おそろし森の呪われた魔女 ~コミュ障でひきこもりなのに、きらきらイケメンに求婚されました~
用無しとなったから、森の中でひっそりと暮らしていた。
訪ねて来る人間などそう多くはない。なぜなら、ここは「おそろし森」と呼ばれて恐れられる場所だからだ。しかも、自分は「呪われた魔女」である。
だというのに、半ば森と同化しつつある小屋の戸を叩き、訪いを告げる者がいた。
恐る恐る扉を開くと、木漏れ日に輝く金髪、青い瞳の若い男性が立っていた。身長が高く、見上げる顔は白くて日の光を反射する。
まぶしい。
とんでもなく、きらきらしい男の人はイザーク・バストルと名乗った。
「ああ、グスタフ・バストルさんのご関係者ですか」
すぐに以前、ここへやって来た男性のことを思い浮かべる。近くにある村人以外で訪ねてきた人間は、グスタフ・バストルしかいなかった。
「祖父を助けていただき、ありがとうございます。あのときの約束を果たしにまいりました」
「まあ、ご丁寧に」
視線を微妙に逸らして目を合せないようにしながらエステルはそう言った。
(わ、若い! イケメン! まぶしくて直視できない。こ、こわいぃぃぃ!)
エステルはあまりにも人と接しない生活を送るうち、すっかりコミュ障となっていたのだ。こんなきらきらしいイケメンと目を合わせられるはずもない。
そんなエステルに、イザークは跪いた。
「あなたと一夜を共にするために参りました」
こともあろうに、イケメンはエステルの黒歴史を突き付けて来た。
(そ、それはもう忘れて下さい! 蒸し返さないで! わたしが悪かったです! ごめんなさいぃぃぃぃ!)
エステルは半泣きになりながら、見上げて来る青色の瞳と視線が合いそうになって必死で明後日の方向を向くのだった。
エステルの家は代々医者の家系だった。
長女として生まれてきたエステルは、次もその次の子も女の子が生れてきたので、将来家業をつくために懸命に学んでいた。けれど、母が四人目の子供を授かり、出産したときにその努力は水泡に帰した。
男の子が生れてきたのだ。
エステルは不要になったとばかりに、嫁に出されることとなった。家門の中から婿を取るはずだったが、その話もなくなった。上の妹はすでに嫁ぎ、下の妹も結婚が決まっている。
エステルは年増だからといって、ずいぶん年の離れた男性に嫁ぐことになった。女好きのでっぷり太った品性下劣な男だった。それでも仕方がない。そう思っていたのに、婚約者は結婚する前に死んでしまった。不摂生が祟ったのだ。
会ったこともない婚約者ではあったが、その結婚が立ち消えになったことにこっそり安堵していたのだが、その罰が当たったのかもしれない。
次の婚約者はやはり年配の男性で、これが四度目の結婚なのだという。初めの奥さんと離婚した後、二度目三度目はそれぞれ病死と事故死で離別しているのだという。
そのことを噂で聞いたとき、エステルは俄かに不安になった。
彼の四度目の結婚も長続きしなかったらどうしよう。
しかし、その心配は杞憂となる。
今度は、その彼自身が事故に遭い、帰らぬ人となったのだ。
行かず後家が立て続けに婚約者を失ったということから、いつからか、エステルは呪われているという噂が立った。
エステルは納得がいかなかった。なぜなら、二番目の婚約者は三人の離別を迎えてもそんな噂は立たなかったからである。
彼女の不満をよそに、縁談はこなくなった。両親が奔走するも、呪われた女を妻にすれば自分にも害が及ぶと嫌がられた。
とうとう、諦めた両親は、今まで学んできた薬草の知識を活かせとばかりに、エステルを修道院へ送ることにした。
修道院へ向かう途中、馬車が崖からすべり落ちて下の森へ真っ逆さまとなった。
エステルは二度目の婚約者は死してなお、結婚もしていない自分を死の淵に引きずり込むのだと恐ろしくなった。
しかし、エステルは生き延びた。
気づけば、馬車から投げ出されていた。そこは昼なお暗い森が広がっていた。
御者も馬も助からず、エステルは苦労して硬い地面を掘って彼らを埋葬した。そこは魔獣が跋扈する「おそろしの森」と呼ばれる場所だった。野ざらしにして遺体を荒されては可哀想だと思ったのだ。
さて、やることがあるうちはまだ良かった。
なんとか土をかぶせた後、へとへとに疲れ果てながら、これからどうしようとようやく考えるに至った。
疲労のあまり正常な思考をできなくなったエステルはふらふらと森をさまよった。煮炊きするかすかな匂いがしてきて、お腹が空いていたエステルは自然とそちらに向かった。
森に同化するように建つこぢんまりした小屋から灯りが漏れている。エステルが扉を叩くと、しばらくして開いた。
「ひぃっ!」
仲から出てきた老婆が飛びあがらんばかりに驚いた。
「あ、あんた、なんて格好をしているんだい!」
後に「おそろし森の魔女」と呼ばれる薬師だと判明するのだが、彼女に「魔女を驚かせる女」と何度となく繰り返し言われたものだ。
魔獣がうろつく森で暮らす豪胆な老婆をして驚かせるほどの格好を、エステルはしていた。黒い髪は乱れ、顔に張り付き、手足はどろどろで衣服はあちこち破けていた。
「死の使いがお迎えに来たのかと思った」
そんな風にも言った老婆は、ともかくエステルに温かいスープと硬いパンと干し果物を与え、たらいに湯を満たしてくれた。人心地ついたエステルはこれまでの事情を話し、自分をここに置いてほしいと言った。
小屋の中にはあちこちに薬草が吊るして干されている。棚には粉末やら葉や根、実が詰まったガラス瓶が置かれている。それがなにに使われるのか、エステルには予想がついたのだ。
「そうさね、あんたは魔獣が跋扈する「おそろしの森」に落ちたんだ。生きてはいまいとして、死体がないままに葬式が執り行われるだろうね」
エステルがなんとなく考えていたことを、老婆ははっきりと突き付けた。
家に帰っても自分は厄介者であり、不幸になるのが分かる結婚ですら、話はもう来ないだろう。だったら、ここでひっそりとエステルができることをして生きて行く方がマシだ。
そうして、森の魔女と暮らすうち、時折やって来る近隣の村人から漏れ聞く話から、老婆の予想が正しかったことが判明する。噂の中にはエステルの葬式の話があったのだ。
エステルはこのまま魔女に弟子入りして余生をひっそりと過ごそうとした。
森の薬師の元には近隣の村人だけではなく、知性ある魔獣もやって来た。
「ひっ!」
毛むくじゃらな類人猿の姿の魔獣を見たとき、エステルは身がすくんだ。
「あたしの気持ちが分かったかい」
師匠がにやにや笑う。
「魔獣といっしょにしないでください!」
「そうだね。あんたは魔獣と言うよりも、死の使いのようだったよ」
どっちがマシかはとっさに判別がつかなかった。
エステルは忙しい毎日を送っていた。魔女にこき使われて、ひたすら薬草の処理をして、家事をして、自分の境遇を嘆く暇もなかった。枕を涙で濡らすというが、ベッドに倒れ込んだとたん、泥のように眠って泣いている暇もない。
幸いと言っていいのかどうか、類人猿の姿の魔獣たちは人に近い恰好のせいか、用いる薬草、薬効に大きな違いはなかった。
今まで学んできた知識と、老婆から新たに得る情報とで、エステルも魔獣の治療に当たった。そうせざるを得なかったのだ。ある日、大勢の魔獣が大挙したからだ。
「こりゃあ、小競り合いがあったね」
「戦いがあったんですか?」
「なあに、ちょっとした喧嘩さ」
そう言う老婆に指示されて動きながら、エステルも裂傷に薬を塗ったり包帯を巻いたりと、魔獣に触れることとなったのだ。
魔獣ははじめ、見知らぬ人間がいるとエステルを警戒したが、老婆が気にせず動き回るせいか、すぐに存在に慣れた。それどころか、人語を解するようだ。
「夜に熱が出るかもしれません。その場合はこの薬草を煎じて———とにかく、根を齧ってください。苦いですけれど、我慢して。少ししたら楽になりますから」
人に対するように処方を伝えたが、さて、魔獣にどうやったら理解させることができるのかと思ったとき、こっくりと頷いて、エステルから薬草の根を受け取ったのだ。
そのときの、エステルの感動といったら。
エステルは巻いた包帯をそっとさすりながら、熱を持っても濡らしてはいけない、どうしてもつらければ冷たい石を当てるように、と言った。
さて、そのひどい傷を負った魔獣はしばらくしてからまた小屋を訪れた。
エステルは慌てて掃除道具を放り出して、魔獣に駆け寄り、具合が悪くなったのかと心配した。
魔獣はふるふると頭を左右に振る。
「ダイブ、ヨクナッタ」
「まあ、良かったですわ。でも、一応、傷を見せて下さいね」
言って、包帯を解き、具合を見て再び薬を塗った。
「熱はもう出ませんか?」
てきぱきと包帯を巻きながら、この毛むくじゃらにも負けず、上手くできるようになったとこっそり悦に入っていた。
「ウン」
「一応、また根をお渡ししますね」
「デモ、ソレ、ニガイ」
鼻に皺を寄せて牙を見せる魔獣が、なんだか人間の子供がする仕草のように思えた。
「あら、良薬口に苦しですわよ」
そう言って笑って、ようやっと自分が魔獣と会話をしていることに、エステルは気づいた。
「えぇー!? しゃべっている! あなた、人の言葉をしゃべれるの?」
「ウン。チリョウ、アリガトウ。コレ、オレイ」
「あら、お礼なんて———」
「もらっておきな。こんなところの生活なんざ、そいつらの寄越す物で成り立っているのさ」
後ろから伸びた手が、ひょいと魔獣が差し出すもののうちのひとつを取り上げた。師匠である森の魔女だ。
「おや、珍しいキノコだ。売れば高値になるよ」
老婆は摘んだキノコを矯めつ眇めつしてにんまり笑った。
「でも、それを乾かして粉末にしたら目覚ましい薬効の薬になりますわ」
「あんたの好きにおし」
言って、ぽいとエステルに向けてキノコを放って来る。
高額となると言ったキノコをあっさり返されて、エステルは唇を緩ませる。こき使うけれども、ゴウツクバリではないのだ。
「これは、歯痛に効くのよ。もし痛くなったらまた来てね」
エステルは霊薬とも言われる痛み止めの薬ともなる素材を手に入れ、浮き浮きと魔獣に言った。それが、彼女の運命を大きく変えるとは知らずに。
魔獣の口は大きい。歯も大きい。犬歯は牙と言える。
歯の治療は大きく三つに分けられる。
むし歯が進行した箇所を削り、詰め物やかぶせものをする。
炎症が起きた歯ぐきに対する外科手術や歯を固定するなどといった処置。
そして、喪失した歯を補うことだ。
むし歯や歯ぐきの炎症がひどいときは抜歯を行うこともある。
さて、口の中というのはデリケートである。
しかし、痛みを抱えたままでは食事をするのが辛い。食事をきちんと採れなければ、活力が湧かない。野の獣としては死活問題である。
霊薬の素材となるキノコをもたらした魔獣から伝わったものか、しばらくしてから歯の痛みを訴える魔獣がやって来るようになった。
最初はおっかなびっくり治療していたエステルは次第に大胆になった。
今では診察台を作ってそこに魔獣を横たわらせ、ベルトで額と四肢を固定し、歯の治療に当たった。
「ぎぃやぁぁぁぁっぁあぁ」
「がぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
「ぐぃぁぁぁぁっぁ」
治療中は悲鳴が響き渡る。
「あんた、まるで魔獣を虐待しているみたいだよ」
「なんて言い草! 治療ですよ、治療」
エステルはとっさにそう返事したが、老婆が呆れて言うのも無理からぬことなのだ。
なにせ、とにかく、魔獣が悲鳴を上げ続けるのだ。しかし、それに怯んでいては治療にならない。
「暗いわ。魔道ランプがほしい! 小型のやつ!」
「あんたねえ、小型の魔道具なんて、たとえランプでもどのくらいすると思っているんだい!」
「だって、こう暗かったら、よく見えないんですもの。余計なところも削っちゃいそう」
さて、エステルの老婆への返答は、患者である魔獣もしっかり聞いていた。余計なところを削られては敵わんと思ったのか、いくつもの魔石を持ってきて差し出す。
それはまるでみかじめ料か巻き上げかといった態であるが、あくまで治療代である。
「まあ! これで超小型魔道ランプが買えますわ!」
「あんた、魔獣を転がすのが案外上手いね」
「わ、わたしの欲しいものではありますが、これは治療に役立つものなんですよ」
「そうさね。だから、魔獣たちもこんなに魔石を持ってきたのだろうさ」
さて、魔獣ランプは可動式の台に取り付けられ、エステルの治療はさらに磨きがかかった。
「いいこと? 治療の痛みは一瞬、歯の痛みは一生よ。あなた、せっかくのご飯を美味しく食べられなくても良いの?」
赤い瞳としっかり視線を合わせて言うエステルに、魔獣はがくがくと頷く。
いつぞやの魔獣がもたらした歯の痛み止めのキノコは治療代がわりに持って来てくれるから、薬には困らない。
「ああ、硬いわ。いつかは削る魔道具をオーダーメイドしたい!」
そう言いつつ、エステルは魔獣たちの治療に励むのだった。
その魔獣はひと際大きく、そして魔力が豊富で魔法を使うのだそうだ。
「歯の痛みにはそんなのは関係ないわね」
診療台に固定されて不満げな魔獣に、エステルはそう言った。
力があるからこそ、自分が傷つけられる機会は少なかった。だから、痛みに弱かった。
しかも、無防備な口の中をごりごりとやられたのだ。痛みのあまり、ついうっかり呪いをかけてしまったのだという。
「うっかりじゃないわよ! なんなのよ、ついって! 軽々しくかけないでよ!」
治療が終わったエステルは呆然となる。
しかも腕利きの魔法使いでも治せないのだという。当の本人にもだ。それでも、治療を受けたのだからと魔獣はなんとかかんとか、呪いを捻じ曲げて、「不老長寿」にまで変化させた。
不老長寿。
人によっては願望するもので、富と権力を持つ者は喉から手が出るほど欲しがるものだ。
しかし、動物が自然法則から外れる際には相応の副作用が発生する。歳を取らないということは子孫を持てないということに通じた。
エステルは子供を持つことができなくなった。しかし、彼女はそう悲観的にはならなかった。
「いいわよ、どうせ、恋人なんてできやしないんだから」
森の中で暮らすうち、すっかりコミュニケーション能力が低下してしまったのだ。もはや、人の目を見て話すことができなくなっていた。
治療や診療ならば良い。なにせ、患部を見ながらならば、話すことができる。世間話はできないが、必要な治療の話ならば、すらすら出て来る。
だから、時折訪れる村人の誰も彼女がコミュ障だとは知らない。
エステルは特に、同年代の異性とは話すことなどできなくなった。
その頃には、「おそろし森の魔女」は代替わりをしていた。
師匠は生きているが、ぶらり諸国漫遊の旅に出た。自由人である。
「あんたにはもう教えることはないよ。ひとりでできるだろう」とは言っていたが、単に気が向いて違う場所に行きたくなっただけだろう。
ひとりになってみて初めて、エステルは家族がほしくなった。自分の子供を持ちたくて仕方がなくなったのだ。
森の中で必死に生活しているうちに大分時間が経っていて、父母も妹たちも弟ももうすでに亡くなっているだろう。
では師匠はどうか。あれこそ不老長寿ではあるまいか。
魔女ってすごい。
一度、勇気を振り絞って森の中を進み、あのひと際大きく魔法を使う魔獣を見つけ、どうにか呪いが解けないかと詰め寄ったことがある。
魔獣は言った。
「ジブンニ、セキガアル。ノロイヲ、ヘンゲンサセヨウ」
大がかりな魔法は三日三晩続いた。大量の魔力をつぎ込んで、呪いをなんとかふたたび捻じ曲げることに成功した。
しかし。
「わ、わたしには、そんなこと、できない……」
後はエステルの努力次第ではあったが、できる自信はまったくなかった。
その日は朝からしとしとと雨が降り続いていた。
魔獣は長毛だから、体温を奪われにくいが、それでも濡れることを嫌ってあまり外を出歩かなくなる。だから、朝から薬草の整理に取り掛かっていた。
小屋の前にどさりとなにか重いものが置かれる気配がした。エステルが戸口へ行くと、ちょうどノッカーが叩かれる。
扉を開けると、魔獣が意識を失ったけが人を連れてきていた。
美形である。外見はエステルよりも年上に見えるが、大人の落ち着きがあるとも言える。なお、実年齢はエステルの方が大分上だ。
エステルはある期待を持って治療をした。
意識を取り戻した男性に魔獣うんぬんは伏せ、森の中で倒れているところを発見して治療したと話した。
「ありがとうございます。あなたは命の恩人です。ぜひともお礼をさせてください」
エステルは来た、と思った。こうなる展開を予想していたのだ。
ごくりと喉を鳴らして、エステルはありったけの勇気をかき集めて言った。コミュ障を発揮し、目を合わせないまま。
「わ、わたしと一晩共寝してください!」
息を呑む気配がする。
エステルは視線を合わせないまま待った。沈黙を痛く感じる。
「いや、わたしには妻がいるのです」
「そ、そうですよね」
忘れて下さい、と言うエステルの慌てぶりに、男性は彼女がなんらかの、悪巧みをしているのではないと悟った。
彼女は年若いけれど、治療も的確で、なにより見ず知らずの行き倒れを助ける善人だ。
となれば、あんなことを言い出したのはなにか事情があるに違いないと男性は考えた。
「息子はいるが、すでに婚約者がいる。そうだ、魔女殿は不老長寿だと聞く。ならば、孫ができたら寄越そう」
男性は律儀で誠実でもあった。グスタフ・バストルと名乗った彼は報恩しなければならないと思い定め、二十数年後、孫を寄越した。
そして、その孫であるイザーク・バストルが訪ねて来たのだ。
「おそろし森」の呪われた魔女のもとにやって来る人間などそう多くはない。
だというのに、扉を開けると、木漏れ日に輝く金髪、青い瞳の高い身長のうつくしい男性が立っていた。
とんでもなく、きらきらしいイザークは以前、治療したグスタフへの恩義を返すためにやって来たのだ。それは、呪いを解きたいがあまりに言ったエステルの自分勝手な言葉を思い出させた。
若さはまぶしさだ。自分は不老となったけれど、こんな輝かしさはない。ならばやはり、不老長寿とは呪いそのものである。
子供を持てなくなったという呪いを、魔獣は捻じ曲げてくれた。
「子供を持てたら、呪いは解ける」という風に。
生物として子孫を残すことで、老いることができるようになったのだ。
人としゃべる機会すら少ない自分にどうやって閨に持ち込めと!
なんていう無茶なことを。
コミュ障であるエステルにはあまりにもハードルが高い条件だ。しかも、治療したことを盾にするという卑怯な手を使って、あっさり失敗した。そこで、一夜だけなのだから配偶者がいようといまいと関係ないと押し切れるならば、コミュ障にはなっていない。
「まあ、一夜を共にして子供ができるかどうかなんてわからなかったし!」
などと妙な強がりを後から言ってみて、より一層へこんだものである。
その黒歴史をイケメンに突き付けられたエステルは泣きそうになるのを堪えるので精いっぱいだった。
イザークはバストル家の長男であり、尊敬する祖父の命の恩人の願いを叶えて欲しいという要望に、いくら敬っていても易々とは頷けなかった。
しかし、祖父が伊達や酔狂でこんなことを言い出す人物ではないと知っている。
ならば、その「呪われた魔女」とやらの人となりを確かめようとおそろし森へやって来た。
何度も繰り返し聞いていた森の中を進むうち、世にも恐ろしい悲鳴が聞こえて来て、思わず抜刀した。
馬を木につなぎ、慎重に進むと、今にも崩れ落ちそうな小屋の前に突き出した庇の下、一見して高価な小型魔道ランプを備え付けた台に魔獣が縛り付けられている。悲鳴はその魔獣が挙げていて、それに覆いかぶさるようにして長い黒髪の魔女がなにかしている。
魔獣をおどろおどろしい儀式の生贄にしているのだとしか思えない光景だった。
それを見た瞬間、尊敬する祖父とはいえ、とんでもない宿業を背負わせてくれたものであると思った。まさしく呪いの儀式に携わる魔女と一夜を共にせよなどとは。
もちろん、貴族の子として生まれたからには、縁談は家門を守るためにする。それにしたって、この森の魔女とは、絶望を感じずにはいられない。
けれど。
「いいこと? 治療の痛みは一瞬、歯の痛みは一生よ。あなた、せっかくのご飯を美味しく食べられなくても良いの?」
赤い瞳としっかり視線を合わせて言う小柄な魔女に、魔獣はがくがくと頷く。
獰猛で運悪く遭遇すれば命の危険すらある魔獣が魔女に言い含められている。
その姿はまさしく魔女への信頼の証であった。
「あら、いつもありがとう! 持って来てくれたキノコで、薬を作るわね」
そう言って笑う魔女に、心なしか魔獣も嬉しそうである。
「硬い魔獣の歯を削る魔道具をオーダーメイドしたいわ」
魔獣を見送りつつそう言う魔女に、欲しいものと言えば魔獣を治療する道具なのだなとしみじみ感じ入った。
さて、そんな魔女は会ってみれば、毛むくじゃらな魔獣に対してあんなに雄々しく治療していたというのに、自分の前では小刻みに震える小動物のようである。
そのギャップが面白くてついつい構いたくなる。自分にこんな性質があるなんて初めて知った。
「共寝を」と言えば、身を固くする。
これは確かに、いわくありげである。
仔細を尋ねたイザークは、根気強く行きつ戻りつする彼女の話に耳を傾けた。
話をすっかり聞いた後には、ベッドに連れ込む気でいた。
「不老長寿の魔女」は子供を持ったら寿命を得て、イザークと同じくらいの年齢になる。
話を聞くだに善良な性質は好ましい。そして、わりに可愛く思えるにまでなっていた。
抜けるような白い肌に華奢な体躯。なにより、治療の際のてきぱきとした処置には感嘆した。きびきびした動きもできるのだ。
なのに、自分と対峙したらとたんにへどもどして視線を合わせない。なんだかそれが腹立たしく思えた。
こっちを向いて欲しい。
今まで、イザークは恵まれた容姿と体躯のおかげで、そんな振る舞いをされることはなかった。これでは怯えられているようではないか。
初めは魔女の方が要求したことなのに、なぜ、自分が怯えられなければならないのかと思った。
話を聞いてみれば、人と接する機会をほとんど失ったのだから、それも仕方がないと思えた。
さて、ベッドに連れ込んでみたものの、「誰とも寝たことがないんですか?! 困ります!」と言われてイザークは消沈した。
しかし、騎士たるもの、そんなことで諦めていたら務まらない。
「どうして?」
「だって、わたしも未経験なんです。お作法が分からないのです」
エステルは恥ずかしそうにうつむいた。その姿がイザークをたまらない気持ちにさせる。
「俺が他の女と枕を共にしても良いと?」
「むしろ、わたしは一夜限りなので、口出しできません」
自分が誰と寝ようとどうでもいいと言われたような気がして不機嫌になる。解っている。彼女はそういう意味で言ったのではない。そういうことならば、解決法はひとつだ。
「では、今宵一夜限りのことではなければよろしいでしょう。わたしの妻になってください」
結論から言えば、イザークの粘り勝ちだった。
かきくどくイザークに流されていることは一目瞭然だったが、この流れに乗って、とうとう子供を成した。それが判明したときにはエステルも手放しで喜んだ。
そのころにはようやっと人付き合いに慣れてきた風だ。なのに、エステルは相変わらずイザークをしっかりとは見ない。ちらっと見て顔を明後日の方向に向ける。
「エステル、どうしてわたしを見てくれないの?」
「だって……」
「だって?」
「だって、きれいすぎるんだもの! まぶしすぎて、直視できない!」
長らく診察することから付き合いのあった魔獣たちは闇を吸い込むかのような暗い色の長い毛におおわれている。エステルも黒髪だからか、自分の金色の髪がまぶしいという意味だろう。あまり色味のない質素な生活をしていた様子だ。色彩といえば、草花くらいのものだ。
「イザークはとんでもないイケメンでスタイルもいいのに、わたしはと言えば、やせっぽっちだし、邪悪の象徴である黒髪だし」
エステルから聞きだしたところ、黒髪は邪悪の印と言われていたのだそうだ。それが人づきあいを苦手とするのに一層拍車をかけたのだろう。
「あなたの肌は驚くほど白くうつくしいよ。それに、黒髪は以前は忌避されていたけれど、今はそうでもない」
なぜなら、国王が王妃に迎えた他国の姫君がうつくしい黒髪の持ち主だったからだ。今では、豊かな黒髪はもてはやされている。
「そうなの?」
「そうだよ」
子供ができたというのに、愛しい妻はキスすれば真っ赤になる。イザークはほっそりした身をそっと抱き寄せた。
子供を持ったことで、エステルはとうとう呪いから解放された。
愛する人とともに年齢を重ねる喜びを知る。
イザークと出会ったときはあまりのうつくしさに恐れおののいた。
同じイケメンでも年齢を経ている男性の方が、落ち着きがあり、万事につけて引き際をわきまえているから、まだ接しやすかったのだと知った。
怖いものなしの若いイケメンの恐ろしさたるや。
イケメンとは声もいいのである。礼儀正しく、かつ強引に物事を進め、いつの間にか自分の思い通りにしている。
エステルは流されるままに、イザークの完ぺき感に恐る恐る接した。同じ場所に存在していてすみません、という気持ちだった。
歳を取ったらイケメンなんて鑑賞しているだけで幸せな気分になると聞いたが、エステルはいまだにその境地に至っていない。
エステルが華奢な身体で魔獣相手に治療を行うことをあまりに心配したイザークが、とうとう彼女の細腕でも楽に魔獣の硬い歯を削れる魔道具をオーダーメイドした。
出来上がった魔道具に、エステルは跳びあがって喜んだ。そして、夫が不安になるほど働いている。百戦錬磨の騎士だとて腰が引ける魔獣を相手に一歩も引かず治療する。
「キュィィィィィィィン」
高速回転の後に続く低回転の音(歯医者さんの身の毛のよだつ音)は、魔獣たちに恐怖を刻みつけた。これ以降、この音を聞くだけで魔獣たちは怯むようになる。
「おとなしくなさい!」
「ギャアギャア!」
「抵抗したって無駄よ!」
「ギャアァァァァ」
「ちょっと、断末魔みたいな悲鳴をあげないでちょうだい。大げさな!」
「ギャゥゥン」
「やだ、本当に悪賢いんだから! そんな被害者ぶった悲鳴をあげたって治療はするんだからね!」
だからこそ、魔獣たちに敬われている。もちろん、魔獣だけでなく人々からも恐れ敬われている。なのに、偉ぶるどころか、卑屈なほど謙虚だ。
さて、母親となっても、師匠はあの森の小屋に帰ってきていないのだから、エステルは定期的に通って魔獣たちの治療を続けている。
知能が高い魔獣たちが魔女の不在に反対したからでもある。
森の裾まで姿を現して彼女を取り戻そうと殺気立つ魔獣たちをなだめたのはエステル本人である。
そして。
「キュィィィィィィィン」
「ギャアァァァァ」
「おそろしの森」に絶叫が響き渡る。
魔女の治療による魔獣の悲鳴だ。それはときに国の隅々にまでとどろき、国の中枢は震え上がった。
面白ずくで魔女の噂をまことしやかに流す者たちでも、その身を案じずにはいられなかった。
しかし、魔女はイイ笑顔で帰って来る。
「治療は成功しました!」
その後ろには従順に魔女を送りに来た魔獣の姿が見える。ほかの人間を威嚇してみせるも、魔女が諫めればびくびくと従う。
「ま、魔女さまは魔獣よりも強いのか」
居合わせた者たちはごくりと生唾を呑みこんだものだ。おそろし森の呪われた魔女は、おそろし森の魔獣をも脅かす魔女となったのだ。
おそろし森の呪われた魔女は結婚し、子供ができた。そうして、呪いは解かれた。いつだって、物語の呪いの解き方は決まっている。
愛する人と愛し愛され、いつまでも幸せに暮らすのだ。
力関係は以下のとおりです。
その他大勢<魔獣<魔女
イザークは場合によっては魔獣と同じ位置だったり、「魔女<イザーク」だったりします。
対魔女に関してはとても強いですが、その裏で魔獣と張り合うイザーク。
魔女の愛をめぐって魔獣と競い合うイケメン。
妄想は広がります。