第一章 006 襲来編 ②
「人、話を続けていいか」
「どうぞどうぞ」
虻都さんは小さく咳払いをし、再び話し出す。白咲は、一通り言いたいことは言って、気が済んだのか、僕の背後で大人しくしている。虻都さんとの会話を再び遮られることは無さそうだ。虻都さんには、さっさと話したいこと話して帰ってもらいたい。
「晴れてというべきか、残念ながらというべきか、俺は生徒名誉会長を引退するわけだが、せっかく自分で汗水流して作った役職だ。俺の代、つまり一代目で潰したくはないのだ」
「それは大変ですね」
虻都さんの話を聞き流しながら僕は背後の白咲にハンドサインで投票箱の組み立て再開を指示する。時間は有効利用しなければならない。虻都さんのドウデモイイ話を聞いている場合ではないのだ。
すると、なぜか白咲に後ろから抱きつかれた。
とても否とてつもなく苦しい。
僕が白咲に絞め殺されかけているとはつゆ知らず、虻都さんは話を続ける。
「それで後継を探しているわけだが、なんせ有能な後輩たちは現役ばりばりの生徒会執行部だから引き継げない。かといって、どこぞの馬の骨かも分からないヒラの生徒に継がすには、権限がでかすぎる。そこで、お前に相談しに来たってわけだ」
「へーそれは大変ですねー」
学ランの下で腕を回し、僕の腹部を締め付ける白咲との攻防は劣勢を極めた。
僕に恨みでもあるのか、僕が締めてくる白咲の腕をほどこうとした瞬間、逆に僕の手が拘束された。
――握り潰される!! 握り潰される!! 握り潰される!!
白咲はか弱いどころか、天井知らずの怪力をもつ。これは僕にも責任があるのだが、とにかく痛い。
「率直に言う。人よ、俺のあとを継げ」
「ヘーソレハタタイヘンデスネー」
「ああ、確かに大変だ。しかしな、日頃から生徒会執行部の雑務を手伝っているお前ならできないこともないはずだ。こう見えても俺はお前を信頼し、人間としても認めている。お前が二代目生徒名誉会長になってくれれば俺も安心していけるというものだ」
僕にはもう虻都さんの声が届いていなかった。激しすぎる痛みが僕を襲う。
学ランの裏地側では僕の手が白咲に落ち、圧縮され続けている。
本来ならここで白咲に、僕の必殺技、無重力背負い投げを決め、脱出を試みるところだが、今は白咲信者の虻都さんがいる。白咲との戦闘を見られ、全校生徒の三分の一を占める白咲彩華公式ファンクラブにでも告げ口されば、僕の高校生活は完全に逝ってしまう。
――動かざること山の如し!
僕は自分に今は耐えろと言い聞かせた。
そして一刻でも早く虻都さんをこの部屋から退出させなければならない。
両手に走る鋭い痛みを我慢しながら、意識を正面に戻すと、ちょうど虻都さんが何かの封筒を来客用テーブルに置いているところだった。
「ここに依頼内容はまとめておいた。後のことは任せたぞ」
「はい。大船に乗ったつもりでいて下さい。では虻都さんさようなら」
「うむ。では白咲さんもお元気で」
白咲への気遣いも忘れず、虻都さんは案外さらっと第三生徒会準備室を去ったのだった。
「無重力背負い投げ!」
僕は虻都さんが第三生徒会準備室から退出し、十分離れた思われる数秒後。
白咲を固い床に叩きつけた。
室内にドンッという重々しい激突音が響く。
白咲に掴まれていた手を逆手にとり、彼女を宙に浮かせ、そのまま床板に投げ下ろしたのである。
白咲は目を丸くして、呆然と天井を眺めていた。
背中から第三生徒会準備室に勢いよくダイブした彼女は、さすがに堪えたのか、僕の手をそっと放してくれた。
「びっくりしたわ」
けろっとした顔で白咲は腰をあげる。
パンパンと制服についたホコリをはらっている。
当然というか、必然というか、白咲は何事もなかったような健康体で、健全で、健在だ。
むしろ僕の背中の方が痛い。
「人くん。か弱いわたしを投げ飛ばすとは何事かしら。なにかあったらどうするの」
白咲の声はいつもと変わらず、凛と透き通っている。
「お前が僕の手を粉砕しようとするからだ。それにこの程度の攻撃でどうにかなるわけでもないだろう」
「いったい何のことを言っているの。わたしは人くんの体を心配しているの。それに人くんがわたしに向かって左薬指を振ってきたから、プロポーズかと思ってあなたに抱きついただけよ。そしたら、人くんがわたしの手を握ってくるものだから、仕方なく、というか全力で人くんの両手を握り返したのよ」
――なんたる曲解!
幸せになりましょうね。と囁きかけてくる白咲の微笑みは、幸せそのものであり、慈愛に満ちている。
なんて脳内お花畑なんだ。
こいつの脳味噌にはチューリップの大菜園でもあるのだろうか。
「僕はお前にハンドサインで投票箱を組み立てろと言ったんだ。誰がお前に求婚するもんか」
「人くん。女をもてあそぶのもいい加減にしなさい。どうせ将来的には人くんと結ばれるつもりだから、予定が少しばかり遅れるだけで、別に気にすることはないけれど、指でいきなり、わたし、箱、の順で指されれば、わたしと同じ戸籍に入りたいのだと思うのは当然よ。ちなみにわたしはとってもモテるわ」
「それは僕が悪いのか!? 僕はお前におなかを絞られて、物理的に断腸の思いを味わされたんだぞ! しかも指を一本に結合されかけた! モテるからって僕を襲っていいのか!」
「どうせ人くんなら治るでしょ」
「なんて野郎だ!」
「野郎ではないわ。わたしはか弱い女の子よ」
「床に叩きつけらても平気な女子がか弱くてたまるか!」
僕の話を聞いているのか否か、白咲は僕の魂の叫びを横目に来客用テーブル上の紙を手に取る。
「人くん。これ、どうするつもり?」
――あの封筒はたしか虻都さんが置いてった書類だっけ?
中には僕に処理して欲しい依頼の詳細が書いてあるとかないとか。
「どうせいつもの生徒会関連の雑務だろう。普段通り、無難にこなして、適当に終わらせよう。とりあえず、お前が非を認め、僕に謝ってから投票箱を組み立てて、その後に対策を考え――――」
白咲が開けた書類の文面が目に入る。
そこに書かれていた文章を読み、僕は言葉を失った。
【生徒名誉会長 立候補申請書 ※ただし、生徒会役員に限る】
なんということだろうか。
――生徒名誉会長? 僕が?
青春が僕からまた一歩離れて行く、悲しい音が聞こえた。




