第二章 003 大集結編
「昨日はほんとにありがとね。乙羽ちゃんも元気に登校してた。全部椰戸部くんのおかげだよ」
陸上部のエース、伊陀夏織は僕へのお礼を一言添えると、来客用ソファーに腰を落ち着かせ、白咲の淹れた紅茶のカップに口を寄せる。
「それでね、昨日の今日でごめんなんだけど、また椰戸部くんたちに助けて欲しいことがあるの」
足が速い伊陀は壁にぶち当たることも多いのか、連日続きで僕に悩み事を持って来たらしい。
いまをときめく女子高生には悩みもつきないのか。
そんな活きいきとした毎日を送る伊陀を、僕は少し、うらやましく思ってしまうのだった。
「全くかまわないのだけど、伊陀さんって結構波瀾万丈な人生を進んでいるのね。尊敬するわ」
僕の代わりに応対してくれる白咲に安心感を抱きつつも、僕はドアの陰でうごめくく小さな生き物に意識をむけていた。
「あはは、今日は私の相談じゃないよ」
伊陀は白咲の褒め言葉に照れながらも、未だ開かれたままの第三生徒会準備室の入り口に声をかける。
「こっちへおいで、かぐやちゃん」
「そうそう。採って食べたりしないから」
伊陀と白咲の言葉に押されて引き戸の陰から現れたのは、小さな、金色の女の子だった。
まるでフランス人形のような彼女はふわふわと入り口に滞留する。
「わたち、ちっちゃいから食べるところ、全然ないよぉ……」
金色のロングヘアーのその子は青ざめた顔でぐるぐると目を回す。
その姿が愛らしくて、僕らはカラカラと笑ってしまった。
「白咲さんって本当にSっ気あるよね」
「雛月さんにはわたしが怪獣にでも見えるのかしら」
気の強い二人とは異なり、扉の前の少女はぶるぶると首を横に振る。
あまりに必死に震えるものだから僕らは再び声を上げて笑ってしまった。
「ほら、かぐやちゃんもこっちに座って。ちゃんと自己紹介する」
伊陀に誘われ、来客用の豪華な横椅子に向かう彼女は、まるで風に吹かれて流れているよう。
たんぽぽの綿毛のような、白くて軽やかで柔らかい、そんな印象を僕に与えた。
「雛月かぐやでちゅ」
ふわふわとした彼女が挨拶をする。
併せて伊陀が彼女を深掘りすべく、簡単な質問を投げかけた。
「好きな食べ物は?」
「リンゴ飴」
「じゃあ嫌いなものは?」
「たくあんでちゅ」
別に変なやりとりではないのに、雛月かぐやの幼さが不思議と周囲の笑いを誘う。
だけど、第三生徒会準備室を包む和やかな雰囲気に反して、雛月かぐやの表情は固まったままだ。
「ええっと、夏織ちゃんと白咲さん、あの男の人は誰でちゅか」
「あそこの偉そうな椅子に座っている、友達がいなさそうな顔をしてるのが椰戸部くんだよ」
「下の名前はヒトって書いてジンって読むの。変人っぽいでしょ」
「いきなりのネガキャン勘弁してくれ」
友達いないのは本当だけど。
下の名前が変わってる自覚もあるけど。
でも、それは白咲のせいであり、名付け親のせいなのだ。
僕は悪くないのである。
「あの人が椰戸部くんでちゅか。思ってたよりはちっちゃいでちゅね」
――どんな感想だよ!
しみじみと呟く雛月かぐやに、僕は心の中でツッコミを入れるのだった。
「でも、椰戸部くんって本当に頼りになるんだよ」
「ええ、うちの椰戸部人はそれはそれは素敵な男よ」
僕の評価を上げたいのか下げたいのか謎だが、伊陀と白咲が僕を褒める。
二人の言葉にほっとしたのか、さっきまで僕を横目でチラ見するだけで、一向に顔を向けてくれなかった雛月かぐやの空気が変わる。
僕を直接見据えて語り出す。
小さな身体から発せられる言葉は、か細く、震えていた。
「わたち、どうしても帰りたい」
雛月かぐやの、満月のようにまん丸な、幼さを色濃く残す眼が、まるで水面に映り込んだ名月のように、揺らいでいた。




