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四季の妖精たち  作者: 岡田 浩
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春編 ~春風の少女~

 この本では、私なりに想像した妖精たちを四季折々の情景とともに綴ろうと思います。

 本作はそのうちの「春編」です。

四季の妖精たち 春編 ~春風の少女~


第1節 友との約束


 西暦20xx年夏。アメリカのニューヨークで行われた世界少年野球大会(中学生以下で行われる大会)で優勝した日本。その中に、福岡県北九州市にある(かざ)()中学校から選ばれたピッチャーの(くら)() (たけし)とサードの(ひがし)(かげ) (ひかる)がいた。2人とも180センチはある筋肉質。倉木 は坊主頭。東影は長髪だった。

優勝した夜、ホテルで同室だった2人は、ある約束を交わす。


 「高校は違う学校に行って野球部に入り、どちらの実力が上か確かめよう。そして、プロになり、再びアメリカに来よう」


 倉木 剛は、福岡県、北九州市の古豪「(かん)(もん)学園」へ、東影 光は、同じ福岡県、福岡市の名門「(げん)(かい)高校」へそれぞれ入学する。しかし、2人は大きな試練に見舞われる。全世界で流行した奇病により、高校1年の夏、2年の春、夏の高校野球大会が中止になったのだ。2人に残されたのは3年の春のセンバツ高校野球大会、夏の全国高校野球大会のみ。しかし、2人は、対外試合もままならない中でもあきらめず、日々練習に練習を重ねて対決の日を夢見ていた。その2人に高校2年生の秋、朗報が入る。


 「ようやく奇病の流行が収束してきた。来年の春のセンバツ高校野球大会は開催されるらしい。10月にセンバツ高校野球大会の予選を兼ねた『秋季大会』が行なわれる」


と。そして、2人の通う高校は、「秋季九州大会」の予選を順調に勝ち上がり、決勝戦で対戦する。


―――――


 私の名前は、「(きし)() (かおる)。剛、光とは中学校からの同級生で、今は関門学園の野球部のマネージャです。ここからは、私がお話しをします。


―――――



第2節 秋季九州大会決勝戦


 試合は、博多ドームで開催されました。剛と玄海高校のエースとの投手戦になり、ともに打たれたヒットは1本ずつ。

 剛が許したのは、打順1番に入った光のツーベースヒット1本のみ。玄海高校のエースが唯一許したのは、剛自身が打ったホームランのみでした。試合は1対0。9回裏2アウトランナーなし。剛と光の対決です。今までの剛と光の対戦は3打数1安打。1本のツーベースと、2本の外野フライ。抑えてはいるものの、ツーベース以外の2本の外野フライも、フェンスギリギリのホームラン性の打球で、剛は光に押されていました。


 「最後は、光を三振にとって、俺が勝つ」


 そのような気合で臨んだ剛。カウントは、ノーボール2ストライク。ライト、レフトにホームラン性のファウルを打たれながらもようやく追い込みました。


 「この1球で決める。俺の全力をこの球に込める」


 「この1球を捕え、延長戦で俺が勝つ」


 2人の間には、暗黙のルールがありました。


 「剛が投げる球はストレートのみ。光が使うのは木のバット。プロを意識した真っ向勝負」


 剛は大きく振りかぶり、右の5本の指に全神経を集中して、強力なスピンのかかったストレートを投げました。剛のストレートは、真ん中低めへ、ボールが下から上に回転しながら、うなりを上げて伸びて行きます。


 「真ん中低めのストレート。捕らえた」


 光も全力のフルスイングで対応しました。


 「バシッ‼」


 一瞬の静寂の後、乾いたミットの音とともに、審判が大きくコールしました。


 「ストライク アウト!」


 剛の投げた球は、真ん中高めギリギリ。キャッチャーミットに収まっていました。球速は167km/h。真ん中低めから高めギリギリまで伸びるすばらしいストレートでした。  

 剛は、大きな青空を見上げながら、両手を天にあげました。

 その剛に向かって、光が声をかけました。


 「来年の春、甲子園で会おう」


★★イラスト1挿入★★


―――――


 優勝セレモニーが終わり、関門学園のメンバーは道具を片づけていました。剛も自分のバットをバットケースに入れ、グラブを持った後、バットケースを背負いました。その時、彼は急に倒れました。


 「い、痛い……」


 がっしりとした体の監督の(ふじ)(むら)さんと、ちょっと太めのキャプテンで捕手の西(にし)(かわ)君、そして、私が駆け寄り、声をかけました。


 「大丈夫か?」「どうしたの?」


 しかし、私たちの呼びかけにも剛の反応はありませんでした。彼は気絶していました。


 「剛。剛―――」


 藤村監督が声をかけましたが、反応はありません。私は急いで救急車を呼びました。剛は、救急車で運ばれ、福岡市内の病院で応急処置を受けた後、北九州市の「(かい)(きょう)病院」へ運ばれました。




第3節 信じられない『事実』

1.海峡病院


 「海峡病院」は、剛の家と「関門学園」の通学路の間、剛がいつも通る港ぞいの、桜の木が1本立っている公園の前に建っていました。剛は、病院に運ばれて1週間、昏睡状態でした。毎日のように剛のお母さんが付き添い、夕方には剛のお父さん、そして関門学園の藤村監督、西川君と私が毎日のように病室に見舞いに行きました。


 「意識は戻りましたか?」


 藤村監督の問いに対して、剛のご両親は、


 「いえ、まだ、眠ったままです」


と繰り返すだけでした。1週間の間、むなしくその会話だけが続きました。

 そして、1週間後の夕方、剛のお母さんから学校に連絡が入りました。


 「剛が意識を取り戻しました。しゃべれる状態です」


 私たちが病院にかけつけ、スライドドアになっている病室に入った時、剛は意識を取り戻していました。剛は横になりながら、入って来た私たちに顔を向け、


 「藤村監督。ご心配おかけました。もう大丈夫です。西川、薫、ごめんな」


と答え、挨拶をするために起きようとしました。すかさず、剛のお母さんが制しました。


 「まだ、横になっていないと。腰に少しヒビが入っているそうよ」


 「ヒビが入っているのですか。それで激痛が走ったのだな。でも、1週間も眠りつづけたままで心配したぞ。早く良くなって、また練習をしよう」


 「みんな待っているわよ。早く治ってね」


 西川君と私がしゃべりかけました。私は思わず、涙ぐんでしまいました。

 その時、病室のスライドドアが開き、一人の小柄な中年のお医者さんが入って来ました。


2.主治医 石野(いしの)


 「私は、剛君の主治医の石野と言います」


 石野先生はそう言うと、剛のベッドの横に座って、しゃべりはじめました。


 「剛君。君は最後の1球、全力を振り絞って投げただろう。そのために、腰に少しヒビが入った。ヒビが元に戻るまで、1か月くらいリハビリが必要だ。リハビリについての詳細は、リハビリ科の先生に来てもらって説明してもらうから少し待ってくれ」


 その後、石野先生は、剛のご両親に声をかけました。


 「リハビリに伴い、少しお話があります。ちょっと、私の部屋に来ていただけますか?」


 「私たちもいっしょに行って良いでしょうか? 私は、「関門学園」野球部の監督、藤村といいます。こちらは、キャプテンの西川とマネージャの岸辺です。剛はおそらく来年の春のセンバツ高校野球大会に出場すると思います。私たちも、お話を聞いておきたいと思います」


 藤村監督がそう言うと、石野先生は、


 「いいですよ。一緒に来ていただけますか?」


と答えました。剛のご両親、藤村監督、西川君、私は、石野先生といっしょに病室を出て、石野先生の診察室に行きました。


3.診察結果


 石野先生は、自分の診察室に剛のご両親、藤村監督、西川君、私を招き入れました。

 石野先生の部屋には、左側の奥にデスクと椅子。右側に診察用のベッドが1台ありました。そして、石野先生は、剛の両親に椅子を用意しました。


 「あなたたちは、こちらのベッドに座って聞いてください」


 剛のご両親が椅子に座り、藤村監督、西川君、私がベッドに腰をおろすと、石野先生はデスクの側の椅子に座り、デスクの前にあるボードのライトをつけ、1枚の3次元画像のシートを左側に、1枚のレントゲンのシートを右側に貼り、話しはじめました。


 「本当はご両親にお話ししてから、あなたたちにも話そうかと思いましたが、一緒に聞きますか?」


 改めて問われた藤村監督、西川君と私は、


 「はい」


と答えました。


 「それでは、お話をします」


と言うと、石野先生は、3次元画像とレントゲン写真を指しながら、しゃべりはじめました。


 「剛君の本当の病名は『膵臓ガン』です。ステージ4。今回、意識を取り戻したこと自体が『奇蹟』です。若いので進行が早く、このまま放っておけば、余命は3か月~半年。腰の骨にヒビが入ったのは、『膵臓ガン』が膵臓近くの腰骨まで転移し、脆くなっていたからです。胃の一部にも、ステージ1~2の転移が診られます。剛君が今まで、自分の体調の異変に気づかなかったのは、『膵臓』は沈黙の臓器だからです。痛みを感じるのは死の直前。今回、骨にヒビが入ったことで初めて、体の異変が見つかったといっても間違いないでしょう。これからお世話になるリハビリ科の『(とり)()先生』には説明済です。彼の指導通りに行っておけば、約1か月で一時的に骨のヒビはなくなると思いますが、ガンの進行に伴い、腰から背骨まで、どんどん骨が脆くなることは確かです。リハビリの後は、車いすか寝たきり状態と考えてよいでしょう。また、胃の転移も進行が早いと思われますので、いずれ、胃の痛みもはげしくなり、食事もままならなくなるでしょう。正直なところ、もう、野球をできる体ではありません。今回のような全力投球をもう一度行えば、腰だけではありません。背骨にも損傷を及ぼし、二度と動けなくなるでしょうし、もしかしたら、それが『死』に直結するかもしれません」


 それを聞いた私は、涙が止まりませんでした。剛のご両親、藤村監督、西川君も絶句していました。

 石野先生は続けて話をされました。


★★イラスト2挿入★★


 「関西にガン治療専門の病院『関西国際ガン治療センター』があります。日本のガン治療の権威ともいわれる『(たみ)(やま)先生』にも、今お見せしている3次元画像とレントゲン写真を含む電子カルテを送付し、診てもらいました。民山先生からは、『関西国際ガン治療センター』であれば、成功率は5%とのことですが、今あるガンをすべて切除し、彼を救ってあげることができるかもしれないと診断してもらいました。ただし、ガンが切除できたとしても、その後は寝たきり。もし運が良ければ、車いす生活まで回復できるかもしれません。鳥井先生は、『関西に長期出張して、手術をした後、回復するまでいっしょにリハビリをしてもいい』と言っています。

 正直、一刻を争います。先ほど剛君には「これからリハビリをしよう」と話しましたが、本音を言うと、酷ですが、彼に今の病状をお話しして理解してもらい、『関西国際ガン治療センター』でのガンの切除、または延命治療を選択していただくことをお勧めします。いかがいたしますか?」


 すると、剛のお父さんが一言、答えました。


 「剛の人生だ。あいつはしっかりしている。すべて剛に話をして、剛自身にどうするかを決めてもらおう」


4.決断


 気がつけば、時間は18時になっていました。

 石野先生は、私たちを連れ、再び剛の病室に戻ってきました。

 石野先生はみんなを病室に招き入れ、スライド式のドアを閉めた後、剛のベッドの横に座り、話をはじめました。


 「剛君。さっき、ご両親も含めて話し合ったことだ。気をしっかり持って聞いてほしい」


 そう言うと、石野先生は先ほど私たちに説明してくれたことを、丁寧に剛に話をしました。その上で次のように剛に問いました。


 「剛君。どうするかね。君のお父さんは君のことを信頼していると言った。君の人生のことだから、判断は君に任せるそうだよ」


 すると、剛は目を閉じてひと呼吸おいた後、穏やかな表情で語りはじめました。


 「先生。本当のことを言ってくれてありがとうございます。実は、秋季大会に入るくらいから、少し、背中の後ろや腰が重いと思っていました。食欲もあまりないなぁと。しかし、『東影 光』という僕の永遠のライバルとの約束を果たすために、マウンドに立ち続けました。そして僕は彼に勝ち、彼は僕に言いました。『来年の春。甲子園で会おう』と。

 僕は、関西のガン治療専門病院『関西国際ガン治療センター』に行きます。ただ、それは手術をして生き延びるためではない。おそらく来年の春、『関門学園』と『玄海高校』は甲子園球場で行われるセンバツ高校野球大会に出られるでしょう。僕は『東影 光』という永遠のライバルとの約束を果たすために、来年の春の高校野球で、彼に『ただ1球』を投げるために行くのです。それまで、僕の体が持てばいい。僕の延命治療を、『関西国際ガン治療センター』の『民山先生』とリハビリ科の『鳥井先生』にお願いできないでしょうか?」


 剛のお母さんはそれを聞いて泣き崩れました。しかし、それを剛のお父さんがしっかりと抱きとめていました。藤村監督も、西川君も何も言うことができませんでした。私も何も言うことはできませんでした。本当は、


 「甲子園なんかどうでもいい。私はあなたさえ生きていてくれれば、それでいいの」


と叫びたかったのに。でも、穏やかな表情で淡々と「覚悟」を語る彼の前では、なにも言い出せませんでした。石野先生は、剛の言葉を聞いて、


 「わかった。すぐに手続きをしよう」


というと、病室を出て行きました。剛は私に、


 「わがままを言ってすまない」


と言い残し、その晩のうちに、救急車で両親に付き添われて「関西国際ガン治療センター」に転院しました。



第4節 転校生

1.(はる)(かぜ) (かおる)


 次の朝、私は一人で学校に行きました。実は、剛と私は「恋人どうし」でした。毎朝、剛と私はいっしょに学校に歩いて行っていました。待ちあわせ場所は、「海峡病院」の前の公園。彼といっしょに、たわいのない話をしながら学校に行き、野球部で部活をし、帰りにこの公園で将来について語り合うのが、私の何よりの楽しみでした。でも、だからこそ、私は彼の「覚悟」を止めることができませんでした。


―――――


 学校に着き、教室に入ると、クラスのみんながざわついているのがわかりました。

 同じクラスの西川君に聞きました。


 「何ごと。みんな、何をざわついているの?」


 「今日から転校生が来るのだって。女の子らしいよ。今朝、姿を見かけたやつがいて、『すごく可愛かった』らしいんだ」


 「ふーん。男の子って、結局『可愛い女の子』には弱いのね」


 「まあ、そういうな。お前も『剛』と付き合うまでは、俺も含めていろんな男子から言い寄られていたのだろう? しょうがないよ。あっ。ごめん。これは今言っちゃいけないことだったな。デリカシーがなくてごめん」


 「気にしなくていいよ。私は『剛』の希望がかなえば、それで満足だから……」


 そう言っているうちに、担任の先生が一人の女子高生を連れて現れました。教壇に立つと先生は次のように話しはじめました。


 「今日は、みんなに報告が2つある。1つは、『倉木 剛』のこと。ケガが長引いて当分、学校には来ない。残念だが、来年の春のセンバツ高校野球大会までにはケガを直してもらわないといけないからな。みんなも、倉木のケガが早く治ることを祈ってくれ」


 「それからも1つ、来年の3月末までだが転校生が来た。紹介するよ。彼女は『春風 香』君だ。お父さんの仕事の都合で、半年弱しかいないが、みんな、仲良くしてあげてくれよな。じゃあ、春風君。自己紹介するかい?」


 先生がそう言うと、彼女はうなずいて自己紹介を行いました。


 「はじめまして。私の名前は『春風 香』と言います。お父さんが税関に勤めていて、来年の3月末でまた異動になるから、半年弱しかいません。でも、その間、よろしくお願いします。なお、私の父は日本人、母はアメリカ人。髪の毛が茶色っぽくて、目の色が少し青いですが、これはわたしがハーフだからです。不良じゃありませんからね。それから、日本人もアメリカ人も野球が大好き。私も野球を見るのが大好きです」


 「ありがとう。そうだな、岸部君の横の席が空いているから、そこに座ってくれるか?」


 「はい」


 そういうと、彼女は、私の右横の席に座りました。そして私に、


 「よろしく。いろいろ教えてね」


と笑顔で話しかけて来ました。


 「こちらこそ、よろしく」


 彼女は、私と同じくらいの背丈で細身。髪型も私と同じような肩までの長さの女の子。ただ、性格は私とは正反対のようで、ハキハキした感じの子。でも、とても人懐っこそうで感じの良い子でした。


2.新しいマネージャ


 放課後、私はいつものようにジャージに着替えて、野球部の部室に向かいました。

 野球部の部室のドアを開けると、そこには、今日、転校してきた香さんがいました。


 「今日から3月末まで、野球部のマネージャをやることになりました。前の学校でも野球部のマネージャをしていたので、大概のことはわかると思うのだけど、その学校ごとでやり方が違うところもあるから、いろいろ教えてね。よろしくお願いします」


 彼女は笑顔で私に語りかけて来ました。


 「こちらこそ、よろしく。でも、学校に転校して来ていきなり、大変じゃない?」


 「大丈夫。お友達つくるのに、部活動ってとてもいいじゃない。それに私、野球に限らず、部活動を一生懸命行っている人を見るのが大好きなの。それから、西川君からの『どうしても』ってお願いだったし」


 「えっ? あいつ、いつ誘ったの?」


 「お昼休み。ものすごく熱心に誘われたので。それに、事情も聞いたし……」


 「事情って?」


 「うちにはマネージャが一人しかいない上に、そのマネージャ、今、彼氏がケガしていて上の空だからって」


 「あいつ……。でも、あの人、本当はスケベだから気をつけて。私にも言い寄ってきたこともあるし……」


 「大丈夫、大丈夫。でも、あの『倉木 剛』が彼氏って、素敵よね♡」


 「あいつ、そんなとこまでしゃべったの?」


 「うん。『倉木 剛』っていったら、高校野球に携わっている人の間では超有名じゃない?でも、この話はあまり触れてはいけないことなのよね? ゴメンネ」


 「いいの。大丈夫よ。彼、きっとケガを直して戻ってくるわ」


 「そうよね。じゃあマネージャのお仕事しようか?」


★★イラスト3★★


 「そうね。本当によろしく。今までは私一人で大変だったの」


 そう言うと、香は、野球部のみんなに挨拶に行って、2人で、マネージャのお仕事をしました。彼女は、自分で言っていたように、野球部のマネージャの仕事に慣れていました。

 ●野球道具の手入れ。

 ●ユニフォームなどの洗濯。

 ●スコアブックの書き方。

 ●部員の健康管理(練習の合間の飲み物。食べ物の用意)。

などなど、私が教えるまでもなく、一生懸命行ってくれました。そのうち、月日は流れ、冬休みが来ました。剛が関西に行ってから2か月になります。剛のお母さんは関西に行ったまま。お父さんとはなかなか会えません。強がっていましたが、私は剛のことが大変気になっていました。


3.残された「彼」との人生をともに


 冬休みの初日の朝。私は、いつものように野球部のマネージャの仕事をしていました。そこへ香が近づいてきて、私にしゃべりはじめました。


 「倉木君。大丈夫かしら。あなた、強がっているけど、たまに遠くを見て考え込んでいるような雰囲気だし。春までは私が一人でマネージャをするから、あなた、倉木君のお世話に専念してみたら?」


 「だっ、だっ、大丈夫よ。私は剛のことを信じている。きっと、元気になって戻ってくるわ」


 「倉木君。膵臓ガンなのでしょ。関西で治療しているけど、重体に近い状態だと聞いたわ」


 「誰に?」


 「藤村監督。私、藤村監督から頼まれたの。『春のセンバツ高校野球大会まで、一人でマネージャをやってくれないか? 薫を剛の世話役に専念させたいのだ』って」


 「でも、剛にはお母さんがついているのよ。大丈夫よ」


 「それが……」


 ちょっとためらいながらも、香は話し続けました。


 「『抗がん剤の治療やリハビリが壮絶らしくて、倉木君のお母さんもだいぶ精神的にまいっているみたいだ』って、倉木君のお父さんから、藤村監督に相談があったらしいの」


 「剛……」


 いつの間にか、私の目からあふれんばかりの涙が流れ出していました。


 「あなた、相当、一人で我慢していたのね。正直に言うわ。悔いの残らないように、彼の残された人生をともに過ごしたほうがいいと思う。こちらのことは私に任せて。もし、3学期も関西にいたいなら、私から先生たちにお願いするわ。勉強のことは、時間が取れる時に私があなたに何らかの方法で教えてあげるから」


 「ありがとう。香。私、私、今から彼の元に行く」


 そう言い残して、私は、止まらない涙をぬぐうこともなく、家に走って帰り、母に事情を話し、持てる物だけをかき集め、新幹線で彼の待つ「関西国際ガン治療センター」へと向かいました。



第5節 剛との再会

1.剛の元へ


 「関西国際ガン治療センター」は、新幹線の「新神戸駅」からタクシーで10分程度のところにあります。私は、16時過ぎに新幹線から新神戸駅を降りると、タクシーに飛び乗り、「関西国際ガン治療センター」へ向かいました。

 タクシーを降りると、私は、「治療センター」の入り口の案内コーナーで、剛が今、何処にいるかを聞きました。彼は、1階の「リハビリセンター」にいました。「リハビリセンター」の扉を開けると、さらに奥に「関係者以外立ち入り禁止。倉木 剛君 専用ルーム」という張り紙がある部屋を見つけました。その部屋の前の椅子には、休暇を取り、新神戸に来ている剛のお父さんが、憔悴しきった剛のお母さんを支えながら座っていました。「専用ルーム」の中からは、壮絶な叫び声が聞こえていました。


 「薫ちゃん」


 剛のお父さんが、私に気づいて、か弱い声でささやきました。剛のお母さんは、目をつぶり、耳をふさいで震えていました。

 私が「専用ルーム」に入ろうとすると、剛のお父さんが私の右腕を握り、小声でささやきました。


 「薫ちゃん。中に入らないほうがいい。見ないほうがいい」


 私は、その制止を振り切り「専用ルーム」の扉を開けて中に入りました。そこには、想像を絶する光景がありました。


 「誰だ‼」


 床は血だらけ。大柄の血まみれのトレーナーを来た人に支えられながら、手すりを持ち、歩行訓練をしている剛がいました。とても2か月前まで筋肉質で剛速球を投げていたとは思えないくらい筋肉が削げ落ち、口から血を流し、ほおや目がくぼんでいました。しかし、その眼光だけは鋭さを失っていませんでした。


2.専用ルーム


 専用ルール内は、部屋の左端の壁には手すりのついた棒が取り付けられており、その手前には、筋力を鍛えるためのベンチプレス。そのまわりには10kgの重り、握力計などが転がっていました。部屋の奥にはベッドがあり、抗がん剤、輸血、栄養剤などを打てるように点滴用の柱が立っており、また、血圧計、心電図を計る機材もありました。


 「薫か。大声を出してすまなかった」


 そう言うと、剛はトレーナーを着た人に支えられるように奥のベッドに横たわりました。剛は、気を失うように眠りにつきました。


 「剛君。今日のリハビリは終わるよ」


 トレーナーを着た人はそうささやくと、「専用ルーム内」の剛のベッドのところにある「呼び出しボタン兼スピーカー」を使って、


 「今日のリハビリ、終わりました。治療をお願いします」


と、どこかに連絡しているようでした。そして、その人は私のところに歩いて近寄ってきました。


★★イラスト4★★


 「身なりが汚くてごめんね。手も汚れているから握手もできないけど……。私は、北九州市の『海峡病院』から派遣されているリハビリ科の『鳥井』といいます。よろしくお願いします」


 「私は、『関門学園』の野球部のマネージャをしている『岸辺 薫』といいます。あなたが鳥井先生なのですね。こちらこそ、お世話になっています。剛のこと、ありがとうございます」


 そう話していると、専用ルームの扉が開き、70歳は過ぎていると思われる、白衣を来て、聴診器を首からぶら下げている老人が、清掃道具を持った2人の看護師を連れて入って来ました。

その老人は、眠っている剛のところに行って、聴診器で彼の呼吸等を確かめ、心臓、胃、それから、溝内とその右側を触診した上で、2人の看護師と鳥井先生に呼びかけました。


 「今日も派手にやりおったなぁ。すまんが、血まみれになった剛君の衣服を着替えさせ、血圧を測った上で採血をし、心電図の機具を張り付け、赤血球、白血球、血小板と抗がん剤、ビタミンなどの栄養成分を、決められた量、点滴で補給してくれ。それから、汚れている部屋を清掃してくれ。頼むよ」


 「鳥井君。君も毎日ご苦労様。お風呂に入って着替えなさい」


 一通り指示を出したところで、私の存在に気づいたのか、その老人は私のところに近づいてきました。


 「君は?」


 「私は、剛の友人で『関門学園』の野球部でマネージャを行っている『岸辺 薫』といいます」


 「そうか。君が、剛君の『命の炎』が消えるのを防いでいるうちの一人。薫さんじゃな。わしは、この『ガン治療センター』のヤブ医者、民山じゃ。よろしくな」


 「あなたが、ガン治療の権威、民山先生ですか? こちらこそ、剛が大変お世話になっています。よろしくお願いします」


 「この光景を見て、驚いたじゃろ。すまんなぁ。剛君が心配になって来たのじゃろ? ここではゆっくり話せないから、わしの応接室に行こうか。鳥井君も風呂から上がって着替えたら、すまんが、わしの応接室に来てくれ」


 すると、部屋を出ようとしていた鳥井先生が、


 「わかりました」


と一言声をかけ、先に出て行きました。


 「じゃあ。わしらも行こうか。看護師の諸君。後は頼んだぞ」


 2人の看護師はうなずいた上、民山先生から伝えられた作業を続けました。

部屋を出た民山先生は、「専用ルーム」の前の椅子に座っていた剛の両親にも声をかけました。


 「お前さんたちにも、すまない思いをさせているなぁ。今日の『試練』は終わりじゃ。あまり聞きたくないかもしれないが、改めて、剛君の病状を話そうと思う。来ないか?」


 すると、剛のお父さんが、


 「はい。お願いします」


と答え、震えている剛のお母さんを支えながら、私たちの後をついてきました。


3.剛の病状


 民山先生の診察室は、リハビリルームのすぐ右横にありました。

 私たちは、民山先生の診察室に入りました。そこで、民山先生は、


 「やはり奥さんは憔悴しきっていて無理じゃなぁ。診察室のベッドで横になっていなさい。そこの看護師さん。彼女に、精神安定剤の注射を打ってあげてくれ」


というと、診察室にいた看護師に、剛のお母さんのお世話をまかせました。

 そして、民山先生は、診察室の右奥のドアを開けました。そこは、外部の方と対応できるような10人くらいは入れる応接室になっていました。

 民山先生は、剛のお父さんと私を対面に座らせ、自分は、応接室の前面の巨大モニターにつながっていると思われるパソコンの電源を入れ、リモコンでモニターの電源をいれました。


 「ちょっと、気分が悪くなるような画像を見せるかもしれないが、無理じゃったら言ってくれ。そこで説明をやめるから」


 「ただ、今日はこれで2回目の説明になるなぁ。午前中、剛君の『命の炎』が消えるのを防いでいるもう一人の人物。『東影 光』という少年が訪ねて来た。彼には、剛君の病状を隠すことなく、すべて話したよ」


 民山先生のその言葉を聞いて、私はたずねました。


 「光君はどんな反応でしたか?」


 「彼は私の説明をすべて見聞きして帰ったよ。その上で、剛君への伝言を授かったよ」


 「光君は何と……」


 「『甲子園で待っている。必ず出てこい』と伝えてくれと言っていたよ」


 「そうですか……」


 「前置きが長くなったが、はじめよう」


 モニターには、剛君の手術を行ったと思われる画像が出されました。


 「わしは、剛君が来た直後、彼に麻酔を打ち、内視鏡手術を行った。剛君のご両親にも内緒でな。医者として、本人の『覚悟』やご両親の『意思』を無視する冒とくだと思いながらも、できれば『助けたい』と考えてな……。しかし、残念だが、彼が生き延びるチャンスは0%じゃったよ。石野先生から送られてきた画像だと、何とかなるかもしれんと思っていたのじゃが、想定以上に、いろいろなところにガンが癒着、転移しておってなぁ。モニターに映っている1枚の写真がその事実じゃ。もはや彼のガンは、体中に転移していて、手の施しようがなかった。改めて、わしは自分の無能さを思い知ったよ」


 民山先生は続けました。


 「わしらの見立て以上に、病状は最悪じゃった。本来であれば、今、彼が生きていること自体、『ありえないこと』なのじゃ。じゃが、剛君は今も生き続けている。自分自身で寿命を伸ばしているのじゃよ。『春までは死ねない』という覚悟の元で。そして、それを心の中で約束した2人。『岸辺 薫さん』と『東影 光君』のために」


 その時、風呂から上がり、着替えを済ませた鳥井先生が入って来ました。


 「ちょうど良いところに来た。わしにとって鳥井先生との出会いは、まさに不幸中の幸いじゃった。鳥井先生は、わしが思いもしなかったリハビリ療法で彼を「春」まで延命しようとしている。これは彼から説明してもらった方が良いじゃろう」


 「どんな方法なのですか? 鳥井先生」


 私は、入って来たばかりの鳥井先生にたずねました。すると、鳥井先生は答えてくれました。


 「これは、僕が考えた方法ではありません。僕が、彼の腰骨のヒビを直すために行おうとしたことを、剛君自身が『応用』させた方法です」


 さらに鳥井先生は続けました。


 「僕は、剛君の腰骨のヒビを治すために、腰骨の周りの筋力が衰えないリハビリ療法を試みました。それを習得した彼は、自らそれを応用し、『1球だけの全力投球』ができるように、投球に必要な個所の骨の周りの筋力だけを上げることに集中して、リハビリを行っています。これは、『投手』にしかわからない感覚だと思われます。そのため、彼の姿はやせ細って筋力が落ちているように見えますが、投球に必要な骨格と筋力の部分だけは衰えていません。それどころか、その部分の筋力だけは増強され、脆くなった骨を守っています。しかし、彼の体力も限界に近づいており、また、全身に転移したガンが容赦なく彼の体を攻撃しています。今の彼は、胃ガンのステージも4。自ら食事をとることができません。また、全身からの出血もひどい。ですから、日々のリハビリを行った後で失った体力を、赤血球、白血球、血小板、抗がん剤と栄養剤などで補給しています。

 考えられる彼が迎える『最期』は次の2つのパターンのうちのどちらかだと思われます。

 ●大量の輸血はいずれ、体内の鉄分を過剰に増やします。それが元で多臓器不全を起こし、『心臓』に影響が及んだ時に壮絶な苦しみとともに最期を迎えます。

 ●現在、骨の周りを補強している筋力は『もろ刃の剣』になります。強力な筋力を作り上げれば作り上げる程、それに耐えることができない衝撃が来た時に、脆くなっている骨とともに一気に崩れ落ちます。それが、彼がこの春に行おうとしている『1球だけの全力投球』です。彼が『1球だけの全力投球』を行った瞬間、作り上げた筋力は、コンクリートが地震で崩壊するかの如く骨とともに破壊し、心臓が停止します。

 私は、これを民山先生に相談しました。民山先生は、『多臓器不全』が起きず、彼が『1球だけの全力投球』を全うできるように、リハビリが終わった後、彼の健康チェックを綿密に行った上で、『必要かつギリギリ』の輸血と抗がん剤治療、栄養補給を行ってくれています。ただ、これは針の穴を通すような精密な作業です。この作業を少しでも間違えば、彼は春まで持たないでしょう」


 「以上が、今の剛君の病状じゃ。わしらはできるだけのことは行う。じゃが、後は彼の生命力と気力にかかっておる」


 民山先生、鳥井先生は、今まで行ってきてくれたことをすべて丁寧に説明してくれました。そして最後に、私たちに相談をしてきました。


 「剛君のお父さん。提案と言うか、相談がある。見ての通り、あなたの奥さんは今まで良く頑張った。じゃが、もう限界じゃろう。お前さんもそうじゃないか? あなた方が、『我が子が苦しみに耐えながら、自らの命を春まで持たせよう』とする行為を見聞きするのは限界じゃないか? 剛君の前に、あなた方ご夫妻が先に限界を迎えて倒れるのを見るのは、わしにとっても、鳥井先生にとっても耐えがたいことじゃ。そこで提案じゃがのう。彼女には酷かもしれんが、剛君の春までの世話役は、剛君が『春まで死ねない』と心に誓った一人の『岸辺 薫さん』に託してはどうかのう。薫さんがそばにいて彼を見続けている限り、剛君は『死ぬに死ねない』と思うのではないじゃろうか?」


その時、剛のお母さんが、ふらつきながら診察室から入って来て、進言してくれました。


 「私もそれがいいと思う。後は、剛が心から愛している『薫さん』にお任せしてみてはどうかしら。私にはわかる。もう、親としての役割は終わったと。人生の最期に居たいのは、親ではなく『自分が心から愛した人』だと思う。薫さん、引き受けてくれないかしら?」


 「そうだな。薫さん、父の私からもお願いしたい。引き受けてくれないか?」


 私は、涙がとめどなく流れるのを抑えられませんでした。


 「私でよければ……。いえ、私からお願いします。剛君のそばに居させてください」


 私はその夜、自分の両親と、担任の先生、藤村監督、西川君に連絡し、新神戸に春まで剛君といっしょにいることを伝えました。そして、そのきっかけを与えてくれた香にお礼を伝えてもらうよう、お願いしました。



第6節 「運命のその日・その時」へ向けて

1.日々の生活


 私は、民山先生、鳥井先生とともに剛の世話をすることになりました。

 彼は、朝と晩は、民山先生の診察を受けて必要な点滴を行いました。

 昼間は、鳥井先生の指導の元で歩行訓練や、ダンベル、重りを使ったリハビリを行いました。リハビリはまるで筋力トレーニングのようで、激痛をきわめ、剛はたびたび血を吐きました。私は鳥井先生と同じトレーナー服を着て、鳥井先生の補助を行いました。リハビリが終わるころには、鳥井先生も私も、トレーナー服が血まみれになっていました。


―――――


 1月末にセンバツ高校野球大会の出場校が発表となり、無事に「関門学園」と「玄海高校」は出場権を得ました。それを剛に伝えると、剛は、


 「良かった……」


と一言を残し、眠りにつきました。


―――――


 出場決定後、「関門学園」の藤村監督と民山先生は、高野連と度重なる協議を行った上で、本来は出場が難しいかもしれない「病に侵されている『剛君』」を「1球のみ」という条件で出場させていただく承諾を得てくれました。


―――――


 香の携帯電話の番号を教えてもらった私は、夜な夜な、香から勉強を教えてもらいました。そして、無事に3学期の成績も進級ラインに達しました。


2.「その日」「その時」

 3月に入ると「1日軽く10球程度のキャッチボールのみ」という鳥井先生の目の前で、剛と私は「専用ルーム」の中で、近距離でキャッチボールをしました。

途中から涙が止まらず、剛の球を取り損ねる私を見ながら、


★★イラスト5★★


 「俺の球を取るのは難しいだろ。ゴホッ、ゴホッ」


と言いながら、剛は球の感触を確かめながら、1球1球、かみしめるようにボールを投げていました。10球のキャッチボールが終わるころには、ボールは血だらけになっていました。

でも、そのキャッチボールの間は、「苦しみ」を乗り越えて剛と私が過ごす「かけがえのない楽しい時間」でした。


―――――


 センバツ高校野球開始の1週間前に「関門学園」は、甲子園球場近くの宿舎に到着しました。そして、大会2日前の抽選会で、キャプテンの西川君は「開幕式直後の第1試合。相手は『玄海学園』」のクジを引き当ててくれました。

 大会の前夜、香が私の携帯に電話をかけてくれました。


 「こっちはみんな元気だよ。心配ない。明日、甲子園に無事に剛君を連れて来てね」


 「今まで本当にありがとう。明日は剛を連れて行くね」


 「剛君のユニフォームは、甲子園球場の救護室に届けているから。明日は、開幕式は出なくていいから、第1試合が始まる10時前に剛君を一塁側のベンチに連れて来てね」


 「わかった。ありがとう……」


 すすり泣く私がわかったのか、香は、


 「泣かない、泣かない。明日は笑顔で剛君の投球を見るのでしょ?」


 「わかった。そうする」


 私は答えました。


―――――


 大会当日、救急車で剛、民山先生、鳥井先生と私は甲子園に来ました。

 そして、甲子園の救護室を借り、民山先生が「最期」の点滴を打ち診察を行いました。


 「剛君。調子はどうかね」


 「絶好調ですよ。民山先生、鳥井先生。ここまで僕のことを世話してくれてありがとう。あとは全力を尽くします」


 「ああ、頑張ってこい」


 さすがに、民山先生と鳥井先生もうっすら涙を浮かべていました。


 球場内では開会式が行われており、救護室のテレビモニターには、開会式の状況が映し出されていました。そして、開会式が終わると剛が私に声をかけてきました。


 「さあ行こう。俺をベンチに連れて行ってくれ。肩を貸してくれないか?」


 「はい」


―――――


 制服を着た私は、剛に肩を貸して一塁側のベンチに連れて行き、一番奥の席に彼を座らせました。


 「剛君、はじめまして。私は、薫さんがいない間、マネージャを行っていた『春風 香』と言います。今日は頑張ってね」


 普通は、誰が見ても「ギョ」っとするぐらいやつれた剛を見ても、香は動ずることなく笑顔で剛に話しかけました。


 「君が『春風 香』さんか。いろいろお世話になったね。ありがとう」


 剛がそう言うと、藤村監督は見るのがつらいのか、剛の方を見ずにグラウンドの方を見ながらしゃべりました。


 「西川のやつ。肝心なところで先攻後攻を決めるジャンケンで負けやがってなぁ。でも『玄海高校』の東影が『先攻』をとってくれた。あいつは一番バッターだ。最初から行くぞ。ただ、最初の挨拶にお前は出なくていい。座っておけ。高野連や審判にはあらかじめ伝えている。挨拶が終わったら西川に肩を貸してもらいながらマウンドに向かえ」


 そうするうちに「関門学園」の、剛を除く全員がベンチ前で円陣を組みました。そして、キャプテンの西川君が一言、激を入れました。


 「一球入魂だ。みんな、心に焼き付けておけよ」


 「オーッ!」


 円陣をとくとともに、彼らはホームベースの前に並び、「玄海高校」のメンバーと試合前の挨拶をかわしました。「関門学園」のナインは守備練習に散り、西川君がベンチに来て、


 「さあ行こう」


と剛に肩を差しのべてくれました。剛は西川君の肩を借りて立ち上がりながら、振り向かずに私に一言、声をかけてきました。


 「薫。今まで付き合わせてすまなかったな。これからはお前の選んだ道を進んでくれ」


 剛は西川君に肩を借りてマウンドまで行くと、大きく息をして大空を眺めていました。

 投球練習は一切、行いませんでした。


 「一番。バッター、東影君」


 場内アナウンスとともに、試合開始のサイレンが鳴り響きました。

 その時、私は香がどこにもいないことに気づきました。


 「香。香?」


 「さあ、投げるぞ。刮目するのだ」


 藤村監督の一言で、私は香がいないのを忘れてマウンドの剛を見ました。



第7節 春風にのった「人生最高の1球」


 血を吐くのを必死で我慢しているのか、剛は口をかみしめており、唇は血で滲んでいました。そして剛は大きく振りかぶり、右の5本の指に全神経を集中して、強力なスピンのかかった球を投げました。その姿はまるで、秋季大会のシーンを再現しているかのようでした。

 その時、甲子園のバックスクリーンからホームベースに向けて、強烈な突風が吹きました。

 そして、同時に私はある幻覚を見ました。

ボールと同じスピードで並行して、真っ白な羽衣のような衣装を纏った『香』が、まるで春の突風に乗ったかのごとく飛んでいたのです。


 「行け―っ!」


 私には、その「香」が叫んでいるように感じました。

 剛のストレートは、その強烈な風に乗りながら、秋季大会以上にうなりをあげて、真ん中低めから、高めに向けて伸びて行きました。

 一瞬、甲子園球場全体が静寂に包まれました。その後、


 「カキーン」


という乾いた音と、


 「バキッ」


という鈍い音が球場を包み込みました。

 バットは真芯で真っ二つに折れていました。ボールは……。


 「パリーン」


という音を残し、強烈な逆風をものともせず、センター方向にまっすぐに伸びて甲子園のバックスクリーンの電光掲示板に突き刺さっていました。バックスクリーンへの大ホームランです。剛の投げた球の球速は170km/hを示していました。

 光は、痺れたのか? 折れたバットを握り、振り切ったままの状態で両腕を震わせながらも、スイングした状態で動きませんでした。

 剛は、両手を膝にかけたままで立ち尽くしていました。

 最初に口を開いたのは、剛でした。


 「俺の『人生最高の1球』だった。あとは、あとはまかせたぞ……」


 そう言うと、剛はバッタリと前に倒れこみました。

 その言葉を受けるように、バットを振り切った状態のままで光が、


★★イラスト6★★


 「お前の『夢』もいっしょに、俺がかなえる」


と返答しました。


 「剛、剛―――」


 私を含む関門学園のメンバーがピッチャーマウンドにかけよるのと同時に、民山先生、鳥井先生が救護班を引き連れて現れ、担架で剛を運んでいきました。

 それを見届けた後、光は折れたバットを強く握りしめたまま、ダイヤモンドを一周しました。


―――――


 その瞬間から2日間くらい、私はほとんど記憶がありません。なぜなら……

 剛は甲子園球場の救護室で、意識を取り戻すことなく、そのまま息を引き取りました。

 それを見た直後、私は気を失ったからです。

 それから私は、2日くらい眠り込みました。

 私が目覚めた時には、「関門学園」は「玄海高校」に完敗していました。


 その後のことですが……

 「玄海高校」は、センバツ高校野球大会で優勝しました。

 香は、私が見た「幻覚」を最後に、みんなに挨拶をすることもなく姿を消していました。

 私は、関西から久しぶりに北九州市に返ってきた後、剛のお葬式に出る以外は、春休みはずっと家にこもりっきりでした。


 「これから、私はどうしたらいいのだろう……」



最終節 私の選ぶ道


 春休みが終わり、学校が始まりました。私は高校3年生。

 春休みの間、引きこもっていた私に毎日のように連絡をくれた「藤村監督」、「西川君」に報いるためにも、私は学校に行きました。午前中は始業式と授業、午後は15時まで部活動。野球部のメンバーに励まされながら、久しぶりに楽しい部活の時間を過ごしました。

 そして夕刻、私は、剛と毎日のように立ち寄った公園に一人で向かいました。

 桜咲く木の右側の椅子に座り、剛とのたくさんの想い出にふけっていました。桜の花が少しずつ散っていく。涙がまた流れてくる。私は、人目もはばからず涙を拭くことなく、春風に吹かれていました。その時、私の左横から、


 「薫……」


と声をかける、聞き覚えのある男性の声がしました。そちらの方を向くと、桜の木の下に、純白の羽衣を纏った「春風 香」と、背中に大きな2つの白い羽をつけて病気になる前の体格に戻り、「関門学園」のユニフォームを着ている「倉木 剛」の幻影がこちらを向いて立っているように見えました。そして、剛の幻影が私に語りかけてきました。


★★イラスト7★★


 「薫。最期まで僕のことを想ってくれてありがとう。君がいてくれたおかげで僕は充実した人生を過ごすことができた。僕は君のことが好きだ。だからこそ、これからは僕の分も精いっぱい生き抜いて、幸せになってほしい。君の選んだ道を突き進んでくれ」


 そして、香の幻影も私に語りかけて来ました。


 「私は春風の妖精。私には、春風を操ることしか能力がないけど、いつもあなたたちを見て幸せを分けてもらっていた。今日は、私の仕える『神さま』にお願いをして、特別に剛君の最期の想いをあなたに伝えるために、彼をここまで連れて来たの。薫。あなたのこれからの人生、いろいろなことがあると思うけど頑張ってね。剛君と天国で見守っているわ」


 2人はそう言うと、空に昇っていきました。私はいつまでも、いつまでも、2人の「幻影」を見送りながら空を見上げていました。そして考えました。


 「私の選ぶ道……」


―――――


 それから5年。私は「彼との想い出の詰まった公園」の前に建つ、「海峡病院」の「リハビリ科」で、鳥井先生の指導の元で働いています。病やケガを抱えて苦しんだ人が、再び社会復帰をし、働けるようになる手助けをしたいと思いながら……。


(春編 終わり)

 私の考えた妖精は、地球の大自然とともに生きる「精霊のようなもの」、人間とは違う進化をしながらも、大自然と共生して生き続けてきたのです。妖精たちには、それぞれの特性にあった、たった一つの特別な能力しかありません。ただただ、私たちのことを見続け、よりそってくれる存在です。もし、付け加えるとしたら、彼らのもう一つの能力は、彼らの使える『神さま』に頼み、「亡くなった人」が、「残された人」たちへ「最期の想い」を伝えさせること。もしかしたら、私の考えた「妖精」は、日本神話にある「八百万やおよろずの神々」かもしれません。

 ほとんどの人間は、死の間際では意識を失い、「最期の想い」を伝えられず天に召されます。妖精たちは、天に召された方々を連れてきて、「残された方」に「最期の想い」を伝えさせます。もしかしたら、あなたのもとへも、「あなたが大切に想っていた方の幻影」と妖精が現れ、「最期の想い」を伝えに来るかもしれません。そして、天に召された人も、残された人も、それぞれ、心地良く、次の「道」へ進みます。僕は、そのように信じます。


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