踏み出す一歩
今回はルーカス視点となります。
僕の幼なじみのヨル・リデルはとても可愛い。
濡れたように艶やかな黒髪に、大きな赤い瞳。
無表情な顔も相まってまるで人形みたいだった。
彼女は他の子供たちのように大きな声を上げたりはしない。
ただ黙って、こちらを観察するように見るだけ。
そのミステリアスな感じも、僕たちには魅力的だった。
ガキ大将だったリックのグループにいた僕は、運よく彼女と遊ぶことができた。
魔王役をいつも押し付けられるのは癪だったけど、毎日彼女と遊べるので僕はそれを我慢していた。
遊んでいる時も、彼女は無表情でただこちらを見るだけ。
その赤い瞳は澄んだ綺麗な色をしていたけど、退屈そうに影が差していた。
そんな毎日に変化が訪れたのは、僕らが森へ遊びに行った時だった。
木登りをしていた僕たちの前に、狼が現れたんだ。
必死で逃げたけど、僕は足が遅くて狼につかまってしまった。
狼の牙が身体に食い込んで、痛くて、怖かった。
泣き叫んでも狼は離してくれなくて、このまま食べられてしまうんじゃないかと思った。
その時、ヨルと目があった。
その赤い瞳はいつもと同じ退屈な色をたたえていた。
みんなが、僕の危機に必死になっていたのに、彼女はまるでいつものごっこ遊びを見ているみたいな雰囲気だった。
彼女が狼に手をかざす。
それだけだった。
何かものすごい圧力を背中に感じて、背中の狼が急に大人しくなった。
バケツをひっくり返したみたいに、背中に何か液体が降りかかる。
後ろを振り返ると狼の首が取れて僕の肩口にぶら下がっていた。
「う、うわあああぁぁっっ!」
悲鳴を上げて地面に倒れる僕たちを見て、リックたちはポカーンとしていた。
ヨルは………狼の命を奪ったというのに、何の感情の変化もなく、静かに佇んでいた。
いつもお人形みたいだと思っていたヨルが、急に何か違った生物に見えた。
最強の生き物に……
あの日、ヨルが僕を助けてくれたのは僕が好きだから。
そんな噂が村で広まった。
噂の出所は僕たちのグループのもう1人の女の子、エリーだった。
エリーはヨルの好きな人を聞き出したと、得意げになって吹聴していた。
正直、眉唾物の情報だ。
ヨルからはそんな気配は微塵も感じなかった。
でも、ヨルは否定もしなかった。
だから……僕は、その情報に乗っからせてもらうことにした。
例え、ヨルが僕に興味がなくても、これを機に彼女のことを知れればいいと思った。
好きなもの、嫌いなもの、将来何になりたいのか………そして、僕の感じた最強の由縁。
僕たちが何もできない中、狼を屠ったあの強さ。
あの時見た、圧倒的な強さに僕は惹かれていた。
僕は、この頃から最強に憧れて剣の稽古を始めた。
話してみると、ヨルは思ったより気難しい性格じゃなかった。
母親が好きなのか、母親の話をする彼女は普段と違って柔らかな表情をしていた。
その表情を、僕にも向けて欲しくなった。
だから僕は、いろいろアプローチした。
花をプレゼントしたり、お菓子を作ってあげたり……
そうやって過ごすうちに僕もだんだん彼女のことがわかってきた。
綺麗なものはそれなりに喜ぶ、食べ物には興味がないみたい、最近は本をよく読んでいる。
何より彼女が興味を持つのは、知識だった。
たわいのない隣町の話でも、彼女は自分の知らないことであれば熱心に耳を傾ける。
一緒に遊ぶよりも、僕が一方的に話すことが多くなった。
僕がプレゼントしたペンダントを母親にあげようとした時は流石の僕も落ち込んだ。
ヨルは時々突拍子もない行動をとるけど、最近はなりを潜めていたので油断していた。
確かに身嗜みに無頓着なヨルがアクセサリーを欲しがるのはなんか違和感を感じていたけど……
僕からのプレゼントをプレゼントに使うのはさすがにどうかと思うよ。
みんなの説得もあり、最終的にヨルはペンダントを身につけてくれた。
アクセサリーに興味なんてないはずのヨルだけど、自分の胸元で揺れるペンダントを見る目は確かに優しげに揺れていた。
母親の話をする時の彼女と同じ表情。
もしかしたら、僕たちはもうとっくにヨルにとっての大切な存在になれていたのかも……
もう一歩、彼女に歩みよってもいいのかもしれない。
そう思ったのに、別れは唐突に訪れた。
聖女、それが彼女の正体だった。
それを聞いて、僕の中で納得するものがあった。
みんな、彼女が普通じゃないことには気づいていた。
あの日感じた最強の片鱗、それは神から選ばれた者の力だった。
彼女は最初から、僕みたいな平民が関われる存在じゃなかった。
僕は……ずっと勘違いしていたんだ。
彼女の視界に入れる存在だと思っていた。
どんなに剣の稽古をしたって、身体が大きくなろうが、あの最強とは程遠いことには気づいていたのに。
それに気づかないふりをして、彼女が微笑んでくれるのを期待していた。
ヨルが聖女だと判明してしまった時点で、今更僕が歩み寄ったって意味はない。
僕は持て余した感情を抱えながら、王都に連れて行かれる彼女を見送った。
ヨルにはただお別れの言葉だけを伝えるつもりだった。
これから、彼女の人生に僕が関わることはないと思ったから。
でも、僕らを見る彼女の目があまりにも悲しげ、寂しげだったんだ。
だから、思ってもないようなことを言った、感情を抑えることができなかった。
「僕、王都に行くよ、絶対。ヨルに会いに行くから」
ただの平民が聖女に会うことなどできないかもしれない、でも言わずにはいられなかった。
その言葉を聞いて、少し微笑んだ彼女を見て、一歩踏み出したのは間違いなんかじゃなかったと思った。
それから僕はがむしゃらに剣を振るった。
何か考えがあったわけじゃない、ただ、あの最強に一歩でも近づきたかった。
毎日毎日、剣を振り続けた。
いつの間にか僕の剣は村一番と言われるようになったけど、それでも彼女には届く気がしなかった。
まだまだ、強くならなきゃダメだ、まだ彼女には届いていない。
剣を振る僕は、まだ時間があると考えていた。
僕が一歩踏み出すのを躊躇っているうちに彼女はこの村を去ってしまったのに、僕はその反省を全くいかせていなかった。
聖女の婚約が、発表された。
相手は王弟殿下の子息、つまり王族だ。
僕と彼女の身分差をまざまざと見せつけられた気分だった。
また僕は一歩を踏み出すタイミングを間違ってしまった。
強さなんて関係ない。
彼女に会いにいく、その努力をするべきだったんだ………
その日の鍛錬は、いつもより荒っぽいものになった。
「いや〜、精が出るわね〜」
鍛錬に一区切りついて、汗を拭いている僕に誰かが声をかけた。
振り返ると、そこに立っていたのはヨルの母親のアイシャさんだった。
「……? どうも」
僕はペコリと頭を下げた。
実はアイシャさんとはそれほど交流はなかった。
いつも僕を怖い顔で睨んでくるんだけど、それほど話したことはないんだよなぁ。
なんの用だろうか?
「ねぇ、王都の学院に行くつもりはない?」
「は?」
突然の質問に僕の思考はフリーズした。
一体どういうことだろう…… 王都の学院というのは、貴族とか豪商の子息子女が通う教育機関だ。
僕とは縁遠い世界の話だった。
僕が疑問符を浮かべていると、アイシャさんがこともなげに言った。
「古い友人に王都の騎士団の団長をやっている人がいるのよ〜。もしあなたが望むのなら、推薦してあげてもいいわよ〜」
僕は驚きのあまり、絶句した。
こんな辺境の村にいて、どうしてそんな人と知り合いなのか、この人何者なんだ?
「あなたのことはね、ヨルちゃんにベタベタしていけ好かない子だと思っていたわ〜」
アイシャさんの話は続く。
いや、まぁこの人には好かれていないのはわかっていたけど……
面と向かって言われると落ち込むな。
「でもね、あなたのことを話すあの子はとっても楽しそうだった。だから、私は見ず知らずの王族なんかよりあなたがいいと思う」
アイシャさんが真っ直ぐ僕を見つめる。
いつもみたいなホワホワした微笑みではなく、いつになく真剣な彼女の表情に気圧される。
そうだ、ヨルはいつも彼女に大事にされていた、彼女がこの婚約に何も感じないはずがない。
「好きなんでしょ、あの子が」
ああ……そうだよ。
僕は、ヨルが…………
「好きです」
そう答えた僕にアイシャさん満足そうにうなずく。
「そう、じゃあ私に推薦するだけの実力があると証明なさい」
彼女は片腕をこちらに掲げる。
すると、腕に風が纏わりついた。
まるで僕を威嚇するかのように風がふく。
「その木刀を私に一度でも当てれたら……認めてあげる」
魔法まで使えるなんて……この人本当に何者!?
いや、今はそんなこと考えている場合じゃない。
いきなり降って湧いたチャンス、それを見逃すほど僕は馬鹿じゃない。
僕は深呼吸をして、木刀を構えた。
アイシャさんが腕を振り下ろすと同時に、ものすごい暴風が僕に襲いかかる。
僕は全力で回避行動をとった。
風の刃が地面を削る。
とんでもない威力、まったく手加減のないその猛攻を僕は必死に避ける。
攻撃の合間に隙がない。
僕は避けるうちに彼女からどんどん遠ざかっていった。
村の門番との訓練とは違う、本気の命のやりとりに冷や汗が流れる。
風の刃を繰り出す、アイシャさんの真剣な表情はヨルを思い出させた。
普段無表情なヨルと、コロコロ笑う表情豊かなアイシャさん。
2人は全然似ていないと思っていたけど、こうして見てみるとヨルは驚くほど彼女に似ていた。
彼女の姿とヨルの姿が重なる。
そうしてまた気付く。
全然違う。
あの時ヨルから感じた最強と、アイシャさんから感じる強さは全く違う。
程遠い。
彼女も僕と同じように、最強の足元にも及ばない。
風の刃が迫りくる、でも先ほどのような恐怖は感じなくなっていた。
一歩を踏み出す。
風の刃を避けずに、僕は踏み込んだ。
風が僕の肉を抉り、激痛が走る。
でも、その風の刃はあの時のヨルの攻撃のように首を切り離さなかった、切り離せなかった。
「あああああぁぁぁぁッッッッ!!!」
彼女へと木刀を振り下ろす。
「よろしい」
僕の渾身の一撃は、アイシャさんの右手に受け止められていた。
そして次の瞬間、アイシャさんは左手で風を繰り出し僕を吹き飛ばした。
僕は受け身すら取れず地面に叩きつけられる。
全身を強打した痛みに息がつまる。
アイシャさんはゆっくり近づいてきて、倒れる僕を覗きこんだ。
「合格よ、あなたを学院に推薦してあげる」
合格なら、最後の一撃は何なんですかね……?
僕は心の中で呟いた。
「そうだ、ヨルちゃんと同じ学年にしてもらいましょ〜。あなた童顔だからバレないでしょ〜」
アイシャさんはいつもの調子に戻って、ニコニコしながら言う。
勝手に話が進んでいるし……
「どうせ婚約、ただの約束なんだから〜奪っちゃいなさいよ。そのぐらい強引な方が男はモテるわよ〜」
まったく、この人には敵わないな。
でも、王都へ行けるなら僕に文句はない。
あんなにも遠かった彼女への道のり、僕はまたその一歩を踏み出したんだ。
「会いにいくよ、ヨル!」