(6)
――
ゲルマニウムの鉱石で出来たその岩の床に、しばらく寝転ぶルーティア。
初めのうちはただ暑いだけだ、と思っていたその感覚が徐々に変貌していくのが自分自身で感じられた。
暑い、から暖かい、へ。そしてその暖かさは、自分の身体の奥に潜む冷えに浸透していくかのように、石の床からルーティアの身体へとゆっくり伝わっていく。
タオル一枚の生地で、足裏で熱いと感じていたその熱は図ったかのようにちょうど良い温度になっている。
それは、文字通り『岩盤浴』。
大きな、温かい岩盤の上に身体を寄せれば、それはまるで温泉に入っているのと同じ感覚。
初めはほんのりとかいていた汗も、だんだんと量が増えていく。だがその汗ですら、心地いい。炎天下でスポーツをしてかくようなジメジメした汗ではなく、身体を潤し、バリアを張るようなサラサラとした汗が全身に満遍なく出てくるのだった。
ルーティアは、初めて汗をかく事に、心地よさを感じている。
(……暑いのに、慣れてきた。いつまでもこの場所に留まれそうだ)
目を閉じて、穏やかに流れるピアノの旋律と小鳥のさえずりに耳を傾ける。
50℃という『少し暑い』室温のおかげで、サウナや温泉よりずっと長く滞在が出来る。それゆえ、今までに経験した事のない、ゆっくりとした発汗という体験を味わう事が出来るのだ。
厚手の布団に包まれているような、その感覚。
自分が起きているのか、眠っているのか判別が難しくなってくる、ちょうどその頃。
マリルが、ちょんちょん、とルーティアの肩を指でつついた。
「……アタシそろそろ出るけど、ルーちゃん、どうする?」
他に客はいないが、その空間の雰囲気を壊さないようにマリルは小声で話した。
「あ……ああ。私も、出る」
一体、どのくらいこの場所にいたのだろう。
……ひょっとしたら、少し眠っていたのかもしれない。だとしたら、随分と自然に眠りに落ちたものだな、とルーティアは自分の感覚に驚いていた。
既に顔にも滲んでいるくらいに汗をかいているルーティア。確かにここにいるのは心地いいのだが……段々と暑さが苦しさに変わってくる時がある。きっとこのタイミングが、岩盤浴を出るベストなのだろう、とルーティアは想像した。
ルーティアとマリルは、自分が使っていたスペースのバスタオルをくるくると丸め、その部屋から離れる。
――
「ふー、気持ちがいいな……」
ゲルマニウム岩盤浴の部屋を離れて、二人はすぐに別の部屋に入る。
『クールルーム』と立て札に書いてあったその部屋は、魔石を使った氷魔法を発動する冷風機が数台設置された部屋。
凍えるほど寒いわけではなく、大きな冷蔵庫の中に人間が入っているような室温。長く留まれば身体が冷えてしまうであろうが、岩盤浴で火照った身体を冷ますには、ぴったりの室温であった。
「汗をかいた身体を、ここでいったん冷やすのよ。そいでラウンジで水分補給をしながらゆっくり休憩して身体を整えたら……もう一回、岩盤浴の部屋に入るの」
会話OKなこの部屋の中では、マリルもルーティアも気兼ねなく口を動かせる。
男性客が今はこの部屋の中にいないので、二人は汗をかいた館内着をパタパタと少しはだけさせながら、熱くなった身体に部屋の冷気を当てていた。
「……なるほど。分かってきたぞ、岩盤浴というものが」
「お。さすがルーちゃん。それじゃ、どういうものだと思う?」
腕組みをして呟くルーティアに、マリルが興味ありげに身を乗り出してきた。
「温泉やサウナは、身体を温めるために存在している。その効果は絶大だが、身体の奥底にある『冷え』に対しては、急激に温める温泉やサウナでは対応出来ない場合がある……。 この岩盤浴というのは、穏やかな暖かさをもって、ゆっくりと身体を温める……いわば、遅効性の効果があるものではないだろうか」
ルーティアのその見解に、マリルは嬉しそうに笑って小さく拍手をした。
「さすが、我が愛弟子。その通り!ほんのりとした熱気をもったこの設備では、身体は『内側』から温められるの。石床から伝わってくる熱が身体の奥底まで伝わって、まるで自分の体温みたいに感じられるでしょ?」
「うむ。だからこそ、こんなに汗をかくのだな。温泉では感じた事のない体験だ」
「温泉は、その泉質で外側から様々な効果が得られる。対して岩盤浴は、発汗によって自分自身の新陳代謝を高めて効果を得る。同じ温めるという目的のある設備でも、その効果は全く違うのよねー」
得意げに人差し指を立てて説明するマリル。
そして彼女は、ぐい、と顔をルーティアに近づけて質問をしてきた。
「それで、どう?岩盤浴。気に入った?」
その質問に、「愚問だな」と言わんばかりにルーティアは微笑んだ。
「ああ、気に入った。マリルが勧める冷え対策なのだ、気に入らない筈がなかろう」
「よかったー!いやでも、サウナと同じで好みがある休日の過ごし方だろうからさー。ルーちゃんが気に入ってくれてアタシも嬉しいよ。うんうん」
内心、ルーティアの身体に合っているのかが少し不安だったのであろう。マリルはホッと胸を撫で下ろしたあと、安心してうんうん、と頷いた。そして、言葉を続ける。
「冷え以外にも、汗をかく事によって色々な効果が期待されているらしいわ。血流改善、免疫力向上、美肌効果……。まあ、色々とあるんだけど、何より……」
「汗をたくさんかいて気持ちがいい、だな」
「うんうん、それに尽きるのよ!この感覚は実際に味わってみないと分からないからねー。ルーちゃんが気に入ってくれて、良かった!」
二人は笑顔で語り合い、しばらく身体を冷やした。
程なく、火照った身体は平常の状態へと戻り、汗もすっかりひく。
「さ、水分補給をして、ラウンジで休憩。その後は……勿論、もう一回、いけるわよね。ルーちゃん」
「ああ。まだまだ、汗をかき足りないぞ」
二人はクールルームを後にして、ラウンジへと戻っていった。
――
次に二人が入ったのは、『岩塩』の岩盤浴エリア。
先ほどは平面の石の床だったのに対し、このエリアではゴツゴツした小さな白い石……『岩塩』が、寝転がるスペースに敷き詰められている。
足を踏み入れると、まるで足つぼマッサージのようにその親指の先くらいの岩塩が足裏にキツく触れ、少々の痛みがある。加えて岩盤浴である事からしっかりと熱も持っており、ルーティアとマリルは少し慌てながらタオルを敷いた。
(む。バスタオルを敷けば、このゴツゴツした岩塩もちょうどいい刺激になるのだな)
小さな岩塩の上を覆い被すように敷いたバスタオルの上に、ルーティアは仰向けに寝転ぶ。
先ほど同様、熱はじんわりとタオル越しに伝わってきて、程よい暖かさをルーティアに伝える。この岩塩エリアではそれに加え、一面に敷き詰められた石が仰向けになった身体にフィットするように形を変えていく。密着するようにルーティアの背中にある岩塩は、その形通りにフィットした。
(なるほど。こうして小さな岩塩を敷き詰めれば、こうした時に身体にぴったりくっつくようになる。―― お……!)
早くも、ルーティアは再び汗をかき始めた。
一度冷やした筈の身体なのだが、まるで一度温められたのを覚えているかのように短時間で発汗を始めたのだった。
(……これが……『芯から温まってくる』という事なのか……!?)
温め、冷やし、温める。
それを繰り返す事により、新陳代謝が活発になり、すぐに発汗をするようになる。身体の奥底にあった冷えが段々と解消されていき、心地よい汗とともに流れ落ちるような感覚を、ルーティアは味わっていた。
(なるほど……。……ふふふ、まさか、汗をわざとかくのがここまで心地よい事だとは思わなかったな……)
ルーティアは目を閉じながら、自分の感覚の変化に思わずにやけてしまう。
意識は再び目覚めと眠りの狭間にいき、温かさだけが身体を包む。
日常の喧噪も心配事も忘れ、ただひたすらに暑さに身を任せ、汗をかく。
運動をしているのでもなければ、厚手の布団で眠っているわけでもない。
今までに味わった事のない、新しい『汗のかきかた』の感覚を確かめるように……このあとも、ルーティアとマリルは、様々な石の素材の岩盤浴を試しては、クールダウンをするというローテーションを何度も行っていくのだった。
――




