荒野の聖女4
ヒメによる病気の話があります。
が、「あくまで異世界での話」ということで、この現実世界との差異がありましても、そこはきっと何かが違うんだろうと流してしただけたら幸いです……
私がここにいるのを何故ヒメが知っているのか、そう思った時、かつてレクトールが言った疑惑が真実だったのだろうと思い当たった。
「全ては……あなたが仕組んだことだったの?」
そう驚く私にヒメは、けろりとした顔で答えた。
「え? そうよ? もう大変だったんだから! さすがあのレクトール様が大事に大事に囲い込んでいるだけあって、ずうっと手が出せなかったのよ! おかげでこんなに回りくどい手を使うことになってしまったわ。もうやめてよね、こんな面倒なこと。おかげであんな頑固じじいにまで愛想を振りまかなきゃいけなかったんだから!」
それはそれは悔しそうに言っているが、んー、それは、もしやあの長老を「魅了」で取り込んだということだろうか?
だけどもそんな私の反応にはお構いなしに、ヒメはそのまま得意げに話し始めたのだった。
「私はね、あんたの無様な姿を見に来たのよ。彼からこれだけ距離が遠ければ、あんたは何も出来ないでしょう? ふふっ。今、ファーグロウ軍は崩れ始めたわ。どうしてだかわかる? なんと! この世界には今まで存在しなかった、インフルエンザが流行り始めたから! ファーグロウとあんたはシナリオにあった『グランジの民』の裏切りまでは気づいたかもしれないけれど、でも自分たちが集団で病気になることまでは気づけなかった。そして彼らには免疫がないから、今、すごい勢いで広がっているの。兵士たちのいるところなんて十分な医療体制もないから、このまま放っておくだけでシナリオ通りにファーグロウ軍は勝手に壊滅よ。みーんなが病気になってしまったら、さすがに元がどんなに強くても全然ダメよねえ?」
にんまりとして言う。
「は? インフルエンザ? それって、あの前の世界の、アレ?」
そういえば最初にあの集落の病気の男の人を治したときに、どうも知っている気がしたんだった。確かにこの世界では聞いたことが無いぞ?
なのにあのインフルエンザが、いきなり流行るシナリオだったということ!? ちょ、シナリオ、なんて無茶をするんだ……!
「そう。あのゲームではインフルエンザが突然流行るの。『グランジの民』が使う通信用の鳥たちのものが、突然人にもうつるように変異するのよ。だから『グランジの民』と頻繁に連絡をとっていたファーグロウ軍にも広まってしまう。免疫のない人たちだから、本当に広まるのなんてあっという間なの」
「鳥……?」
そういえばガーウィンさんの鳥たちが……って……レクトールが……?
「あのゲームの隠しルートでレクトール様を救うにはそのことを近くにいた聖女が予言して、早い段階で全ての鳥を排除して消毒を徹底させて、しかもレクトール様を完璧に隔離しないといけないの。『先読みの聖女』は最初は信じようとしない彼を必死に説得するのよ。でも最後には彼もその聖女の努力と献身に心を打たれて、戦争の勝利とともに愛の告白をして結婚を申し込むの」
そう言ってヒメはうっとりと、おそらくその場面を思い出しながら語ったのだった。
「隔離……」
「そう、完璧に隔離して、誰とも接触をさせないようにする以外、彼を救う方法がないのよ。でもその対処さえ出来れば救える。というかそれが唯一、彼が生き残るルートだった。だから私がレクトール様のそばにいられればシナリオ通りに私は彼を救えたはずだったし、私の献身的な愛に感動した彼はちゃんと私と結ばれるはずだった。彼はあんたなんか捨てて、シナリオ通りに『私に』結婚を申し込むはずだったのよ。だからそれをあんたに見せつけるはずだったのに」
そしてヒメは、私を憎々しげに睨んでから言った。
「でもレクトール様はなぜかあんたを手放そうとしないし、ぜんぜん私の言うことを信じてくれなかった。なーんか違うのよね。私のレクトール様はそんな人じゃないはずなのに。もっと理解があって優しくて、そして誰よりも私を愛してくれるはずなのに。全然あんな冷たい人じゃあなかったのよ? きっとあんたが邪魔をしたせいで、彼のキャラがおかしくなっちゃったのね。本当に酷いよね。私の大事なレクトール様を、あんな風に壊してしまうなんて。その上このまま見殺しにするなんて、彼が可哀想」
「ええ、いや、見殺しになんてしないし、それに壊れてもいないんじゃないかな……? 彼は最初からあんな人だったよ?」
チャラ男で、甘言とキラキラがナチュラルにダダ漏れで、なのに実は腹黒い。最初からそのキャラはぶれていなかった気がするぞ? でも、
「やだやめて? 彼はそんな人じゃないって言ってるでしょう! あんたは何も知らないくせに!」
ヒメは全く信じてくれなかった。そして続ける。
「レクトール様に改めて目を覚ましてもらおうと思って頑張ったけれど、彼は目を覚ましてはくれなかった。とうとう最後まで……。だから、もういいかって、思ったの。残念だけれど元に戻らないなら、もう、いらないやって」
ヒメはそれはそれは残念そうに、やれやれといった感じで言った。
「え……?」
「あのレクトール様は、攻略するのが本当に大変なのよ。死なないようにするのが本当に本当に大変なの! 一回でも分岐を間違えたら死んじゃうから。一度間違えただけですぐにインフルエンザにかかっちゃうし、ひとたび発熱してしまったら最後、もうどうやっても助からないから。だから最初にインフルエンザにかからないようにするしかないのよ。もう何回やったか覚えていないくらいにリトライして、ありとあらゆるルートを試して、そしてやっとハッピーエンドにできる道を私は見つけていたのに。なのにレクトール様は、私を拒否して最後のチャンスを自ら捨ててしまった……」
「最後の、チャンス……?」
最後……?
その言葉の意味を理解して愕然としたそのとき、私のその様子を見たヒメが勝ち誇ったように笑った。
「もう、全て終わりよ。今夜レクトール様は死んでしまう。もうここから彼が生き残るルートは存在しない」
「は……? 今夜……? 本当に?」
ほんとうに!?
「本当に。ぜーんぶあんたが悪いのよ? せっかく私だったら助けられたのに、私の場所を奪うから。いったいあんたみたいな役立たずのどこが良いっていうのかしらね? でももう、終わり。レクトール様は死んじゃうの。だからもう、あんたのこともどうでもいいの。ついさっきここから全ての人を引き上げさせたから、このだーれもいない場所であんたを解放してあげる。この冬の荒野のど真ん中で、もし生き延びられるって言うのなら頑張ることね。ふん、ひとりぼっちで、凍えて干からびて絶望して死んじゃえばいいのよ。レクトール様を殺したことを泣いて後悔すればいい!」
なんかヒメが言っているけれど、ちょっと私はそれどころじゃあなかった。
今、私が気にかけるのはただ一点。
「いやでも待って? 彼は今朝は元気だったわよ? 毒だって残っていない。さすがに今晩なんて、そんな急には……」
私は思わず今朝の元気そうな声のレクトールを思い出していた。
実はあれからちょくちょくロロを通して会話をしていたのだ。今日だって朝の挨拶の声を聞いたよ? 彼はいつもとなにも変わらない様子だった。
しかし。
「は? ああ。ゲームでも、もちろん毒にやられないルートもあったから、そっちに進んだってだけでしょ? 珍しいルートなのによく見つけたわよね。偶然? ああ、それであんたは上手くやったと思ってたんだー。ふうん? でも甘いわね。私だってもちろん回避してみたこともあったけど、たとえそうしたところで……。元気だったら元気だったで、彼は高熱が出ても無理してそれを隠して仕事をしてしまうのよ。そして気がついたときにはもう悪化していて倒れてそのまま……結局死ぬのが数時間遅れただけだった。インフルエンザ脳症。聞いたことくらいあるでしょ? あのルートでもダメだった時には、私もう、絶対に彼を殺すんだっていう運営の強い意思を感じたわ。ああなんて残酷なシナリオ……かわいそうに私のレクトール様……」
その場面を思い出しているのか、ヒメが悲しそうに顔を横に振った。
私は思わずロロに思念を送った。
――ロロ! レクトールは、元気なの!?
返事はすぐに来た。
「にゃああーん?」
『えー? 元気よー? ……あれ?』
あ れ !?
「なあん」
『ちょっと、ふらふらしてる、かも?』
――ちょっと!
――かも? じゃないでしょう! まさか熱があるの!?
「なあおう……」
『人間よくわかんないにゃー……弱すぎなのよー……でもたしかにいつもより、ちょっとあったかいかも?』
――ええええ、気がつかなかったの!?
「にゃー」
『だって、ついさっきまで元気にあれこれ人を集めては命令していたし? あんまりいつもと変わらなかったのにゃー』
「んにゃ」
『あ! 倒れた』
倒 れ た !?
私はすうーっと血の気が引いていくのを感じたのだった。
そんな、一見青い顔で立ち尽くす私の様子を見て、ヒメは続けた。
「どんなに後悔してももう遅いわよ。今ごろ彼はとっくに発熱している。だから彼が死ぬ運命はもう変えられない。そしてもし万が一あんたが生き残れたとしても、この先は『将軍を殺した敵国のスパイ』として殺人容疑で捕まって、あんたの人生も終了よ。もう何度も見たから、そのエンディング。レクトール様が死んでしまったら、エンディングは聖女の処刑で決まり。他にはない。ああレクトール様……シナリオ通りに私を受け入れていれば、私が幸せにしてあげられたのに」




