人間か、魔族か
窓から差し込む光が、室内を照らす。
ここは、王城にある一室。
ベッドに横たわる婚約者、私はそのそばに置いてある椅子に腰掛けていた。
リュウと婚約してから、私はこうやって折を見ては彼のもとを訪れていた。
生憎今日リュウは眠っており、私は1人で暇な時間を持て余している。
彼が眠っていた場合、私はたいていは本を読んで時間を過ごす。
でも今日はやること、考えるべきことがたくさんあった。
私が魔族を見逃したあの日、勇者はそのことを咎めはしなかった。
彼はただ、魔族の捕虜が脱走したという事実だけを報告した。
勇者も何か思うところがあったのかもしれない。
王都の騎士団が魔族たちを探すため派遣されるだろう。
私はそれを止めることはできない。
私は、自分の身の振り方を迷っていた………
もう、元魔王として人間に牙を剥くことはできない。
そうするには私は人間として大切なものをつくりすぎた。
でも、聖女として魔族と敵対し、彼らを滅ぼすことも……嫌だった。
私にとって、魔族たちは、かつて共に戦った仲間なのだから。
魔族たちにも家族がいる。
彼らは人間とは相容れない存在なのかもしれない、それでも私は彼らの幸せを願わずにはいられなかった。
私はこれからどうしたらいいのだろうか。
私は魔族も人間も、どちらも敵とは思えず、宙ぶらりんの状態になっていた。
ただ、このまま魔族の味方もするのであれば、私は人間側の絶対正義、勇者と敵対することになるだろう。
今の私では勇者に勝てない。
それが私の出した結論だ。
今の私の肉体は、脆弱な人間のものだ。
おまけに肝心の術式も、魔王時代の五割ほどしか再現できていなかった。
魔王の使用していた術式は、魔王専用にカスタマイズされている。
魔王の身体に合うように調整され、強靭な肉体から繰り出されることを想定して作られているのだ。
何も考えずにこの体でその術式を起動すれば、反動で傷を負うことになるだろう。
私は理由もなく、基本的な剣と防御の術式だけを使っているわけではなかった。
それら二つは高い汎用性を持ち、かつ人間の身体でも問題なく使用できる優秀な術式なのだ。
私の最高術式の黒炎にしても魔王の体にフィットするように作られた術式の鎧だ。
今の私の身体は小さく、4本の腕も、尻尾もない。
私の身体用に術式を書き換えねば、使えたものではない。
だがそこで問題になってくるのが魔力の見えない、人間の目だ。
私は何も見えない、手探りの状態で術式を修正しなければいけなかった。
今までは、時間をかけて修正していけばいいと思っていた。
どの道、不完全でも私に勝てるものなどいないと考えていた。
だが勇者と敵対する可能性があるのであれば話は別だ。
早急に何か手を打たなければ……
今のままでは、私は勇者に傷一つつけることもできずに敗北するだろう。
私は、かつての魔王の力を取り戻さなければならない。
魔族側に付くにしても、勇者側に付くにしても、今の私では選択肢がない。
「………はぁ………」
口からため息が出てくる。
村で暮らしていた頃は、こんな悩みを抱えず気楽に生きていたというのに。
随分と難しい立場に身を置いてしまったものだ。
「どうしたの、ため息なんて君らしくも無い」
いつの間にか目を覚ましていたのだろうか。
リュウの青い瞳が私を捕らえる。
私は慌てて首を振る。
「起こしてしまったか。少しな……自分の弱さにうんざりしていた所だ」
私は肩をすくめて答える。
「へぇ、僕は君より強い人なんて見たことないけどね」
こいつ……
あの夜会の会場で勇者の戦う姿を見ただろうに。
それでも私が一番強いと言うのか?
私はなんとも言えず、リュウを見つめ返す。
「あの会場で、君はみんなを助けるため誰よりも速く動いた。ヨルは救える人間に手を伸ばさずにはいられないんだね。その優しさは君の強さだと思う」
それ、は…………優しさとは違う。
私はただ、自分のせいで罪のない誰かが傷つくのが嫌なだけ。
父親のように、私が原因で人が死ぬのが許せないだけだ。
頭の中で言い訳を並べる、でもリュウの目は私を真っ直ぐ見つめている。
私を信じきった目だ。
…………なんだか馬鹿らしくなってきた。
目の前の少年がこんなにも私のことを信じてくれているのだから、私も少しは自分の力を信じてもいいのかもしれない。
「私が強い?……ククク、そんなこと当たり前だろ。私を、誰だと思っている!」
私は不敵に笑ってみせる。
少し……元気がでた。
屋敷に帰ると、私の養父であるロレンスがいた。
彼は私が帰ってくるのを待っていたようだ。
「ヨル様、お待ちしておりました。大事なお話があるのですがよろしいでしょうか?」
うえぇ……
私は机の上に置かれた書類の束を見て心底ウンザリとした気持ちになる。
いったい何の話だろうか。
「ヨル様はそろそろ10歳になります。王都の学院へ通う準備をしなければなりません」
「学院、ですか?」
私は首を傾げる。
王都の学院というのは、貴族や優秀な人材のための教育機関だ。
貴族の子女や、才能のある平民が通い、国の中枢を担うような人物を育てる場所。
私はそんなところに通わなければいけないのだろうか。
正直面倒くさい。
教育なら今まで散々やってきただろう、これ以上私の頭に何を詰め込むというのだ………
「貴族のご子息や勇者様も学院に通うようです。在学中にご交友を持たれるのがよろしいかと」
勇者?
勇者はそんな年齢じゃ…………ああ、あの震えていた今代の勇者のガキのほうか。
私と同じくらいの年齢のように見えたが、同い年だったとは。
「つまり学院で交友関係を広めてこいという事ですか」
私の問いに、ロレンスは静かにうなずく。
「聖女として、味方を増やさなければなりません」
聖女として……か。
なぜ今更そんなことを強調するんだ?
別に私と敵対する存在がいるわけでもないのに。
「実は、問題が起こっているのです。本題はこちらの話でして……」
ロレンスの言葉に私は眉をひそめる。
問題?一体何のことだ。
話ぶりからして結構深刻な問題みたいだけど。
まさか、また魔族が何か問題を起こしたとか言わないだろうな。
「ヨル様の他に聖女が現れました」
「へ………?」
今何と言った?
私の他に聖女?
聖女って1人っきりじゃないの?
「それも2人も」
なん…………だと!?