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リューカが建物に足を踏み入れると、いくつかの視線が自分に集まるのを感じた。だが魔王たるリューカは注目されるのに慣れている。堂々と入り口に仁王立ちし、周囲を眺めた。
剥き出しの木壁に囲まれた空間は、中にいるのが屈強な男ばかりということもあり、無骨な印象だ。建物の中は広く、正面にカウンターと、左右の壁には掲示板のようなものがそれぞれに置かれている。どうやらその掲示板に依頼が書かれた紙が貼り付けられていて、受けたいものを選びカウンターに持って行くというシステムらしい。
「おい嬢ちゃん、そこどいてくれ」
背後から野太い男の声が聞こえたかと思うと、リューカは声の主の腕によって雑に横に退かされる。反射的に魔力で攻撃しようとして、慌ててやめた。リンドにあれだけ口酸っぱく言われておいて、着いてそうそうというのはさすがに気がひける。
本人にその気はなかったが、実際リューカは入り口を完全に塞いでいたので自業自得であった。
「おーい、ちょっとこいつ、誰か面倒見てくれねえか」
「あらドクさん、なあにその子」
男はドクという名前らしい。リューカは会話を聞いて初めて、大柄な男の後ろに隠れるように、細身の少年が立っていることに気づいた。薄汚れているが綺麗な金髪をしている。ボロ布をまとい、靴のサイズもあっていないようだ。
「リリ様、リリ様、置いていかないでくださいよ!」
やっと復活したらしいリンドが建物内に入ってきた。リューカの視線の先を追い、ああ、と声をあげる。
「……あの少年、どうやら境界にいたようですね」
リンドのいうところの境界とは、人間界と魔界の境界のことだ。二つの世界は密接に関係し、隣り合って存在しており、時たま「境界」と呼ばれる歪んだ空間が生まれることがある。人間も魔物も意図せずしてそこで邂逅することがあるが、大抵はなんの害もなく閉じるものだ。
その上、リューカが発生してからは魔界のほころびをこまめに確認しているから、よほど魔物側、または人間側が「そうしよう」としなければ、自然発生の境界はごく稀にしか見られない。
カウンターではドクがその低い声を響かせて紹介所の女性と話している。
「俺ァ魔物討伐の任務に当たってたんだが、どうやらこいつは境界に迷い込んでたようでな。まとめて助けてきたが、家族も家もねえって言うし……」
「あらまあ、孤児?かわいそうにねえ。でもここじゃ預かれないよ。教会に行ったらどうだい?」
中年の女性は同情に満ちた声をだし、眉を下げて少年をみる。少年は答えず、俯いたままだ。
リューカとリンドはこそこそと話す。
「リンド、孤児とはなんだ」
「親と死別したり捨てられたり、まあ住むところも頼る相手もいない子供のことですねえ」
リューカには親はないので本質的にはよくわからなかったが、そういうものがあるとは理解した。つまりあの少年は身寄りがないということなのだろう。リューカは改めて少年をみる。
すると、それまで黙っていた少年が絞り出すような声をあげた。
「……僕、僕……教会には行きたくない」
決意を示すようにぎゅっと自身の手を握り、少年が顔をあげる。金髪に隠れていた翠玉の瞳、強い意思の光を宿したそれが、痛みに耐えるように歪められている。
「僕、強くなりたい。強くなって、父さんたちを殺した魔物をやっつけたい……!」
(あ、勇者候補)
リューカとリンドはその瞬間同じことを考えた。
「ちょ、ちょっと出来すぎでは……?」
再びこそこそとリンドが言うが、リューカは聞いていない。
「リンド、あの子供を拐え」
「えええ、この状況でですか?私あの大きな男性に殴られそうで嫌なんですが」
「では他の手段でも良い。あやつを勇者にするぞ。なんとか手に入れろ」
到底人権を無視したリューカの発言だが、従順な側近リンドは渋い顔をしながらもしばし考え、そしてカウンターに歩み寄る。
「あの……」
突如として会話に加わった黒髪の優男に、大男と少年は同時に振り返った。リンドは柔和に微笑み、常と打って変わって冷静な様子で、とうとうと話す。
「お話は聞かせていただきました。これも何かのご縁でしょう、こちらにいらっしゃるリリ様はちょうど、下働きの者を探しているのです。どうです、我々に仕え、同時に剣の腕を磨きませんか」
リンドが名前を出すと同時に、少年と男の視線はリューカに注がれる。リューカは真顔で立っていたが、ここは微笑むべきとの賢明な判断を下し、できる限り「優しそうな」笑みを浮かべてみる。
実際その笑みは獲物を前にした狩猟者のそれに近かったが、服装と髪型の印象でなんとかなった。少なくともリューカはそう思った。
リンドは二人の視線を自分に戻すように続ける。
「あなたの決意、ご立派だと思います。ですがまずは生活の糧を見つけなければ。リリ様はお優しい方です、あなたの身の安全は保証しますよ」
「……あの人さっき、今すぐにでもとって食うぞって顔を……」
「リリ様は少々表情の硬いお方なのです。よく誤解されます。ええ」
なんとかなっていなかった。
「……貴族に仕えるなんて……僕は、礼儀もわからないし……」
「これから身につければいい、そうでしょう?それともあなたの覚悟はその程度ですか?」
リンドは優しい笑顔のまま、煽るようなことを言う。その目が本当には笑っていないことがリューカにはわかった。
「復讐をしたいのでしょう?ならば手段など選ぶべきではない。本当に仇が憎く、相手を同じだけ苦しめたいと思うならば、取れる手は全て取らなくては」
リューカは、今は琥珀色のその瞳で、じっとリンドを見つめる。
「……あんたに何がわかるんですか」
「わかりません、あなたの境遇はね。でも、私はそうした。その上でのアドバイスです」
リンドはそう言って、改めて安心させるように柔らかく微笑んだ。美しく整った、どちらかというと冷たい印象を与える顔の男がそうすると、人は変に信用するらしいとリューカは学んだ。
少年はまだしばし迷っていた様子だったが、十分にリューカたちを待たせた後、とうとう言った。
「……僕を、雇ってください。僕、なんでもします」
そうしてリューカは勇者(候補)を無事に手に入れたのであった。