第133話 リスタート
俺が部屋に籠もってから、窓から溢れる日差しがが赤くなる頃にドアがノックされる。
「バティル、大丈夫か? 少し早いが夕飯を作った。一緒に食べよう。」
その声はエルザの物で、病み上がりにも関わらず何もしなかった事に罪悪感を感じて扉を開いた。そこには優しく微笑むエルザが待っており、俺が素直に出て来た事に安心している様だった。
食事中、エルザは俺に何も言わなかった。
ただ「明日は何を作ろうか」とか「明日の天気次第であれをやろう」とか日常の話を俺に振ってくる。俺はそれに対して「うん……」と生返事を返す事しか出来ない。
エルザに失望されたのではないか。
エルザに嫌われたのではないか。
そんな考えが頭を巡ってしまい、目の前の事に集中できない。
エルザはそんな俺の反応を見て、最終的に話すのを止めてしまう。
そのまま食事を終えて、食器を片付けようとした所でエルザは口を開く。
「バティル。」
俺はその声に反応して振り返る。
エルザは先程の穏やかな顔とは違い、真面目な顔で俺を見る。
俺はとうとう怒られるのかと思い、顔が強張る。
「バティルの好きに生きろ。私はバティルを応援し続ける。もしまた剣を握りたくなったら何時でも言って良いからな。」
エルザはそう言い終わると、言いたい事は全部言ったとばかりに再び笑みが溢れる。何か強い言葉を言われると思っていた俺は、その意外な言葉にキョトンとした顔になる。
そんな俺の顔が面白かったのか、エルザは短い笑い声と共に俺の頭を撫でる。
その手はとても優しく、さっきの言葉が嘘の言葉ではないと思えた。
あれだけ剣を教えてくれたのに、あれだけ時間を掛けたのに、エルザはそれを捨てた俺に対して何も怒らなかった。
「母さん、ごめ―――……」
―――ドンドン。
「ごめんなさい」とエルザに伝えようとした所で、玄関の扉からノックがする。
「エルザー、バティルに会いに来たー!」
その声はアレックスの声であり、太陽が隠れて暗い筈なのだが明るい雰囲気を感じさせる声色をしていた。それがアレックスらしいと言えばアレックスらしいのだが、別れる際のアレックスの怒声からの切り替えが速くて感心させられる。
俺は流石に気まずいのでその声を聞いた瞬間、玄関から見えない所に瞬時に移動する。
エルザはそんな俺の行動に呆れた顔をしつつも、玄関で待っているアレックスの為に扉を開く。
「どうした?」
「いや〜、やっぱりバティルと話したくてさ。喧嘩腰な話し方はしないから、もっかいバティルと話させて!」
「私達パーティーですから、こういう時、一緒に居るものだと思うので、お願いします!」
「……だ、そうだぞ。バティル。」
アレックスとレイナの言葉を聞いて、隠れている俺に向かってエルザは言う。
折角隠れて逃げ延びようとしていたのにも関わらず、エルザの発言で俺が聞いているのが丸分かりだ。
「…………………。」
愛する母に名前を呼ばれ、顔を出さない訳にはいかない俺は覗き込む形で玄関に顔を出す。
「バティル、話しようぜ!」
「…………嫌だ。―――ぐえっ!」
俺は元気に誘うアレックスに対して拒否をしたのだが、エルザが半身になって顔を出す俺の後ろに回って俺の体を持ち上げる。俺の脇にエルザの両手が入り、その手は昨日まで立てなかった人とは思えないくらい簡単に俺の体を持ち上げていた。
しかし、病み上がりのエルザの上で暴れる事は出来ない俺はされるがままにアレックス達の前に運ばれる。
「行って来い。」
エルザはそのまま俺の頭を撫でてから、俺の背中をポンッと押す。
背中を押された俺は一歩前に出て、それを受け止めるようにアレックスが俺の肩に手を回す。
「へへ、行こうぜ!」
――――――――――
俺はアレックスに肩を回されたまま、誰も居ない道を歩く。
村から少し離れた草原に腰を下ろし、何も言わずに空を見上げた。
「あの時はカッとなってごめん。」
沈黙が流れていた中で、初めにアレックスが切り出す。
「お前が去ってから、冷静になって考えたんだけどさ――」
アレックスは空を見上げていた視線を落とし、俺の方を向く。
「――お前が怯えているのは、全部俺のせいだ。」
冗談を言っている訳では無い。
真剣な顔で、真剣な目で俺に向かってそう言った。
「そんな事―――」
「そんな事ある。」
俺が言い切る前に、アレックスは遮るように強く言う。
「タンクって言うのは、お前がそうならない為にあるんだよ。
肉体的にも精神的にも守ってこそ、本当のタンクなんだ。
誰も死なない為に俺が前に出て、誰も不安がらない為に俺が先頭を切る。」
アレックスは再び空を見る。
「今回の俺は駄目駄目だった。
決死の覚悟でエルザに守って貰って、レイナに守って貰って、バティルに守って貰った。
本当は俺が真っ先にすべき事なのに………。」
アレックスは顔を落とし、握り拳を握る。
その手に握られた手は力強く握られ、力んだ手は怒りで震えていた。
「エルザがあんな状態になったのは、お前が仲間の死をリアルに感じて恐怖したのは、全部俺が弱かったからだ・・・・・・ッ!!」
握っていた手は更に力が入る。
「俺が弱いから、お前は死をイメージしたんだ。
だから俺はもっと強くなって、お前が心配しないくらい強くなってやる!!!」
アレックスは立ち上がり、空に向かって吠える。
「だからバティル、もう一度チャンスをくれ!
お前が不安にならないくらい強くなるからさぁ!!
もう1回一緒に戦おうぜ!!!」
アレックスは俺を見て、俺に手を差し伸べる。
「私も強くなる!
もっと皆を守れるくらい強くなって、誰かに守って貰わなくても戦えるくらいに強くなるから、だから一緒に強くなろう?」
横にいるレイナも立ち上がり、折れた俺には眩しすぎる言葉で励ましてくれる。
「……………………。」
しかし、俺は彼らの手を握れなかった。
そんな俺の反応に、アレックスの手は下に落ちる。
「お前が戦わなくても、俺は戦い続けるぞ。」
少し突き放すような声色に切り替わり、俺の視線は下る。
「お前が戦場に出なくても、俺はこれからも戦場に出続ける。
お前が居ない所で、お前の知ってる人は死ぬかも知れない。」
顔を伏せる俺に、アレックスは言葉を続ける。
「俺は覚えてるぞ。
お前は言ったよな、「強くないと生きていけない。守りたくても力が無いと蹂躙されるだけなんだ。」って。」
ああ、言った事がある。
確かそのセリフは、俺がレイナを励ます時に言った言葉だ。
「お前の言う通り、強くなると危険性は上がる。でも、強くならないと蹂躙されるだけなんじゃねぇのか? 今回の俺達みたいに。」
「……………。」
「俺がお前を守るように、お前も俺達を守れるようになれば良いじゃねぇか。
このまま剣を置いて、また龍神が来た時どうするんだ。
龍神じゃなくたって良い、お前より強いモンスターはこの世界にはまだまだ居るんだぜ? その時、またお前は逃げるのか?」
『逃げる』。
アレックスの言葉に俺は肩を震わせて反応する。
そうだ。
俺はずっと逃げて来た。
辛い事、苦しい事、怖い事。
前世の俺は、ずっと嫌な事から逃げる人生だった。
前世の俺は、ずっと惰性で生きる人生だった。
『エルザのような強い人になりたい』
この世界に来て、初めて出来た目標だ。
それから辛い事も、苦しい事も、怖い事も乗り越えてきた。
………そのつもりだった。
『悲観するのはもう止めだ。これからは、前を向いて生きて行く。』
俺の根っこは悲観的だ。
起きても無いのに「もしこうなったら」と考えてすぐ立ち止まる。
もし失敗したら、もし人に笑われたら、そう考えて何もしない日々を生きていた。
『惰性で生きて、何もやって来ないと、何にもない自分が出来上がる。』
今回の件で言えば、アレックスの言うように強くならないと問題解決できない。
ここで俺が立ち止まってしまえば、俺はこのレベルで止まる事になり、俺より強いモンスターと出会えば今回のように蹂躙される。
そして、俺が戦わなくてもアレックスとレイナは戦い続ける。
そこに俺が居なくても、彼らはそれぞれの意思で戦場に出るだろう。
それぞれの目標の為に、彼らは既に覚悟ができてる。
戦い続ける覚悟が。
レイナは「おじいちゃんの様に皆を守れるハンター」。
アレックスは「最強のハンター」。
俺は、エルザのように強くなって、それで………
『バティル、愛してる。生きてくれ。』
あの時の光景がフラッシュバックする。
あの時のエルザの目は、覚悟を持った目をしていた。
大事な物を守る為に、全てを投げ出す覚悟を持った目をしていた。
「……母さん。」
俺は視線を落としたまま、ポツリと呟いた。
もう二度とあんな光景は見たくない。
だから戦場に出るのが怖い。
でも、ここで立ち止まってしまうとこれ以上強くなれない。
これ以上強くなれないと、二度と見たくないあの光景が再現されてしまうかも知れない。
強くなりたかった。
エルザのように、強くなりたかった。
負け続けた人生だったからこそ、その強さに憧れた。
でも俺は、その先を考えていなかった。
強くなって、誰にも負けないようになって、その力を何に使いたいのかを決めていなかった。
強くなって、俺は何をしたかったのだろう。
強くなって、俺は何になりたかったのだろうか。
俺は何であの時、エルザに憧れたのだろうか。
「…………………。」
あの光景を思い出す。
両足が折れて、噛み傷や引っかき傷により全身から血を流しながら見た光景を思い出す。強さの象徴のような、圧倒的な強さで俺を蹂躙してたモンスターを返り討ちにするエルザの背中。
極めた者が辿り着く境地。
努力の結晶。
言葉は色々あるだろう。
目の前に広がるものは殺伐とした光景のはずなのに、その姿は美しかった。
怠惰だった俺が見た事の無い、極めた人の世界がそこにはあった。
その背中を見て憧れた。
それと同時に別の気持ちもあった。
それは……守る背中が格好良かったんだ。
俺はあの背中に安心して、あの背中がとても頼もしかった。
俺はエルザのように強くなりたいと思うと同時に、エルザのように守れるようになりたかったんだ。俺があの時、安心したように。
「一緒に戦おうぜ。俺がお前を守るし、お前が俺を守ってくれ。」
アレックスは再び手を伸ばす。
「あの時バティル君が私の前に出てくれたから、今の私がいるの。バティル君は自分の事を臆病だって言ってたけど、私はそうは思わない。バティル君は誰かの為に前に出れる人。それはおじいちゃんの精神で、私の精神でもある。」
レイナは一歩踏み出して、アレックスの横に並ぶ。
俺から見て左に立ったレイナは、それからアレックスの様に右手を出す。
「『怖がる事は悪い事じゃない。』それを教えてくれたのはバティル君。
あのとき私を守ってくれたように、私もバティル君を守るから……守れるようになるから、一緒に頑張ろう?」
二人の言葉に、俺は顔を上げた。
顔を上げた視線の先には、俺を見下ろす二人の視線があった。
そこには生前に俺の周りに居た人達が俺に向けていた濁った視線は無く、月明かりに反射した彼らの瞳は俺を真っ直ぐ見ていた。
その瞳はとても真っ直ぐで、とても純粋で、とても信頼してくれている目をしていた。
「―――ッ。」
こんな目で俺を見てくれる人は今まで居ただろうか。
否。
30年生きてきて、このような瞳で俺を見てくれる人など居なかった。
………俺は、彼らの期待に答えたい。
彼らの期待に答えて、エルザの様に強くなって………強くなって、この子達を守りたい。
そう感じた瞬間、俺は目の前の手を握っていた。
「へへっ!」
アレックスは握られた手を確認してニカッと笑う。
それから、俺の右手を握っていたアレックスはそのまま俺の手を引っ張り上げ、座り込んでいた俺の体を持ち上げる。
「ありがとう、俺を見捨てないでくれて。」
立ち上がった俺は、少し恥ずかしくて視線を外してしまう。
しかし、そんな俺の行動に「待った」を掛けるかのようにアレックスが俺の肩に手を置く。
「当たり前だろ、俺達はパーティーなんだからよ!!」
「うん、これからも一緒に乗り越えて行こうよ!」
下を向きかけた俺の視線は、再び正面にいる2人の言葉で前を向く。
2人は満面の笑みで俺を出迎えてくれる。
俺を真っ直ぐ見てくれるその瞳が、俺を肯定し、期待してくれるその瞳が、俺が剣を握る理由になる。
「うん。俺、もっと強くなるから………っ!」
もう目は晒さない。
俺は、目の前の2人を見てそう宣言する。
「ヘヘッ! ああ、やってやろうぜ!」
「うん! 私ももっと頑張る!」
星々が広がる空の下、俺たちは再び決意をする。
もう一度戦おう。
今度こそ失わないために。
大事な人を守れるように。




