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「はあ……」
ルーティアの溜息が、部屋に響く。
ここは騎士団の事務室。
八畳ほどの広さがある、質素な石造りの部屋。木製の机が数台と、棚に書類がぎっしり詰め込まれている『事務仕事をする部屋』意外に形容しようがない部屋だ。
最近は魔物の討伐依頼や調査以来もなく、この一週間ルーティアの仕事はこの部屋にカンヅメにされて事務仕事をするだけとなっていた。
身体を動かす事以外にも、騎士団の仕事というのは色々なものがある。
魔物や魔獣の討伐を行えば必ずその生態や動向の記録をつけて国王に提出しなければならないし、剣の修行一つとってもどのような日程でどう行うかというスケジュールが必要となってくる。
筋トレや剣術の鍛錬は日々欠かしていないルーティアだが、それも全て城のトレーニングルームなどで行う事。
遠征や調査任務、遠方への研修がないこの週はトレーニング→事務仕事→トレーニング→事務仕事……の繰り返しを城内でずっと行っている、騎士団エース。
「…………外に出たい」
しかも自室まで城内にあるルーティアにとっては、地獄のような週となっている。
自発的に外に出てリフレッシュすればいい、と何人かの騎士団のメンバーに提言されたが、任務や依頼がないからと言って暇なわけではなかった。
むしろ今まで魔物の討伐や調査を山ほど行ってきたぶん、提出すべき報告書は山のように溜まっている。
三カ月に一度ほど、騎士団員はその報告書をまとめる期間というのが誰しもに存在し、騎士団員は『巣ごもりの週』と呼んで名物となっていた。
外に出て気分転換をしたいのは山々だが、そうしている暇を仕事に使わなければいつまで経っても書類仕事は片付かない、というジレンマがある。
この一週間でどうにかこの事務仕事を全て終わらせて解放されたい、という気持ちがルーティアにもあり……今日の栄養ドリンクを片手に書類の山と向き合っている姿に至る。
凛々しく、勇猛に、冷静に敵に立ち向かう姿からは想像もできない、今の姿に。
今日を頑張れば、この仕事も片付く。
そうすれば明日は休みだ。
「…………うへへへへ」
意味不明の笑いを浮かべながら、ルーティアはひたすら調査報告書にペンを走らせていった。
――
「……もう少しだ。がんばろう」
事務所からは一旦離れ、ここは城内の休憩スペース。
廊下の片隅のやや開けたスペースには何台かの椅子やテーブルが置かれ、隣には給湯室がある。
騎士団・戦士団・魔術団の団員用に作られたこの場所は、昼間はよく使われている場所だが、今は夜の20時。
既に帰宅をしている城の者が大半で、城内は松明の火の音が聞こえるほど静まり返っていた。
炎の魔力装置は焚火を起こさずとも火を起こせ、スイッチ一つでオンオフが出来るので魔法の使えないルーティアでも簡単にヤカンの湯を沸かせる。
熱い湯でコーヒーを淹れると、椅子に座ってそれを飲みながら、窓を開けて外気を浴びる。今のルーティアに出来る唯一のリフレッシュ方法だ。
ボーッと休憩室でコーヒーを啜っていると、トレーニングルームのドアが開き、誰かがタオルで汗を拭きながら近づいてくる。
騎士団の詰所やトレーニングルームへの通り道となっている場所に休憩スペースがあるので、誰かが通りかかるのも不思議な話ではない。
歩いてくる人物の方もこちらには近づくまで気づいていないようで、コーヒーの香りで誰かがいると察する。頭に被っていたタオルを取り、顔を合わせた。
「あら、ルーティア。こんな時間までいたの?」
それは、リーシャだった。
白いTシャツと黒のレギンスという、いかにもなトレーニングウェアを着て、汗をかいている事からトレーニング終わりだという事が理解できる。
「……ああ。リーシャも、こんな時間までトレーニングか?」
「まあね。筋トレとランニング軽くやってきたくらいだけど……って、アンタ大丈夫?やつれてるわよ」
「……大丈夫だ」
リーシャは自然とルーティアの隣の椅子に座り、片手に持っていた水筒から飲み物を飲む。
ルーティアは、溜息をつきながら力なく笑い、リーシャに向けて言葉を続ける。
「……例の『巣ごもりの週』だよ。この一週間ずっと事務仕事で、城内から出ていないんだ」
「はー。そりゃやつれるわね。終わりそうなの?事務仕事」
「今日中には片付くと思う。あとはこの間の地下水路の調査報告書を仕上げれば全て終わりだ」
「今日中って、もう20時よ。明日に回せば?」
「いや、明日は休みだし、仕事を残したくないんだ。今日頑張れば明日がくる、という感じだな」
「……なるほどね。でも、無理するんじゃないわよ?なんならわたし、ちょっと手伝おうか?」
ライバルといえど、さすがにこう疲れ切った姿を見るのは本意ではないのだろう。なんだかんだと世話焼きのリーシャだが、普段にもまして心配をしてくれている。
「大丈夫だ。日付が変わる前に終わるだろうし、もう少し頑張ってみるよ。すまんな、心配かけて」
「別に心配なんかしてない。実力で張り合える相手はアンタくらいしかいないんだし、倒れられたりしたら色々と困るの」
「今、試合したら勝てるかもしれんぞリーシャ」
「そんな状態のアンタに勝ったって嬉しくもなんともないっての」
冗談を言って力なく笑うルーティアに、リーシャは呆れた様子で溜息をつく。
「ま、とにかく。無理はしない事ね。アンタの身体なんだから、自分でしっかり気遣いなさいよ」
「ああ、ありがとうな」
「ふん」
リーシャは腕組みをしながら踵を返し、休憩室を後にした。
……あまり、心配をかけてもいけないな。
そのためには、早く仕事を片付けよう。
ルーティアはそう思い、背伸びをするとマグカップに淹れたコーヒーを手に持ち事務所へと戻っていった。
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