聖都脱出
「・・・遅いわね」
ルイーゼ号の操舵室で、メルはじりじりしながらアルムを待っていた。
「メル様、出てきました!」
ゴンドラの開口部から外の様子を見ていたエリスが声を上げた。
「でも・・・アルムとアリアだけではありません。ミネア様とシレジア様、ボルディアニス大主教も一緒です」
「それって、どういうこと?」
慌てて開口部に駆け寄ると、確かにエリスの言ったとおりの一団が大聖堂から広場へと降りる階段を進んでいた。
「和睦がまとまった・・・ってことはなさそうね」
周囲を騎士と衛兵が囲み、アリアとシレジアは緊張した表情を浮かべている。
「・・・降りてみた方がいいのかな・・・?」
メルはエリスに相談する。詳しい事情を訊くには降りてみるしかないが、メルには戦う術がない。降りたところを騎士や衛兵に捕らえられたりしたら、アルムの足を引っ張ってしまう。
「メル様、降りられるならお供します」
即座にエリスが言った。
「メル様は私がお守りします。・・・大丈夫です。メル様を悲しませるようなことはいたしません」
いつになくエリスの言葉は強気だった。
これまでのエリスは、メルを守るためなら自分を盾することを厭わなかった。エリスは、いざという時に身代わりとなるためにメルの側に付けられたのだから。
しかし、それではメルを助けても、結局悲しませてしまう。自分が刺された時の憔悴しきったメルの姿は、二度と見たくない。
ならば、自分もメルもどちらも守る。ずっとメルの側にいるという約束は、絶対に破らない。エリスはそのために魔術を手に入れた。
「・・・無理してないよね?」
じっとエリスを見つめ、メルは一言だけ訊いた。
「もちろんです」
「ありがとう。エリス、よろしくお願いします」
にこりと微笑んでメルは、エリスの手をとった。
「はい。メル様、お任せください」
微笑み返したエリスは、メルの手をしっかり握って、空中へと飛び出した。
一瞬の後、メルとエリスは、ふわりと石畳の上に降り立つ。
「メル!」
アルムとアリアが駆け寄ってくる。
「アルム、これはどういう状況?・・・和睦がまとまったって雰囲気じゃないけど・・・」
アルムはなんとも微妙な表情を浮かべる。
「・・・えぇと、何から話せばいいのか・・・」
アルムは、謁見が始まってからの状況をかいつまんで説明する。
大主教のボルディアニスが、元素が枯渇する可能性を理由に、魔術を完全に排除して、科学や技術を発展させるべきだと主張していること。それがボルディアニスがイルミナ討伐を進める理由であり、最終的には討伐軍の命じてイルミナを滅ぼすつもりであること。
「・・・で、魔術のない世界のことを聞きたいと?」
ざっと聞いたところでは、極端すぎる主張だとメルは思った。理由は理解できなくはないが、科学はそこまで万能ではない。そもそも、イルミナの魔術は科学と似通っているところも多いのに。
「まぁ、そういうことなんだが」
困ったような視線を向けるメルに、アルムはすいと目をそらす。
「そんなことしても・・・結局、何も変わらないんだけどな・・・」
メルは大げさにため息をついた。・・・なにしろ、魔術を捨てても、結局は別の問題が起きる。人間のやることに大した違いはない、としか言えないのだから。
地球のヨーロッパにおいては、中世以来、資材や燃料として多くの木材が伐採され、広大な森林が姿を消し、大地は荒廃した。
また、急速に発展を遂げた蒸気機関や内燃機関は、大量の石炭を消費し、石炭のばい煙による大気汚染や工場排水による水の汚染で、多くの市民の健康が害されている。こうした公害による被害が出ているにも関わらず、経済活動が優先され、工場の建設は続き、蒸気機関車は轟音をたてて走り続ける。
一旦手にした便利な力を、人間は簡単に手放せない。たとえ、それが長期的には自分たちの首を絞めるものであったとしても・・・それは魔術だろうと科学だろうと違いはない。
アルムに促され、メルは渋々という様子でボルディアニスの前に立った。
「はじめまして、ボルディアニス大主教。わたしは、メルフィリナ・ルイーゼ・フォン・ツェッペリン。この船と15人のクルーと一緒に、アルムの転移魔術で、このロセリア世界に来た異世界の人間です」
嫌な表情は封印して軽く頭を下げ、ボルディアニスに挨拶する。
いきなり異世界人だと言っても疑われるのではないかと思ったが、意外にすんなりと受け入れられた。
「私は左府大主教のボルディアニスです。・・・魔女殿の話では、あなたの世界には魔術がないと聞いたのですが、それは本当なのですか?」
ボルディアニスは、よほど興味があるのか、前置きも何もなくメルに質問した。
「はい。わたしたちのいた世界には魔術はありません。代わりに進化した科学と技術によって発展しています。わたし達の飛行船も科学の発展によって生み出されたものです」
ほぅ、と短く感嘆の声を上げ、ボルディアニスはルイーゼ号を見上げる。
「大主教は、魔術を捨てるべきとお考えだそうですね?・・・わたしたちの世界のように魔術のない世界にしたいと」
メルは軽く首をかしげて問いかけ、ボルディアニスの表情を伺う。
「左様。魔術は元素を消費し、使い過ぎれば死の大地を生み出すものです。しかし、民衆は便利な魔術の使用に頼り、このままで自らの首を絞めることになる。私はそれを避けたいのです。魔術をなくし、学問と技術を発展させて民衆の生活を豊かにしたいと思っています」
ボルディアニスは、メルが自分の考えを理解してくれると思ったのか、訴えるように言葉を続けた。
「そのためには、魔術の象徴たるイルミナを滅ぼし、多少強引でも民衆の生活から魔術を一掃しなければならない。同時に教会自身も神の恩恵とは決別し、教義によって民衆を正しき道へと導いていかなければならない。神の恩恵の象徴である法王と聖女を廃し、教会も新たな体制を作る必要があると私は考えています」
興奮気味のボルディアニスに対し、メルの目は冷ややかに細められた。
「わたしたちの世界でも、人間は色々な過ちをおかしてきました。科学の進歩により、生活は便利になり、産業も発展しましたが、多くの資源が消費され、戦争はより悲惨なものになりました。魔術だろうと科学だろうと、人間が欲望のままに使えば、どこかに弊害が出ることは変わりません」
イルミナにだって多くの人々が住んでいる。クレスをはじめ、魔術師たちだって人間だ。民衆のためと言いながら、ひとつの国を滅ぼすことに何ら躊躇いを見せない態度に、メルは静かに憤る。
大義のためには少々の犠牲はやむを得ない、そう言い放った人間が犠牲となる側に立っていた試しはない。
ボルディアニスの言うように、魔術のせいでこの世界が滅びへと向かうとしても・・・そのために自分たちを受け入れてくれたイルミナが犠牲になるなんて嫌だ。それがメルの正直な気持ちだった。
「全ては世界を滅ぼさぬためなのです。魔術は世界を滅ぼす可能性をはらんでいる。そんなものを使い続けるわけにはいかないのです。不毛の土地をこれ以上広げてはいけません」
「わたし達の世界でも、魔術に代わる燃料や資材として多くの森が失われ、土地が荒廃することになりました。空気や水も汚され、人々が病になることすらあったのですよ!」
「森は時間をかければ再生できます。人間も治癒することができます。しかし、元素が枯渇した土地はもう回復しないのです」
見ていないもの、体験していないものを理解させるのは難しい。ボルディアニスにとっては、メルの言う科学の負の側面よりも、自分が理解しやすい元素の枯渇の方がより身近で重大な危機なのだ。
「イルミナでは日常的に魔術が使用されていますが、わたしが知る限り、イルミナの周辺で元素が枯渇する様子はありません。土地の元素が枯渇して不毛の荒野になるのは、よほど大掛かりな魔術を使用した場合なのではありませんか?どの程度の魔術の行使で元素が枯渇するのか、調べはついているのですか?」
「・・・具体的にはわかっていませんが、魔術による元素の消費が影響しているのは確かです。実際に、魔術により元素が枯渇した土地が幾つもあるのは事実なのです。人間が確実に御しきれるものでないのなら、これ以上、使うべきではない。そうは思われないのですか?」
「思いません。御しきれないから捨てるのではなく、御せるように力を尽くすべきです。それはその手段が魔術だろうと科学だろうと同じ事だと思います」
メルの返答に、ボルディアニスは驚いたように目を見開く。
「大主教、残念ですが、相容れないようですね。大主教がどうしてもイルミナを滅ぼすと仰るなら、わたしたちはイルミナに味方します」
「・・・ご理解頂けないのですか。魔術のない世界をご存知だというのに」
「知っているからこそ、です」
大げさに嘆いて見せるボルディアニスを、メルは冷めた表情で一瞥する。
「エリス、船へ戻りましょう。アルム、アリア・・・ミネア様もご一緒に」
話は終わりだとメルは踵を返す。
「待たれよ!もっと話を聞か・・・」
「・・・民のためと言いながら、多くの犠牲を当たり前と考える方と、お話することはありません」
メルは、振り返りもせず言葉を叩きつける。
「・・・止むを得ん・・・全員捕らえよ!」
ボルディアニスの声に、ザッと周りを囲む衛兵と騎士。アルムの魔術を警戒してか、アルムの位置からメルとエリスを盾に取るような布陣だ。
アルムより先に厳しい表情で衛兵を振り返ったのは、エリスだった。一瞬で足元に術式を展開し、エリスと隣のメルを中心に円形の風の壁が屹立する。範囲は直径約10m、アルム、アリア、ミネアも壁の中だ。
うっすらと緑色に光る風の壁は、つむじ風のように渦を巻き、人の背丈の倍ほどの高さまで伸びている。
飛びかかろうとした数人の衛兵が弾き飛ばされ、石畳の上に転がる。切りかかった騎士の剣も、パンッと音を立てて弾かれた。
「メル様、みなさん、早く船へ」
エリスが3つだけに絞って練習した魔術のうち、最後のひとつがこれだ。エリスが最も身につけたいと望んだ魔術、メルと自分を守る風の防壁である。
船を保持する際の魔術と原理的には同じだ、あちらは軽く風を遮る程度の、風のカーテンとも言うべきものだが、ルイーゼ号をすっぽり囲む直径200m、高さ50mの範囲を持つ。対してこの防壁は、範囲を直径10m、高さ4m程度まで狭める代わりに、人の手による攻撃程度なら剣でも槍でも弓矢でも、ほぼ確実に防ぐ。こちらからも防壁の外を攻撃することはできないが、守りに徹する限り鉄壁だ。更に範囲を狭め、メルを守るだけならば更に強度を上げられる。
「わかった!エリス、もう少しだけお願いね」
メルがルイーゼ号に手を振ると、ゴンドラからするすると縄梯子が降ろされた。ミネアとアリアを先に上らせ、メルとエリスも続く。殿はアルムが引き受けてくれた。
「バラスト排出20、機関前進第1速、上げ舵5、アップトリム5!」
ゴンドラに上がったメルが直ちに指示を出し、ルイーゼ号はプロペラを始動して加速、上昇を開始する。
もう届かないとわかっている衛兵と騎士たちは、風の防壁が消えてもその場を動かず、悔しげにこちらを見上げるばかり。・・・ボルディアニスも呆気にとられた表情でこちらを見上げていた。
「シレジア・・・後のことを頼みます」
小さくつぶやいたミネアが見つめる先には、大聖堂の入り口で船に向かって、深く頭を下げるシレジアの姿があった。
「エリスの張ってくれた防壁、すごかったよ!」
「たった10日ほどの練習であれほどの防壁を張れるなんて、学府の学生たちが知ったら泣くな」
高度500mで水平飛行に移ったルイーゼ号の休憩室で、メルは喜色満面、アルムは苦笑いを浮かべていた。
「ありがとうございます。・・・これからも私がメル様をお守りしますから」
エリスは、少し照れた表情で微笑んだ。エリスの場合、メルを守るためと思えば練習にかける気合が違う。
その様子を、じーっと見つめていたミネアが、ぼそりとアリアに尋ねる。
「さっき風の防壁を張ったエリスさんの魔力、なんか他人の気がしないんだけど、気のせいかしら?・・・それに、エリスさんもメル様と一緒に魔術のない世界から来たのよね?」
「・・・あの、それは・・・その・・・わたくしもあちらの世界のことは詳しく聞いていなくて・・・」
エリスの魔力のことは秘密・・・アリアは、てきめんに慌て、口ごもりつつ目を泳がせる。何か隠していることを全く隠せていなかったが、ミネアはそれ以上追及しなかった。
「ルイーゼ号は、このままイルミナに向かいます。ミネア様もよろしいですか?」
メルは、一応、ミネアに確認する。イルミナに着いた後のミネアとアリアのの処遇はまだ何も保証できないが、クレスに任せれば悪いようにはならないと思う。
「はい。よろしくお願いします。イルミナに行くのは初めてなので、とても楽しみですわ」
ミネアは、何も心配はないというように楽しげな様子で答えた。大聖堂での緊迫が、何かの見間違いに思えてくる。
「・・・お母様、これからどうなさるのですか。このままでは教会は・・・」
アリアが呆れ顔でミネアを袖を軽く引っ張る。
「アリア、少しは母を信じてくれないのかしら?これでも私は法王なのですよ。イルミナに到着したら学長殿とも相談して、まず討伐をおさめなくては。・・・教会の中のことはその後です」
ミネアは、笑みを浮かべると隣に座るアリアの頭を撫でる。子供扱いにアリアは不満げな顔をしていたが、黙ってミネアに寄り添う。
「わかりました。それでは、到着までゆっくり休んでいてください。明朝にはイルミナに到着するはずです」
ゲストの世話をシェリーと船務班に任せ、メルとエリスは操舵室へと戻った。
「メル様、これからどうなるのでしょうか?」
操舵室の定位置に立ったメルに、ヘレンが不安げな表情で話しかける。
「そうね・・・ルイーゼ号がやることは変わらないわ。イルミナへ必要な物資を運んで、討伐が続いてもイルミナに住む人たちが困らないようにしないとね」
いつもと変わらぬ様子で答えるメルに、ヘレンは安心して仕事に戻る。
しかし、ヘレンの視線が外れた瞬間、メルの表情は微かに憂いを帯びた。
ミネアとアリアをイルミナに保護した以上、ボルディアニスも討伐軍を動かすだろう。ボルディアニスの意を受けて、これまでのようにただ包囲するだけでなく、イルミナへ攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
メルは、ヴァンデルに対し『わたしたちは討伐軍と戦うつもりはありません』と宣言した。しかし、もしも討伐軍によってイルミナに直接の被害が出るようになっても、そう言い続けられるだろうか・・・メルは自問する。
それは、クレスやアルムから共に戦って欲しいと言われた時、或いは、メル自身が自分たちの居場所を守るために戦わなければならないと思った時か。
軍の命令で、否応なくロンドン爆撃に駆り出された時とは違う。戦う理由は自分たちにもある。
それでも、戦いに赴くとなれば、あの時の辛い思いが蘇ってくる。
魔女の館の倉庫には、内緒で保管している4トンのTNT爆薬が手つかずにある。あれを使えば、討伐軍に大打撃を与えられる。『空爆』という概念がないこの世界では、頭上から降ってくる『爆弾』に、討伐軍の将兵はなすすべもなく吹き飛ばされるだろう。空にいる限り、船とクルーたちに危険が及ぶこともない。
しかし、それをやれば、自分たちの手でたくさんの人間を『虐殺』することになるのだ。何も感じないわけがない。クルーたちの心に深い傷を負わせてしまうのではないか、メルは怖かった。
「メル様」
控えめに囁く声に、メルははっと我に返る。
「・・・私はメル様のためなら、多くの人を殺すことになっても構いません」
驚いて声を詰まらせるメルに対し、エリスはその言葉に似つかわしくない穏やかな表情を浮かべていた。
「・・・エリス」
エリスには、メルが何を考えていたかわかったようだ。
「メル様が手を汚す必要はありません。必要ならば私が魔術を使って討伐軍を攻撃します」
「そんなこと、エリスだけにさせられないよ!わたしだって、爆薬を使ってでも・・・」
メルの反応に、エリスが微笑んだ。
そういうことだ。エリスに手を汚させてメルは平気ではいられない。メルが手を汚すのならエリスも、おそらく他のクルーたちも、同じだろう。
「・・・わたし、戦うのが怖くて、戦わずに済ますことばかり考えてた・・・」
エリスの言いたいことを察して、しゅんとしたメルに、エリスは小さく首を振る。
「いいえ、メル様の仰るとおり、戦わずに済ませられるならそれが一番だと思います。でも、戦わなければイルミナを守れないとメル様がお考えになった時は、遠慮せずそう仰って下さい」
いつも気遣って下さるメル様のためなら、私は頑張れます・・・エリスは言葉には出さずに続けた。
メルは、気持ちを落ち着けるように目を閉じ、大きく息を吐いた。
「・・・いつも気遣ってくれてありがとう。エリスがいてくれれば、わたし頑張れるから」
まるでエリスの心を読んだように言うメルに、今度はエリスが声を詰まらせた。
次回予定「討伐軍の秘策」




