第一章 014 回答編 ①
僕が伊陀夏織に電話をかけ、白咲に鉄骨運搬作業を指示し、もう一本電話をかけて、学校を後にした翌日。
というか、すでに放課後。
真っ赤に燃え盛る夕日が向き合う二人の女子を照らしていた。
一人は、伊陀夏織。真剣な面持ちで正面の女子を見据えている。
伊陀夏織に見つめられた浄瑞乙羽はもじもじとしながらも、目線だけしっかり相手を見つめていた。
二人を部活終わり、校舎に囲まれた中庭に来いと指示したのは僕である。
なぜ自分が呼ばれたのか、待ち合わせ場所になぜおめあての女子、浄瑞乙羽がいるのか、全く分からない伊陀夏織に気付かれぬよう、僕は二人から離れた校舎の陰に隠れていた。
「あの、乙羽ちゃんがどうしてここに」
無知な伊陀夏織はためらいながらも同じ部活の仲間である乙羽に話しかけた。
「今回は夏織部長にどうしても二人だけで話したいことがあって来ました」
「二人だけで? 何の話? 遠慮せず言って」
視線を周囲に振りまき、僕の姿を探しながら、伊陀夏織は乙羽に会話の続きを促す。
乙羽は五秒間ほどもじもじと恥ずかしそうにしていたが、意を決したように背中をぴんと伸ばし、両手で作った握り拳を二回グッと引き締める。
目は真っ直ぐ伊陀夏織を捉えていた。
乙羽は大きく息を吸い込んだ。
――言ってやれ、乙羽!
僕が心の中で乙羽に力一杯激励を飛ばしたコンマ数秒後。
彼女は人生最初の大きな告白をした。
「私は伊陀夏織ちゃんを心から、一人の女性として愛しています。私と真剣にお付き合いしてください!」
浄瑞乙羽はついに自分の心の内に秘めていた気持ちを打ち明けた。
一緒にいるだけで胸が苦しくなるような、そんな月並みの、狂おしい愛を伊陀夏織に大声をあげて、伝えたのである。
当然、同性から、いや、良きライバルと心の中で慕っていた乙羽から愛の告白を受けるとは思っていなかった伊陀夏織は、絵に描いたように目を白黒させている。
二人を包む空間だけが、時間の流れから隔離されたような、全くの膠着状態が十秒間ぐらい続いた。
この途方もないように長い十秒が、乙羽の、そして伊陀夏織の運命を大きく変える。
「乙羽ちゃんの気持ちはうれしい。でもいまは友達のままでいたい」
伊陀夏織はしっかりとした重みのある声で、浄瑞乙羽をふった。
戸惑うことなく、ちゃんと乙羽の気持ちを理解し、受け止めたうえで、彼女の愛を拒絶したのだ。
その、どうしようもなく残酷で、明快な事実を浄瑞乙羽も全力で受け入れた。
肩を震わし、涙をこぼしながら、乙羽は初めて失恋というものを味わった。
浄瑞乙羽は正真正銘、伊陀夏織に恋をし、愛し、そして敗れた。
たったそれだけなのに、僕には乙羽の泣き顔が、涙が、赤くなった瞳が、どんなものより尊く、価値があるように感じられた。
乙羽は伊陀夏織に背を向ける。
そして、一人で歩き出す。
泣きじゃくりながら、泣き声をあげながら、一歩いっぽ、確実に伊陀夏織から遠のいて行く。
昨夜、僕は乙羽に電話をかけた。
伊陀夏織が乙羽のことを気にかけている案件を彼女に伝えた。
そして、乙羽が伊陀夏織を愛しているのではないかと、彼女に問いかけた。
「人さんはバレちゃいましたか」
電話の向こうの乙羽の声は何かを決心した人間の独特の緊張感が走ったものだった。
「私は夏織部長、いえ、夏織ちゃんを嘘偽りなく愛しています。だから人さん。力を貸してください」
「断られることが怖くないのか」
「失礼ですよ、人さん。告白前の女の子にフラれることなんて聞いちゃいけません」
「すまない。ただどうしても聞きたいんだ」
僕は知りたかった。愛とはどういうものなのかを。
人間が拝み、信仰し、もてはやす恋愛とは何なのか、見てみたかったのだ。
「いいですか、人さん。恋というのはいつか終わりが来るんです。それが死別であったり、不倫であったり、拒絶であったり。人間それぞれ、終わり方は違いますが、必ず恋は朽ちるんです。だからと言って、フラれるのが怖くないわけじゃありませんよ。私も人間ですから、好きな子には認めて欲しいし、受け入れて欲しい。できる限りの幸せな恋の終わりを迎えたい」
乙羽の声は更衣室の前とは全く別の、真剣な、深いものだった。
「でもね、人さん。私たちは何も始まっていないんですよ。初めて夏織ちゃんを見たとき、一目で私は恋に落ちた。だけど、夏織ちゃんは違う。私と一緒に走りたいと言ってくれるのは一人のランナーとして嬉しい。でも、振り向いてくれないのは、一人の女として、一人の人間として、どうしようもなく苦しいんです」
受話器の聞こえてくる乙羽の声は、かすかに、震えていた。
彼女は僕の、伊陀夏織が乙羽のことを気にしている、という情報だけを頼りに、告白にまで踏み切り、散った。
浄瑞乙羽の恋は今日、この瞬間をもって完結したのである。
乙羽の後ろ姿は、はかなくて、弱々しくて、どこか、あったかい。
そんな風に僕には思えたのだった。
乙羽は鼻をすすりながら校舎の中へ消えようとしている。
伊陀夏織は自分がふった、自分が泣かした好敵手の、一人の乙女の背中をずっと見守っていた。
そしてそして、宙を見上げながら、乙羽に叫んだのだった。
「危ないっ!」
空から鉄骨降ってきた。
人間を軽々しく、木っ端微塵に潰してしまう図太い鉄骨が何本も、乙羽の頭目掛けて落ちてきた。
乙羽はただ呆然と、自分を殺そうとしている頭上の巨大な鉄塊を見上げていた。




