第123話 肉片
―バティル視点―
目の前で爆炎が吹き荒れる。
森だった地表は広範囲に捲り上げられ、茶色い地面の上で龍神の頭が爆発する。
もう何度目かは分からない熱波が俺達の全身を襲い、眼球の表面が火傷しそうになる感覚を受けて反射的に顔を覆う。
瞬間的な爆炎はすぐに収まり、森に爆発音が反響していた。
俺は熱波と暴風が去った視界の先を見る。
そこには頭の無い龍神が血を吹き出して倒れようとしていた。
爆発によって打ち上げられた龍神の肉片が、雨のように降って俺達を赤く染める。
―――ベチャッ……。
俺の前で何かが落ちてくる。
目の前の光景に呆然とする俺は、その前に落ちてきた肉片に対して反射的に視線を動かす。周囲にも肉片は落ちているのにも関わらず、何故それを見たのか。
それは、その肉片だけヒラヒラとした体毛があるように見えたからだ。
龍神にはそんな体毛は一切ないはずなのに、一瞬見えたヒラヒラした何かは何なのだろうと反射的に思ってしまったのだ。
「―――………へ?」
その肉片に付いた体毛は赤色だった。
所々が焼き切れたりしていて縮れているが、元は綺麗な体毛だったのだろうと想像できる艷やかさが今だに残っていた。
肩には爆発により吹き飛ばされた刀が刺さっており、右腕は原型が無いほどに崩れている。右足は皮一枚が繋がった状態で千切れでいて、前面は爆炎と鱗により火傷と切り傷が酷い。
美しかった顔は左頬に巨大な鱗が突き刺さっていて、以前の面影は一切感じない程にグチャグチャになっていた。
……その肉片だと思っていた者は、エルザだった。
「わあああああああああああああ!!!!!」
俺は今だに麻痺している足を引きずりながらエルザだった《《物》》に近付く。
混乱する脳が反射的にエルザに向かっていた。
「ぁあぁ、ぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ………!!!!」
脳が完全に処理し切れない状態で、俺はエルザを抱きかかえた。
「母さん! ぁぁ、こんなの……母さん、母さん、母さん!!!!!」
抱き上げたエルザの体は軽かった。
左腕、左脇腹の欠損、全面の肉が捲れて大量の血が流れているので体積が無いのだ。
俺は全身にエルザの血が付着しようが関係なかった。
下垂れ落ちる血液がエルザの生命力が無くなっていくように見えて、無意味なのにも関わらず掬って体内に戻そうとする。
「レイナ…! 母さんを治してくれ……ッ!!」
エルザを抱き抱えたまま、後ろに居るレイナに懇願する。
しかし、レイナは涙を流しながら居た堪れない様な顔で下を向いて、頭を横に降っていた。
アレックスも同様で、苦い顔をしてエルザの亡骸を見ていた。
その2人の顔を見て、行動に出てくれない事に対する怒りは湧いて来なかった。
そこにはただただ絶望感が増すだけで、どうしようも無いのだと突き付けられているようだった。
だが、認めたくない。
こんなの受け入れられない……!!
「ソフィアさん! ……誰でも良い……誰でも良いから…ッ! 母さんを治してくれ……ッ!!」
エルザの体をギュッと抱きしめ、喉から血が出そうになるほど声を張る。
曇天の空に向かって俺の叫びは吸い込まれ、虫の声が1つもしない森に掻き消える。
「…お願いだ。お願いだから……俺の、母親なんだよぉ………。」
誰も反応しない。
誰もエルザを治療してくれない。
無音の世界で、俺の声は寂しく風に流される。
「ちょっと待て、何だあれ……。」
アレックスがそう言って指を刺す。
声に反応して俺は後方に居たアレックスに目を向けると、アレックスは俺の前方へ指を指していたのでそちらを見る。
すると、倒れていた龍神の死体の真上に黒い霧が渦の様になっているのが視界に映った。
何事かと思いその霧を見つめていると、黒い霧は龍神の死骸に降り注ぎ、グチュグチュと音を立て始める。
見ると、龍神の吹き飛んだ頭部、首付近が少しづつ再生してた。
「マジかよ……ッ!」
アレックスはそう呟き、俺の方へ走り出す。
俺は次から次に目まぐるしく変わる戦況に着いて行くことが出来ずにいると、アレックスが俺の肩に手を乗せた。
「バティル、まだ終わってねぇ! 再生しきる前に早く行くぞ……ッ!!」
アレックスはそう言うと、俺の肩に手を回す。
しかし、アレックスのその手は俺が抱き抱えているエルザには振れておらず、俺だけを運ぼうとしている意志を感じた。
「母さんは、母さんも連れて行ってくれ………ッ!」
アレックスは俺に視線を向け、一瞬だけ苦い顔をして下を向く。
しかし、すぐに顔を上げて覚悟を決めた顔で俺を見る。
「時間が無い、余力も無い、置いていくしか無いんだ………ッ!」
「で、でも……ッ!」
俺はアレックスの言葉を理解しつつも、感情の方はそれに納得が出来なかった。
アレックスは先の一撃で傷付いたようで、無理やり動いた事で傷が開いたのか、脇腹から血が滲み出ていた。
「じゃあ誰がエルザを運んで行くんだ。レイナは俺達の装備を持って貰ってる、俺はお前を担いでる。龍神の野郎は再生してて、再生しきる前に距離を離さなきゃならねぇ……ッ!」
龍神の翼は斬られている。
恐らくエルザとの戦闘で斬られてのだ。
だから空を飛んで俺達を追い掛ける事は出来ないだろう。
しかし、龍神には足が残っている。
ズタズタにされているが、ブレスを吐いた時にしっかりと地面に固定されているのを見るに健在なのだと判断できる。
満身創痍の俺達。
それでいてレイナは本来力持ちでは無いのにも関わらず、俺達の装備を持って貰っていて、アレックスも歩けない俺を担いで走らねばならない。
ただでさえ疲弊した彼らに、エルザを担いで龍神に逃げ切れるのか。
……答えは分かってる。
「でも、でもぉ………。」
俺は駄々っ子の子供のように、そう呟くしか無かった。
頭では分かってる。
でも、それでも、ここでエルザを置いて行きたくない。
俺が運べれば全て解決できるのだが、俺の感情に俺の体は答えてくれない。
今だに痙攣する足が、俺の混乱を笑っているようで鬱陶しい。
―――ガシッ!
そんな駄々をこねる俺に、アレックスは胸ぐらに掴みかかった。
頭を下げていた俺の顔は跳ね上がり、強制的にアレックスの眼光に視線が向かう。
「もう忘れたのかッ! お前の母親は、お前に『生きろ』って言ったんだ! 死体を運んでくれとは言ってねぇ……ッ!!!」
胸ぐらを掴んで放たれた怒声。
アレックスと一緒にいた時間が長いが、ここまでの怒声は1度も向けられた事はない。しかし、そんなアレックスの言葉に反抗心は微塵も湧き出る事は無かった。
何故なら、目の前のアレックスの瞳には涙が溜まっていたから。
アレックス自身も辛いのだと、その溜められた涙を見れば理解できる。
それでも決断し、俺達を守る為に最善の行動をしようとしているのだ。
「〜〜〜ッ、――………。」
そんな顔を見せられて、俺はどうすれば良いんだ。
「エルザを連れて行って欲しい」という感情と、「そんな事をしては俺達の命も危ない」という理性がぶつかる。未だにエルザの死を受け入れられない俺の脳はパニック状態であり、正常な判断が出来ない。
理性と感情のぶつかりにより、アレックスに胸ぐらを掴まれて持ち上げられた俺の体は、力が抜けてストンッと抜けて地面に座り込む。
どうすれば良いか分からない。
怒涛の流れに俺の脳は着いて行けない。
着いて行けない俺の脳は、体は、何も考えず、力も入らなくなった。
「今は……それで良い……。」
アレックスは放心状態のバティルに向かって呟く。
バティルは何の抵抗もすること無くアレックスに持ち上げられ、バティルの頭はアレックスから見て後ろを見る形に持ち上げられた。
アレックスはエルザの死体を1秒ほど見つめて、それから少しづつ再生している龍神に視線を動かす。
龍神の頭部はアレックスの行動を知っているからなのか、バティルを持ち上げたタイミングで少しだけ再生の速さが上がっているようだった。
「クソ……ッ! レイナ行くぞ、霧を出してくれ!」
「うん……!」
俺の視界とは逆方向に進んでいく世界の中、俺の視線はエルザだけを一点に見ていた。走る事の出来ない俺は、遠ざかるエルザをただ見つめる事しか出来なかった。




