第131話 母の温もり
―バティル視点―
龍神に襲われて1週間が経った。
この1週間の間に龍神は顔を見せることはなく、村の警戒は杞憂に終わる。
しかし、俺達が「龍神に襲われた」という事を嘘だとは言わず、1週間がたった今でも最大限の警戒をして貰っている。
あそこまで執拗に俺達を狙っていたから、村にまで来る可能性も考えられたのだが予想が外れた。
ここまで何も無いと嘘なんじゃないかと考える人が居てもおかしくないのだが、村の人達は俺達の事を信じて警戒を解かない。
それはエルザが目を覚まさないという事もそうだが、ハンター達の森の異常の報告によって信憑性が上がっているからだろう。調査に入ったハンター達の報告によれば、森の至る所が破壊され、大型モンスターが喧嘩したとは思えないレベルの荒れた大地があったそうだ。
そしてその森には今だにモンスター達が近付いていない事を見て、ただ事ではないと警戒感が高まっていた。
村がそんな感じで緊迫感が張り詰めていた中、俺はエルザから一時も離れる事はなく見守り続け、目を開けてくれる事を願ってエルザの横に座って待ち続けた。
尚も眠り続けるエルザに変化がなかった訳ではない。
初めの方にあった白斑が、日が経つに連れて次第に無くなり出していた。
体に馴染んでいるのか、少しつづだったが確かに白斑が無くなってきて、3日が経つ頃には全ての白斑が無くなっていた。
呼吸はしている、鼓動もしている。
そんなエルザの状況を見て生きていると思い、少し楽観的になっていた。
1日1日が過ぎていく度、俺の不安は膨れていく。
もう目を覚まさないのではないか。
目を覚まさない時間が過ぎて行くに連れて、その考えが頭の中でループする。
白斑が無くなって「それ即ち生命活動をしている証拠だ」と捉えて喜んでいたが、それから数日間も経って目を覚まさない絶望感は凄まじかった。
この1週間、俺はエルザと向き合っていた。
正直、俺がここまで人に固執するのが自分自身でも驚きだった。
ずっと1人で生きて来た俺にとって、他者に対しては冷たい人間だった筈だった。
口ではいくらでも「家族です」と言える。
それが本心ではなかったとしても、空気を読んでそう振る舞える人間だった。
エルザに対してそうだったとは言わない。
俺は本気でエルザの事が好きだし、家族だと思っていたし、尊敬していて、母親として見ている。
ただ「本当なんだろうか?」と自問自答しなかったと言えば嘘になる。
本当に俺はエルザの事を母親として見れているのだろうか、今だに打算が働いて動いてはいないのだろうか。
それを確かめる事が出来ず、悶々として生活していた。
そんな中で龍神に襲われた。
初めてまともに血を流すエルザを見て俺は動揺した。
完全無敵の超人だと思っていたエルザが血を流し、左腕と左目を失っているのが信じられなかった。
あの時からだったと思う、俺が恐怖を感じ始めたのは。
何か取り返しの付かない事をしてしまった時のような不安が全身を覆い始め、久しく忘れていた恐怖が体を支配していた。
それからエルザの死体を見た時、言葉にならない感情が内側から溢れ出した。
不安、恐怖、殺意、虚無。
全ての負の感情がそこにはあったように感じる。
そんな経験をして、大事な人が失うという経験をして、初めて本当の意味でのエルザを見た。
失って初めて本当に向き合う事になる。
俺にとってエルザは何なのか。
口では何とでも言えた。
「尊敬してる」「好きだ」「家族だ」「母親だ」「息子だ」「ずっと一緒にいる」
しかし、それが本当かどうかは失って初めて心意を問われる。
そして、一度失って俺は問われた。
――俺にとってエルザは『家族』だった。
今までの俺の言葉は本心だったのだ。
エルザの死体を見た時、エルザの再生された体をベッドで見た時、エルザがベッドから目を覚まさないこの時間。
絶望と希望と煩悶の時間を過ごし、俺は本心だったんだと分からされた。
たった2年。
しかし、その2年で俺達は間違いなく家族になっていた。
『バティル、私の息子になってくれてありがとう。』
死の間際、エルザが言ってくれた言葉を一言一句覚えている。
エルザは血の繋がっていない俺を、最後まで『息子』と呼んでくれた。
息子を思う母の愛を、エルザはその命を掛けて示してくれた。
一方は、命を懸けて『家族』を証明した。
もう一方は、失って初めて『家族』を自覚した。
だからこそ俺は、エルザの体が戻ってきた時に大いに喜んだ。
だからこそ俺は、エルザが目を覚まさない事に絶望した………。
もう一度、名前を呼んで欲しい。
もう一度、稽古をして欲しい。
もう一度、シチューを作って欲しい。
もう一度、ハグをして欲しい。
そんな事を考えながら、目の前で静かに眠るエルザを見守っていた。
――――――――――
「むっ。」
静かな寝室に何処からともなく声がする。
俺は頭を下にして俯いており、眠り続けるエルザを見て日に日に顔色が悪くなる事で自然と口数も減って声を出していない。
俺は何の音かと思い、音のした前方を見ようと顔を上げて前を見る。
見ると、目の前でエルザが目を開けていた。
その顔は寝起きにしてはしっかりとした顔つきで、眠気など一切ないと言わんばかりの目で天井を見上げていた。何なら、本当に今まで眠っていたのかと疑ってしまうくらいスッキリした顔で目を開いている。
――ムクッ。
エルザは何事も無かったかのようにスクッと上半身を起こす。
寝覚めの良いエルザのいつもの姿なのだが、俺はそれを見て呆気に取られる。あまりにも唐突で、あまりにもスッキリした寝起き過ぎて脳の処理が追いつかなかった。
「バティル、おはよう。」
エルザはすぐに隣に座っていた俺に気が付き、そう挨拶をする。
エルザの声を聞き、エルザが動いている事に俺の体が震える。
「か、母さん……?」
俺は夢でも見ているのでは無いかと思い自身の頬をつねるが、痛覚はこれが現実だと知らせてくる。
それを確認した俺は、止めていた感情が一気に流れ出る。
「母さん……ッ!!!」
俺は溢れる感情に従って、目の前のエルザに泣きながら抱き付いた。
そこには確かに母の温もりがあり、その温もりが更に俺の涙腺を刺激する。
大の大人が大粒の涙を流して泣いている姿に羞恥心が出てしまいそうな物だが、そんな事を考える余裕の無い俺はただただ泣いていた。
「心配掛けたな。」
エルザはそんな泣いている俺に優しくハグをする。
俺を安心させる為か、右手で俺の頭を優しく撫でる。
それが俺にとって嬉しくて、更に俺の目からは涙が流れる。
「……母さん、俺、俺……ッ!」
何かを言いたいのだが、感情がごちゃ混ぜになった俺の脳は上手く言語化にする事が出来ず、言葉にならない言葉で嗚咽となって外に出される。
エルザはそんな俺の言葉に対して、何も言わずにただ優しく頭を撫でてくれる。
「良かった。大きい怪我も無いみたいだな。」
エルザは優しく俺の頭を撫でながら、俺の体の心配をしてくれる。
眠り続けるエルザを見て、もう二度として貰えないと思っていただけに、対話が出来ないのではと思っていただけに、その言葉を聞いて込み上げる感情は計り知れない。
「――どうしたのッ!?」
俺が泣いている中、突然俺の後ろにある扉が勢い良く開かれる。
扉を開いたのはソフィアで、俺の泣き声を聞いて焦った様子で部屋に入ってきた。
「……――ッ!」
その直後にソフィアはエルザと目が合う。
ソフィアは驚きで一度喉が突っ変えてしまい、一瞬だけ固まる。
「エ、エルザ……?」
「ああ、心配掛けたな。」
驚くソフィアにエルザは淡々と答える。
その姿は正にエルザであり、ソフィアの知っているエルザだった。
「エルザァァァ!!」
ソフィアはそのままエルザに抱き付き、俺を含めて力強く抱き締めた。
「もう、心配したんだからね!!」
その手は小刻みに震えており、心から心配していたのが分かる。
「ああ、ありがとう。」
俺達の反応とは逆に、エルザは落ち着いた様子で答える。
しかしその顔には笑顔があり、エルザ自身も嬉しいのだとすぐに分かる。
俺達は、対話できる時間がいかに大切かを身に染みて理解した者として、一緒に居る時間がいかに大事な物かを理解した者として、噛み締めるように抱き合った。




