第64話 愛の審判
まさか姉さんがこちらに来るとは知らず、何も用意をしていなかったが、私達の家に姉さんを招く。
「これがお前の住んでる家なのか?」
「そうだよ。」
「ふ〜ん。Aランクハンターは稼ぎが良いみたいだなぁ〜?」
「姉さんもAランクでしょ。」
姉さんは家に入って早々に悪態をつく。
姉さんの事をAランクと言ったが、正しくは元Aランクだ。
鍛冶屋に転職してからは、モンスターと一度も戦った事は無いらしい。
あの剣筋を見る事が出来ないと思うと少し寂しさがあるが、後悔は無いようなのでこちらからは何も言うまい。
「でも何で一軒家なんだ? 宿舎の方が良いだろ。」
「この家は元々はアルの家だったんだよ。手紙にも書いてたでしょ。」
「ほ〜ん。じゃあそこの優男がアルベルトか。」
そう言って姉さんはアルの方を見る。
それに対して、アルはピンッと背筋を伸ばして直立の姿勢になり、兵隊かの様な速度でお辞儀をして挨拶をする。
「は、はじめまして! アルベルト・シュヴァルツと申します!」
「私はエレノア・テイラー。エルザの姉だ。よろしくな。」
緊張しているのが丸分かりのアルに比べて、姉さんは落ち着いた様子でアルの肩にポンッと手を置いて返事をする。
その後、姉さんは自分の家の様に上がり込み、リビングルームの椅子にドカッと座る。その荒々しさとか、行儀の無さは大人になっても変わらない。
この感じ、懐かしいな。
結婚式以来会ってなかったけど、どうやら変わりなさそうだ。
「姉さんは変わってないみたいだね。」
「ああ、私は変わってないよ。お前は随分変わったみたいだけどな。」
そう言って姉さんは私を見る。
何の事だろうと思っていると、その答えはすぐに返ってくる。
「お前が読み書きを出来る様になるなんて思わなかったな。」
それは私もそう思う。
姉さんはすぐに覚える事が出来て上達していったが、当時の私はさっぱり理解できなかった。
それが、今では姉さんと文通を交わせる位になったのだ。
当時の事を知っていれば、尚のこと驚くだろう。
「料理も出来るようになったんだ。折角だし、このままここで食べてみてくれ。」
「そういやそんな事も書いてたな。どれ、じゃあその腕前を見せて貰おうかね。」
夕食の支度をする時間だったから丁度良い。
昔みたいに、ただ焼くだけじゃない料理を姉さんに披露しよう。
――――――――――
テーブルの上に置かれたのはシチューだ。
アルと婚約が決まったという事もあり、やはりアルが好きだと言ってくれたこの料理を作らざるを得ない。
「シチューか。お前はもっと脂っこいのが好きだったろ。」
「アルが好きなんだ。それに、私の得意料理はこれなんだよ。」
「ははっ、お前の得意料理か。昔は何でもかんでも焼いて食ってたなぁ。」
「焼くのは今でも得意だよ。」
「ははっ、真っ黒な肉を食ってたのが懐かしい。」
アルの前でそんな恥ずかしい事を言わないで欲しい。
だが、怒りや恥ずかしさよりも懐かしさの方が湧き出てくる。
あの頃は本当に生きるのに必死だった。
それから姉さんは私の作ったシチューを口にいれる。
「んんっ、―――美味いな!」
「予想と違っていた。」と言いたげな顔でこちらを見て驚く。
アルと付き合って一周年以降、色々と料理の改良をしていたが、このシチューだけはあの時の味のままにしてある。
それを姉さんが気に入るかは分からなかったが、気に入ってくれたようで安心した。
「ソフィアのシチューに比べたらまだまだだけどね。」
「十分だろ。これ以上良くするってなると、家庭料理じゃなくなる。毎日作らなきゃいけねぇんだ、凝りすぎるのも良くねぇよ。」
先に家庭を持った姉さんだからこその言葉なのだろう。
その何気ない言葉は深みがある。
「それとも、これ以上凝らないとコイツの胃袋は掴めねぇのか?」
「そ、そんな事無いです! エルザさんの料理はどれも美味しいです!」
「ははっ、だってよエルザ。良かったな!」
「姉さんがカマ掛けなくても知ってるよ。いつもアルは美味しいって言ってくれてる。」
「……そうか。いや〜、まだ信じられなくてな。私を安心させる為に雇ってる可能性もあるだろ。」
「無いよ。……ちょうど今日、アルと大事な話をしてきたんだ。」
そう言ってアルへ視線を向ける。
丁度そういう話になったので、触れておくべきだろうと思ってアルに視線を向けると、アルも「そうだね。」と言いたげに私の方を見ながら頷く。
「その、今日、僕の方から、エルザさんに、プ、プロポーズをさせて頂きました!」
それから思い出したかのようにアルはその場で立ち上がり、そんなアルを支えるつもりで、私もアルの隣に移動する。
姉さんの正面に立つ形となり、姉さんの顔は少し驚いた顔をしていた。
「エルザさんからも、一緒に居たいと言われて、その、一生幸せにします! ですので、エルザさんとの結婚を認めて欲しいです!」
突然の事で、アルの言葉もしどろもどろしている。
しかし、伝えるべき事はちゃんと言えている。
「何だよ、今日婚約したのか!?」
「うん。昼間の時に2人で話してて、アルから言われたんだ。
私もその話を受けて、結婚する事になった。」
姉さんは口には出さなかったが、やはりまだ疑っているようで、私達の事を観察する様な目で見る。それに対して、私は本気なんだと行動で示す為に、隣に居るアルの手を、姉さんの前で握って見せる。
これが何処まで凄い事なのか、ずっと一緒に生きて来た姉さんなら分かるはずだから。
「そうか。……取り敢えず、2人とも座りな。」
緊張で硬いアルとは対象的に、姉さんはとても冷静にそう言った。
席に着くのを確認してから、姉さんは再び口を開く。
「嬉しいよ、本当に。2人で並んでいるのを見て、演技じゃないのは良く分かった。」
「姉さん……。」
見ると、姉さんの瞳には涙が溜まっていた。
「覚えてるか。私の結婚式の時に言った事。」
「うん。」
「身勝手な事だとは思ってたが、どうしてもお前には私が感じた幸せを、お前にも感じて欲しかった。」
その言葉を聞いて、当時の結婚式の光景が思い出される。
少ないながらも人に囲まれ、姉さんがお祝いされている姿。
あの時には考えられない、幸せな光景がそこにはあった。
「……………。」
姉さんは溜まった涙を隠すように上を向き、黙っていた。
その姉さんの行動を見て、私達もしばらく姉さんが口を開くのを待っていたのだが、思い掛けない言葉を姉さんは私に語りかける。
「……でも臆病なお前の事だ。あの事を言ってないんだろ。」
「あの事……?」
幸福の様な時間が一変し、姉さんは真剣な顔で私を見る。
あまりに急な展開で思考が追い付かない。
姉さんは何の事を言っているのだろうか。
「アルベルト。エルザの過去について何処まで聞いた?」
私の過去。
その単語を聞いて、瞬時に何を言いたいのか理解した私は、反射的に席を立ち上がっていた。
「―――っ! 姉さん!」
それ以上は行けない。
そう判断した私は、姉さんに駆け寄って肩に手を置く。
しかし、姉さんは冷たい視線をこちらに向け、冷たい口調で口を開くだけだった。
「エルザ、座れ。」
肩を握るエルザに対して、先程の温かい言葉とは反対に冷たい口調でそう言う。
そんな姉さんの覇気にやられ、私は席に着いていた。
確かに、まだ姉さんが言いたい事は決定されていない。
あの話に触れている訳では無い以上、焦る場面ではない。
そんな急展開の中、話を進める為になのか、アルベルトは困惑しながらも答える。
「えっと……赤毛族の村で生活していて、その村に龍神が現れて村は壊滅。
その時にご両親を亡くされて、お姉さんと一緒に、なんとか生き延びるために窃盗とかをして、そんな中で出会ったのがエルザの師匠。
その師匠にハンターとして生きる事を進められて、お姉さんと一緒にハンターとして生きて行く。それから―――」
「そこまでで良い。」
ピシャリとエレノアが間に入って止める。
アルベルトが困惑する中、私はは姉さんが何を言いたいのか概ね察する。
しかし、それに完全に触れている訳ではないので、もしかしたら違う可能性があるので、姉さんを信じて押し黙る。
「アルベルトが言った中で1つ嘘がある。いや、嘘じゃないな。入っていない罪がある。」
「姉さん!!!」
『入っていない罪』。
そのセリフで姉さんが何を言いたいのか、完全に理解した私は再び声を上げて立ち上がる。しかし先ほどとは違いは、私は殺気を放っていた。
「殺してでも黙らせるつもりだ。」という威嚇も込めて、これ以上は止めろと本気で警告する。
「逃げるな!!!!」
現状の私はAランクだ。
しかし、実際の私の実力はSランクに到達している。
そんな私の殺気に誰もが震える筈なのだが、エレノアは正面切って受け止める。
あろう事か、逆に睨み付けて声を張り上げたのだった。
「―――ッ!?」
私は、その姉さんの声にたじろぐ。
引退した者の筈の姉さんの覇気に、現役である筈の私が押し負けてしまった。
それだけの覚悟を決めた顔をしている。
「このまま言わずに居て、一生隠して生きていくのか。知り合い程度ならそれで良いだろう、だが、お前はその男と家族になるんだろ。本当にそれで良いのか?」
その問いに対し、私は項垂れる様に下を向く。
姉さんの言いたい事は理解している。
私だって、その事は悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、それでも嫌われたくなくて言えなかった事だ。
机の上に置かれた私の手は握りしめられ、圧力で黄色くなった手は、私の葛藤がどれ程の物なのかを周りにも示しただろう。
―――フッ……。
黙りこくる私に、アルがその手を握る。
握られた手をなぞるように視線を上げると、アルは優しく微笑んで頷く。
その目は「大丈夫だから。」と言っている様だった。
「…………。」
覚悟を決めた私は、椅子にドカッと座り直し、腕を組んで姉さんを見る。
それを見た姉さんは、話を続けるために口を開いた。
「窃盗をしていた期間、私達は人を殺してる。1人や2人じゃない、何十人も斬り殺してる。」
『斬り殺してる。』嫌な言い方だ。
まるで、私達が積極的に殺ったかのように映るじゃないか。
だが、私は押し黙る。
姉さんが何を言おうと、私は2人に任せると選択したのだから。
「私達はお前と違って、人を殺すという選択肢あった時、人を殺す選択肢を取れる人間なんだよ。そんな人間と一緒に居られるか?」
「…………。」
「……―――ギリッ。」
アルは沈黙を貫いていたが、流石に私は力が入らざるを得ない。
本当に嫌な言い方をする。
しかし、姉さんが言いたい事を言い切るまで待とうと決めたので、何も言わずに話を聞く。
「今までどうだったか分からないが、これから先、意見が分かれたり喧嘩する日が来る。人間なんだ、当たり前だよな。
でも、お前はエルザと喧嘩できるか?
人を殺す選択肢がある人間と言い合いできるのか?
私達が機嫌を損ねたら、最悪、刃物がお前の体を切り刻むかも知れないぞ。」
そんな事をする訳が無い。
そもそも私に殺人欲求など無いし、あの時期以外では、喧嘩になっても拳しか使った事は無い。流石に私だって、そこまでの線引きは出来る。
「……お姉さんの言いたい事は分かりました。エルザは犯罪者で人殺し。エルザの反応からしても嘘じゃないんでしょう。―――」
アルは私に視線を動かいた後、冷静に姉さんに向かって返答をする。
……アルから「人殺し」と呼ばれて心が抉られる。
「――でも、今まで何人殺していようが、エルザと出会ってからの2年間、エルザは人を殺してません。
人を殺すという選択肢があると言うのも分かります。
結果だけ見ればそうなんでしょうが、そこに至る経緯があるはずです。
お姉さんは敢えてそこを言わなかった。
であれば、僕も敢えてそこに触れずに答えを出します。」
姉さんと出会った時はおどおどしていたアルだったが、今のアルは姉さんの目を正面で見て、姉さんの圧に押し負けること無く口を開いていた。
「僕はエルザが好きです。
いつもはクールで格好良いのに、失敗するとシュン…となって落ち込むんです。
そんな落ち込んだエルザを慰めると、まるで子供のように甘えてくるんです。
喧嘩をした事もあります。
でも、エルザは暴力で解決しようとする事は一度もありませんでした。いつもちゃんと話し合って、お互いに謝って喧嘩を収めています。
……それに、僕はエルザのシチューが好きです。
エルザのシチューはこれと言って特徴がある訳じゃないんです。具が大きいとか、味が他とは違うとか、そういう特徴は無いんです。
でも、それが凄く良いんです。
母さんのシチューもこんな感じだったなって、思い出させてくれるんです。いつもエルザのシチューを食べる度に、なんだか「帰って来たな」って感じさせてくれるんです。」
短いながらも、アルとの思い出が詰まった言葉に、私はこれまでの3年間を思い出す。
確かに意見が噛み合わない事は何度かあった。
だが、その都度ちゃんと話し合い、乗り越えてきた。
料理があまり上手くいかず、失敗してしまった時は申し訳なくなって落ち込んだ時もあった。
その都度「次は上手くいくよ。」と言って励ましてもくれていた。
そういう時のアルが、私に対してそんな事を思っているとは思わなかったな。
アルは椅子から再び立ち上がり、今度は吃ること無くしっかりと姉さんに向けて思いを伝える。
「僕はエルザさんの事を愛してます。
いくら罪を犯していようが、人を殺していようが、僕は変わりません。
一生幸せにします! エルザさんを僕にください!」
アルは、睨むように見ていた姉さんの視線を正面から受け止め、そう言った。
「…………………。」
姉さんは暫くアルベルトと視線を合わせ、そして私の目へ視線を動かす。
その目は私の方の覚悟も見てか、それともそれ以外か。
内心は姉さんしか分からないが、それから姉さんは瞳を閉じ、下を向く。
「エルザ……色々……大変だったよな。」
姉さんは目を閉じて下を向いたまま、話を続ける。
「……ごめんな。あの頃は私も無知だったから、どうすれば良いか分からなかったんだ。ただ、お前を守らなきゃって、母さん達に変わって守って行かなきゃって思ったんだ。今考えれば、明らかに怪しい奴だったよなぁ……。」
話の途中で、姉さんの閉じた瞳から涙が流れていた。
姉さんが涙を流した事など殆ど見たことがないので、戸惑うと同時に、姉さんの言葉であの時の事がフラッシュバックする。
私達が初めて殺人をした日、雨が激しく降る中、部屋を貸してくれると言って男の部屋に入ったんだ。
私達に食事を食べさせて安心させてから、奴は私をレイプしようとした。
姉さんは私を助ける為にナイフを手に取り、男を刺した。
しかし、相手が悪かった。
殺した奴が山賊の幹部だったのだ。
奴らはやられたらやり返す。
私達は奴らに追われる事になった。
それからは毎日殺し合いをしていた。
殺せば殺すほど、奴らはやり返すために過激になった。
それでも抵抗し続けられたのは、母さんたちの最後の願いである『生きて』という願いがあったからだ。
あの地獄の日々を、姉さんは責任を感じていたのだと、今知る事になる。
いつも強気で勇ましく、男にも勝る男らしさで私を引っ張ってくれていた。
弱い所を見せる事は無く、いつも勝ち気な笑顔で前を向いていた。
そんな姉さんの心情を、今まで私は知る事が無かった。
それを聞いて、姉さんの涙を見て、私の瞳からも涙が自然と流れていた。
「姉、さん……。」
姉さんと一緒に居る時、生きる為に人を殺していた時期の話は自然と避けてきた。
師匠やソフィアに話す時や、話題に上がれば普通に話せはする。
しかし、姉さんとこうして正面で話す事は一度もなかった。
だから、姉さんがあの時の事をこんな風に思っていたとは知らなかった。
「姉さん、ありがとう。私を守ってくれて―――」
姉さんはいつも私を守ってくれていた。
小さい頃は特に臆病で、いつも姉さんの背中に隠れていた。
だから殺しの日々の時は、私が先頭切って襲いかかっていた。
でも、そんな無鉄砲だった私の背中を、姉さんはいつも守ってくれていた。
ハンターとして生きる時も、なんでも器用に出来る姉さんと、不器用な私とで差ができた時、私が置いて行かれないように根気強く教えてくれていた。
ガサツで口調が強く、男勝りで近寄り難い。
厳しい所はとにかく厳しく、根気強く教えてくれるが、音を上げそうになると殴って続けさせるなんて事もあった。
でも、芯があって優しい所があった。
姉さんが鍛冶屋になったのも「昔から興味があった」と私には言っているが、私の防具を作るために学んだとソフィア経由で聞いている。
姉さんは、いつも私を見てくれていた。
「―――でも、もう良いんだ。もう良いんだよ、姉さん。」
その言葉に姉さんはハッとなり、下を向いていた視線を私の方へ向ける。
そんな姉さんの視線に入るように、アルは私の方へ移動し、私の肩に手を置く。
それを見た姉さんは、今まで溜め込んでいた物が決壊して、大粒の涙が頬を伝って行く。口元を手で抑えているが、嗚咽が漏れ出てしまっていた。
そんな姉さんの涙を見て、私も涙が止まらなかった。
母さん達が亡くなった事から始まり、小さかった私達には過酷すぎる半生だった。
でも、姉さんが居たから生きて来れた。
苦しい時、辛い時、悲しい時、嬉しい時、楽しい時、いつでも姉さんが居た。
その時の感情が、その時の思い出が、姉さんの涙で再び思い出し、涙が止まらなかった。
姉さんからは、母のような厳しさと、母のような愛を貰った。
「……そうか。もう……良いのか。」
「……うん、今までありがとう。」
姉妹で長い間一緒に居たが、最後にやったのがいつか覚えていないくらいハグはして来なかった。
しかし、それまでの思いを込めて、やっていなかったハグを姉さんとする。
いつも見上げていた姉さんの顔はすぐ近くにあり、いつしか私が見下ろすくらいになっていた。
そうしてひと仕切り泣いた後、姉さんはアルの方を見る。
「エルザを愛してくれてありがとう。アルベルト、エルザを頼んだ。」
「―――ッ! はいっ!!!」
こうして私達の結婚は認められた。




