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(5)


――


 ドラゴンの湯、二階……『岩盤浴エリア』。

 通い慣れてきた施設の二階に、よもやこんな設備があると思っていなかったルーティアは驚愕した。


 木目調の小洒落たインテリアで統一されたラウンジの居心地は良く、ベージュや茶色で統一された椅子とソファにのんびり座っているだけで一日が過ぎてしまいそうな心地よい空間が広がっている。

 部屋には小さな音量で落ち着いたピアノの旋律が流れており、この場所に居る者達の気持ちを落ち着かせていた。

 

 呆然とその景色を見つめ、人々がどういう過ごし方をしているのかを観察するように見るルーティア。

 そしてそこに、いつの間にか、冷たい水の入ったボトルを両手に持ったマリルが歩み寄ってきた。


「まず第一に、水分補給。はいコレ、ルーちゃんの分ね」


「あ……あ、ああ。すまない」


 発汗。

 マリルは、この場所のポイントをそう言っていた。

 とにかくルーティアは、マリルが水を飲んでいるのを真似するかのように自分のボトルを開け、水分補給をした。


「……ぷは。それじゃ、ざっくりと説明するね。ルーちゃん、一階のお風呂エリアに『サウナ』っていう場所があるのは知ってた?」


「ああ。あの、部屋の中が異様に暑い空間の事か。確か露天風呂エリアの片隅にあったな」


「うむうむ。それじゃ、中に入った事があるんだね?」


「一応な。だが、暑いだけで何の場所かさっぱり分からないからすぐ出てしまったのだが」


「……ふーむ、なるほど。それじゃあルーちゃんは、まずは自分に、その『暑い』という気持ちが『気持ちいい』にリンクする感覚があるかどうかって事を体験してみないとね」


「……暑い、が、気持ちいい?」


 さっぱり意味が分からないルーティア。

 夏場にトレーニングをすれば、暑さのせいで汗をかく事もある。だがそれを気持ちいいなどと思った経験はなく、むしろ汗のせいで身体がべたついて気持ちが悪いとさえ思った事がある彼女には、その言葉は理解出来なかった。


 しかしマリルは、言葉を続けた。


「サウナに初めて入った時、暑くて意味が分からなかったでしょルーちゃん。その気持ちが、これから岩盤浴をしていてずっと続くのならコレはルーちゃんには合わない設備、って事で帰りましょ。……でも、もしも適合したのなら……ふっふっふ」


「て、適合?つまりは、サウナと同じ設備という事か?」


「似て非なるもの、という言い方が正しいわね。 ……さ、水分補給も終わった事だし、ボトルはそこの魔法式冷蔵庫に入れておいて。 それじゃあ早速入るわよ」


「な……。まだ私は、理解が出来ていないぞ!?」


「一回入ってみないと説明できないんだってー。ほらほら、びびってないでとにかくついておいで。おねーさんに任せなさい」


 楽しそうなマリルは、ルーティアの腕を引っ張ってラウンジの奥のエリアに進んでいく。


 そして、幾つもある小部屋に繋がるドアの中の一つで立ち止まった。


 そこには『ゲルマニウム鉱石』という立て札と『50℃』という温度が記されてある札が掲げてあった。


「ふむ。まあ、ここからでいいかな。部屋の中は他のお客さんもいて基本的に喋っちゃ駄目だから、先に言っておくわ。受付で借りたバッグの中に、大きなバスタオルがあるわよね」


「あ、ああ……これか?」


 ルーティアは、右手に提げていたバッグから畳まれた大きなバスタオルを取り出した。

 身体を拭くバスタオルは別にあるし、更に大きなこのタオルの存在もルーティアには謎のままであった。


「これからする事を言うわね。部屋に入って、バスタオルを敷いて、その上に寝そべるの。単純でしょ?」


「……寝る?これを布団にしてか?」


「布団というか、マットね。まあ入ってみればこの辺も分かると思うから……とにかく、行ってみましょ♪」


 理由の分からないまま、再びマリルに腕を引かれてルーティアはその『ゲルマニウム鉱石』と書かれた部屋の中に入っていったのだった。


――


「……!」


 部屋の中では基本的に話してはいけない、と言っていたマリルの言葉を思い出し、ルーティアは言い出しそうになる口を押さえた。

 出そうになったのは、部屋に入ってすぐの感想だった。


(―― 暑い。だがその前に…… 『熱い』!)


 部屋の中は確かにサウナと似ているようで、ラウンジの温度より大分高い。おそらく部屋の前に書かれた『50℃』というのは、この部屋の中の温度を指していたのだろう。

 しかし、サウナほどの暑さは感じない。

 サウナでルーティアが思ったことは暑いことと、そして暑さからくる肌や口への痛み。

 だがこの岩盤浴という場所は、言うなれば『ほどよい』暑さ。肌に刺さるような熱気はなく、むしろ包むような暖かさというほうが近かった。

 では、ルーティアは何に対して『熱い』と言っているのか。

 それは、自分が素足で踏みしめている、固い石の『床』であった。


(この石の畳が熱を持っていて、だから部屋全体が暑くなっているのか……。ぐ、熱くて耐えられん……!)


 足の裏に感じる熱さを振り払うように、こまめに左右の踏む足を入れ替えるルーティア。

 そこへ、マリルがルーティアの肩をちょんちょん、と叩く。

 いつの間にか、マリルは眼鏡を外していた。 きっとこの部屋に入ると熱で眼鏡が変形してしまうから、外の眼鏡置きに置いてきたのであろう。


 マリルはルーティアに、目で合図をした。

 視線の先にあるのは……簡素な通気性のある枕。それが数個並べられ、低い石の壁で区切られたスペースが合わせて五つほど、部屋の中に存在している。ちょうどその大きさは、人が一人寝てぴったり収まるくらいのものだった。


 マリルは見本を見せるように、自分の持っているバスタオルをふぁさ、と広げた。

 それがぴったりと収まるように先ほどのスペースに敷かれ、枕の上もカバーする。

 そしてマリルは、そこにゴロン、と仰向けに寝そべってみせた。


(こ、この石畳の上に、寝転がるというのか……?大丈夫なのか、これは……!)


 足裏ではかなり熱い床であり、その上に寝転がれば火傷をしてしまうのではないかという懸念がルーティアにはあった。

 しかし、そこで合点がいく。そうか、だからこそこのバスタオルが必要なのか、と。


(……こう、バスタオルを広げて…… この上に……)


 ルーティアは、マリルの見よう見まねでバスタオルを敷き、隣のスペースに仰向けで横になる。

 バスタオルがある事により、あれだけ熱かった石の温度は、そこまで感じなくなっていた。


 部屋の中は薄暗く灯りが照らされ、ラウンジにも流れていた穏やかで静かなピアノの曲と、小鳥のさえずりの環境音が小さく流れている。

 幸いルーティアとマリル以外の客は今はいないようで、その空間の中で二人はごろん、と固い石の床の上にタオル一枚で仰向けになる格好となった。


(……わからん。これの何が気持ちいいというのだ。ただ蒸し暑いだけじゃあ……)


 しかし、その床に仰向けになったルーティアの背中に、ある感覚がまず迫ってくる。


(む……。背中が……暖かい……)


 バスタオルで遮断されていたと思われていた、石畳の熱。その熱が少しずつバスタオルを伝導し、緩やかにルーティアの背中に感じられてきた。


(なんだ、この感覚は……。まるで熱が、全身を包んでいくような……!?)


 背中からくる程よく暖かいその熱は、やがてルーティアの全身をゆっくりと歩いていくように伝わっていく。

 それは温泉で温まり、ここにくるまでにやや冷えてきていた身体を再度暖め直すような感覚。まるで身体の奥底にある冷たいものに、浸透していくような……不思議な感覚であった。


(……これは……。蒸し暑いだけではない。いや、むしろ……!)


 蒸し暑さを、初めは不快だと感じていたルーティア。

 しかしこの部屋に寝そべってみると、感覚が徐々に変化していたのだ。

 それは、身体の内なる声のようにも思える。


 すなわち…… 『もっと暖まりたい』。

 そんな要求を、いつの間にかルーティアはしていた。


(サウナほど暑くはないし、じんわりと身体が暖まっていく感じがする……。これは……こ、心地いいかもしれないぞ……)


 じわり、とルーティアの首筋に汗が流れた。

 背中は既に汗をかき始めていて、時間が経つにつれてそれは全身の汗へと変化していく。

 汗は、人間の体温調整のための機能でしかない。少なくともルーティアはそう考えていた。

 だが今は……その発汗ですら、心地いい。べとついた汗ではなく、さらさらと流れるようにかく汗がこんなに心地のいいものだと、知らなかったのだ。


(……これが、岩盤浴……!)


 ルーティアは、マリルが言っていた岩盤浴という設備の効果を、文字通り肌で感じているのであった。


――



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