第二章 002 日常編
白咲彩華が学校に巨大鉄骨を数本突き刺した翌日。というか放課後。
僕と白咲はいつものように第三生徒会準備室でのんびりしていた。
「わたし、思うのだけど校舎を破壊しても許してくれる親って何なの。普通に怒られると思ってドキドキしてたのに。なんなら朝一で学校に来て中庭を見に行っちゃったわよ」
昨日、白咲は鉄骨を屋上から中庭に投げ捨てた。赤レンガをバラバラに砕き、地面をガタガに陥没させた彼女の凶行への学校側の答えは、無視だった。
音沙汰なし。というか、白咲が行った器物破損行為に対して誰も言及しない。
雷鳴のごとく派手にかち割った事件現場を目にした者が、聞き及んだ者が誰一人としていない。
まるで、事件が起きた時間だけ現実から抜け落ちたような、世界から抹消されたような、そんな静けさ。
一夜たって完全修復されたまっさらな現場。
僕と白咲には、昨日の記憶と拭いきれない違和感だけがハッキリと刻み込まれたのだった。
「何事もなくて良かったじゃないか」
僕はいつも通り白咲が淹れた香り豊かなアールグレイをすする。
「いいえ、この際だからハッキリ言わせてもらうけど、人くんのおかあさん、どれだけ親バカなの」
「他人の親を馬鹿とはなんだ」
「校舎の一部を破壊しても怒らない。お弁当はいつも手作り。なに、絶対人くんって服をいまになってもお母さんに選んでもらっちゃってる系男子高校生でしょ」
「ファッションはマグロになる精神なんだ」
「だからカフェで待ち合わせしてても下駄を履いてくるのよ」
「それは僕の趣味だ! しかも僕がオフで履いてたのは草履だ!」
「制服って格差を無くすうえで本当に重要よね」
「服装でそこまで言う!?」
「あら、外見ってとっても大切よ。自分で言うのもなんだけど、わたし、この見た目じゃなかったらいまの逼塞した世の中を生き抜けたと思えないもの」
「お前は現代社会に何を見いだしてるだ! 僕はお前の将来が本当に心配だよ!」
「世の中は美人にやさしいわ。生きてるだけで丸儲けよ」
「いつか本気で偉い人にめちゃくちゃ怒られろ」
「そのときは心が砕けちゃうかもね」
「お前の?」
「相手の」
「悪魔か!」
「わたしはなにもしないわよ。でも、まだ見ぬわたしのファンは黙っちゃいないでしょうね。相手のお子さん、元気に成長できるといいのだけど」
「とんだエンペラーだよ! デスマーチの始まりだよ!」
ふふっと白咲が笑う。僕はひいひい肩を揺らす。
こいつといるといつも疲れる。
「大丈夫よ、人くん。わたしはあなたの言葉なら嘘でも従うもの」
いつもと変わらぬ口調で不気味なことを言うのだから、背筋に悪寒が走り、僕は小震いを起こしてしまう。
「あ、でも決して嘘はつかないでちょうだいね」
「何でだよ、僕にだって隠したいことの一つや二つあるよ」
「バレるじゃない」
確かにそうだけど。
事実、僕は白咲から逃げることはできないのだ。
どこにいても、何を考えていても居場所を、思想を知られてしまう。
追いついてきてしまう。
だけど、不思議といつも僕の背後に張り付いて離れない白咲に嫌悪感はないのだった。
「人くん、女というのは嘘を嫌う生き物なのよ。どうしようもなく裏切りが、信頼に泥を塗られるのが我慢できないの」
「万が一ですが、この僕が、ちっぽけなわたくしめが白咲さんに、虚偽をのたまいましたら、一体全体、僕はどのような感じになるのでしょうか?」
「間違いなく殺すわ」
「物騒すぎる!」
――メンヘラにも程があるだろ。
「どちらからと言えば、こういうの、ヤンデレというのじゃないかしら。わたしに傷なんてつかないもの」
「白咲よ、僕の心を読まないでくれ。あと、後の文はどうかと思うぞ」
「こんな健康優良児に病んでるなんて言うからでしょう」
「病みそうなのは僕の方だよ! お前と一緒にいるストレスでな!」
「大丈夫。人くんが倒れたらわたしが責任もって看病してあげるから」
「尚更病むわ!」
「弱ってる男の人ってなんだか色っぽくて素敵よね」
「だからって僕に精神的負荷をかけてもいいとでも!?」
「殴らないだけましでしょ」
「DV夫か!」
「やだ、人くんったら。わたしたちが夫婦だなんて。いつかはそうなる予定だけど、まだ早すぎるわよ」
予定って。
白咲はいつものようにくクネクネと腰を曲げて謎の踊りを披露していると、唐突に古い滑車が回る音がした。
「椰戸部くん、いる?」
第三生徒会準備室の開かれたドアの前には二人の女子が立っていた。
それは、新しい人助けの、僕の戦いの始まりだった。




