11
「余の何がおかしい……お前たち凡夫は何もわかっておらぬ、この世の泰平を真に為すには犠牲を払わねばならぬのじゃ。生贄を捧げ赦しを乞わねば」
「……国王様、あなたは何も見えていない」
広場に集まった群衆が、テラスでの騒ぎに気づき始める。下からざわめきが広がり、自分たちに注目の目が集まり始めていることがアランにはわかった。フィニがそっとアランの手を握る。勇気付けられているのだと気づいて、アランは一層目に力を込めた。
国王は、豪奢な服に身を包んだ、ただの老人だった。その目は何も見ていない。アランのことも、フィニのことも、この国に住む人々のことも、何も。ただ見えない恐怖に襲われ、ありもしない闇に囚われている。
「何も見えていないのはお前たち愚民どもだ。魔王がくる……魔王がくるぞ。生贄を捧げねば……」
上から聞いていたリューカは微妙な気持ちになった。やっと正しく自分を恐れる者が現れたと思ったが、ちょっとなんか違う。魔王が現れない時代が長すぎて、解像度が低いですよね、などとリンドが横で笑う。かたやロリババア魔王、かたや生贄を食う魔王。リューカはちょっと悲しくなった。
「……あなたはどうやってその生贄を決めたんですか?」
アランの声は妙に冷静だった。
「僕らの村だけじゃない、焼き払われ、女子供ばかりが連れ去られたのは、地方の小さな村ばかりだった」
その答えをアラン自身多少気づいていた。だが、指示した本人の口から聞きたかったのだ。
王はアランの言葉で、彼が生贄に選ばれた村の出身だと気づいたようだ。しかし悪びれもせず、嘲るように歪んだ笑みを浮かべる。
「はは、取るに足らない存在から選んだまでよ!あまり派手にことを起こせば愚か者どもが抗議の声を上げるだろう。だが王都から離れた村々など、誰も気にはしない」
アランはずっと考えていた。どうして自分たちだったのだろうか。どうして自分の父で、母で、妹で、どうして自分たちの村が焼かれなくてはいけなかったのだ。
取るに足らない人間、この人はそう思って決めたのだ。選んだわけでもない、誰も気にしないような村であれば、どこでもよかった。
アランは自分の腹の内に煮えたぎる怒りを感じた。グラグラと溶岩のように熱く、今にも吹き出しそうな怒り。リンドの言葉がふと頭に過ぎる。怒りは力だ。自分には力がある。この老いた男に復讐する力、苦しめ、痛めつけ、そして許しを乞うその頭をはねる力。
(憎い、僕はこの人が憎い。殺してしまいたい……殺せる。僕には力がある)
「リンド、あやつやはり闇堕ちしておるぞ」
「あちゃ〜、思った以上に素直な少年でしたねえ」
呑気な魔王と側近の言葉はアランに届かない。逆に、徐々に大きくなるのは広場からの喝采だ。殺せ!殺せ!と人々が口々に叫んでいる。その言葉が更にアランの背をおす。
そうだ、殺すんだ。父の、母の、妹の。それから無数に失われた名も知らぬ人々の仇を、自分なら果たせる。いま、ここで、
「アラン」
ちりちりと焼けつくように熱いアランの思考を止めたのは、フィニの落ち着いた声だった。溢れそうな憎しみをそのままに振り向けば、フィニはまっすぐにアランを見ている。
「憎しみに囚われてはだめ。私たちは前に進むために来たのよ、留まるためじゃない。忘れないで。間違えちゃだめ」
アランは、フィニが握った自分の右手から、暖かい何かが伝わってくるのを感じた。それは人の温度であり、それ以上の何か形容しがたい、柔らかな力のようだった。
「大好きな小説でもリッたんが言うのよ。『復讐は何も生まぬ。憎しみに自らを見失うな。先に進みたくば、日のさす方を目指せ』」
(魔王そんなこと言うか?)
リューカはリンドに投げやりな視線を投げかけたが、側近は見て見ぬ振りを決め込んだ。
フィニはもう一度強くアランの手を握り、それから少しいたずらっぽく笑う。
「それに、ここからは私の見せ場でしょう?残しておいてくれなきゃ!」
フィニはそう言うと、すう、と大きく息を吸い込み、
「みなさん、聞いてください!ここにいる私たちの国王様は、魔王の幻想に囚われ、国の人々を生贄に捧げていました」
彼女が張り上げた大声は、それでも広場までは十分な距離があったはずなのに、おかしなほどよく響いた。広場は静まりかえり、誰も彼もがフィニを見ている。
「抗議したものは罪人として刑に処されました。こんなことは間違っています。私たちはその間違いを正すために、ここに来ました!」
そこでフィニは一歩国王に近づき、男をテラスの柵に寄せるようにして広場に顔を向けさせる。国王の顔が眼下の人々によく見えるように。
「さあ、国王様、何か仰る事はありますか」
「う、うあ……魔王が、魔王がくるのだぞ!わからぬのか、魔王はもうそこまで来ている、この国を滅ぼそうと……余の命を狙っておるのだ!王を守ることは国民の務めであろうがっ、なぜその栄誉がわからぬ!」
確かに魔王はすぐこそまで来ていたので、王の発言は当たらずとも遠からずであったが、それを知るのは魔王本人とその側近、そしてアランとフィニだけであった。
「……王様、魔王を退けるのは生贄ではありません。人々がそれぞれに持つ力、信頼と親愛の力」
アランがそう告げ、フィニをみる。少年の瞳はもう曇ってはいなかった。フィニは笑って頷き返す。
「そうです。見てください!この国はその力に満ち溢れている!」
「リリ様」
「うむ」
フィニがその細腕を宙に向かって掲げたと同時に、アランは背後から大きな水瓶を抱え上げ、中の水を勢いよくぶちまける。リューカの魔力が水をすくいあげ、空中に大きな水球をつくったかと思うと、
パン!
「眩しい!な、なんだこれ……」
「キラキラしてる……聖なる光……?」
「光が……聖女……聖女なのか?」
「聖女だ!」
微小な粒に破裂した水が、太陽の光を反射しながらキラキラと広場に降り注いだのだ。それはあたかも聖なる光が天から差し込んだかのように。
リューカとリンドは屋根からその様子を眺めていた。
「リリ様、さすがです」
「ふん、造作もないことだ」
小さな小さな輝きがいくつも広場に落ちていくのを眺めながら、アランはまるで夢を見ているようだと思った。一つ一つはささやかな光であるのに、無数のそれらが大きな輝きとなって人々を包んでいる。
「なるほど、だから晴れの日じゃなきゃだめだったのね……」
フィニはリンドの思惑にやっと気づき、ため息をつく。リンドのシナリオは、結局自分を聖女に、そしてアランを勇者として仕立て上げるものである。
魔王にたてつかない名義上の勇者と聖女をつくれば良いのでは、と思っての計画だったことは、リンドだけが知っていた。
「こんな……聖女だと……」
国王は目の前でおこった「奇跡」に呆然と立ち竦む。目の当たりにした聖女の力は、王が永らく恐れていた姿のない魔王への恐怖よりも、何倍も現実的に感じられた。
広場では聖女、聖女、と声が上がっている。そこに混じるようにして、勇者、勇者との声も聞こえ始め、アランは眉を下げた。勇者の役目は水をぶちまけるだけだったから。
「……父上、あなたは耄碌された。もうご隠居なさると良い」
声とともにテラスに出て来たのは、王国の正装に身を包んだ身綺麗な青年。フィニは教会の礼拝でその人を見たことがあった。この国の第一王子、ルミエールである。
青年の後ろには何人もの騎士が付き従っているようだ。リューカが空間を繋げ直し、彼らはやっとテラスにたどり着くことができたのである。
「う……うう……聖女、勇者……」
国王はもう心神喪失の風であった。青年は騎士達に命じ、老人を部屋に連れて行かせる。そうしてから、アランとフィニに目を向けた。
「聖女と勇者、か。実に都合の良い話だ。先ほどの力、そなたらが使ったようには見えなかったがな」
冷たい視線に射抜かれ、二人はギクリと身を縮こませた。王子がどこから見ていたのかはわからないが、どうやら仕掛けが見抜かれてしまったらしい。鋭い視線はテラスの屋根にも向けられ、もはやアランとフィニは生きた心地がしなかった。
「……まあいい。陛下にはもともと退いていただくつもりだった。乱暴な手段に出ず済んだことには礼を言おう」
言外に恐ろしいことをにおわせ、美麗の貴公子は足を進める。それから、広場の群衆に向かって語りかけた。
「皆の者、いまこの時を持って国王はその地位を退き、私ルミエールが国王となる。我らは聖女と勇者を擁する国。その聖なる力の導きに従い、住まう人々一人一人にとって、より良い国となるよう勤めよう」
広場から大歓声が上がった。王子はその様子にもにこりともせず振り返る。
「名乗りをあげたからには、役立ってもらうぞ。『聖女』と『勇者』よ」
アランとフィニは自分たちが思いも寄らない事態に巻き込まれていることに、そこでやっと気づいたのだった。
「あやつ、悪そうな人間だのう」
「人間なんてどれもそんなものですよ。さ、帰りましょ帰りましょ」
一方の魔王と側近は他人事のようにその光景を眺め、それからさっさと魔界に戻ったのであった。




