畜生の涙涎
食いしん坊のワニはある日友人を食べてしまいました。
おなかが空いたまま、眠っていたらうっかり寝ぼけて友人をもぐもぐと噛砕いてしまったのです。
友人の名前はクックロビン。折れ枝を器用に嘴で拾い集める翼の青いコマドリでした。
寝ぼけながら食べたロビンはあまりに美味しくて、食べ心地がよくて、つい彼のことを懐かしむように思い出すとよだれが止まらなくなるのです。
でも、同時に涎が垂れると涙も出てきます。
ぽろぽろ。ワニの瞳から涙がこぼれるのです。
ロビンの小さな骨を噛砕いた時を思い出すと、彼の小さくて愛らしい姿、彼の美しい囀りが懐かしくなります。
どうして僕はロビンを食べてしまったの?
ワニの小さな頭の中にちりちりと煙がくすぶります。
ワニにはワニのことが分からなかったのです。
でも、どうにか分かりたくて、考えることが増えて、後悔することが増えて。
おなかが減りました。
パラパラと振る雨の中、甘く熱い林の中、泥をかき分けて彼の黒い鎧のような巨躯がおごそかに進みます。硬い鱗はどんな牙も通さず、そのごつごつとした見た目故に雨林に住む動物たちにも怖がられる始末。
彼の近くに怯えずに来てくれるのはクックロビンのような変わり者だけだったのです。
雨雲と青くて暑い植物の臭いに塗れていると口の中にいるロビンのことが忘れられそうでした。
ロビンの血の匂い。甘い匂い。
ロビンの翼の味。爽やかな空の味。
ロビンの頭蓋の硬さ。硬くも脆い噛み心地。
どうして僕のことを食べてしまったの?
泥。
灰色の泥。
その中にいて全部が泥の中に消えていたのに、いつの間にか歯の隙間からロビンの声が聞こえてくるのです。
ワニの鋭い牙はどんな肉質でも引き裂き、噛みついた生き物に激痛と死を授けます。ロビンの肉がその牙に引っ掛かったままなのでした。
鋭くも、不揃いの歯の隙間からロビンが顔を覗かせて、青い羽が喉の奥からぞわぞわと生えてきます。
「どうして僕のことをたべてしまったの?」
「ロビン……分からないんだロビン。でも僕は君を食べるつもりじゃなかったんだ」
「本当に? 君は僕のことを美味しそうに何度も何度も噛砕いていたのに」
「誤解なんだよロビン。僕たちは友達だったろう?」
「君の言う友達っていうのは、友達を食べるような怪物のことなのかい?」
「違うよ! 君は僕みたいに怖い見た目の怪物でも、怖がらずに一緒にいてくれた。僕はそれが本当に嬉しかったんだ……」
「僕も楽しかったさ」
「君のことを思い出すたびに僕は涙を浮かべたよ。いつか生まれ変わったら君みたいな鳥になって、空を超えて会いに行きたい」
「僕は空にはもういないよ。今はずっと君の傍にいる」
ワニの歯の隙間に引っ掛かったクックロビンがゆっくりと溶け、増えていく。不ぞろいな青い羽が色んな所から突き出てくる。
ワニの口の中は引き裂かれた肉の赤と鮮やかな羽の青のコントラストに染まっている。喉の奥までロビンの感触で埋め尽くされる。鳴き声を発しようとするたびに、鼻腔を通るあの爽やかで旨そうな血液の匂い。
「……どうして、口の中が涎まみれなの?」
「……」
「どうして、何も言わずにぐちゃぐちゃ噛んでいるの?」
「……」
「どうして、泣いているの?」
「君の涙はホンモノなの?」
もはやそこにはロビンはいない。ワニが勝手にそこにいると思っているだけなのだ。幽霊のロビンはずっとワニの口の中。牙の牢獄の中。無限の拷問、少しずつ食べられる苦痛に囀る声と血の匂いがゆっくりと鼻腔を抜けていく幻覚にワニはまた恍惚の表情をする。
本物だよ。
ロビン、君を失ったのはとてもつらい。
君のことを忘れたくなくて、君の味を忘れたくなくて、殺さないように口の中に入れておいたのに。
ずっとずっと少しずつ少しずつ舐めて、噛んで、一生僕の口の中にいて欲しかったのに。
君を食べてしまうのはあっけなかったね。
ロビンのことを思い出すと、懐かしくて涙が出る。
彼と同じ種類の鳥ばかり食べてしまう。
あの味じゃないとダメなんだ。
誰が殺したクックロビン
ワニたちの涙は嘘らしい