ヒメ3
さりげなく彼は私の隣に来て、顔をヒメに向けて話し始めた。
「会話に私の名前が度々出ているようだが、目の前でわからない会話をされるのはあまり嬉しくはないな。あなたが私のことで話があるのなら、直接今、私が話を聞こう。私の妻に辛く当たるのは止めて欲しい。あなたは私にどうして欲しいのですか?」
キラキラは無いけれど、よそ行きの王子スマイルを炸裂させて言うレクトール。
そのとたんにヒメは私のことなど忘れたかのようにレクトールに顔を向けた。
「ああ……申し訳ありません、そんな風に誤解をさせてしまったなんて。実はわたくし、彼女に申し上げていたのです。もう、聖女と偽るのは止めた方がいいと。本当は、真の聖女はわたくしなのです。ですから彼女の嘘がわたくしには見えてしまって……。でも彼女は、その……真実を言ったらわたくしを酷い目にあわせると……それでわたくしお恥ずかしいことに少々パニックになってしまったようですわ。でもあの、わたくしも本当はレクトール様の奥様を悪く言いたくはないのですが、でも、レクトール様は真実を知る権利があると私は思うのです……!」
可憐な、か弱い「聖女様」がそこにはいたのだった。
部屋の隅で聞いていた侍女たちが息を飲んだのが聞こえた。
うんその気持ちはわかるぞ、私もその話は初耳だ!
私がびっくりしている間に、レクトールが優しくヒメに語りかけていた。
「あなたのお話はわかりました。でも私も人を見る目はあるつもりですよ。アニスはそのような事を言う人ではない。あなたはきっと何か誤解をされたのでしょう。ここでの慣れない生活でお疲れなのではないですか。実は今日、オリグロウとも話がついたので、あなたをオリグロウにお返しすることになりました。婚約者であるロワール王子の元に戻って、ゆっくり疲れを癒やされるのが良いと思いますよ」
そのレクトールの言葉が、私は心から嬉しかった。
しかしそれを聞いたヒメは突然、
「ロワール! ああいや、返さないで! 彼は……彼は怖い……彼はわたくしを殴って言うことを聞かせようとするのです! だから私は逃げて来たのですわ! やっと逃れられたと思ったのに、またあの地獄へ戻るのは嫌です! お願いここに置いてください。なんでもしますから!」
そう言って、レクトールに取りすがってしくしくと泣いたのだった。さりげなく私とレクトールの間に自分の体を入れてくるのは、多分わざとなんだろうな。
え、でも殴るの? あの王子?
たしかにゲームの記憶ではプライドが高かったような気はするけれど、少なくともゲームの中ではそんな暴力はなかった……のは当たり前か。あれはゲームだもんね。
「しかしこれは国同士で決めた事ですから、変更は出来ないのですよ。ロワール王子とあなたはまだ正式な婚約者同士なのですから、そのような問題はお二人と、あとはオリグロウの関係者の方たちと解決することをおすすめします」
にっこりしながらも、冷静にさりげなく体を離すレクトール。あくまでも紳士的。そういやあのオリグロウのヒメの私室でもこんな展開があったな……。
彼がこういう対応に妙に手慣れているのは、きっと今までたくさんこういうことがあったからなんだろうな、さもありなん。などと、ちらっと考えたのは内緒です。
「そんな……! ロワールはもう私と本当に結婚する気なんて無いんですわ。ロワールはそこの『ファーグロウに騙されて連れ去られた聖女』を妻にするつもりだと私にはっきりと言ったのです。あなた様だけでなく、ロワールも今やすっかり騙されているのですわ……。ですから私が今さらオリグロウに行っても、ただの邪魔者として殺されてしまうかもしれません。お願いします、私をここに置いてください!」
ええ……? 殺されるって、そんな……。
侍女たちも「ヒメ様なんてお可哀想に!」と動揺している。
しかしあくまでレクトールは冷静だった。
「あなたはロワール王子にその気は無いとおっしゃっていますが、今のところあなたとの婚約解消の発表が正式にされているわけではありません。少なくともこちらにその情報は入っていない。ですから我が国としては、まだ正式にオリグロウ王太子の婚約者であるあなたを勝手に保護することは出来ないのですよ。オリグロウからあなたの返還要求がされて、そして既にファーグロウはそれを条件付きで了承しました。ファーグロウはあなたを返すかわりにオリグロウからたくさんの譲歩を引き出したのです。なのにここでやっぱり返さないとは言えないのはわかりますね? もう動かせないのですよ。ここで私どもが約束と違う動きをしたら、それこそ休戦していた戦争がまた再開するかもしれません。聖女であるあなたも、それは望まないことでしょう? 先方は出来るだけ早いあなたの返還を望んでいます。ファーグロウとしてもできるだけその意向を尊重するつもりです。国境までは私どもが責任をもって安全にお送りしましょう」
レクトールは優しく、でもきっぱりと言ったのだった。
あなたは人質で、そして役割を終えた。だからもういらない。
レクトールの言葉でそれを理解したらしいヒメは、一瞬驚愕の表情を浮かべた後、突然私の方をきっと睨んで、そして私を指さして「ファーグロウ国の言葉」で叫んだ。
「なによ酷い! あんたが最初にロワールと結婚したくせに! 今度もあんたがロワールと結婚すればいいじゃないの!」
もちろん、その場にいる人全員がその言葉を理解する。
ざわつく侍女たち、そして理解不能と言いたげな副将軍。
いや、私があの王子と結婚したと言っても、それは前の世界の、しかもゲームの中でだよ……?
と、言いたくても言えない複雑すぎる事情である。言っても多分理解されない。それだけは一瞬でわかった。
なに言っちゃってくれてんの……。
私はあまりの展開に驚いて、ただ棒立ちしか出来なかった。
ここですぐさま嘘だと叫べたら良かったのだけれど、ついうっかり、そういえばゲームではたしかに最後結婚したなあと思ってしまったのが運の尽きだ。
結果、蒼白になって立ち尽くす私。
そんな私をちらりと見てからヒメに語りかけるレクトール。
「それはおかしいですね。私も一応彼女と結婚するときには調査くらいしたのですよ。彼女に結婚歴は無かった。言いがかりは困ります。その勘違いも帰国されてから、ロワール王子ときちんと話し合うことをおすすめします。こちらの情報では、彼も結婚歴はなく独身ですよ? ねえ、アニス」
「もちろんその通りです。私はロワール王子とは過去に二回だけお会いしたことがありますが、お顔を拝見しただけで会話もほとんどしたことがありません。ましてや結婚なんて、ありえません」
なんとかそう答えはしたものの、ざわつく侍女たちはそれを聞いていたのかいないのか。
「なかなかいろいろな情報が出てきたな。ロワール王子も大変だな、あんなのが婚約者で」
執務室に戻ったレクトールが、渋い顔をして呟いた。
「それよりいいのかあの侍女たち、下手に噂を広めないといいんだが。オレにはどうもあの『聖女』が正直にしゃべっているようには見えなかったが、彼女たちはやたらと動揺していたぞ。特になんだあの最後の言いがかりは」
ジュバンス副将軍が当惑したような顔で言う。
「しかし今わざわざ口止めすると逆に怪しく思われるだろう。それにもしやと思って一通り鑑定してみたが、すでに彼女達はあの偽『聖女』の嘘にすっかり洗脳されて取り込まれているようだった。なかなか強力そうだから、このままあの偽『聖女』を送り返したら彼女について行くかもしれないな。そうなったらこちらの内部情報がオリグロウに漏れる。ジン、しばらくあのオリグロウの『聖女』につけている侍女たちを見張れ。そしてもし侍女達が裏切るようなら城を出たところで消せ」
その瞬間、気をつけていないと気付かない程のささやかな風を感じた。
レクトールの影の一人であるジンが、将軍の命令を実行するために向かったのだ。音も無くドアが開いて、そして閉まった。
非情なようだがそれは仕方がないのだろう。この戦争中に、身内からスパイを出す可能性は潰さなければならない。




