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第一章 010 相談編 ②

 白咲が第三生徒会準備室を去ってからわずか五分後。

 

 白咲は、少し小さめのハーフパンツに白い体操服を着た、いかにも陸上部といった感じの女子を一人、僕の元に連れて来たのだった。


「白咲さん、ほんとうにこの部屋、入っていいの?」


 やや短めの髪はシンプルなカチューシャで整えられ、走る邪魔にならぬよう、うまくまとめられている。身長は男子の平均より少し下、女子の平均よりやや高めといったところで、肌は日焼け止めを塗っているのか、運動部の割には白い。


「どうぞ、遠慮せず 中へ入って、伊陀さん。きっと人くんがあなたの悩みを解決してくれるわ。おいしい紅茶もごちそうするわね」


 白咲に促され、体操服姿の女子は恐るおそる、第三生徒会準備室の敷居をまたいだ。


「こんにちは、椰戸部くん。少しお邪魔するね」

「あっ、はっはい、わかりました」


 白咲はその女生徒を来客用ソファーに座らせると、「紅茶を淹れてくるわ」と言って、部屋の隅にある厨房の陰に隠れてしまった。


「人くん。わたしがお茶を用意している間に伊陀さんと話しといてもらえるかしら」


 白咲の声は明らかに笑っている。


――あの女、僕が初対面の人間とうまく喋れないことを知っておきながら、席を外しやがったな。何の恨みがあって、僕にはこんな仕打ちをしてくるんだ。


「こうやって、直接話すのは初めてだったよね、椰戸部くん。同じクラスなのに話す機会が一度もないなんて珍しいかも」


――同じクラスって言われても分かりません。誰だ、こいつ。教室にいるときは、寝るか白咲と話すか、窓の外を見るしかアクション起こしてないから、クラスメイトの名前と顔なんて覚えてない。

 

 担任の名前すら覚えてないのに。


「一応、自己紹介しといた方がいいのかな。あたしは伊陀夏織。陸上部のキャプテンをしています」


――ほら、気を遣われた。誰か分かってないことを見透かされた。


「伊陀さんは白咲と、なっ、仲が良いの?」


 僕は伊陀夏織の名前を二人称に使うことで、元から名前を知っていたアピールを決行した。


「教室でたまに話すかな。白咲さんは何でもできて、すごく優しいから、相談にのってもらったりしてる。あと夏織でいいよ」


――なぜか下の名前で呼ばそうとする系女子がでやがった。大して仲が良いわけでもないのに、男子にファーストネームを呼ばそうとするとかドン引きだ。


 僕はいろんな創作物で目にするものの、実際にはありえないと思っていたモンスターの登場に、正直、完全にビビってしまった。


「韋駄天さんって一年生なのに陸上部のキャプテンしてるなんてすごいなー」


 僕はあえて伊陀夏織にセンスのあるあだ名をつけると共に、話題をもっと広げやすいものへと変換した。


 部屋の奥からは、白咲n僕をバカにしたような笑い声が聞こえてくる。


「おっ、急に話が変わったなあ。まあ、いいけど。うちの部活って伝統的に一番実力がある選手が部長になるらしいよ。あたしはたまたま幼稚園の頃から陸上やってたから、他の部員より少しうまくてさ。それで一年生キャプテンになったわけ。あと、夏織でいいから」 


――怖い。下の名前で呼べ圧が常軌を逸っしてやがる。僕と伊陀夏織は初対面だろ。馴れ馴れしいにもほどがある。


 僕は噴き出す冷や汗を我慢しつつ、両肘を机につき、手を顔の前で組んだ。

 僕の内心と表情を伊陀夏織に悟らせないためである。


「伊陀さんは今日、陸上部内での人間関係について、人くんに相談しにきたのよ」


 両手にティーカップを携え、颯爽と現れた白咲が、僕には天使に見えただろう。

 あの意地悪そうなにやけ顏さえなければ。


 伊陀夏織は白咲から紅茶を受け取りつつ、白咲の耳元で「椰戸部くんって少し変わった感じだね」と小声で呟いていた。


――聞こえてるからな! 今、僕のことを変人扱いして、白咲に遠回りに僕のことを受け付けないって言ったのバッチリ僕の耳に届いてるからな!


 僕の心は伊陀夏織との短い会話で折られてしまった。



「人くんはああ見えても頼りになるわよ」

「白咲さんは椰戸部くんのこと信頼してるんだね。じゃあ、白咲さんも揃ったことだし、早速あたしの相談を聞いてくれるかな」

「ええ、いいわよ。人くんもいいわね」

「あっ、はい。勝手にどうぞ」



 砕け散った人見知りハートの傷は癒えてはいなかったが、僕は学級委員になるため、伊陀夏織の話を聞くことにした。


「あたしね、陸上部でどうしても仲良くなれない子がいるの」


 伊陀夏織はごく自然体のまま、ぽつりと依頼を切り出した。


「それは伊陀さんがその相手の子を嫌っているということかしら?」

「あたしは嫌っているというか、むしろ仲良くなりたい方なんだけど、相手の子がどうもあたしを避けてるみたいで」

「詳しく聞かせてもらうわ」


 白咲は一瞬、僕の方に目を向け、小さいウインクをすると、再び伊陀夏織の方へ顔を戻した。


「あたし、一年生なんだけど、陸上の才能があったのか、部の中で飛びぬけちゃって、一緒に走れる部員が全然いなくてさ。でも一人だけ、しかも同級生で、あたしとギリギリのところで勝負できる子がいたの」

「その子が伊陀さんの仲良くなりたい相手というわけね」



 伊陀夏織はゆっくり頷き、おもむろに話を続ける。



「わたしはその子と一緒に走ろうって何度も話掛けたんだけど、そのつど、無視されちゃって。トラックを走る順番とかもあたしとかぶらないようにずらされたりするんだ」

「当然、伊陀さんなりに、その子と仲良くなろうと試みたのよね」

「うん。その子が走り終わった後に、家から持ってきたふかふかのタオルを渡してみたり、飲み物がなくなったその子に、スポーツドリンクを分けたり、色々と工夫を凝らしてみたんだけど、イマイチうまくいかなかったよ」

「具体的には相手の子にどういう反応をされたの。もしかして、全部無視?」

 

白咲は伊陀夏織から効率よく情報を集めていく。僕は安心して二人の会話を聞いていた。


「大声では言えない話なんだけどね。タオルは返ってこないし、ドリンクはその場で全部、飲み干されちゃった」



 伊陀夏織の口調だけは明るいものの、声は低く、相手の反応に肩を落としているのがありありと伝わってくる。



「ちなみにタオルと飲み物の件はいつ起こったの」

「確か夏休み練習のときだから、もう一か月もタオルは返って来てないことになるのかな」



 第三生徒会準備室内には、どんよりとした重々しい空気が流れていた。



「というわけよ、人くん。どう思う」

「十中八九、伊陀さんは相手の子に嫌われているな」

「夏織でいいから」


 今度は僕を睨みつけてくる。僕は仕方なく、伊陀夏織を呼び捨てすることにした。


「それで、伊陀夏織はどうしたいんだ」

「さっきから言ってるでしょ。その子と仲良くなりないのよ」


 下の名前だけで呼んでもらえないことが気に食わないのか、それとも嫌な思い出話をしたせいか。


 伊陀夏織は最初のときとは比べものにならないほど荒れている。


 どうやら彼女は情緒不安定らしい。


「仲良くなるにも方法はいろいろある。例えば、僕たちがつきっきりで伊陀夏織を相手の子が気に入るようにプロデュースする方法。他にも伊陀夏織と相手を二人っきりにするシチュエーションを僕たちがわざと作るとかだ」


 白咲がなるほどと頷く一方、伊陀夏織は「何よ、偉そうに」と小さく悪態をつきながら、歯軋りをする。


「あたしが知りたいのは、あたしが相手の子に嫌われている理由よ。それさえ分かれば、椰戸部くんの力を借りずとも、自力でなんとかできるわ」


 嫌われる理由が分かれば苦労しない。という当たり前のことを偉そうにのたまう伊陀夏織に、どうやら僕は嫌われてしまったらしい。相手がそう来るならと、僕も彼女に高圧的な態度をとってしまう。



「僕たちが引き受ける依頼内容は伊陀夏織がなぜ同級生に避けられ、タオルを奪われ、炎天下の中、スポーツドリンクを飲み干されたのかをつきを止めること。でいいんだな」

「その通りよ。椰戸部くんみたいな見るからに陰険そうで、友達もいなさそうな人間に解決できるとは思わないけど、白咲さんの顔に免じて、一応、期待して待っててあげるわ」


 白咲は小刻みに震えながら紅茶を静かにすすっている。こちらもご立腹のようだ。



 伊陀夏織がプンプン言いなが帰ろうとしたとき、僕はあえて彼女を挑発することにした。



「最後に聞くが、本当に心当たりはないんだな。常人ではありえないような嫌われ方をする理由を、伊陀夏織は理解出来ていないんだな」

「ええ、そうよ! だからこうやって相談しに来てるんでしょう。相手の子の印象を損なうわけにもいかないから、椰戸部くんみたいな影の薄い人間にこそこそお願いしに来たのよ」


 僕には当たりが強いが、伊陀夏織の根は優しい性格らしい。ゆえに本気で困っている。そこにつけ込む隙が生まれる。


「解決した際には少し伊陀夏織の力を貸してもらうことになるが、相手の子と仲良く、そして良きライバルになれるなら構わないよな」

「しつこいわね。ええ、あたしに出来ることなら何でもしてあげるわよ。ただし、あたしの相談、ちゃんと解決してよね」



「ああ、約束だ」



 伊陀夏織は「それじゃあ、あたし、部活があるから」と言い、そそくさと第三生徒会準備室から去っていった。




「随分と嫌われたものね」

「別にいいさ」

「こんな短時間で人間に敵意を持てれるなんて、新記録更新かしら」



 白咲はニタニタと性格の悪い笑みで僕を見てくる。こんな顔でも、見る人にとっちゃ、慈愛に満ちた顔と評価するんだから、人間の主観というのは曖昧だ。



「票さえ貰えれば、それでいいんだよ」



 僕は砕け散ったハートを隠しつつ、白咲に少しだけ、強がりを言ってみた。


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