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第一章 012 推理編 

 第三生徒会準備室にもどった僕は、乙羽との会話をもとに、伊陀夏織の依頼解決方法を頭の中で探っていた。



――伊陀夏織は間違いなく、浄瑞乙羽に距離を置かれている。



 僕はハイバックチェアーにもたれかかり、天井を眺めた。



――伊陀夏織の依頼内容は浄瑞乙羽に嫌われている理由を突き止めること。



 白咲は定位置の来客用ソファーに座りながら、備え付けのノートパソコンを静かにのぞいている。



――浄瑞乙羽は伊陀夏織の人間性に嫌悪感を抱いているのではない。伊陀夏織に走りで及ばないことに嫌気がさし、伊陀夏織の走りに嫉妬している。



 だとしたら、伊陀夏織にこの事実を報告して一体どうなるというのか。


 伊陀夏織は自分が嫌われている理由さえ分かればなんとかなると言った。


 つまり、伊陀夏織は浄瑞乙羽と仲良くなれると信じているのだ。良きライバルになれると思い込んでいるのだ。



 一方、浄瑞乙羽は伊陀夏織の力量を恨んでいる。自分よりうまく走れる足を恐れている。




 好敵手をのぞむ伊陀夏織と格上相手を憎む浄瑞乙羽。




 この二人は、走るという才能を通して、決定的にすれ違っている。


 伊陀夏織の願いは叶わない。


 たったそれだけが、伊陀夏織の依頼を解決した先に待っている現実。


 伊陀夏織に突き付けられる不条理なのである。



――浄瑞乙羽と分かり合えないことが分かった。



 こんな結果で伊陀夏織が満足するのか。




――断じて否である。




 もし僕は彼女に「お前の走りがうまいから、乙羽はお前を嫌っている」と報告したところで承服しないのが伊陀夏織である。


 伊陀夏織が僕の調査結果を承諾しない限り、伊陀夏織の悩みを解決したことにはならない。


 この依頼、そもそも解決できなかったのである。




 僕は宙を仰ぎながら、深いため息をついた。



――ただ、釈然としないのは乙羽の言動だ。



 乙羽は伊陀夏織と走りたくないと語った。その真意が本当に伊陀夏織を嫌ってのことなのか、はっきりしない。


 伊陀夏織が売った、押し付けた恩の数々を乙羽はあだで返し続けている。それは疑いようもない事実だ。



 だが、どうしても乙羽のあの真っ直ぐな瞳が忘れられない。



――私は夏織部長のことを嫌っていません。



 あんな実直な声が僕に嘘をついているとは、どうしても思えない。


 では、と僕は発想の転換を試みる。心の常識の枠を全て外す。



――乙羽の言動一つひとつをもう一度考え直すんだ。



 僕は浄瑞乙羽の行動を、伊陀夏織を嫌っていない、つまり、好意的に感じているという前提条件を設け、再検証することにした。



――まず、タオルボロボロに工作だ。



 乙羽は伊陀夏織から貸し与えられたふわふわのタオルをボロ雑巾になるまで、繰り返し洗濯機にかけた。


 乙羽の証言と擦り合わせ、この奇行を好意的に考え直すと、きれいな状態に戻して返したかった、という予想にたどり着く。



――なら、夏休み練習のとき、伊陀夏織のドリンクを飲み干したのはどう説明する。



 僕は自問自答を続ける。



 乙羽の発言を信じるのであれば、伊陀夏織がせっかくくれたのだから全て貰わなければ失礼だ、である。


 いまは見ないお隣さんのおすそ分けでもないだろうに、こんなことが本当にありえるのだろうか。



――いや、ありえる。



 僕が乙羽から感じた純真さは、清廉せいれんさはどこまでも続いているような、そんな錯覚を僕に与えた。どこまでも真っ直ぐな心を持った乙羽は、底なしの天然娘である。という仮説は、僕の中で結構現実味のあるものとなっていた。



――それでは、乙羽が言った、伊陀夏織と走ると苦しくなる、とはどういう意味だ?



 僕が最初、否、今も九分九厘、浄瑞乙羽が走りの才能で伊陀夏織を嫌っている、と考える理由はここにあった。



 なぜ苦しいのか。その理由が、僕には実力の差を歴然と感じる焦燥感と嫉妬だと確信していた。



 しかし、いま思い出すと、伊陀夏織は依頼時、こう言っていた。



――あたしとギリギリのところで勝負できる子がいたの。


 要するに、伊陀夏織と乙羽の能力の差はそんなにないということである。僅差で負けるからくやしい、という思考もできなくはないが、いまは乙羽の言う「苦しい」をポジティブな観点から考える。


 走るときに胸が苦しくなるのは必然。気になるのは、伊陀夏織と走るときに苦しくなると特定していることだ。根っこから素直な乙羽が他の部員と走るときに手を抜いているとは考えにくい。



 僕は、苦しいという言葉に込められた意味を解読することが僕の胸の中に詰まった違和感を取り除く鍵になると思った。



――考えるんだ。古い考え方に惑わされるな。思いつく限りの全ての可能性を探れ。



 僕は脳を自分ができる最大限まで回した。




――一つの狭い視野にとらわれるな。状況は刻々と変化している。常に新しい情報を入手し、更新し続けろ。



 僕は今まで僕が、見て、聞いて、匂って、味わって、感じたもの全てを一から思い出していた。




――たとえ一パーセントでも疑いがあるなら、確証を得るまで検討し、検索し続けろ。どんな小さな点も見逃すな。全てを線で結びつけるんだ。



 僕の脳内では、あらゆる情報が氾濫し、撹乱し、そして一つの大きな渦を作った。







「……分かった」






 僕は小さく呟いた。




「おめでとう、人くん。あなたならできると信じていたわ」


 白咲はノートパソコンをゆっくり閉じ、僕の方を見つめながら言った。


「時間が惜しい。今すぐ動くぞ」

「学級委員選挙まであと一週間もないものね」


 僕は正面の机上に置いてある電話の受話器を持ち上げた。


「白咲、伊陀夏織の番号を入れろ」

「人くんが考え事をしている間にちゃんと調べておいたわよ。わたしの公式ファンクラブのおかげね」

御託ごたくはいいから、早くダイヤルを回せ」


 白咲は、自分の公式ファンクラブを悪用し、不正に入手した伊陀夏織の電話番号をぶつぶつ言いながら入力した。


 三回短い電子音が鳴り、四回コールがかかったところで伊陀夏織は僕の電話に応えた。



「やあ、陸上部のエース。恨むなら自分の姿形、そして才能を恨むなだな」



――解決への情報は全て整った。


 電話の向こうからは、伊陀夏織の不愉快そうな声が聞こえる。



――あとは演出だけだ。





 僕は日が沈む校舎の中で、陸上部一年生キャプテンと繋がった受話器片手に、白咲へハンドサインで指示を出した。 


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