(3)
――
「給料日の週の金曜日っていうのは、どうしてこうも気持ちが晴れやかになるのかしらねぇ、リッちゃん」
「ホントね、マリル」
「うふふふ」
「あははは」
午後五時半。城内勤務の人間は定時の退勤時刻となる。基本的にはシフト制で二十四時間、何人かの騎士団員、魔術団員が城内に勤務を続ける事になるが、リーシャとマリルは今週に限り通常の勤務時間での仕事となっていた。
加えて今日は花の金曜日。死語と化しつつあるこの言葉ではあるが、土日の勤務のない二人にとってはまさしくこの勤務終了からの時間はそう例えるしかない至福の時間であった。二連休に加えて、給料日。買い物もできる、旅行もできる、豪華な食事を楽しめる、と休日の過ごし方の選択肢が一気に広がるこの気持ちの開放感は何物にも代えがたい、まさに花咲くようなときめきの一時なのだ。
「マリルは明日からなにするの?」
「んー……決めかねてるんだよねー。リッちゃんはしたい事ある?」
「マリルにどっか連れてってもらおうかなー、って思ってる」
「あははー。もー、アタシ頼りなんだからリッちゃんはー。このっ」
「えへへへー」
様々な理由で殺伐とした騎士団業務と魔術団業務から離れ、気持ち切り替えのスイッチがすっかり『休日モード』になった二人の雰囲気は、異様なほどに穏やかだ。
リーシャは退勤した後すぐに魔術団の詰め所に行き、マリルと合流。カップに紅茶を注ぎ、入道雲を紅く照らす夕日を窓から悠々と眺めているのであった。
「ルーちゃんもそろそろ来るかな?今日定時だよね」
「朝からオキト西の方に出張だったみたいだけれど、午後には戻るって予定だったわよ。わたしは一日城の中だったからよく分からないけどね」
「城の中には戻ってきてるみたいよ。午後に、ウチの研究用魔法生物が逃げ出しちゃってさー。ルーちゃんが捕獲手伝ってくれたみたいで」
「みたい、って。マリルはなにしてたのよ?」
「アタシは混乱に乗じて溜まっていた書類仕事を一気に片付けたのよ、ふふん」
「ふふん、じゃないわよ。どーせ今日提出の書類とかあって、ギリギリで書いているのを見られるのもなんとなく気まずいからバレないように仕上げてたんでしょ」
「……なんで分かるの、リッちゃん」
「アンタの生態が段々理解できてきたのよ」
涼しい顔で紅茶を飲むリーシャ。
と、その時。
魔術団詰め所の古い木製ドアがゆっくりと、軋みながら開いた。
皆が退勤し始めているこの時間に此処に入ってくる人間といえば…… と察しをつけながら、マリルとリーシャは入り口の方に視線を移す。
「おっ、おかえりルーちゃん!いやー、色々とお疲れ――」
「遅いわよー。一体なにやっ――」
二人同時にかけた言葉は、入り口にいるべき人間…… ルーティア・フォエルに向けられたものだ。
しかし、マリルとリーシャが見たのは…… 普段とは違う、凜々しさも明るさも全くない、げっそりとした女騎士の姿だった。
「う、う、う、う……」
フラフラと、視点の定まらない瞳のままゾンビのような足取りでマリルとリーシャの座るソファに近づいてくるルーティア。今にも倒れそうな彼女に、マリルとリーシャは慌てて駆け寄った。
「ちょ、ルーちゃん!?ど、どうしたの一体!?」
マリルがその身体を支えると、ルーティアは力の無い顔でにっこりと微笑む。
「……朝から、なにも、食べてなくて……」
「え、なんでよ?そんなに忙しい日だったっけ?」
今度はマリルの隣にいるリーシャの方を見て、再び生気の無い顔でにっこり微笑むルーティア。
「……色々と、タイミングが悪くて……」
「タイミングが悪かっただけでこの時間までご飯食べてないの!?」
「なんというか……そういう日だったみたいで……」
「と、とにかく座りなさいよ。今にも倒れそうよ、アンタ」
マリルがルーティアの右肩を、リーシャが左肩を支えながら歩き、二人はゆっくりと女騎士をソファに下ろした。
「……すまん」
「何か食べる?ルーちゃん。お菓子なら色々あるけど」
詰め所には、休憩用のお茶菓子が常備されている。ソファと低いガラステーブルの向こうにある食器棚から、マリルはビスケットや飴の袋を取り出してルーティアに見せた。
「……空腹をお菓子で満たすのは、あまり……」
「いいから少しでも入れておきなさい。ここで倒れられても困るし」
リーシャの勧めに、ルーティアは力無く頷いた。
「じゃあ……そのビスケットとポテトチップとチョコレートと飴玉とあたりめを……」
「気乗りしない割には全部食べるんじゃん」
――
「ふむ……早朝に魔法罠を仕掛け終わったら帰りに橋が壊れて遠回りする羽目になり、城に帰ったら魔法生物捕獲を手伝わされ、その間に食堂は閉まり、騎士団長への報告をしたり報告書を書いていたらこの時間になった、と……」
マリルは腕組みをしながらうんうん、と頷いて情報を整理した。
「うううう……。もう途中からヤケクソというかどうでも良くなってきて、この時間まで何も食べないでいたんだ……。もう惨めというか、笑えてくるというか……」
ガラステーブルに顔を突っ伏してシクシクと泣くルーティア。その横には空になったお菓子や飴の袋が散乱している。
「そんだけお菓子食べたんだからいいじゃない」
「よくない。お菓子では空腹は満たされない」
「そんなワケないと思うんだけど……」
その特殊な体質が理解できないリーシャであった。
「まあ、確かに一日の空腹を耐え忍んだルーちゃんの心は、お菓子じゃ満たされないかもしれないね。折角の金曜日の夜、食堂のメニューじゃ勿体ないかな」
マリルは顎に手を置いてしばらく考え事をするように俯いていると…… やがて、何かを思いついたようにパチン、と指を鳴らしてソファから立ち上がった。
「それじゃあ今日はいっそ外食!ルーちゃんの心とお腹を満たす……新たな食事をするわよ!」
「心と、お腹を……?」
その言葉に希望を見出すようにゆっくりと突っ伏した顔をあげてマリルを見上げるルーティア。 リーシャは腕組みをして、問いかける。
「食べ物ならなんでも好きじゃん、コイツ。『ケラソス』とかいういつもの居酒屋でいいんじゃないの?」
「それもいいんだけれどね。でも、アタシに策があるの。一日を耐え忍んだルーちゃんにはぴったりのメニューが……ふっふっふ」
「耐え忍んだ私に、ぴったりな……?」
ルーティアは、マリルの次の言葉を待つ。
そしてマリルは、ルーティアとリーシャの方を向いてビシッと宣言をする。
「とにかく、街に繰り出すわよ!休日マスターにして金曜日マスターのマリル・クロスフィールドに任せなさい!」
「おおー」
「ま、期待しておくわ」
……もはや自然な流れで一緒に食事をとるという事に全く疑問を抱かないように訓練をされた、リーシャであった。
――




