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「いらっしゃいませー、『ドラゴンの湯』へようこそっ!本日は何名様で――」
受付のカウンターにいるのは、かつて初めてルーティアとマリルがこの場所を訪れた時にいた女性の店員だった。
にこやかな笑顔で入り口からの来客に対応をしているが、ルーティア達の姿を視認すると彼女は『来客モード』の笑顔から『常連モード』の微笑みに変わる。
「あら、ルーティア様にマリルさん!いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
「うむ、今回も世話になる」
あれから何度もこの温泉を訪れている二人。仕事終わりに一風呂浴びに来る事もあれば、一人の休日にのんびりと朝風呂を楽しみに来たりする事もあり、お互いすっかり常連客と化している。
――もっとも、それは『一階』を利用していただけに過ぎないのだが。
靴箱に靴を入れ後ろから着いてきたマリルは、ルーティアの隣に立つ。
そして、身を乗り出すように受け付けの店員さんに告げた。
「……今回は、『岩盤浴』の利用を二人、お願いね……!」
怪しく微笑むマリルのその言葉に、店員さんは目を見開いて驚く。
「!!が……岩盤浴、ですか……!?マリルさんまさか、ルーティア様を遂にあの場所へ案内する時が来たのですか……!?」
「そう。ガナーノ国の雪山に出張があってね。オキトに戻っても梅雨時期でやや気温が下がってきているおかげでルーちゃんもアタシも身体の冷えが抜けきらず、未だに羽毛布団が手放せない夜を過ごしているわ……。だから……」
「そう……なのですね。それならば確かに、ウチの岩盤浴が最適です。ですが、ルーティア様は……!」
「大丈夫。ルーちゃんならきっと、あの修練の先にある何かを見いだす事が出来るわ……!」
神妙な面持ちで会話をする、店員さんとマリル。
それをポカン、とした表情で見るルーティア。
何故この二人はこんなテンションでひそひそと話しているのだろう。ここはあくまで公衆浴場だぞ、という謎がルーティアの頭をぐるぐる渦巻く。
店員さんは、何かを悟ったように一度瞳を閉じて俯き……そして、顔を上げて真っ直ぐな瞳でルーティアを見た。
「分かりました。お覚悟は出来ていらっしゃる、という事なのですね。では……ご案内をさせていただきます……!」
「……あの。何か物凄い事を始めるみたいな感じになっているけれど、休日を過ごすんだよな、ココで」
確認のために尋ねるルーティアに、マリルは腕組みをしながら頷いた。
「それでは、こちらをお持ちください。ルーティア様、マリルさん」
店員がカウンターの下から、何かを取り出して二人の前に差し出す。
透明なバッグの中には、いつも利用している貸しタオルセットの他に、朱色の浴衣のような衣服が入っていた。そして、それとは別にバスタオルよりも更に大きなタオルが一枚、余分にバッグの中にある。
「これは?」
「こちら、岩盤浴専用の館内着、タオルセットになっております。当館では岩盤浴を利用される方に必ずお渡しをさせていただいております」
「なんでだ?私はいつもの貸しタオルセットがあれば十分なのだが……」
質問をするルーティアに、店員さんは微笑みながら小さく横に首を振った。
「二階に上がるためには……必ず、この館内着を着ていただくのです」
「なん、だと……?」
「二階に入るためにはこの館内着が案内チケットの代わりとなるのです。今着ていらっしゃるお客様の服のためにも……」
「この服のために……!?い、一体これから、何が始まるというのだ……!?」
なんだかルーティアも、神妙な雰囲気に飲み込まれてしまっている。
店員さんは、怪しい微笑みを浮かべながら説明を続けた。
「まずは一階。いつものお風呂の脱衣所にてお着替えをしていただき、それから館内着に着替えていただく流れになっておりますが…… その前に一度、お風呂に入っていただくのがわたくしのオススメです」
「風呂に? 二階の『がんばんよく』とやらに行くのではないのか?」
「ええ。その通りなのですが…… まずは身体を温める事で、より岩盤浴の効果が高まるのです。この辺りはお客様の自由となりますが、初めてご利用をなさる方には必ずオススメをさせていただいております」
「う、うむ……。それならば、そうしようかな」
岩盤浴の効果、というのがよく分からないが、この場所を知り尽くした店員さんの言うことならば間違いないだろう。ルーティアは素直に従う事にした。
承諾をしたルーティアに、店員さんも嬉しそうに頷く。
「二階に行ってからは、マリルさんがお詳しいと思いますのでお聞きになられると良いかと。後の事はお任せしますね」
「オッケー、任されたわ。……さ、行こう、ルーちゃん!」
「あ、え、ああ……。でも装備とか、準備とか……」
「はいはい、剣も鎧もいらないからねー。館内着とタオル、それからそこの冷蔵魔法式自動販売機で冷たい水でも買っていきましょ。アタシが買ってあげるからねー」
「う、あ……。ほ、他に何か説明は……」
戸惑い、店員さんに助けを求める顔をするルーティアの腕を、マリルがグイグイと引っ張って風呂場の方へ連れて行こうとする。
店員さんはそんな様子を見て、ただただ嬉しそうにニコニコと笑うだけだった。
そして、赤い暖簾の奥へ姿を消していく二人を見送り……店員さんは、ふう、とため息をつく。
「……ルーティア様、あなたならばきっと……暑さの『先』にある何かを、見出す事が出来ますわ……!!」
――
「……なんだか、すっかり暖まってしまったのだが」
いつものように一階で一風呂浴びたルーティアとマリルは、私服から館内着に着替えてドラゴンの湯の二階へ続く階段を上っていく。
どうやら話の流れから察するに、『岩盤浴』という設備がこの施設の二階にある事はルーティアにも理解できた。そしてそれが、氷龍との戦いで冷え切ってしまった身体への何らかの対策だという事も。
しかし受付嬢は何故か、先に一階の風呂で身体を暖める事を勧めた。
言われるがままにいつも通り露天風呂に入りゆっくりと身体を暖めた二人だったが、ルーティアとしては既に冷えも解消したようにも思える。
しかしマリルは「甘いわね」と人差し指を振った。
「冷え切った身体を暖めるには、温泉は有効よ。でもそれ以外の方法がもう一つある、っていうのを今回体験して欲しかったのよ、アタシは。ルーちゃんの休日の師匠としてね」
「むう。まあ、マリルの言うことだから間違いはないのだろうが……」
休日マスターのマリルには絶大な信頼を置いているルーティアであった。
普段の魔法使いとしての信頼とは真逆の価値観となっている。
「へへへー。実はね、ドラゴンの湯の二階にいつルーちゃんを案内しようかなーってチャンスを狙ってたのよ。もう夏も近いし、そもそもが暑いわけでしょ?アタシ的には岩盤浴のベストシーズンは冬から春にかけてだからさー。でも今回、ガナーノ国の出張であんな寒い思いしたから『コレだ!』って思ったのよ」
「ふむ……。しかし、見当がつかないな。一体、岩盤浴とはなんなのだ?」
「実際に体験した方が理解が早いと思うんだけどね。まあ、ポイントがあるとするならば……ずばり、『発汗』よ!」
「発汗……?」
そして、ルーティアとマリルは階段を上りきり、たどり着く。
ドラゴンの湯、二階。 『岩盤浴エリア』の全貌が今、ルーティアの眼前に現れたのだ。
「な……なんだ、コレは……!ドラゴンの湯の二階に、こんな施設があったのか!」
広いラウンジ。
魔法ランタンの光が薄明るく大きな部屋の中を照らす。
大きなソファや、リクライニングチェアが所々に置かれ、よく見ればハンモックまで備え付けてあった。
自分たちと同じ館内着を着て、その中を行き交う人々。
ある者はソファに座ってくつろいで読書をし、ある者は巨大なクッションに座ってうたた寝をしている。
そしてある者は……ラウンジのあちこちにある『小部屋』に入っていくのだった。
マリルが、ルーティアの肩を叩いて告げる。
「さあ、ルーちゃん……。いくわよ、岩盤浴へ!」
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