が私の前に立つ。
ロックは私とアルの間に入って、わざとアルを見せないようにするかの様な仕草で腕を広げる。
その動作に私はイラッとする。
しかし、その顔は悪戯をする様な顔でもなければ、ふざけている顔でもなく、苦虫を噛み潰した様な顔で私の目を見ていた。
「エルザ……その……なんて言ったら良いか………。」
「……?」
そのままロックは口を開くが、その口からは言葉が詰まっている。
なんで前に立つんだ?
というか、なんでアルがこんな状態で放置するんだ。
魔法で回復するとか、それが出来なくても、応急処置で止血ぐらいしてくれても良いだろうに。
「嘘………でしょ……?」
ロックの対応に喉を震わせて反応したのは、後ろにいるソフィアだった。
ソフィアはアルの方へ駆け出して、治療を開始する……かと思いきや、アルに近付いた瞬間、口元を手で覆って力無く座り込んだ。
一体なんなんだ。
早く治療してくれ。
誰も治療をしてくれない時間に痺れを切らし、自分で止血をしようとアル近づいて違和感を感じる。
アルの顔は穏やかで、眠っているように目を閉じていた。
いつも朝に目が覚めた時に見る寝顔。
とても気持ちよさそうに寝る姿が可愛くて、自身の寝覚めが良い事に感謝したのはアルと出会ってからだったように思う。
私はアルの寝ている姿が大好きで、良く寝ているアルのおでこにキスをしていた。
しかし、そんなアルの顔は、アルの体は、信じられないくらい青白くなっていた。
この状態を、私は幼い頃に見た事がある。
山賊や犯罪者を殺して生活していた時期、賞金首を狩って、逆に賞金首や犯罪者にも狙われた時期によく見た事がある。
あの時期は、死体が転がっているのが日常だった。
血が抜けきった、あの死体たちの色は今でも忘れない。
アルの肌色は、彼らと同じ色をしていた。
……………アルは死んでいた。




