あの猫を触ればどうなるものか
―――あの猫を触れば、どうなるものか。
田中さん家の塀のうえに、毎朝、猫がすわっている。それも、とてもうつくしい三毛猫だ。いや、うつくしいだけでない。うつくしいだけであれば、僕はこうも悶々とはしていないだろう。
心血をそそいで描かれたであろう白黒茶の三色の柄は、色少なくモダンに仕立てられた着物のようにみえる。それでいて、ピンと立った耳やシュッとした鼻筋などは、まるで西洋の猫のようにもみえる。
あの三毛猫は、見る角度や見るときの心持ちによって、まったく違った印象をうける。とても不思議な猫なのだ。
―――あの猫を触れば、どうなるものか。
高校に向かう通学路。毎朝そんなことを考えている。いや、通学のときだけではない。ふと気がつけば、悶々とあの猫のことを考えてしまっている。例えばそれは、目もとを彩る薄茶色のことであったり、例えばそれは、気持ちの読み取れない尻尾の動きであったり。つい頭の中に、三毛猫の姿を浮かべてしまう。この現象は、恋に似ている。
―――あの猫を触れば、どうなるものか。
しかし、触れないのである。
どうやら猫は、毎朝おばあちゃんと一緒に、外に出ているらしいのだ。しかしおばあちゃんの監視は常に厳しい。僕が猫を触ろうものなら「うちの猫に何してくれんのよ」という鋭い目つきで睨んでくるのである。家族以外は触れてはならないようになっているようだ。
そういうわけで僕はいつも、三毛猫を横目に通りすぎるだけにしている。猫はときおり、首のよこを後ろ足でかいた。すると首輪についた鈴が、チリンチリンと鳴った。その音は僕のことを、ものすごく惨めな場所に連れて行った。
―――あの猫を触れば、どうなるものか。
では、仮に触ってみたとしよう。
のど元を右手でかりかりとかいてみる。その後に、そっと頭をふんわりと撫でる。
どうだろう。猫は嫌がるだろうか。いや、嫌がらないに違いない。猫は少なくとも、僕のことを嫌ってはいないように思う。毎朝すれ違うとき、猫は僕のことをみている。その瞳の奥には警戒心の色は見えないし、興味深そうにこちらを眺めているようにもみえる。
もちろん、これは僕の傲慢なのかもしれない。
―――あの猫を触れば、どうなるものか。
しかし、ある秋の日の放課後。
ついにその機会がおとずれる。
サッカーの部活から帰る途中、ぼんやりと足元を眺めながら歩いていると、その足元に長くて黒い影が差し込んだ。その影を踏まないようにゆっくりと顔をあげると、そこにはあの三毛猫が立っている。
三毛猫は大きな夕日を受けて、いつもの白を黄金色に輝かせている。明らかに、何かしらの神がかり的な力を受けているように見える。足元の長い影は、まっすぐと僕に向かっている。それだけではない。三毛猫の視線も、まっすぐと僕に向かっている。
僕は思わず息をとめる。僕の息づかいひとつで、この風景が壊れてしまうと思ったからだ。僕は息をとめながら、その場にゆっくりとしゃがみこむ。すると三毛猫はこちらにむかって、ゆっくりと近づいてくる。
ニャー、と三毛猫は鳴いた。それで僕は、触れても良いのだろうと理解する。首もとに近づける右手が震えているのが、自分でもよく分かる。指先がやわらかな首もとに触れると、僕はそれをゆっくりとカリカリとかく。三毛猫は心地よさそうにして、首もとから身体を僕にあずけてくれる。
これに調子づいた僕は、三毛猫の頭を撫でようとして手をのばす。やわらかな頭の感触を、手のひらのなかに思い描く。しかし三毛猫は僕の右手をするりと交わし、頭を僕の顔に近づけると、僕のほっぺたをざらりと舐めた。
そのとき、チリンチリン、と鈴の音がした。心臓がとまりそうになる僕を見て、ニヤリ、と三毛猫が笑った心地がした。三毛猫はあっけにとられた僕を置き去りにして、田中さんの家に向かって走っていってしまった。
―――あの猫を触れば、どうなるものか。
その答えは、上に書いた通りだ。一言で表すことは難しいのだが、強引にそれをやってみると、
「いくつかの感情の混じって、三毛猫みたいになる」
という具合になる。
それからというもの、僕は三毛猫を横目で通り過ぎるたびに、自動的にほっぺたにざらりとした感触が蘇るようになった。もちろん鈴の音も、チリンチリンと耳のなかで鳴り響く。
僕が望もうと望むまいと、そんなことは一切お構いなしに、それらの感覚は自動的に蘇るのだ。ボタンが押されれば、再生せざるを得ないビデオデッキのように。
秋はまだ始まったばかりだというのに、すでに初恋のように苦しい。