遁走1
それからしばらく後には、私たちは疾走する乗り心地の良い高級馬車の中で寛いでいた。
いやいいねえ。さすがお貴族様の馬車。スプリングは効いているし内装は豪華でふかふかだし、こんな馬車なら一日中乗っていてもそんなに疲れがたまらなさそう。
世の中金なのね。世知辛いわ。
しかし何故こんな良い馬車に乗っているのかというと。
私たちは急いで逃げる必要があったのですよ。
私の「逆」癒やしの魔術はしばらく残るだろうがそのうち切れる。それに今王子は無傷だ。即座に追っ手がかかるのは火を見るより明らかだった。
そして人がどんなに頑張って走っても、馬や馬車には勝てません。だけど私は馬には乗れないのだ。
次に捕まったら今度こそ命の危機だな、どうしよう、などと一人で心配していたら。
レックが血まみれの服をとっとと捨てて新しい服を買って着替えつつ、のんびりと言ったのだった。
「まあ本当に困ったら誰かを『魅了』して匿ってもらうか逃がしてもらおう。別に味方もいないわけではないが、今回の騒ぎの後だとちょっと迷惑になるし遠いから回り道になる。うん、じゃあ今回は辻馬車の御者を直接『魅了』してとっとと帰るか。その方が早いな。よし、じゃあどの馬車に乗る?」
なぜか余裕綽々だった。これはもしや慣れてるな。便利だなー『魅了』って。
でもその横でオースティン神父がうーん、と考えたあと、
「なんぞこっちに面白いものがあるような気がするよ?」
と言って街中をずんずん進み出したのだった。
ならばもちろんついていくよね。面白いものは見たい。ぜひとも見たい。
そうしてしばらく歩いて行った先は、やたらと金持ちそうな、多分貴族の大きなお屋敷の裏手だった。
そしてそこには、どうやらこの屋敷の人間らしき人とこの馬車がとまっていたのだ。
私たちが行ったときは、どうやらそこに居た人たちがちょうど緊迫しているところのようだった。
「トム! 大丈夫!? ああなんて酷い!」
身なりの良いお嬢さんが嘆いている。
よくよく見るとそのお嬢さんと一緒に居る若い二人の男の内の一人の顔が、見るも無惨な状態になっていた。顔全体が腫れて鼻血が出て、唇も切れて血がにじんでいる。姿勢から見て腹にもダメージがありそうだ。
そんな場面に私たちが出くわして、私がいったい何事かと状況を読み取っている間に、ささっと躊躇もなく進み出たオースティン神父が久々に見る懐かしき真面目神父モードで声をかけていたのだった。
「おやどうなさいました……? もしやお困りですか? 私になにかお手伝い出来ることはありますかの?」
すごく人の良さそうなお爺さんがそこにはいた。もはや中身を知っている私には詐欺師にしか見えないが、とにかく凄く善良で親切そうなオーラがばんばん出ていた。
え、誰これ?
そしてそんな見かけにころりと騙された深窓のお嬢様は、救世主を見つけたかのような様子で説明してくれたのだった。
どうやらこのお嬢さんと怪我をしていないもう一人の若い男が、今まさに駆け落ちをするところだったらしい。
そしてその手伝いをしたそのお嬢さんの幼なじみで使用人というトムくんが、つい先ほどその手引きをしていたのがバレてここの横暴な「お父様」に殴られたのだとか。でもトムはその「お父様」よりも幼なじみの「お嬢様」の恋を応援するべく、その「お父様」をとっさに何処だかに閉じ込めてこの「お嬢様」にそれを知らせに来たところ、ということだった。
駆け落ち! まあロマンスねえ……。そしてトムくん、忠義心が凄い……!
きっと「お嬢様」が大好きなんだろうね。
でもその結果今は、非常にまずい事態になっていると。
「ああトム! しっかり!」
ふらふらと倒れ込むトムを見ておろおろとする「お嬢様」
どうやら幼なじみで「お嬢様」思いのこの使用人を、彼女は見捨てて行くことができないようだ。
「お願いです! トムをお医者に連れて行ってあげてください!」
そう言ってオースティン神父にすがる心優しい「お嬢様」。
それを聞いた神父様は即座にたっぷりと同情した声で言ったのだった。
「なるほどこれは酷いですな……。ですが安心してください。ちょうど運の良いことに、私たちは傷によく効く素晴らしいポーションを持っておりますでな。医者に行くまでもありませんよ。その可哀想な彼は今、それを使って治してあげましょう」
もちろんそれを聞いた私は空気を読んで、すかさずトムくんを受け取るとちょっと脇に移動させて、駆け落ちカップルからは見えないように背を向けた上でポーションを振りかけるフリをしながらトムの傷を治したのだった。
はいなおーるなおーるー。
トムくんも目が腫れているからよく見えないらしく、ポーションなんて無いことにも気がついてはいない。でも突然傷と痛みがなくなって、トムくんは驚いたように私の顔を見てから目をぱちくりさせた。
そして私がそんな小芝居をしているときに、同時に私の後ろからは妙に優しげなレックの声が聞こえてきたのだった。
「話は聞きましたよ。そんなに怖いお父上ではさぞご苦労も多かったことでしょう。お二人が幸せになるのに、ぜひお手伝いをさせてください。まず一つ忠告です。駆け落ちをするのならばこの馬車を使ってはいけません。中に誰が乗っているのかが家紋で外から一目でわかってしまいます。すぐに追っ手がかかり追いつかれてしまうでしょう」
振り返るとレックが、完璧な笑顔とともにキラキラと『魅了』スキルを振りまいていた。そしてその笑顔のまま滑らかに続ける。
「ああそうだ、よろしければ私たちが身代わりになりましょうか? 私たちはちょうど王都を出るところでしたから、この馬車には私たちが囮として乗ってこの王都の外まで追っ手を引き付けましょう。その間にお二人は、違う馬車に乗ってお逃げなさい」
「まあ、ご親切にありがとうございます!」




