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ベンチに座ったリューカは膝の上に菓子を広げ、それをもくもくと食べながら考える。
(勇者を勇者たらしめるものとは)
最近魔王討伐ものの小説を読み漁っていたリューカである。それら類似点を挙げることは容易い。
(まずは強大な敵、それはわらわという魔王がいるのだから問題ない。そして敵を倒す動機。あやつはすでに魔物に対する憎しみを十分に抱えておるのだからこれも良い)
実際にアランの街を焼き払ったのは魔物ではないとリューカは確信しているが、些末なことである。しかも勘違いしてもらっていた方が都合が良い。
(あとは、なんぞや……試練と困難、それを乗り越える仲間、乗り越えて得る勇者としての力……)
「……面倒だのう」
全部リンドになんとかさせよう、とリューカは思った。あの男はろくなことを言わない・やらないが、その実そこそこ有能である。
ベンチに座るリューカの前を、様々な年恰好の人間たちが行き交う。街人たちは時に忙しそうに慌ただしく、または家族づれで何やら話しながら騒がしく、中にはのんびりと散歩している風の者もある。
リューカはぼんやりと眺めながら、リンドと境界で出会った時のことを思い出していた。溢れんばかりの憎しみに満ち、敵討ちのことしか頭にないといった風に、リューカを睨んでいたリンドの姿。
(稲穂色の髪、琥珀の瞳。あやつがあれを失ったのは惜しかったな)
リンドはリューカの力によって、「魔物もどき」となった。魔力を使うことも、特異な体質を得ることもしなかったが、老いることはなくなり、そして魔界の瘴気の中でも生活ができる。同時に、彼の髪も目も、魔の眷属であることを示すかのように黒く染まってしまった。
リューカはあれを残念に思う。
またひと組の家族がリューカの前を通り過ぎ、若い夫婦と子供の笑い声が耳に入る。その夫をリンドに置き換えても違和感なく思える。魔王の側近となることで彼が失った人間としての人生、そのかわりに得たもの、それは、
「へいへい、貴族のお嬢ちゃんがこんなとこで何やってんのお〜」
物思いにふけるリューカは、自分を取り巻くように立つ三人の男にそこでやっと気づいた。顔を上げると、それぞれに体つきがよく、防具とマントを身につけた男たちがニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。兵士か何かだろうか。
「ウヒョ〜かわいこちゃんじゃん、なに、声かけられ待ち?」
「ちょうどよかった、お兄さんたちと遊ぼうぜ。」
「ぎゃははは、大丈夫、お兄さんたち怖くないよ、やさし〜いからね」
阿呆が三人、とリューカは思った。
特に興味もわかず、また菓子の咀嚼と考えごとに戻る。
「ちょっとちょっとお、無視はダメだよお〜」
「俺たちこう見えて、ちょっと偉い人たちだからね?」
「そうそう、逆らうとこわ〜い目にあっちゃうかも」
(リンドのことはよい。あやつは何を言っても聞かん。やはり勇者だ。わらわに立ち向かってくる勇者が欲しい)
「……聞いてるう?あっあっそうやって無視続けちゃう感じ?」
「うわ〜よくないよ〜?それって賢くないよ〜?」
「あ〜あ〜、かわいそうになあ、大変なことになっちゃうなあ」
(あの小僧をさっさと勇者にする術はないものか……何かこう、名目的にあやつが勇者だと認められるような……)
「……すげえ無視するじゃん。おい、やっちまおうぜ」
「そうだなやっちまおう」
「やっちまおうって何を?え、なんで俺を見んの、俺がやんの?何を?」
(そうか、「力がある」ことにしてしまえばよい。適当にあと何人か人間を捕まえて、仲間としてあてがい、適当な魔物を倒した風のシーンを演出する。それを他の人間に目撃させればよいではないか)
「なんかこう、無理やり連れ去るとかさ」
「そうそう」
「えっどこに?カフェ?」
リューカの計画は再び穴だらけであったが、本人は名案を思いついたとばかりに勢いよく顔をあげる。そこに戸惑う三人の男を見つけて、首を傾げた。
「なんだ、まだおったのか」
男たちは馬鹿にされたように感じたようだ。一人がずい、とさらにリューカに近づき、その手を彼女の肩にかけようと伸ばした。その時、
「リリ様」
「リンド、遅いぞ」
男の腕を掴んで止め、ベンチの背後からリンドが顔をのぞかせる。その横には小ぎれいな服を上下に着込んだアランの姿もある。
リンドは眉を寄せ、黒い瞳は責めるようにリューカを見ている。
「知らない人と話してはならないとお伝えしたではないですか」
「そのように言われた覚えはないな。それに、話してない」
「なんだてめえ、引っ込んでろ!」
腕を掴まれたままの男が凄むが、リンドは気にしない様子だ。男の手を掴んだまま、視線はずっとリューカに向けられている。いっそ乞い願うような切実な表情で、
「下卑たものに寄らないでください。人間界にはこういった下品で汚いものが多いのです」
主人のエロ本を売りさばく人間が言うことではないとリューカは思った。それに、リューカが自ら近づいたわけではない。
「おい、離せよ!はな……力つよっ」
「てめえ、なんなんだよ、やっちまうぞ」
「え、こいつもやっちまうの?」
ふと、リューカはひらめいた。先ほどの計画だ。目の前の男たちはよくわからないが悪そうな雰囲気であるし、試してみるにはちょうどいいのではないだろうか。
「アラン」
「えっ」
急に名指しされたアランが戸惑いの声をあげる。
リューカはぴょこぴょこと手招きし、ベンチの後ろに立っていたその小柄な少年を前に来させる。立ちふさがる男三人の横に並ぶような位置だ。状況を飲み込めない様子で、おどおどと歩み寄るアランにリューカは、
「よし、殴れ」
「えっ」
男三人とアランが同時に声をあげ、リューカを見る。
防具をつけた屈強な男三人と、小柄で痩せ細った少年。しかも「これから殴りますよ」との事前予告つきである。アランの表情は困惑を極めている。
「殴れ。蹴りでもよい。なんでもよいからこの者たちを排除せよ」
「リリ様、言葉遣い言葉遣い」
「ああ?ああ……いいから、やって」
やってと言われても。
三人の男はアランをじっと見る。アランも三人を見返した。困惑の度合いとしては双方に同じようだ。
動かない男たちにリューカは小さく舌打ちする。愚鈍な人間どもだ。
「早く」
「え、いや、あの……」
「早く」
「リリ様、リリ様、無理があります」
リンドが後ろから口を挟む。リューカはリンドを振り返り、ではお前がなんとかしろと上目遣いに睨む。リンドは心底嫌そうな顔をしたが、それでも彼は魔王の側近である。理由がわからずともそれが王の意向であれば、従うだけだ。
「アラン……そのものたちを魔物だと思いましょう」
「え、ええ……?」
思えと言われて思えるものでもない。普通に人間である。
だがリンドはたたみかけるように続ける。
「魔物です。あなたの家族を殺した魔物。村を焼き払い、あなたから全てを奪った魔物」
静かなリンドの声がアランの脳裏に響き渡り、あの日の惨状を思い起こす。
「父の遺体を見てどう思いましたか?母を、妹を探しながら、どんな気持ちでしたか?なぜ、どうして自分たちが、そう思いませんでしたか?」
赤々と燃える村。こと切れ、物言わぬ屍と化した父。何度、誰の名前を叫んでも、誰の返事もない。ただただ、炎が爆ぜる音だけがする。
「つらい、悲しい、憎い。あなたは無力だ。弱い自分、何もできない自分。悔しいですね。魔物に手も足も出ない。何度境界を見つけようと、あなたは何もできない」
アランはあの日、自分の心が死んだと思った。残るのは憎しみと、自分の無力さへの怒りだけ。境界を探して回った。だがそこに足を踏み入れようと、アランに魔物に立ち向かうだけの力はなかった。
「でもこれからあなたは変わる。力を感じなさい。魔物への怒り、自分への怒り、それが力です。あなたは強い。誰よりも強い。そして魔物を倒す。家族への贖罪を果たしなさい」
魔物を倒すことでしか、アランは家族に詫びる方法がない。あの日不在にしたこと、誰一人助けられなかったこと、一緒に死ねなかったこと。魔物を倒せば、そうすれば、
「……さあ、アラン、魔物がいますよ」
それは、洗脳。
アランはその一瞬、確かに眼前に魔物をみた。頭がかっと熱くなり、倒せ、殺せとそれしか考えられなくなる。一番近くにいた男の腹をめがけてその拳を突き出す。ありったけの怒りを込めて。それが当たるか当たらないかという瞬間、
大きな衝撃音とともに、男たちは三人まとめて吹き飛んだ。
「……え」
思わず声を漏らしたのはアラン自身だ。吹き飛び、先ほどまでアランたちがいた服屋の露店をめちゃくちゃにして、逆さまになって服の山に刺さっている男たち。その光景と、自身の拳を何度も見返す。服屋の店主が悲鳴をあげている。なんだなんだ、と周囲の人間も騒ぎ出した。
「……リリ様、ちょっとやりすぎです」
「加減がわからんかったのだ。人間相手に力を使ったことなどない」
リンドとリューカはこそこそと話す。
「それより、なんだお主のあれは。勇者とは光を背負うものであろう。あれでは完全に闇堕ちではないか」
「いやあ、私にはあの方向にしか誘導できそうになかったので……」
魔王の配下らしい行いであったのは間違いない。
「あんた……あんたがやったのかい!?」
人混みから中年女性が勢いよく出てきて、アランに言う。リューカとリンドは会話をやめそちらに目を向けた。
「え、あ、た、多分……」
「ありがとうよ!ああ、スカッとしたよ」
急に感謝を告げられ、アランは困惑した。わらわらと周囲から人が集まり、アランを取り囲むと、口々に感謝を告げる。
「おう、兄ちゃんすげえな、どうやったんだ!?」
「あんなやつら、見せかけだけで軽かったんだろう!いやあ最近偉そうにのさばってる傭兵どもが多くてね。俺たちも辟易してたんだ」
「あいつらは国王が金を出して集めた傭兵集団の仲間さ。全く柄も頭も悪くてね、その上国王の威光をかざして好き放題やるもんだから手に負えねえ」
ありがとう、ありがとうと人々から声をかけられ、よくやったと肩を叩かれ、戸惑っていたアランの頬に赤みが差す。
「よっ勇者!」
「リリ様、やめてください」
後ろからヤジを飛ばすリューカを、リンドが止めた。