第一章 008 選挙編
虻都さん来襲の翌日。
僕と白咲は普通に学校へ登校し、普通にクラス教室で授業を受けていた。
本日最後の時間割はロングホームルーム。
議題は二学期学級委員の決定だ。
「灯台下暗しとはまさにこのことね」
前の座席の白咲が話しかけてくる。
教壇では担任の中年男性が、学級委員の仕事について長ったらしく説明している。
「図書委員とかは一年間固定なのに、学級委員だけは一学期交代制助かった」
「学級委員はクラスの意見を執行部に届ける重要な役職。ゆえに任期を短くして、いろいろな人間の視点から課題を吸い上げ、生徒会活動をより活発にする。だったかしら」
学校生き字引である白咲は聞いてもないのに、学級委員の任期の短さについて解説してくれる。結構面白い。
「あとは僕が学級委員に名乗りを上げ、就任すれば、晴れて生徒名誉会長になれるわけだ」
僕は目と鼻の先に迫った青春に心躍らせていた。
「そんなにうまくいくものかしら。人くんのクラス内好感度は地の下よ」
「お前のせいでな」
事実、僕と白咲が小声で会話するたび、クラスの半分ほど、主に男子どもが僕を睨んでくる。
いつも通り、白咲は気にかけていないようだが、僕は気分が沈む。
「ちなみに聞くけど、人くんの高校での友達は何人いるの?」
「白咲よ。友達とは数ではないのだ。小学一年生でもないだろうし、友達百人できたからといって、偉いわけではない。要は質の問題なんだ」
「たしかに人くんの言っていることも一理あるけれど、そのせりふは友人が一人でもできた人間が言うものよ」
「一人ぐらいいるわ!」
「念のために言っておくけど、わたしは人くんのことを友とは考えていないわ」
「今、僕の親友の数は自然数ではなくなった」
「とても残念だわ」
白咲は本当に悲しそうな顔で僕を見つめてくる。白咲が優しいのか残酷なのか、ときどき分からなくなることがある。
「別にいいんだ。学級委員なんていう面倒事、誰もやりたがらないだろう。高校生は部活だの勉強だので忙しい。どうせ僕一人だけが学級委員に立候補して、信任投票で無事終了だろ」
「一学期も男子学級委員に手を挙げたのは一人だったしね。連続での就任は禁じられているから、たぶん大丈夫だと思うわ」
担任は大体の説明を終え、学級委員立候補者を募ろうとしている。
白咲のお墨付きももらったことだし、僕は早速男子学級委員立候補者に名乗りを上げた。
予想通り、立候補者は僕一人だけ。
あとの連中は、僕を睨んでくる奴もちらほらいるが、大半は興味なさそうに黒板を見つめている。
――勝った!
僕は人生の勝利を確信した。
「ここまでは計画通りね、人くん」
「後は女子学級委員が変人でないことを祈るだけだ」
担任は次に女子学級委員の立候補を募集する。
高校生ともなると内申だ、好感度だ、などのあまり美しくない理由で学級委員になろうとする人間もでてくる。僕が言える立場ではないが、その傾向はとくに女子に大きいと思う。変な奴とは学級委員として組みたくないのだ。
僕は恐るおそる女子学級委員の立候補に手を挙げたクラスメイトを目で追った。
――ざっと数えて、四、五人か。
男子学級委員とは違い、女子の方はそこそこの人気である。
真面目そうな奴から、見るからに頭が悪そうな奴まで千差万別、いろいろな思惑が女子学級委員立候補者たちの中でうずまいていそうだった。
それともう一人。予想外の人物が女子学級委員に立候補している。
「おい、白咲。生徒名誉会長は僕がなるからお前は学級委員にならなくていいんだぞ」
「そんなことは知っているわ。わたしにも生徒会役員にならなくてはいけない理由があるのよ」
担任が立候補者の名前を黒板に書き終わると、白咲はすっと手を下ろした。
「わたし、生徒名誉会長秘書官のポストをねらっているの」
「そんな大物政治家に付いてそうな役職は聞いたことがないぞ」
「当然ね。昨日、いえ、正確には来週あたりできる予定ですもの」
白咲の口角が不気味につり上がる。
「お前、まさか虻都さんに何かしたのか」
「いいえ。ただ、もし秘書官職を作ってくれたら、手袋をはめて握手してあげるって言ったら、死んでも作ると応えてくれたわ」
「虻都さんの純粋な変態精神をもてあそびやがって」
「人くん以外の男はうるさいハエ程度にしか思っていないけど、利用できるハエは使ってあげなきゃ大気の無駄づかいでしょ」
「なんて女だ。虻都さんだって生きてるんだぞ」
「変態は社会的に見れば死んでいるも同然よ」
「あながち否定できない」
だって虻都さん、白咲に関わるものなら何でもいい変態だし。この前、白咲がむいて捨てたみかんの皮をあげたら喜んでたし。
それにしても、白咲が学級委員に立候補するとは意外だった。
そもそも生徒名誉会長の秘書官になってどうするつもりなのか。
何か野望はあるのか。
全く目的が見えない。
そして、白咲に関わると経験上、ろくなことにならないことを僕は知っている。
今の僕の学校でのヒエラルキーの低さといい、全ての原因は白咲にあるのだから。
――嫌な予感がする。
僕の背中に今日も悪寒が走った。
「人くん、そんなに心配しなくてもいいわよ。わたしはおとなしく学級委員になるだけだもの」
「全く信用ならない」
担任は女子学級委員立候補に本当にこのままでいいのか。辞退するものはいないかを聞いている。案の定、二人、自主的に立候補を取り下げた。
「わたしは学校中から支持を集めているの。たかがクラスの学級委員選挙で負けるはずがないわ」
白咲はただ、静かに座り、いつもの五割ましで美少女オーラを振りまいていた。
――学級委員も白咲と組むのか。
新たな出会いへの期待を潰されたがっかり感半面、変な奴と組まなくていい安心感半面。
僕は窓の外の景色を眺めながら、じっと男子学級委員の信任投票が始まるのを待っていた。
立候補者は他にいませんか、と担任が形式的な確認をとっている。
少しの時間で立候補したいと心変わりする人間などいない。
という僕の思い込みは大きくは外れ、ドタドタと、大勢の人間が一斉に椅子を引いたような不愉快な音が室内に響きわたった。
僕は窓から視線を教室に戻し、周囲を見渡す。
――なんたる事態だ!
なんと、クラスの半分。つまり、僕を除くクラスの男子全員が男子学級委員に名乗りを上げていたのだ。
白咲さんが女子学級委員になるなら、自分たちが立候補しないわけにはいかない。
そんな下世話な声が部屋中に溢れていた。
そして僕が手を挙げていないのに、男女半々のクラスで半分の生徒が挙手していた理由。
僕の目の前でぴんっと背筋を伸ばし、白咲彩華は担任に対し、発言権を求め、許されるやいなや一言。
「わたしは人くん以外のクラスメイトとは学級委員をやりたくありません」
教室が一瞬、静まりかえる。
もとい、凍りつく。
その後に押し寄せたのは、僕への鼓膜がはじけんばかりの大ブーイングだった。
僕は耳を塞ぎ、じっと耐えるほかに成す術がなかった。
――だから白咲と組むのは嫌なんだ!
このとき、この瞬間をもって、クラスの約半分。
僕を除く男子全員の票を僕は失ったのだった。




