四日目 vs国王(3)
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「…………」
言葉を失う、ルーティア。
それは試合をしている彼女だけではなく、道場にいる兵士達全て同じだった。
腰の折れ曲がった老人の肌はみるみるうちに張りを取り戻し、血管を通り血が通っていく。
ゴキ、ゴキと骨と筋肉の軋む音が聞こえるたび、国王の身体は大きく、太く、そして高くなっていく。
盛り上がる側帽筋、固く太くなる上腕筋、大木のように巨大になるハムストリングス。
頭の先からつま先まで、その老人の…… いや、男の身体には、装甲のような筋肉が身についていく。
それだけではない。
ルーティアが見下ろすほどだったルベルト国王の背丈はみるみるうちに伸び…… いつの間にか、ルーティアは国王の顔を、見上げていたのだ。
「はぁぁぁ……ッ!!」
バチィッ!!
国王の鎧は、内部から膨れがあった筋肉によってバラバラに弾き飛ばされる。それにとって変わるのは、褐色に鍛え上げられた、筋肉の鎧。
身の丈は2mを超えるまで高くなり、若々しく磨かれた肌が照明に光り輝く。
ボクサーパンツのみを身につけたその身体は、神々しささえ感じる磨き抜かれたボディを見せつけていた。
「ふ、はははは……!これは……素晴らしい……ッ!! あの頃の……かつてこの地を開拓した時の魂が戻ってきたようだ……!!」
ルベルト国王は満足そうに、右腕に取り付けられた緑の魔装具を見つめた。
「襲い来る熊も、ゴーレムも、氷竜も…… 全てこの身体でなぎ倒し、道を切り開いてきたッ!! ふははは!! まさかその身体でもう一度…… オキト一の騎士と戦えるとはなぁッ!!」
国王は拳を握りしめ…… 両手を、眼前に持ってくる。腰を落とし、いつでも動き出せる体勢…… ボクサーのような構えをとり、叫んだ。
「さあ、ルーティア殿!! 5分間、しっかり楽しもうではないかッ!!」
「あ、あれが…… 鬼神と恐れられた、ルベルト国王の若かりし頃の姿……!」
イヴが震える声で言う。
闘気、というものはここまで肌で感じられるものなのだろうか。
近づく者を粉砕し、目の前にいる者を瞬時に倒そうとする、明確な意思が国王の身体と雰囲気から周囲に伝わっていく。
何人も寄せ付けず、全てを倒してきた…… 『鬼神』の威圧感。
「あれも、魔装具の力……!?でも……ご、5分って、長すぎるわ……!」
質問するようにマリルの袖をつかむリーシャ。しかしマリルは首を横に振る。
「あれは…… 国王の言っている通り、なにかパワーアップをしたりしているわけじゃないんだわ。ただ……『元に戻っているだけ』。国王の力の全盛期である3、40代の頃の力を戻しているだけだから……魔装具の魔力も比較的長く持つ。そういう事なんだわ」
「そ、そんな事って……!?」
「リッちゃん。ルーちゃん……さっきの状態の国王でも、少し苦戦していたみたいだけれど……こ、この状態で勝算って、あるの?」
動揺しているのは、マリルも同じだったようだ。引きつった笑みでリーシャの方を向いて逆に質問する。
「……わ、分からないわ……。さっきの国王はあのよぼよぼの身体でもルーティアの攻撃を全て受け止めていた……。で、でもこのムキムキの方の国王は……」
「はああああああッ!!!」
「!!!」
ドスン。
巨象の歩みのような大きな一歩が踏み出され、固い石の床にヒビが入る。
繰り出されたのは…… 国王の、右ストレート。
風を切り裂くような音と、速さ。
眼下にいるルーティアを『踏み潰そうとする』ような、神速の一撃だ。
バゴォォォ!!
聞いたことのない音は、石の床を国王の拳が砕いた音だ。
ルーティアはかろうじてバックステップで右ストレートをかわす。避けた拳は石の床を砕き、破片を辺りに勢いよくまき散らす。
(……!! なんて一撃だ……!あれが、人間の力だというのか……!?)
「圧倒されている場合ではないぞぉぉッ!! ルーティア殿ォォォッ!!」
一瞬、その一撃にたじろいだルーティアに、国王が迫ってくる。左肩を前に突き出した、強烈なタックル。
「!! く、ッ!!」
ルーティアは身体を右に捻り、またしても攻撃をかろうじて避ける。
しかし、国王はまるでその動きを読んでいたかのように次の攻撃に打って出るのだった。
「はっはっはァーーーッ!!」
ルーティアの身体を通り過ぎようとした国王の身体。
勢いをそのままに、大木のような左腕を突き出し……捻る!! 強烈な裏拳がルーティアの顔面めがけて飛んでいく。
「ぐ、ッ……!!」
ここで、ルーティアは初めて防御に転じる。もはや、回避の間に合うようなスピードではないからだった。
両手を前に出し、国王の左裏拳を掌で受け止める!
衝撃がすさまじい事は既に理解していた。
しかしそれは……予想以上!
拳の当たった衝撃を間接を曲げる事で逃がそうとしても、まだ逃げ場を失った力が残る。大砲の弾のような一撃だ。
「ああっ!る、ルーちゃんッ!!」
マリルが悲痛な叫びをあげた。
ルーティアの身体が、吹き飛ばされる。
拳が当たったのと反対の方向に勢いよくルーティアが飛ばされ、その先には大理石の柱がそびえていた。
「大丈夫よ!アイツ、衝撃を逃がすためにわざと身体を飛ばしたの」
リーシャの言葉通り、ルーティアはダメージを受けていなかった。
自分の身体に与えられるダメージを最小にするため、受け止めきれなかったパワーを逃がすため……あえて身体を飛ばさせたのだ。
身体を反転させ、道場の柱にキックをして身体を止める。
そしてその勢いを殺すように地面に着地。すぐに体勢を整えた。
(……危なかった。スピードも、パワーも、予想以上だ。すぐにでも私の魔装具を使わないと、このままでは……。しかし……!)
吹き飛ばされ、国王との距離が出来た事でルーティアがほんの少し思考する時間が出来る。
国王の魔装具の効果時間は、五分。今の一連の流れで経過した時間は数十秒でしかない。
ルーティアの魔装具の効果時間は、三十秒。使用をすればあの国王のスピードに対抗できるであろう『加速』が出来る。
しかし……。
(トドメをさせなければ……やられるのは私だ)
その三十秒で国王に致命傷と認められる一撃を加えなければいけない。
もしも魔装具の効果時間が切れてしまえば……おそらく、先ほどのようにうまく回避行動はとれないだろう。国王の驚異的なスピードとパワーの餌食にされる。
だとしたら、まだ魔装具を使うわけには……!
「試合中に考え事はいかんぞ、ルーティア殿」
「!!!」
まるで、瞬間移動。
右拳を引き、ルーティア目掛けてパンチを繰り出そうとする国王が目の前に現れたのだった。
ブォォンッ!!
またしても、かろうじて回避。風の唸る音が轟く。
数センチのところでルーティアは身体を捻り、右のパンチを避ける。
「はっはっはァッ!!攻撃せんのかね、ルーティア殿!!」
近づいたままの国王は、次々と攻撃を繰り出す。
フック、ストレート、膝蹴り、ハイキック、頭突き…… 無茶苦茶な攻撃のようにも見えるが、そのどれもが、神速。
もはや常人では見る事すらままならない連撃。そして、その一撃でもまともにくらえばまず無事では済まない。
頭を、身体を、腕を、脚を。稼働させる領域を最小限にしつつ、自分に迫り来る攻撃を避けるルーティア。
こちらも、常人では捉えられないほどの身のこなしではある。
しかし…… 国王のあまりにも早い攻撃は、大きく距離をあける事すらままならず、その場にとどまって攻撃を避け続ける事しか、許してもらえない。
つまり……。
「あれじゃ、反撃なんて出来ない……!」
リーシャが、絶望したような台詞を口にした。
あまりにも速い攻撃。
繰り出される拳や足に回避をする事にルーティアは精一杯で、反撃をする隙など、微塵も存在しないのだ。
少しでも相手に攻撃をしようとすればあっという間にそれは自分の隙になり…… 強靱な肉体からくる圧倒的なパワーの餌食にされる。
しかも、その『避け続ける』という行為さえ、長くは続かない。
「攻撃が、当たってきている……!!」
剣士であるイヴも、かろうじてその攻防が見える様子だった。
回避を続けていたルーティアに異変が起きてきたのだ。
顔面を狙ったパンチは、かろうじて避けていた状態から、頬を掠めるように。
膝蹴りは、両手で受け止め力を逃がすように左右に避け。
ハイキックは、屈んだ状態で回避をするが、ルーティアの髪の毛に触れるまでになってきている。
体力の消耗。無理な体勢での回避。何より……。
国王が、ルーティアの回避パターンを、理解してきているのだ。
「「 あっ!! 」」
リーシャとイヴが、2人で声をあげた。
国王の、予想外の行動。
一瞬で腰を深く落とし、円を描くように右脚を薙ぎ払う…… すなわち『足払い』!
「!!」
完全に虚を突かれたルーティアの両足は、国王の丸太のような脚に掬われ…… その身体は、宙に浮いてしまう。
国王は瞬時に立ち上がり、そして弓から矢を放とうとするように、右腕を身体の後ろに引く!
「これは予想外だったかね?ルーティア殿……!!」
体勢を崩されたルーティアは、回避行動がとれない!
そして、国王は右拳を思い切り…… ルーティアの腹部目掛けて放つ!!
バキィィッ!!
「る……ルーちゃぁあああんッ!!」
それは、木が折れる音にも聞こえた。
なにかが、破壊された音と言ってもいい。
クリスピーな音と、後方に吹き飛ばされるルーティアの身体。
大砲の弾が正面からぶつかったような、尋常ではない吹き飛ばされかたをしたルーティアは、何度も床を転がりながら、柱付近でようやく止まる。
「そ、そんなッ……!!いくら試合だからって、こんな仕打ち……!!」
抗議をしようと前に歩み出るマリルを、リーシャが腕を広げて止めた。
「リッちゃん……?」
「……まだよ、マリル。ルーティアはまだ…… 負けていない」
「ぬう……!!」
そして、ルーティアを吹き飛ばした国王も、違和感を感じているようだった。
先ほどルーティアに当てた右拳を自分の眼前にもってきて、握りしめた手を見つめる。
そこには、いくつもの小さな木片が突き刺さっていた。
「……危なかった……」
吹き飛ばされ、転がった事で衝撃を逃がし、幾分か顔の汚れたルーティアが立ち上がる。
その両手には…… 折れた木刀の柄と、剣先がそれぞれ握られていた。
「る……ルーちゃんッ!!」
骨が折れたと思っていたマリルは、安堵と喜びの声をルーティアに向けた。
あのすさまじい音は、ルーティアの身体に国王のパンチがヒットした音ではなく…… 木刀でガードをして、それが折れる音だったのだ。
ルーティアの代わりに衝撃を受け止めた木刀は破壊されたが、ダメージは致命傷に至らず、骨折はおろか打撲さえも受けてはいなかった。
「……つくづく驚かされるわい、ルーティア殿。この全盛期のワシとここまで長く戦った人間は、他におらん。それどころか……ドラゴンやゴーレムでさえ、こんなには……!」
「驚いているのは私もです、国王。魔装具の力とはいえ、それは単に若返っただけ……。こんなにも人知を超えた力をもった人間を、私は知りません」
休息をとるかのような、2人の会話。
観戦をしている人間は、その会話に聞き耳を立てる。
数百人がいる道場の中とは思えぬ静寂が、辺りを包んでいた。
「どうするかね、ルーティア殿。貴殿の武器は折れてしまったが…… 代わりの物を用意させようかの?」
国王の言葉に、ルーティアは……
首を、横に振った。
「「 ええっ!? 」」
その言葉に、リーシャも、マリルも、イヴも、シェーラも……観戦をしている人間は、驚いた。
しかしルーティアは、余裕をもった笑みを浮かべて……言い放つ。
「必要ありません。この折れた木刀のままで、試合を続けさせていただきます」
ルーティアの言葉に、国王はにやりと笑った。
「……何故かね?」
「戦場で、己の武器が壊れたからと言って、交換するから待っていろなどという騎士はおりません。武器が壊れようが、己の身体が壊れようが…… 命がある限り、命を続けようとするのが、武人です」
「……ふふふふ……!!」
その回答に、ルベルト国王は上機嫌に微笑む。そして拳を、再び握りしめ…… 構えをとった。
ルーティアは、壊れた木刀の剣先を右手に持つ。
長さにして、およそ二十センチ。折られ、ギザギザになった木刀の剣先を握り…… 自分の目の前に突き出した。
「 不格好でもいい。騎士としての誇りなど、どうでもいい。生きてこそ……明日は、ある。明日がくるのならば…… 」
ルーティアは、この試合を実戦と見ていた。
もし自分の目の前に、自分の力では勝てない敵が現れたのならば、自分はどうするのか。
泣いて命乞いをするのか。
背を見せて逃走をするのか。
苦しみたくないと、自らその命を絶つのか。
心の片隅にあったその疑問に答えるように、ルーティアは叫んだ。
「 明日がくるのならば、私はどう足掻いても、先に進む!! 」
ルーティアは右腕の魔装具についている青の石を、半回転させた―― !!
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