前日譚
「やっとここまできました…!」
ロイが感慨深そうに呟く。普段冷静な彼も気持ちが高ぶっているのか、その目じりにはうっすらと涙が光っている。
「絶対明日は成功させましょうね!!我らの努力が実るときです!!」
ふんすふんすと鼻息荒く言うのはエミリローズ。白い頬が紅潮している。
「もう“自由”なんて一生味わえないと…!今あるのは希望のみです!」
そう拳を突き上げて鼓舞するのはユーリだ。その表情は戦場に向かう騎士のような勇ましさだ。
ここはリズリル魔法学園の裏庭である。元より人気のない場所だったが、卒業パーティーの前日とあって周囲には人影すらない。
「そうだ!良ければこれを。」
そう言ってユーリは細長い白い布を取り出し2人に渡した。
「何ですかこれ?」
「私も初めて見ました。」
「これは東洋の国に伝わる『ハチマキ』というものです。大事な時や気合を入れる時に頭に巻くそうで。」
「まさに今の私たちのためにありますね。」
「ユーリさん流石博識!ちなみになんて書いてあるんですか?」
「文献のものをそのまま写したんですが…『確実に勝つ』とか『試練を乗り越える』とかそういう意味だそうです。」
「試練を乗り越える…そうですね、これを乗り越えれば私たちは自由です。」
ハチマキをした3人は、手を前に出し重ねる。熱意で煌めく瞳は明日への決意を感じる。ロイの言葉に2人が続く。
「私たちは!」
「「やれる!!」」
「私たちは!」
「「叶える!!」」
「婚約破棄するぞーーー!!!」
「「「おーーーーーー!!!!!」」」
○○○
3人は、3年前の入学式の日にここで出会った。人目を避けるように裏庭に集まった彼等は、お互いに出会ってすぐ“同志”だと分かったのだ。当時彼らは15歳。だがその年齢とこの貴族が集まる場所ではありえない表情をしていた。お互いに目を合わせた瞬間、雷に打たれたような衝撃が走ったのである。
(((この人…疲れている…!!!)))
ロイは疲労で泥のように重い体をひきずりながら、ユーリは寝不足と過労で血走った目で、エミリローズは腹を鳴らしながらも爆速の刺繍の内職の手を休めず。
ふらふらと3人近づき強い握手を交わし、ユーリが持っていたお茶会セットで喉を潤しながら今までの話をしたのだった。
ロイは、王座から逃れようとしていた。
今は亡きメイドの母がお手つきされたことによって生まれた彼は、10歳まで離宮で軟禁状態だった。父である現王は譲位したがっており、兄であるギルバートはとある理由によって他国へ、国のこれからが危ぶまれたためロイにお鉢が回ってきたのだ。
ギルバートに充てられていた婚約者と婚約し、王としての教育を施される。最初は責任を果たそうと頑張っていたロイ。だが、王宮にいる者たちは嫌がらせや陰口ばかり。婚約者は「あなたが私の婚約者だなんて認めませんわ。浅ましく醜い男だこと。」と初めて会って蔑まれた時から手紙すら返事が来ない。そんな酷い態度と扱いの上、王座についたら暗殺するという計画を聞きどうでもよくなってしまったのである。
「…という訳で、私は黒森へ行きたいんです。」
「黒森へ!?」
まさか第二王子がそんな扱いとは知らなかったが、黒森へ行きたいと聞き更に2人は驚いた。
「黒森は、魔族が住むと言われ人は寄ってきませんから。秘密にしていましたが、私は魔族に昔から興味があり憧れているのです。近くで気配を感じながら、のんびり静かに暮らしたい。できれば、追放のような形で二度と王宮に呼ばれないようにしたい訳です。」
「なるほど…!でもそんなことできるんでしょうか…?」
エミリローズが刺繍もクッキーを口に運ぶ手も休めずに言う。
「まあ、あくまで希望ですね…。沢山の愛人と離宮で怠惰に過ごしたい陛下やクソクズ馬鹿野…ごほん、兄よりはぶっちゃけ私の方がマシですし…。なんとか暗殺されないよう頑張るしかないでしょう。」
「お力になれたら良いですが、あたしは何の手助けも出来ないですし…!」
「いえ。聞いてもらえただけで、気分はとても明るくなりましたよ!良ければおふたりの話も聞きたいです。」
「…では、俺の話をさせてください。」
ユーリは、ハーフィル家…もとい、アナスタシアの元から自由になりたかった。
ユーリはダズウェル伯爵家の次男である。貧乏で爵位だけが取り柄だった家だが、長男のグルノには力を入れていた。そのため兄弟間格差はどんどん酷くなり、ダズウェル家には必要ないと判断されハーフィル家に執事権護衛として売られたのである。アナスタシアに付き従うようにと、犬の首輪のようにチョーカーも無理やり付けられた。
アナスタシアは美しかったが、苛烈・ワガママ・高慢のまさに貴族令嬢といった人間だった。そのため誰も長続きせず、ユーリがあてがわれたのだ。いくらこき使われようが売られた身で帰る場所もなく、ひたすらに耐え忍んでいるのだ。
「今日も、お嬢様が10人のお友達と放課後にお茶会をするから準備しろと!!好みが細かくて針穴より小さいミスも怒るために料理人も嫌がり、全部夜明け前から俺が作ったんです!それで向かえば『カフェに行く気分だから全部処分して。貴方のお給料からひいとくわ。』ですよ!!!俺をなんだと思ってるんだ!!!!」
「だからお茶会の準備万端だったんですか…!おかげであたしは3日ぶりにご飯が食べられましたが、なんか複雑な気持ちです…!」
「……アナスタシア嬢ですか……。」
「え、ロイ殿下はお嬢様とお知り合いですか?」
「…私の婚約者です…!」
「「え!?」」
ロイの言葉に、ユーリが立ち上がる。
「でもお嬢様の手紙の代筆や交友関係やお勉強の内容も把握してますが、婚約者はおろか妃教育になりそうなことはしてませ………もしや税収や各領地の特産物各国の言語や歴史などなどですか!??」
「などなどです。ちなみに手紙は、送ってはいますがアナスタシア嬢からいただいたことはありません。とんでもなく嫌われてるので、ハーフィル家も隠しているのでしょう。」
「……そうでしたか……。あと、妃教育は俺が代わりにやってますね……。」
「「は!?」」
2人の視線に、ユーリが脱力したように座り込む。
「お嬢様は、やらずにすむことはとことんやらない主義ですから…。怒られたお嬢様は俺にあたるので、サボった課題は全て俺が片付けてました…。授業も俺が隠れてこっそりお伝えしてましたね…。侯爵家は学ぶことが多いと思ってましたが、そうかそうか、それは妃教育だった訳ですか…。」
「え!?でも、それって嫁いだら結局困るんじゃないですか!?」
「マナーとダンスと社交術があれば結構いけるんです。仮に困ったら周囲に優秀な人間が山ほど控えてるんですから。アナスタシア嬢なら上手く使いそうですし。」
「俺の…日々の睡眠時間は一体…。」
がっくりと肩を落とすユーリ。あまりの落胆ぶりにエミリローズが慰める。
「で、でも!知識は一生のものですから!」
「ふふ…そうですね…いつかお嬢様から逃れられたら、なんでも出来そうです…!」
「では、エミリローズさんのお話もお伺いしても?」
「いいんですか!!是非!!!!!」
エミリローズは平民に戻りたかった。
シュクリ男爵家に潤沢な魔力量を見込まれ、家族を人質に脅され養子に入ったのだ。そこで最低限の貴族教育と朝から晩までメイドの仕事をして過ごしていた。高い魔力量がある者は学費の免除と王宮からの特別支援金が払われるのだが、シュクリ男爵家は支援金を博打やら宝石やら愛人やらに使い込んでしまった。そんなシュクリ家がエミリローズのために使う金など銅貨1枚も無い。そのため学費以外にかかる食費や制服や教科書の金を、寸暇を惜しんでアルバイトで稼いでいるのだ。
「卒業したら20歳上の変態親父の第四夫人らしいですよ!!卒業同時に婚約と結婚だそうです!!あたしには実家のパン屋を継いで幼なじみのダンと結婚するって夢が約束があったのに!!!」
「脅して攫って養子縁組、更に王家からの支援金を使い込むなんて中々な家だ。」
「昔、同じように平民の子どもを無理やり養子縁組して支援金を巻き上げ虐待、結果ストレスから魔力が暴走して爆発事件になったことがあったはずです。そのため、法律でそんな行いは禁止されてますが。」
「ユーリさん、妃教育が身になってますね。」
「殿下ありがとうございます。ちなみに腹話術でこれをお嬢様に言わせてました。」
「多彩ですねえ。」
「え!?待ってください!じゃあ、あたしも養子縁組を白紙にして平民に戻れますか!?」
「まともな裁判官であれば。貴族らしい裁判官だと…。」
「だとどうなるんですか…?」
「金で買収できるので、無理でしょう。」
「王宮は腐りきってますので。」
ユーリの言葉に頷きながらロイも言う。
「私は大人しく嫁ぐしかないんですか…。お話聞いてもらえてスッキリしましたが、どうしても将来を考えると暗い気持ちになりますね…。」
「俺も現状で我慢します…。もしかしたら気まぐれで追い出してくれる可能性もありますし…。」
「……あ。」
ロイが悪い笑みを浮かべる。
「…どうされました?」
「私は黒森へ追放されたい、ユーリさんはアナスタシア嬢から離れたい、エミリローズさんは平民に戻りたい。上手くいくか分かりませんが、1つ案が浮かびました。」
「やります!!可能性があるならやります!!男爵家なんてクソ喰らえですよ!!」
「俺がお嬢様と離れられる…?そんな奇跡が起こるならどんなことだってやります!!!」
2人の熱い言葉に、ロイは笑みを深くする。
「一芝居、うちましょう。」
「頑張ります!」
「幼い頃はお嬢様の替え玉もしました。いけます。」
「そうですね、演目は……。『世界一愚かな婚約破棄』。」