第136話 旅立ち
―バティル視点―
レイナが旅立って2週間が経過した。
当初、危惧していたエルザの体調は全く悪化する事は無く、むしろ元気になっているほどだった。
ソフィアに治癒魔法をやって貰っても痛い所は無いと言い、俺と模擬試合をしてもなんら体調をすぐれていない様子だった。
それでも暫くは様子を見たいと、エルザのお母さんモードの様に息子モードになった俺は心配でエルザを見守った。
しかし、アレックス達に言った出発の時期になってもここまで元気なら、流石に大丈夫だろうと判断した。
――カンッ、コンッ!
朝日が昇り始める時間、いつも通り俺達は剣を振っていた。
武技を纏った木刀は高速で衝突しても折れることはなく、俺とエルザは何度も木刀をぶつけ合う。
「よし、そろそろ良いか。」
俺との距離が少し空いたタイミングで、エルザは木刀を下に降ろしてそう言う。
「バティル、剣を持て」
そう言葉にしたエルザは持っていた木刀から手を離し、自身の近くに置いていた愛刀を手に取る。
俺もそれに習うように近くに置いていた真剣を手に取った。
「出発前に、今のバティルがどれ程なのかを見ておきたい。」
エルザは先程とは違い、臨戦態勢の時のようにしっかりとした構えを取る。
「全力で来い。ハンターとして、殺すつもりで剣を振れ。」
「…………。」
エルザは本気だった。
剣聖と呼ばれるエルザの、本気の気迫が正面から放たれる。
「……ふー…―――」
ビリビリとした覇気を肌に感じて、俺の緊張感は跳ね上がる。
憧れの人から、「全力を見せてみろ」と言われて、怖気づくほどヤワじゃない。
一度目を閉じてから、中にあった酸素を吐き出し、燃え上がった気持ちに新たな酸素を取り込んで、剣を目の前に持ってくる。
「…………………。」
合図はない。
エルザはただ睨むようにこちらを見ており、刺すような眼光に汗が流れる。
―――ダッ!
剣先を正面に構えたまま走り出す。
ギリギリまで剣先を動かさず、遠近感を狂わせるつもりで接近をする。
格上であるエルザに、スピード勝負では分が悪い。
なので、こうした小技を使ってでもしないとエルザには刃が立たない。
エルザからすれば(いつ振り上げるのか、それとも振り上げずにそのまま突いてくるのか、それとも別の方法があるのか)という思考がギリギリまで頭を過ぎっている事だろう。
―――スッ。
俺は「突き」を選んだ。
そのまま遠近感が狂った状態での突きは、自身の経験からしても避けにくいと分かっているからだ。
しかし、エルザは難なく首を捻って最小限の動きだけで避ける。
「………ッ!」
エルザは首を捻った状態で前進をする。
エルザの剣は俺から見て左下に置かれており、エルザの頭は俺から見て右にある。
すなわち、前進しているという事はそのまま斬られる状態という事だった。
俺は急停止をしてエルザが剣を振り切る前に後方に飛ぼうとしたが、そうさせないための前進しながらの一振りだったのだろう。
俺はバックステップでは避けきれないと判断し、後ろに飛びながら上半身を反らして潜るようにエルザのカウンターを避けきる。
「………………。」
避けた俺にお褒めの言葉はない。
振り返るエルザの瞳は今だに殺気立っていて「腕一本くらいは斬っても良いだろう」とでも言い始めそうなくらいだった。
そこから数分間は一切言葉を発さず、剣のみでの会話が続いた。
これは避けれるか?
これならどうだ?
こんな小細工に引っ掛かると思うか?
そんな甘えた攻撃はするな。
それをするならこうだ。
さっきのフェイントがチラついて反応が遅くなってるぞ。
そういうのは考えるな、感じろ。
「はっ、はっ、はっ…………。」
最終的に、俺は尻餅をついて倒れていた。
首筋にはエルザの剣が置かれており、誰が見でも俺の負けだった。
最後はエルザの足に引っ掛けられ、受け身の取れない完璧な崩しで尻餅をついてしまった。
「フッ……、強くなったな。」
殺気立った顔をしていたエルザは、俺の首元から剣を離し、瞬時に優しい笑顔へと切り替わってそう言う。
「でも、やっぱりまだまだですね……。」
「いや、2年でこれなら十分すぎる。あいつの元で3年なら、今以上に良くなってるだろう。……楽しみだ。」
エルザは俺の将来の姿が見えているのか、少し遠くを見て嬉しそうにしている。
しかし俺はというと、思う所があって尻餅をついたまま頭を下げる。
「ごめんなさい。あんな事があったのに、すぐに出る事になっちゃって……」
俺自身、もっとエルザと一緒に居たかった。
龍神と対峙した時、エルザは俺に「息子になってくれてありがとう」と言ってくれた。
俺はそれが嬉しかった。
だけどあの時、もう会えないのだと思うと涙が止まらなかったし、エルザが無事に帰って来て、目を覚ました時も嬉しくて涙が止まらなかった。
俺はエルザの愛に答えたい。
息子として、母さんの隣に居たい。
でもそれじゃあ駄目なんだと思ったから、この村を出て、修行に出ると決断した。
「いや、バティルの人生だ。好きに生きろ。私に縛られるな。」
下を向いていた俺は、エルザのその言葉に顔を上げる。
「喧嘩別れをする訳じゃない。帰って来たかったら帰って来て良い。一緒に住みたいなら大歓迎だ。バティルはバティルの人生を生きて、私は母親としてそれを応援する。」
エルザのその言葉は、俺にとっては意外だった。
自分で言うのは何だが、エルザは俺を溺愛していた。
それこそ独占欲の様な感情すら感じられて、俺がどこかに行くのを極端に嫌っているように感じていた。
なので、エルザは俺が離れていくのを悲しんでいるのではないかと思っていたのだ。
しかし、目の前のエルザにそのような感情は見て取れない。
どこか落ち着いた、大人びたエルザがそこには立っていた。
俺に対する愛情が無くなった訳ではない。
今までの愛情をそのままに………なんて表現すれば良いのだろう。
焦りが無くなったと言えば良いのだろうか。
何かを決断し、一本の柱を立てた事で、そう簡単には揺らがない精神を持ったようだった。
「だからそんな顔をするな。私に成長した姿を見せてくれ。」
エルザはそう言って笑顔を見せる。
既に剣を鞘に戻したエルザは、そのまま右手を俺の方へと伸ばして尻餅をついた俺を起こそうとしてくれる。
「はいッ!!」
エルザのその言葉とその顔を見て、心の中にあった靄は無くなる。
なんの憂いも無くなった俺は、差し出された手をガッシリと掴み、起き上がった。
――――――――――
稽古を終えて、俺達は朝食を一緒に食べる。
この家にしばらく帰らない俺への朝食は、勿論シチューだ。
お袋の味をしっかりと噛み締め、エルザと他愛のない話をする。
俺が居なくなった後、何をしようかという話はこの2週間で何度も話した。
俺が帰ってきた時に色々な料理を覚えて振る舞いたいとか、ソフィアのように花などを育てるガーデニングをしてみようかとか、俺にしてくれたように誰かをハンターとして育ててみようかとか、様々な案が出て来た。
そういったこれからの事を和気あいあいと話して朝食を終える。
それから遠出の準備をしておいた袋を玄関まで運び、エルザと一緒に家を出る。
「来たわね!」
村の端の方まで行くと、既にソフィア達が待ってくれていた。
ソフィア、村長、村のハンター、その他にも交流のある人達が俺の門出を待ってくれている。
「バティル、俺ももっと腕上げて、良い防具を作れる様に頑張るからよ、お前も頑張れよ!」
「はい、ありがとうございます!」
よく装備品を変形させていた、俺の装備を直してくれていた鍛冶屋のガンズさん。
「マメを潰しちゃったら、寝る前にこれを塗ってね。」
「わっ、ありがとうございます!」
よく薬草のクエストを発行して、それを俺達がよく受注していた調合屋のヤスさん。
「エルザの一番弟子の門出だー! 頑張れよバティルー!!」
「はい、サイモンさんは飲み過ぎに注意してくださいね。」
「だぁい丈夫だよぉ!!」
この村に来た時、硬かった俺にも動じずに接してくれたサイモンさん。
……なぜか朝から酒臭い。
「バティル君、この村に来た時の君を覚えているよ。首から出血して運び込まれた君が、見違えるように強くなって、もっと強くなろうと進みだそうとしている。村長として、そんな少年をこの村から送り出せる事を誇りに思うよ。」
「ありがとうございます。母さんをよろしくお願いします。」
「ああ、そうだね。ただ、まあ、エルザ君にはこちらからお願いする事の方が多いんだけどね。ハッハッハッハッ!!」
村長は年相応に見えない屈強な体を揺らしながら笑顔を見せる。
この人にも何度もお世話になっている。
そもそも見ず知らずの俺を村に入れてくれて、村八分にされる事無く自然となじませてくれた。
この村に帰ってきた時、この村に貢献したいと思うくらいには村長に感謝していた。
「バティル、ありがとう。」
そう言うのはソフィアだった。
「エルザの息子になってくれて、本当にありがとう。
あなたに会ってから、エルザは凄く元気になったのよ。別人かって位にね。」
その話は何度か聞いた事はある。
エルザが廃人になり、物も食べられないくらいになった話だ。
俺はその時のエルザを見た事が無いのでイメージできないのだが、ソフィアの話を聞くに相当大変だったという話だ。
「でも、これはあなたの人生。進みたい道に進むべきよ。エルザの事は任せなさい。
若い内は、やりたい事に正直に、進むと決めた道を突っ走る! そういうもんよ!」
初めは塩らしかったソフィアだったが、最終的には俺の知っているソフィアに戻り、最後は満面の笑みでグッドサインをしていた。
「いってらっしゃい!!」
「はいッ、行ってきます!!」
普段ならお辞儀をしていた所だろうが、俺は何を思ってかソフィアと同じくグッドサインをして答える。それはまるでアレックスかの様な仕草をしていた。
「母さん。」
「バティル。」
エルザからは稽古の時にエルザから話しかけてくれた。
ならば、ここでは俺から何かを言うべきだろうと思い先に口を開く。
「俺、母さんみたいに強くなりたい。
もう二度と、大事な人を置いて逃げるような事にはなりたくない。」
俺の中で、戦場でのエルザと言えば後ろ姿が真っ先に思い浮かぶ。
シャドウウルフに襲われた時に守ってくれた背中、命を懸けて龍神に立ち向かう背中。
その時のエルザの顔を、俺は知らない。
どんな顔で立ち向かっていたのか、どんな思いで立っていたのか、俺には分からない。
でも、それで終わっては駄目なんだ。
あの時のような光景を見たくなかったら、俺が前に出て戦うくらいにならないと、今度こそ本当に大事な人が失ってしまうかも知れない。
そんなのは嫌だ。
この世界に来て、この世界を生きて、掛け替えのない人達に出会えた。
これからも彼らと一緒に笑い合いたいし、一緒に生きて行きたい。
だから……―――
「だから………―――――行ってきます!!!」
俺はエルザの目をまっすぐ見てそう言った。
それを見て、それを聞いて、エルザの顔も綻ぶ。
「ああ、行ってらっしゃい!」
エルザは笑顔で言葉を返す。
その声色に、何か続きの言葉が入れようとする意志は感じない。
ただ真っすぐ、俺の背中を押すように一言に集約していた。
エルザからの言葉は、既に聞いている。
『成長した姿を見せてくれ。』
エルザからの言葉はそれで十分だった。
憧れの人の期待を背負い、俺は進む。
「誰かの為に頑張りたい」「大事な人を守りたい」なんて、転生する前には考えもしなかった。ただ自分のため、自分が心地よいと思えばそれで良いような人間だったはずだ。
それが、そんなフリーターが、ここまで変わる物なんだな。
こんなに希望を持って、こんなに覚悟を持って前に進む様になるなんて。
それもこれも、みんなこの世界で出会った人達のおかげだ。
こんな俺を守ってくれて、こんな俺を助けてくて、こんな俺を信じてくれた。
だから、俺はこれからも皆を守るために強くなる。
強くなって、エルザのようなハンターに。
最強のハンターに。




