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今代魔王はおおよそ50年前に発生した。魔王は漆黒の艶やかな髪に紅玉の瞳をもつ、小柄な女であった。外見は人間の少女のそれだが、出るとこが出ている。
「ちょっと待て」
それはあたかも魔王発生を祈願した何某かのうち、特定の誰かの性癖をそのまま反映させたのかのようであった。黒髪ツインテールの髪型もその説を強化している。
「してない」
尊大な口調でありながら性格はツンデレ、その見た目と属性から魔界を支配するロリババアなどと魔物たちは呼び、彼女がひどい目にあうタイプの18禁二次創作に励んでいることを魔王は知らなかった。
「おい!今知ったぞ。ロリババアとはなんだ!?リンド、即刻やめさせよ」
それを推奨し、人間界書店への流通を手がけているのが彼女の側近であったこともまた、魔王には知る由もないことであった。
「リンドぉおおおおおお」
魔王、リューカ・ウェディエム・バラガスは側近の男の首根っこを掴んで叫んだ。
「お、お、お主、なぜそのような」
「資金繰りですよ。リリ様が人間界の菓子ばかり食べたがるから、あちらの通貨を得るために……」
「そのような、聞いておらなんだぞ!もっと早く言えばわらわとて人間の菓子など」
「……食べないんですか?」
魔王の側近、リンドは黒髪をさらりと揺らし、同色の目を細めて白々しい笑みを向ける。リューカは、う、と言葉に詰まった。
まさしくこの瞬間、アフタヌーンティと称して人間界の菓子を目の前に寛いでいる状態では、全く説得力がない。
「別の資金調達方法を探せ!なぜよりにもよってそんな方法を選ぶ」
「魔界の文化発展促進と資金調達、その上人間界における魔界のイメージ向上といいことづくめでしたので」
「尊厳!わらわの尊厳は!!」
リューカは怒りにうち震えながら訴えるが、男はどこ吹く風だ。目を細め、にっこり笑う。
「大丈夫です、リリ様が本当は初恋もまだのピュアな乙女だと、私はちゃんとわかってますから」
何が大丈夫なのか。
リューカは怒りに任せて魔力の炎で男を焼こうかと思った。だが魔王の側近でありながら元人間のリンドにそれをすると、瞬く間に消し炭になってしまう。この男がいなくなると、誰が自分の身の回りの世話をするのか。
大して悩みもせず、リューカはそれをやめにする。かわりに、レース編みのブーツでその脛を軽くこずいておいた。リンドは大げさに、ああ痛い痛い、ひ弱な私には今の一撃で儚い命のともし火が消えそうです、などと騒いでいる。うざいなこいつ、とリューカは思った。
ーーー
リューカは魔王として発生した瞬間から今の見た目で、これ以上成長することもない。姿形は変えようと思えば変えられる。だが発生時の姿は魔物たちの願いを反映するらしいし、リューカ自身今の見た目で困ったことはないので、そのまま過ごして50年余りが経つ。今ではリンドの着せ替え人形のごとく、いそいそと楽しげにこの男が持ち込む服を着て、好きに髪をいじられている。
黒髪ツインテールもリンドが毎朝髪を丁寧に梳り、結い上げているものなのだ。
リューカの生活は毎日同じだ。
朝起きて、魔物たちの話をきき、優雅なアフタヌーンティを楽しんだあと、今度は魔界の様子を見て回る。
「……飽いたな」
リューカの呟きに、耳ざとい側近が首を傾げた。
「なにかお持ちしましょうか?リリ様がお気に入りだった悪役令嬢シリーズとか」
「いつの話だ。リンドよ、流行りとは繰り返すものなのだ。いまわらわは典型的な魔王討伐ものを読んでおる」
「うわあ、自虐趣味」
正しいが、余計なお世話である。
主人に対する礼儀を知らない側近は哀れみの目まで向けてきたので、リューカはテーブルのナプキンを投げつけた。
「わらわが生まれてもう半世紀だぞ。なぜ勇者は現れない?魔王あるところに勇者あり、世の必然であろうが」
「うーん、そうですねえ」
それはおそらく今代の魔王が人間界への侵略などを行っておらず、勇者が魔王を倒す意義が存在しないからでは、とリンドは思ったが黙っておいた。
そんな側近の胸の内など知らないリューカはしばらく黙って考え込み、それから、
「わかったぞ。勇者をつくれば良いのだ!」
名案とばかりに瞳を輝かせるリューカに対し、リンドは胡乱な目を向けた。
「……ゴーレム造りですか?粘土まだあったかなあ」
「違う!人間を連れてきて、なんかこう、苦渋を味あわせ、そして魔王への憎しみからわらわに立ち向かうよう仕向ければよいのだ!」
「苦渋って、例えばどのような」
「わからん。そういう細かいことを考えるのはお主の仕事だろう」
結局細かいところは全て側近任せの主人に、リンドはあからさまなため息をついた。
「リリ様、人間は魔界では生きられません。瘴気にあてられすぐ死んでしまう」
「だが勇者ならば!」
「でもリリ様が連れてくる時点ではただの人でしょう。死にます」
計画はあっけなく破綻した。だがリューカは諦めない。
「ではこちらから出向こうではないか!」
「はい?」
「人間界に行くのだ。それでなんか適当な男をさらって監禁して、苦渋を……」
「苦渋ってだからどのような」
「うるさい!お前が考えろ!そうと決まれば出発だ」
言い捨てて、リューカは勢いよく立ち上がった。それからテーブルに並ぶ菓子の数々を目に止め、む、と考えてからまた座り直す。
「食べたら行くぞ!リンド、仕度せよ」
「……」
リンドはなにか言いたげにしつつも、リューカの空になったカップに紅茶のおかわりを注いだ。