第137話 前を向いて
―エルザ視点―
―――コトンッ。
私の目の前に、ソフィアが紅茶を注いだティーカップを置く。
「はい、ど〜ぞ」
「ああ。」
今朝にバティルはこの村を出て、師匠の元へと向かった。
背を見せ歩くバティルの背中は小さく、今だに子供っぽさが残っていた。
しかし、3年後となるとその背中も大きくなっている事だろう。
子供の成長は速い。
だから私は、あの小さな背中を忘れまいと脳裏に焼き付けていた。
帰って来た時の成長を感じるために。
「行っちゃったわね。」
「ああ。」
ソフィアも自身のティーカップをテーブルに乗せ席に着く。
湯気が出ているカップの中へ砂糖を入れて、音を立てずに小さなスプーンで中の紅茶をかき混ぜる。
「寂しくないの?」
ソフィアは私の反応に違和感があったのか、覗き込むようにそう言った。
「寂しくない訳じゃないが、なんというか、期待しているし、成長した姿を見たいとも思ってる。」
「ふ〜ん。」
「私があいつの元に居て成長出来た様に、バティルも色んなモンスターや色んな世界を知って成長するだろう。それが楽しみなんだ。」
私自身、師匠の所での生活は成長できた。
あいつとは最後まで喧嘩ばかりしていたが、あいつの観察眼と戦うべきモンスターの選別には感心したものだ。
私がギリギリ勝てる、もしくは負ける様な相手を直接見ている訳ではないのに判断して送り込むという事を、意図的にやっていると気付いた時には鳥肌が立った。
あれから歳も取っているから色々と鈍くなっているかも知れないが、ボケてはいないはずだ。
私がそうであったように、バティルが成長できるのは既に分かっている。
そんな未来を想像して、ワクワクしない訳がなかった。
「あなたはそれでも、自分の傍にバティルを置くと思ってた。」
「そうか?」
「ええ。だってあんな事もあって、死ぬような思いをしたでしょ?
最終的には克服したけど、バティルは剣も持てなくなった。だから、バティルが危険にならない様な考えになるんじゃないかって思ってた。」
まあ確かに。
以前の私だったら、こちらから「剣を置け」と言っていてもおかしくはない。
怖がるバティルに同情し、「私が守る」と言ってより近くにバティルを置いていただろう。
「まあ、バティルに危ない目にあって欲しくないとは思う。だが、武者修行をするのは賛成だ。この話は前にもした事があっただろ。」
「そうね。」
「それにあいつの観察眼は信頼できる。勝つか負けるかの丁度良い塩梅が私を成長させた。きっとバティルもそうだろう。」
「ふ〜ん。」
ソフィアはそんな私の反応が意外だったのか、興味深そうにこちらを見た後、喉を潤すために紅茶を一口喉に通す。
「ま、その話は一旦おしまい。それにしても、あなたが生きてて本当に良かったわ。まさか龍神と鉢合わせるなんてね〜。」
「そうだな。あそこまで死を間近に感じたのは初めてだ。」
なぜあの時、あの場所に龍神が現れたのかは今だに分からない。
そもそも神の考える事など分かるはずもないのだが、いきなり襲ってくるのに理由がないとしたら、とんだ頭のおかしい神だ。
死を間近に感じたと言ったが、実際は死んだと言ってもおかしくはないだろう。
私があのレベルまで追い込まれたのは、ハンターになってしばらく経った後の1回くらいか。
「レイナ達の話じゃ、近距離の爆発の所為で全身ぐちゃぐちゃだったらしいじゃない。それでも死なないって、あんた一体どういう体してんのよ………。」
そう、決死の覚悟で愛刀に残った魔力を全て注ぎ込んで自滅したのだ。
しかし、あれだけ無理をさせたにも関わらず、今だに折れずに使える愛刀も凄いと思う。流石に私の体は耐え切れなかったが、あれを耐える事が出来る剣を作った姉さんはやはり凄い鍛冶師なのだろう。
「繭に包まれていたんだったか………結局、あれはなんだったんだろうな。」
ソフィアから聞いた話では、私の体は繭に包まれて放置されていたらしく、その繭の中には水が入っており、その水の塊の中で私が浮いていたそうだ。
その様な状態になるなど聞いた事が無い。
ソフィアとも何度も話したが、私より博識なソフィアでさえ全く聞いた事がない様子で、それ故にソフィアもバティルも不安がっていたのだ。
「今は元気だが、もしかしたら倒れるかも知れない」と言って2人とも過保護的になっていた。
「ほんと、何だったのかしら…あれ。あの時はエルザの事で頭が一杯だったからすぐに撤収しちゃったのよねぇ。……あの後もう1回見に行ったけど無くなっちゃってたし、回収しておきたかったわ。」
あの後、ソフィアは何度も森へ偵察に行った。
龍神の警戒が最優先だったが、それ以外にも話題に上がった繭の件や龍神の鱗などの収集をしていたのだ。
龍神の鱗と胸元にあった結晶の欠片などを少量だが回収する事が出来た。
しかし、繭やレイナ達が遭遇したという白い蛇に関する物などは不自然なほど見当たらなかったそうだ。……白い蛇は龍神と戦っていたはずだと言うのに、血の一滴も見当たらないのだとか、相手は神と呼ばれる存在なのにそんな事が可能なのだろうか。
「エルザは水の中にいた時の記憶とかはないの? 走馬灯とか見た?」
「ああ、アルと会った。」
私は普段の話す感じでスッと言った。
しかし、ソフィアはそれを言った瞬間に少しだけ体が強張った。
「アル君はなんて?」
ソフィアは普段と変わらない様子で話しかけて来ているつもりのようだが、鈍感な私でも分かるくらい、割れ物を触る様な感じの声色だった。
しかし、そこに不快感はない。
私の心を案じてくれているからこそ、ソフィアはアルの件に関して慎重になると分かっているから。
「『突然死んでごめん』って言ってたな。」
「……そう。」
私の言葉を聞いて、ソフィアの顔はより暗くなる。
別に暗くなる話ではないのだが、これまでの私の行動や言動を知っているソフィアからしたら、これだけの情報だけだと不安がるのも無理はない。
「それと、『愛してくれてありがとう』とも言ってたな。」
なので、暗い話では無い事を伝えるために明るい話をする。
それによりソフィアの顔も少しは緩くなり、返す声色も明るくなる。
「ふふっ、『愛してる』じゃなくて『愛してくれてありがとう』って所がアル君らしいわね。」
「ははっ、ああ、そうだな。」
アルからしたら「愛してる」のは当たり前で、私が「愛している」のは知っているのだろう。だから「ありがとう」なのだ。
「…アルと話して、凄い懐かしかった。」
「………うん。」
たった数年。
しかしもう二度と会えないと思っていたからこそ、その会えない時間は永遠にすら感じた。
「だが、アルはもう居ない。」
「……………………うん。」
「アルが死んでから、私の残りの人生は消化試合だと思ってた。」
「……………………………。」
「あそこでまたアルと出会えて、話せて、本当に嬉しかったんだ。」
「…………………………………………。」
話が進むに連れ、ソフィアの顔は少しづつ下を向いていた。
しかし私は真っ直ぐとソフィアを見て、口を開く。
これは私からソフィアに対しての贖罪であり、後悔であり、感謝だから。
「それでも、私にはバティルがいる。」
「………っ!」
ソフィアは顔を上げる。
その顔は予想外の言葉だったのか驚いた顔をしており、開かれた目は私をしっかりと捉えていた。
「アルと一緒にいる時と同じくらい、私にとってバティルと一緒にいる時間は幸せだった。」
「………うん…っ!」
私の言葉を聞いて、ソフィアの瞳には涙が溜まっていた。
その顔は驚いた顔から歪み始め、悲しみから喜びの顔に切り替わる途中の状態だった。
「私は……死んでアルと一緒にいるより、生きてバティルの成長を見たいと思ったんだ。」
「……ッ………っ!」
ソフィアは再び顔を下に向ける。
両手は口元に添えられており、漏れ出そうになる嗚咽を堪えている。
ソフィアのその姿は、私の次の言葉を邪魔したくない様に見えた。
なので、私は下を向いたソフィアに対して心配の言葉を掛けず、そのまま言葉を続ける。
「あの時、お前が私を止めてくれなかったら、この結論にはならなかったと思う。」
「……うっ……うぅっ……!」
アルが死んで、アルの後を追うように暴れまわった私を止めたのはソフィアだ。
記憶が混濁している中で、唯一ハッキリと覚えている言葉が「馬鹿野郎」だった。
私の過去を知り、思いを知り、気持ちを知っているソフィアからの言葉に、私は無下には出来なかった。
「私を、生かしてくれて、ありがとう。」
この言葉を今までソフィアに言う事はなかった。
嘘でもこの言葉を言えば良いものを、それでも私は言う事が出来なかった。
でも、今は違う。
今は心からこの言葉が言える。
ソフィアは私からの言葉を聞いて、堪えていた涙が決壊していた。
嗚咽を抑えていた両手に涙が落ち、今まで溜めていた不安が一気に解放されたように溢れ出していた。
「ソフィア。」
しかし、これで終わりではない。
これで終わって良いはずがない。
これまでのソフィアに感謝を述べて終わりじゃない。
これでソフィアが安心するかと言えば否だろう。
だから、ここまでで既に泣き崩れているソフィアには酷かもしれないが、ちゃんと目を合わせて伝えたいのでソフィアの名前を呼ぶ。
それに反応してソフィアも顔を上げる。
くしゃくしゃな表情だが、涙を拭い、これから私が発する言葉を聞き逃さんと視線を向ける。私はそれを確認し、視線を合わせ、背筋を正して宣言する。
今まで、嘘でも言えなかった言葉。
手放すようで、置いていくようで、忘れるようで、どうしても口には出せなかった言葉。これまでのソフィアに感謝を述べたのなら、最後は未来についてもちゃんと述べるべきだろう。
アルに伝えたように。
「私は、前を向いて生きて行くよ。」
ソフィアが目が合った事を確認した私は、爽やかな気持ちでそう言った。
これまでのソフィアを労うように、全て精算したと伝えるように、私は穏やかな声色でソフィアに伝えた。
「……うん………うんっ………うんッ……!」
ソフィアは私の言葉をゆっくりと噛みしめるようにして頷いていた。
ソフィアの嬉し涙は止まる事なく流れ続け、私はそんなソフィアを穏やかな気持ちで見守る。
沢山、悩ませてしまった。
沢山、苦しませてしまった。
沢山、悲しませてしまった。
沢山、不安にさせてしまった。
それもようやく終わりを告げる。
あの時のから続く私達の物語。
互いに武器を持って衝突したあの日から、ようやく前に進める。
親友を泣かせてしまっている状況だが、私の心の中は透き通っていた。
全てを精算し、あの時とは違い、あの時を踏まえて、ソフィアと共に前を進める。
それが分かっているから、ソフィアが泣いていても心は穏やかだった。
窓から鳥の鳴き声がして、差し込む窓の光に視線を動かす。
私の新たな人生の始まりは、雲一つない晴天だ。
「まずは、アルの墓参りをしよう。」
フリーター、ハンターになる。―第一章『 エルザ編 』―
― 完 ―
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ここまでこの作品を読んで頂き、誠にありがとうございました。
無名作家のこんな長い物語を最後まで読んでくださる事に私は感激し、感謝しております。
どうしても第1章は書きたかったので、いくら時間を掛けてでも書き切ろうと頑張りましたが、どうやら需要が無いようですので、この作品はここまでで打ち切りにしようかと思います。
続きを書くとすれば、100人くらいの人から「続編希望!」と言う温かいコメントがあれば執筆をするかも知れません。
最後になりますが、この作品をここまで読んで頂き本当にありがとうございました。皆さんの良い読書ライフを願いまして、終わりとさせて頂きます。
ありがとうございました。 ― 大久保 伸哉 ―




