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『魔族』
人間のそれとは比べものにならないほどの強力な魔力を持ち、生まれながらに魔法を操る事が出来る種族である。 その強大な力を持ち、かつての魔族は人間とは対立をし、種族の存亡をかけた戦争を仕掛けた。
結果は、人間の勝利。数に劣る魔族は敗北を喫し、降伏をするという屈辱的な歴史を背負う事になる。
人間は魔族との共存の道を選び、魔族の多くは人間社会の中に溶け込み、社会を構成する重要な一員として多くの人間達と同じように働き、暮らし、息づいていった。
数百年の時間が、人間と魔族の種族という壁を徐々に、徐々に崩す。
しかし、それは決して、魔族の誰しもが望む結果ではなかった。
「聞け!高貴なる、我が反乱軍の同志達よ!!」
その魔族は、壇上で演説をするように、高らかに宣言した。
暗闇に近い、廃墟のビルの中には人影が数十、蠢いている。皆一様に壇上の魔族を見上げ、その声に尖った耳を向けていた。
「いよいよ明日、我々魔族の解放が始まる!人間などという劣等種族と共存の道を余儀なくされ、苦痛に満ちた歴史を作り上げさせられた我々が……ついに、解放をされるのだ!!」
金の髪と髭を生やし、誇示をするような大きな角を生やした壇上の魔族は、マントを翻しながらホールの中の魔族一人一人に語りかけるように話した。それはまるで、なにかを鼓舞するように、力強く。
「歴史は、変えられる!人間に支配されたこの大陸の歴史を塗り替える一歩を、我々が歩み始めるのだ! 平和ボケをした人間の騎士団や魔術団など、恐れるに足りぬ!常に魔力を高め、戦いのために牙を研ぎ澄ませてきた我々の敵ではない!!」
そして、その演説を聴いた暗闇の中の魔族達の指揮も高まっていく。
絶対的なリーダーの存在。まるで信仰心が高めていく信徒のように、魔族達は壇上の髭の魔族に陶酔していった。
「魔族がこの世界の支配者である事を、見せつけてやるのだ!!人間達を震え上がらせ、降伏させ……そして、支配するッ!!偉大なるその第一歩を、我々反乱軍が!明日踏みしめるのだ!! 歴史は、変えられるッ!!」
「「「 おおおおおーーーーッ!! 」」」
ボルテージが最高潮になった室内から、それを象徴する雄叫びがあがった。
そして、壇上の魔族は、宣言をした。
「明日が、オキト城陥落の時であるッ!!」
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オキト城、道場内。
藁で作った人形に対し剣撃を幾度も与え、距離をとる。
額には汗を浮かばせて、目線は鋭く。動かない相手に向けてはあるものの、その太刀筋は鋭い。相手が動かないからこそ、イメージが出来る。おそらく、彼女の中でこの藁人形は様々な攻撃パターンや防御パターンをとっている筈だ。見えないからこそ、イメージをし、集中する。それは剣の達人であればあるほどに。
ルーティアは一歩、藁人形から距離をとって竹刀を構えた姿勢を解除した。
「……ふう」
傍らに置いてあったタオルを手に取って、額の汗を拭く。
身体の疲れから出た汗ではない。身体と精神の緊張と弛緩を繰り返して出た疲れが汗となって出てくる。それを拭って近くのベンチに座り、ゆっくりと深呼吸をした。
「お疲れ。えらく練習に身が入っているじゃない」
ルーティアが道場の入り口を見ると、そこには自分と同じように竹刀を持って運動着を着ているリーシャの姿があった。
「リーシャ。これから剣の稽古か?」
「まあね。今基礎トレ終わったところだから。もうあがり?」
「ああ。今日はマリルと新しいレストランに行く予定をしているからな。そろそろ終わりにしておく」
時計は十八時を指している。終業の定時は過ぎているが、稽古などのキリが悪ければルーティアやリーシャは残業をする事が認められていた。
「相変わらずねー。そんな余裕ぶっている間に、わたしがアンタを追い越しちゃうかもよ」
「楽しみにしておくよ」
ルーティアは苦笑して、麦茶の入ったボトルを上に向けた。
「……明日から、ようやく休みか」
ぼんやりと天井を見ながら、ルーティアは呟いた。
今週は忙しかった。
例の魔族……ランディルの騒動に始まり、魔物の駆除や調査、騎士団の新編成や育成、そして己自身の稽古など、やることが山積みだった。
ようやくの、休み。肉体も精神も悲鳴をあげているが、翌日が土曜日……休みというだけで、その疲れも吹き飛ぶ。
「あー、わたしも。いやー、忙しかったわ今週。ルーティアは明日から何するの?」
「のんびり温泉に行く予定だ。最近、岩盤浴にハマっていてな。一人でじっくり、週の疲れを癒やしてこようと思う」
「マリルと一緒じゃないの、珍しいわね」
「友人と一緒に温泉に行くのもいいのだが……今回は本格的に、自分のためにじっくり時間を使おうと思ってな」
「なるほどね」
温泉で疲れをとるためには、自分が入りたい時間に入り、出たい時間に出るという事も時には必要になる。友人と行くのはそれはそれで精神的な解放にもなるであろうが、疲れとじっくり向き合いたい時には一人で気ままに過ごす事も大切である。それを、マリルと休日を過ごしてきた時間の中でルーティアは学んでいったのだ。
「ねえ。明日休みなんでしょ。どうせ疲れているなら、久しぶりにちょっと練習試合付き合いなさいよ、ルーティア。前みたいにはいかないわよ」
「……ふむ。そうだな……いっそ疲れ切ってみるか」
笑顔ではいるが、リーシャの瞳は真剣だ。
……以前。ルーティアとリーシャの仲がもっと険悪だった頃に比べ、リーシャの剣の腕は格段に上がっている。
視野が広くなり、相手の攻撃からの対応力が増している。効率的に動け、より相手の急所を正確に狙った攻撃が出せるようになってきている。それは、同じ騎士団にいるルーティアにはひしひしと伝わっている事であった。
あれ以来、ルーティアとリーシャは試合をしていない。
リーシャにも、今のままではルーティアに勝てないというのが分かっていたのだろう。だから、あえて試合を挑まれる事はここしばらくなかった。
そして、今。こうしてリーシャが練習試合を申し込んできたのは、それなりの覚悟と実力を兼ね備えたからであろう。ルーティアは、そう判断する。
「いいぞ。ただし、私から二つ、条件がある」
「……条件?」
眉をしかめるリーシャ。ルーティアはベンチから立ち上がり、置いてあった竹刀を再び右手に持った。
「一つ。この後私とマリルは城下町の「とんかつ屋」なるところで食事をとる予定だ。そこに、リーシャも付き合ってもらう」
「……とんかつ屋?」
「私はとんかつというものを食べた事がないので、とても楽しみにしているのだ。そして、二つ目…… 練習試合で負けた方が、三人の食事代を全て奢る」
「ええ!?なによそれ」
「目の前に餌をぶら下げられた方が、馬は速く走ろうとするという事だ。試合をするのならば、なにかしらの特典がないと張り合いがないだろう?」
「…………」
ルーティアは笑顔であるが、真剣だ。腹も減り始め、夕食が美味しものと分かればそこに向かうとする意志がなによりの原動力となり……実力以上の力を発揮できる。そしてそれが「奢り」ともなれば尚更の事である。
リーシャはその提案ににぃ、と笑って頷いた。
「上等じゃん。わたし、一番高い定食頼むからね」
「私はデザートもつけてもらうぞ」
「それならわたしはカニクリームコロッケもつけさせてもらうわ……!」
「むう……よく分からんが、美味そうな名前だな……!」
二人は会話をしながら、道場の中央まで歩んでいく。
対峙をし、竹刀を中段に構える二人。距離をあけて、お互いに試合を開始する時を待つ。
試合開始を宣言する者はいない。それは、二人が判断する事である。
動き出した方が有利、というわけではない。
むしろこの二人の場合であれば、先に動いた方が不利となる場合もあるのだ。攻撃をすれば、隙が生まれる。その隙を演出するか、あえて攻撃をさせるか、裏をかくか…… それも、練習試合には含まれるのだ。
笑顔が、消える。
静寂が、包む。
聞こえるのはお互いに、心臓の鼓動と相手の息づかいのみ。
そして、動き出したのは――。
カァアンッ!!カァァアアンッ!!
「……!?」
「この音は……」
道場内の静寂を破ったのは……鐘の音色。
オキト城の数カ所に設置をされたその鐘は――。
――非常事態を、意味していた。
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