第130話 アルベルト
―エルザ視点―
「……ん?」
寝覚めの良い私は一瞬で覚醒して目を見開く。
視界には一面に青い光景が広がっており、白い雲がまばらにある事から空だとすぐに理解できる。
私は上半身を起こして周りを確認する。
上半身を起こして真っ先に目に入ったのはビエッツ村だ。
小さな村でモンスターに襲われやすい村だが、村長という英雄によってここ数十年は大きな損害は出ていない希有な場所である。
それでいて、私の愛した夫の故郷でもある。
ここから村が見える場所はすぐに分かった。
何せアルが私に婚約を申し出てくれた場所だから。
「これは……?」
確か私は龍神に剣を突き刺して自爆した筈だ。
なのにこの様な場所で目を覚ますと言う事は、私は死んだという事なのだろうか。
死後の世界について色々な意見があるが、私が聞いた話では天国とか地獄があると聞いていたので、そういう世界に行くのかと思っていたがどうやら違うらしい。
死後の世界では死んだ人と会えるという話も聞いた事があるので、アルや両親と会えるかも知れないと少しだけ期待していたのだが、少し残念だ。
「エルザ。」
そんな事を考えていると、私の後ろの方から名前を呼ばれる。
聞き覚えのある声色で「まさか」と思い振り返ると、そこにはアルが優しく微笑んで立っていた。
「アル!!!」
私は即座に体を起こし、目の前のアルを抱き締める。
アルの体は温かく、ずっとこの体温が愛おしかった。
ようやく会えた喜びで強めに抱き締めてしまう私に対して、アルは嫌な顔せず優しく私を包んでくれる。
そのハグの力加減が懐かしく、それだけで目の前のアルが本物だと理解できる。
「会いたかった、ずっと、会いたかったんだ……っ!」
「うん、僕も会いたかったよエルザ。」
それから暫く私達は抱き合った。
今まで離れていた時間を取り戻すかのように、一緒にいれる時間がどれだけ大切なのかを分かっているからこそ、私達は互いに抱き締めた。
自然と私の目からは涙が出ていた。
ずっとこうしていたかった。
あの冷たい手を握った時から、またアルの体温を感じたいとずっと思っていた。そうしてようやく、ようやくその願いが叶った。
「………。」
私は抱き合っていた体を離して、アルの両手を握る。
アルも私の手を優しく握り返して、互いに体温を重ねる。
嬉しい反面、素直にこの再会が喜べないのは何だろうか。
「アルが居るって事は、やはり私は死んだのか。」
現実世界でアルがこの姿のままで私の前に現れる事は二度と無いはずだ。
もう一度会えるとしたら、それは夢の中か死後の世界とかなのだろう。
龍神を巻き込んで自殺した事で、答えは自ずと決まってくる。
「………バティルが心配?」
アルは私の顔を見ただけで、私が考えていた事を当てて見せる。
私の顔は何を考えているか分からないとよく言われており、長い付き合いのソフィアでも的中率はそこまで高くないのだが、アルは一発で当てる所からも、私の事を理解してくれているという愛情を感じて嬉しさが込み上がる。
「ああ。……あの行動に後悔は無い。あれが戦場における最善手で、あれがバティルに対する最大の愛情表現だと思ってる。だが、やっぱりバティルを置いていくのは……寂しい。」
バティルには沢山の物を貰った。
あの灰色の世界を再び色のある世界にしてくれた。
朝、目が覚めた時に「生きたい」と思わせてくれた。
アルとよく話していた、子供と一緒に稽古をするという願いも叶えさせてくれた。
家族になってくれた。
「お母さん」と呼んでくれた。
歳をとっても一緒に居たいと言ってくれた。
そんなバティルに対して、ようやく母親としての自覚を持てたのにも関わらず、覚悟を持てたのにも関わらず、すぐに別れる事になって寂しい訳が無かった。
「バティルを愛してるんだね。」
アルは優しい目でそう言う。
「ああ、普段は大人っぽいだけど、子供みたいに喜ぶ所とかがあって可愛いんだ。」
「誕生日の時は凄い喜んでくれてたね!」
「ああ、見ててくれたのか?」
「勿論! ケーキは僕も食べたこと無いから食べたかったな〜。」
アルはあの時のケーキを思い出したのか、涎でも流しそうな顔をする。
「……少し気になったんだが、バティルはアルと関係あるのか?」
もう死んだという事もあり、気になっていた事を聞いてみる。
「いや、関係は無いよ。何で僕に似てて、何でエルザに出会えたのかは分かんない。別に僕も全知全能になった訳じゃないから、ほとんどの事はよく分からない。ただの傍観者だよ。」
「そうか。」
アルからの贈り物だと思っていたが、どうやら違ったらしい。
「でも、そんなの関係ないんでしょ?」
アルは少し悪戯っぽく試すように私を見ながら言う。
「ああ。バティルは私の子供だ。」
その言葉に、私は胸を張って答える。
離れ離れになろうが、あの子は私の息子なのだ。
「『私の』じゃなくて『私達の』だよ。」
「はは、そうか。そうだな。」
私の言葉に対して、アルは完璧な答えを答えてくれる。
アルが嘘をついて私に合わせる事など無いので、私にとってその言葉は何よりも嬉しい言葉だった。
「まあ、まだ会った事が無いから「お父さん」って呼んで貰えるか分からないけどね。」
「大丈夫だ。バティルとアルはきっと相性が良いだろうし、すぐに呼んでくれる筈だ。」
私とアルとバティル。
3人が並んでいる所を考えるだけで笑顔が溢れる。
あの家で親子3人、テーブルを囲って食事をすればきっと楽しいだろう。
朝起きて一緒に稽古をやって、一緒に汗を拭いて、アルとバティルがクエストに出るのだ。私はそれを見送って、帰って来た頃には薬草の匂いが手に付いていて、アルは平気な顔をして、バティルはきっと苦い顔をしているのだろうな。
「…………………。」
しかし、実際に3人が揃う事はない。
現にこの場にバティルの姿は無く、私とアルしかこの丘には居ない。
逆に考えれば、バティルが生きているという事の証明でもあると考えられるので、良い事ではあるはずなのだがやっぱり悲しい。
「バティルに会いたい?」
暗い顔になった私の顔を覗きながらアルは言う。
「……ああ、もう一度、お母さんと呼んで欲しいな。」
「母」という重みを感じる言葉でもあるが、私にとってはそんなプレッシャーよりも幸福感が勝る言葉だ。あの言葉のおかげで、私は立ち直ることが出来たと言っても過言ではないだろう。
「この丘を降りれば、バティルと一緒に居れるよ。」
バティルと一緒に居れる。
その言葉に私は伏せていた目を上げて反応する。
視線を上げた先にいるアルは尚も優しい目でこちらを見ており、その声色には冗談は含まれていなかった。
「あの村に向かえば、君はバティルと一緒に居られる。」
アルは私と繋いでいた手をそのままに、私の体を後ろに見えるビエッツ村へ振り返る様に誘導する。アルと並ぶ形となりながら、私はアルの故郷である村をアルと一緒に見る。
その光景はあの時と一緒だった。
アルが私に婚約を申し込んでくれた、あの時の光景そのままだった。
私は驚いた顔をしてアルを見る。
そんな私にアルは何も言わずに小さく頷く。
いくら鈍感な私でも、アルが言いたい事はすぐに理解できた。
これはきっと、『どっちか1つを選ばなければいけない』のだ。
アルと一緒になる為に死ぬか、バティルと一緒になる為に生きるか。
そのどちらかを選ばなければいけないのだろう。
両方を取る事は出来ない。
「………………。」
しかし、悩みはしなかった。
―――ザッ。
横並びに並んでいた私は一歩を『踏み出す』。
その先にあるのはビエッツ村であり、バティルと一緒にいると、『生きる』という選択だった。
母親として、これからもバティルの成長を見守りたい。
どちらを取るかを決める天秤は、今の私には意味が無い。
母親としての覚悟を持った私にとって、子供を取る以外の選択肢など無かった。
私は一歩を踏み出した後、アルの方へ振り返る。
「愛してる」と言っておいて、アルを選ばなかった私の選択に対してアルが機嫌を損ねてしまっていないか不安が頭を過ぎったが、そんな不安は杞憂だった。
アルは寧ろ笑っていた。
私の決断に一切不満のない、純粋な笑顔で振り返った私を出迎えてくれていた。
迷う時間が無かった事を、寧ろ褒めるくらいに純粋な笑顔で笑っていた。
「エルザ。」
アルは私の前に移動して、優しく名前を呼ぶ。
「急に居なくなってごめん。君を置いて行った事が、君に別れを言えなかった事が、僕の後悔だった。」
アルは申し訳無さそうにそう言った。
「もっと君と一緒に居たかった。もっと君のシチューを食べたかったし、もっと君と未来の話がしたかった。稽古をして一緒に汗を流すのが好きだった。散歩をする時、隣りにいる君の体温を感じるのが心地良かった。」
全て覚えている。
短い時間にも関わらず、アルとの思い出は一時も忘れる事はない。
「エルザが隣に居てくれたおかげで、僕は救われたんだ。」
アルはご両親を亡くしている。
婚約を告げてくれた時、アルは「1人で生きると決めていた」と言っていた。
「僕を、愛してくれてありがとう。」
アルは正面にいる私の目を見てそう言った。
「さようなら」とは言わない、感謝を込めた言葉で締める所がアルらしい。
その言葉を聞いて、今度は私の番だと思い口を開く。
「私も、ずっと1人で生きて行くつもりだった。」
賞金首に追われていた日々が長すぎて、疑心暗鬼になっていた私は一生1人で生きて行くのだろうと思っていた。ましてや男と付き合うなんて考えられない時期だった。
「アルと出会って剣以外の事を知った。誰かの為とか、誰かが喜んでくれるとか考えた事が無かった。でもアルと出会って、意味のない物だと思っていた事にも意味がある事を知ったし、好きな人に、アルに喜んで貰える事をするのが楽しい事だって知ったんだ。」
「人の為のハンター」。
アルの精神を直接見る事で、私の視界が広くなったあの感覚を今でも鮮明に覚えている。
「アルと一緒に居て、朝起きるのが楽しみになったんだ。今日は何をしようとか、あれをする予定だからあれを準備しようとか、アルに喜んで貰う為に今日はあれをしようとか、生きているだけで、一緒に居るだけで幸せだった。」
以前の私は生きる事に囚われていたと言って良い。
両親の願いを叶える為に、人を殺してでも生きて続けた人生に疲れていた。だから、前向きに生きたいと思わせてくれたアルには感謝していて、そうさせてくれたアルを尊敬している。
「だから、私の方こそ、私の……ほう…―――」
言葉を発する前に、走馬灯のように今までの思い出が思い出される。
アルとの出会い。
アルと付き合う時。
アルと初めてを経験する時。
アルと移住する時。
アルと一緒に過ごす日々。
アルが婚約を告げてくれた時。
アルと一緒に姉さんに結婚報告をする時。
アルと共に結婚式を挙げる時。
アルと一緒に稽古をする時。
アルと一緒に料理を食べる時。
アルと一緒に散歩をする時。
アルと一緒に寝る時。
アルと一緒に起きる時。
どれも私にとって掛け替えのない思い出だ。
一瞬たりとも幸せじゃなかった時間は無い。
言葉を言い切る前に、私は自然と涙が出ていた。
その涙は止まる事がなく、最後に言おうとしていた言葉が出て来ない。
それを言ってしまうと本当に終わりなのだと理解しているからか、未練がましくも声が吃って言葉が言えない。
しかし、言わねば後悔が残るのは明白だ。
私は止まらぬ涙を両手で拭き取り、尚も溢れ出す涙を流したままアルを見る。アルはそんな私を落ち着いた様子で見守ってくれていて、私の言葉を待ってくれる。
私は震える唇をなんとか動かす。
「―――私の方こそ、私を愛してくれてありがとう。」
アルが最後に「ありがとう」と言うのなら、私もアルに「ありがとう」と返すべきだろう。全ての思い出に感謝を込めて、愛をくれたアルに感謝を込めて、私はそう言った。
そんな私にアルはハグをする。
優しく包んでくれるアルの腕に抱かれて、私の涙は再び溢れる。
しかし、これが本当に最後のハグだと分かっているので、私もアルに感謝を込めてハグをする。
温かく、心地よく、安心できる。
そんな時間が流れる。
そこから私は手を離し、涙を出し切った私はアルを見る。
「アル、私は『前を向いて生きるよ』。」
ずっと言えなかったこの言葉。
嘘でも言えなかったこの言葉を、今度こそアルに言う。
その言葉は私にとって、アルを置いて行くような気がして言えなかった。
でも、生きると決めた私は、バティルと一緒に居ると決めた私は、ようやくこの言葉を口に出す。
「うん、見守ってるよ。」
そんな私の言葉に、やはりアルは笑って答えてくれる。
アルを忘れる訳では無い。
でも、アルを見て、後ろを見て生きるという事を止めると言う私の言葉に、アルは「問題ない」と答えてくれたのだ。
その言葉に、その思いに私の心は救われる。
もう涙はない。
私も微笑み、アルを見る。
アルは短く頷いて、私もそれに答えて短く頷く。
もう言葉話いらない。
私は振り返る。
息子に会いに、私は道を歩き出した。




