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9. ウィームを散策します




エーダリアから馬車を出すかどうかを尋ねられたが、ネアは、リーエンベルク前広場からの美しい並木道にも恋をしてしまい、歩いてゆくことにした。


この世界には、ネアの育った世界でのクリスマスにあたる祝祭がある。


その、イブメリアという祝祭前のシーズンに入ったばかりのウィームは、宝石箱の中のような美しさであった。



「………………綺麗ですね」



リーエンベルクから街へと続く並木道は、二重並木になっている。


整然とした美しさがあり、左右の森への繋がり方の妙も素晴らしく、ネアはリーエンベルク前広場から街に向かう一本道で早くも感動してしまう。


森との境目は、花が咲いたり実がなったりする落葉樹にしており、通り側には青緑色の葉が雪国らしい清廉さの針葉樹が植えられているのだが、これは、どちらの良い部分も楽しめ、尚且つ木の種類によって得られる祝福や守護が違うからであるらしい。


そして針葉樹の木々には、吊るされたオーナメントのような祝福石や結晶石が、星屑のようにきらきらと輝いている。


魔術の潤沢で人ならざる者達の多いウィームでは、こんなところまでがイブメリアの喜びに溢れているのだ。



しゃりんと、オーナメントのような花びらの形をした結晶石が揺れる。

ちらちらと揺れる光の影が、枝に積もった雪に美しい光の影を落とす。


小さな獣の姿の妖精達や、小鳥姿の精霊達はそんな木々にひしめき合い、時折、並木道の煌めきに引き寄せられて落ちてきてしまった流れ星が絡まっていたりもして、ちっとも見飽きない。


おまけに、並木道の足元には満開の花々が雪の中に見えるのだ。



「み、見て下さい!あの枝には、むちむちもふもふがいますよ!お尻がもふふかで何て可愛いのでしょう!!」

「…………浮気」

「しかも、色が愛くるしい薄檸檬色だなんて…………」



大興奮で弾むネアの隣を歩くディノは、今のネアの髪色に近い青灰色の髪色に擬態した上で、ネアがうっとり見惚れてしまいそうな軍服のような雰囲気の濃紺のロングコートを着ていた。

白の貴族的な装いのディノは如何にも人外者めいて美しいが、こうして暗い色を纏うと仄暗い艶やかさにどきりとする。


こちらを見て微笑む表情にも、どこか男性的な仄暗さを感じてしまう。



「領主館に続く道だからかもしれませんが、ウィームは、あまり人通りのない場所でも丁寧に除雪されているのですね」

「あの妖精が、雪を片付けて道をつけるんだ。この土地では、上手に隣人達の手を借りているようだね」

「う、うささん!!ディノ、うささんがいますよ!」

「ネア、落ち着いて。ほら、沢山いるからね」

「……………ふぁ。ふかふかの灰色の兎さんが除雪をしてくれるだなんて、ウィームはなんと素晴らしい所なのだ…………」



歩道は、歩行者が歩く部分だけはしっかりと除雪されていて、水色がかった灰色の石畳がところどころ見えている。


これだけ長い道の除雪はどうしているのだろうと思っていたら、ウィーム領ではそれを生業とする日雇い妖精達がいるのだと知る事が出来た。


魔術で除雪してしまう事も出来るが、特に問題のない日は、小さな雪兎のような妖精達に日給代わりに砂糖菓子や林檎を配って除雪を頼むらしい。


それは、人外者の多いこの土地で、彼等と良き隣人としての付き合いを潤滑にする上では、必要な運用なのだとか。



林檎や砂糖菓子は小さな妖精達にはご馳走で、また、感謝を込めて渡される対価や、贈り物には祝福が宿る。


妖精達はそれを喜び、お気に入りの人間達がいなくならないように、どこかに悪いものが現れると教えに来てくれるのだとか。



「そうして共に暮らしているのだと考えると、いっそうにウィームが好きになってしまいます。それにしても、ディノは、何でも知っているのですねぇ」

「私も、教えて貰ったことばかりだよ。それまでは、どうして歩道が除雪されているのかなんて、考えた事もなかったんだ」

「そのお陰で私は、ディノから除雪をしてくれる妖精さんのことを教えて貰えました!…………あら、この辺りから街に入るのでしょうか」

「うん。ここからはリーエンベルクを要にした魔術基盤ではなく、街のものに変わるらしいね。ああ、水路の排他魔術には触れないようにね」



並木道が途切れると、かつての王都に相応しい歴史のある壮麗な街並みが現れた。


立ち並ぶ家々や商店などは石造りで、先程までは木々を見上げていたネアは、今度は惚れ惚れするような精緻な彫刻を施した柱や、装飾的な窓に視線を奪われる。



(街の造り一つを見ても、ウィームが国だった頃にどれだけ豊かだったのかが分かるわ……………)



雪と森や湖に囲まれ魔術や芸術の国として栄えたこの国を統合したのは、海沿いの商国として成長したヴェルリアという国だったらしい。


ウィームが貴族達と魔術師の文化から栄えた国であるのに対し、ヴェルリアは商人と船乗り達の国だ。

ウィームの雪と森の系譜の豊かさに対して、ヴェルリアは海と火の系譜の者達が大きな力を持つのだから、まるで反対の気質とも言える。



ヴェルリアによる統一戦争では、ウィームの王族の血を引く者達が一人残らず処刑された。


人外者達から愛されたことで、祝福を受けて育った王族達は数が多く、ウィーム王家は王族と一般国民の婚姻にも寛大だった事から、その粛清対象はかなりの人数に上ったのだとか。


王家はリーエンベルクに立て篭もり交戦の意を示しながら、王家の血を引かない国民達には頑なに中立の立場を守らせた。


凄惨な侵略戦争だったにもかかわらず街並みが守られているのは、自分達の死を覚悟の上で孤立してみせたウィーム王族達の最期の願いを、国民達がウィームを守る為に歯を食いしばって受け入れたからである。


ローゼンガルテンという、旧ウィームの王都にある薔薇の丘もまた、中立を守れず蜂起した一部の国民を捨て置けずにその地で戦ったウィームの王子達の悲劇の地として、今もなお、ウィーム王家の最期が語り継がれている地なのだそうだ。


二月にある愛情を司る薔薇の祝祭では、そのローゼンガルテンが最も華やぐと言われている。


元よりそこは薔薇の丘なのだが、そうしてかつてのウィームを偲ぶ場所で愛を誓うのは、古きウィームの民達にとっては暗号のようなものなのだとか。



死者の国にも行かせて貰えず、魂まで砕かれて殺された王家の人々を、今も尚愛しているという人々の思いが、薔薇の祝祭には忍ばされているらしい。



「…………たくさんの人外者の方達に大事にされていても、負けてしまったのですね」

「この大陸には、ヴェルリアが、大陸統一を目論んでいると警戒していた大国がある。ヴェルリアとしては、その国の侵略を退ける為にも早急な四カ国統一を掲げていたし、人外者達の中にも、ウィームを気に入ってはいるが、その動きに賛同した者達も多い」



そう聞けば、やはり人外者と人間の心の在り方は違うのだろう。


人間は、良くも悪くも目の前の者達をと思うのに対し、人外者は、永くを生きる者達だからこそ、土地そのものの未来の為に人々を切り捨てる事もあるのだ。



「……………エーダリア様は、ウィーム王家の最後の血を引く方なのですね」

「彼の母親は、戦争終結の日に生まれ落ちた事で免責されたのだそうだ。ウィームの土地の誰からも、守護も祝福も受けていない無垢さでこそ救われたのだけれど、恐らくはそれを見越し、守護も祝福も与えずに残されたのだろうね…………」



ディノは、そんなエーダリアの母親も、エーダリアが幼い時に王都で命を落としたと話してくれた。


表向きは病死という事になっているが、王都で頼る者もなく過ごしたその女性は、正妃の手による暗殺で孤独な生涯を終えたらしい。


小さなエーダリアが母親を亡くした日の話を聞いてしまうと、両親を殺され、今日から一人きりになったのだと知ってしまった日の事が思い出され、ネアは息が苦しくなった。



ネアに、紅茶の缶をくれた優しい人なのだ。

どうかエーダリアには、ネアのようにはならずに、幸せになって欲しい。



「……………エーダリア様は、魔術師としての道を選び、王位継承権を放棄してから、ウィーム領主様になられたのですよね。…………出会ったばかりの方ですし、私にエーダリア様の心を知る術はありませんが、あの方がウィームに帰って来られて良かったなと思ってしまいます」

「……………彼にとって、それは悲願だったようだ。幸い第一王子は、立場上、公にはしていないものの、エーダリアの事を大事にしているらしい。第一王子の助けもあって、こちらに来られたようだよ」

「むむ、第一王子様と言うと、正妃様のお子様なのですよね?仲がいいのは意外でした」

「その王子にとって、安心して心を傾けられる血族は、エーダリアのような者しかいないのかもしれないね。人間の心の預け方というものも複雑なものだね」




(もしかして、……………)



ここでネアは、ディノが本の外側のエーダリアを知っていると話していた事や、リーエンベルクに妙に詳しい事を思い出し、推理をしてみた。



(諸々の内情を考えると、エーダリア様の事情などは、例えディノが魔物だったとしても外側からは掴みきれないものなのではないかしら…………?)



とても人間に興味があるという感じでもないのにそれを知っているディノは、エーダリアに近い場所にいたのではないだろうか。



「…………ディノは、………嫌なら答えなくていいのですが、…………本の外側では、ウィームに住んでいる、もしくは住んでいたのですか?」



そう尋ねたネアに、ディノはまた、困ったような優しい目で微笑んでくれた。

僅かな逡巡はあったが、踏み込まれた事に対する嫌悪はなさそうで、ネアはほっとした。


「…………うん」

「だから、エーダリア様の事を沢山ご存知だったのですね」

「…………私の友人が、エーダリアと契約しているんだ。彼にとって、エーダリアと、エーダリアの師にあたる妖精は、ようやく得られた家族のようなものなのだろう。色々な話をしてくれるんだよ」



ディノの友人はウィームに縁深い高位の魔物で、物語のあわいのウィームにはいないらしい。


驚くべき事に、ここは、そんなディノの友人の魔物がエーダリアと契約を交わすより以前のウィームなのだそうだ。



(という事は、ここは、ディノにとっては、過去に呼び戻されたみたいな感じなのかな………)



ネアは、物語のあわいという言葉を聞かされてからずっと、物語に名前の記されるような生き物とはどんなものなのだろうと考えていたが、それを聞くと考え易くなった。



(この世界では、高位の魔物が神様のような立ち位置の存在で、長く生きる魔物達の事を記した文献は沢山あるらしい………)



であれば、その名前は、創作の物語本に作品を補強する為のひと匙としても登場するのではなかろうか。



ディノから借りているブーツは、とても歩きやすい。


しっとりと肌に吸い付くような革の柔らかさには、込められた祝福や守護の影響もあるらしく、そこまでのものでなければ、悪いものを踏み滅ぼす事も可能なのだとか。


だからあの蝶も踏めたのだなと考えると、ネアはいつの間にか、ディノの指輪とブーツに守られているのだった。


その不思議な手厚さにふと思うのは、この物語の外側のディノのことだ。



(……………ディノには多分、…………本物の歌乞いがいるような気がする。もしかするとその人は、ディノの婚約者だったりするのかしら…………)



ここが、ディノという魔物とその歌乞いの物語を基盤に、書かれた物語なのだとしたら。



ネアに指輪を差し出した魔物は、可動域の低いネアを心配してくれたようにも見えたが、やはりどう考えても、求婚の意味を成す指輪を出会ったばかりの人間に渡すのはおかしい。


他の手段も講じられた筈なのに敢えて指輪にしたのは、物語の再現性を高める為だったのではないだろうか。



考えれば考える程に腑に落ちるのは、見ず知らずの人間に対するディノの対応に、あまりにも迷いがなかったからだろう。


加えて、時折ではあるが、こうしておくべきだったねと事態を予め想定していたかのような言動がある。



(ここが、実際にあったディノの過去をモデルにしている物語の中であれば、それも不思議ではないのだわ…………)



どれもまだ憶測の域を出ないものだとしても、そう考えれば辻褄が合うというものは、得てして的を射ていることが多い。


そちらの線で決まりだろうかと考えて、ネアは胸の奥底がかさかさになるような、あまり喜ばしくない不快感に口元を引き結んだ。



(想定していた事で傷付く程に華奢な心ではないけれど、その代わりに私は強欲だから、寂しいというか、置いてけぼりにされたような気分になるのだ………)



ネアがすっかり気に入ってしまったものが、他の誰かの持ち物なのかもしれない。



そんな風に考えれば、強欲で心の狭いネアは、姿も見えない誰かの正当な権利を羨んだりもする。


けれどもどこかで、所詮そんなものだろうと呆れる自分もいるのは、やはりここにある全てのものが、未だにネアにとっての見知らぬ物ばかりでもあるからだ。



ここは、ぱたんと本を閉じれば、終わってしまうもの。


そうするとまた、暗くて静謐なあの日々が始まる。



曇天の空から舞い落ちてきた雪片を見上げ、ネアは、深く深く白い息を吐き出した。




「ネア、…………寒くないかい?」

「………ディノ?…………いいえ。イブメリアの飾り付けがあまりにも綺麗で、ついつい無言になってしまいました」



ネアが黙り込んだのが気になったのか、そう尋ねてくれたディノの瞳は気遣わしげだ。

それすらも演技となればもはや為す術もないが、何となく、このようなところは素なのではないかなと思う。



あの仮面の魔物に出会って感じたのは、魔物には、それぞれの強烈な個性があるということだった。


ディノのように、あまりにも人間と違う生き物なのだという拒絶すら感じてしまいそうな怜悧な美貌でも、どこか無垢な目をした魔物がいる。


一方で、アルテアという魔物のように、気安く言葉を交わせそうなどこか人間臭い言動ながらも、これは、良くないものだとひしひしと感じる魔物もいる。



そんな印象の差は、魔物というものが、その資質を司る為に派生し、であるが故に生涯気質が変わらないものだと教えられると、いっそうに納得させられた。



それならきっと、この魔物はどれだけ残酷でも冷酷でも、とても無垢で優しい魔物なのだろう。



そして今は、ネアの契約の魔物なのだ。



「ディノ、リノアールというお店への道は、こちらで合っていますか?」

「うん。…………ネア、この道からだと歌劇場が見えるよ。歌劇場の見える反対側の歩道を歩くかい?」

「まぁ!それは是非に見てみたいので、反対側の歩道に向かいます!…………横断するには、どこからゆけばいいのでしょう?」



さくさくと綺麗な雪を踏み、クリスマスツリーのような飾り木と呼ばれる美しい祝祭の飾りがあちこちにあるウィームの街を歩く。


家々の戸口には、赤いインスの実を使ったリースがかけられており、災避けのリースが家の戸から外されてしまうと、良くないものが入り込んだりするらしい。


あちこちを忙しなく眺めて足元が疎かなネアが、雪溜まりに足を取られて転ばないように心配してくれるディノは、惚れ惚れとするような優雅さでネアをエスコートしてくれる。


きっと、魔物は魔物らしく罪悪感などを抱く必要もなく、こうして寄り添う事に深い意味もあるまい。


ただ、そこに老獪で艶麗な美貌を持つ男性の姿が重なるので、ついつい人間の物差しで測りかけては混乱してしまう。

何と罪な生き物だろう。



(そう言えば、戯曲やおとぎ話に出てくる美しい妖精達も、そのようなところがあったような気がする……………)



彼等は享楽的で無垢な生き物で、気に入った人間に対して祝福を贈ったりつきまとったりもするが、それは、心を捧げるたった一人の誰かに出会った時の対応とはまるで違うのだ。



種族が違う以上、人間とは心の動かし方が違う。

それを残酷だと感じるのは人間の身勝手さであって、彼等には責められる筋合いもない。


すぐにご主人様が浮気すると荒ぶってしまうこの魔物も、自分の歌乞いと名乗るのならば、まずは自分を一番に考えて欲しいのだろう。



(…………それに私は、この魔物のそんな酷薄さは嫌いではないのだ…………)



ネアは昔からずっと、兎よりは雪豹が好きだったし、小鳥よりも鷲が好きだった。

そんな獰猛で美しいものであれば、多少の危うさは致し方あるまい。



(であれば、この優しくしたたかな魔物と仲良く過ごし、こちらにいる間はたっぷりと美しいウィームを堪能させて貰おう)



ほんの少しだけ残った寂しさにくすんと鼻を鳴らし、ネアは、自分の心の置き方が定まったことに安堵した。



無い物強請りをして、ディノにとっての本物の歌乞いが自分ではないからといって、臍を曲げるつもりはない。


最初から、物語の作法の通りに事を進めてここを出ようと言われていたのに、やっぱり嫌だと荒ぶるのはさすがに我が儘が過ぎるだろう。


何しろネアは、既にとっておきの宝物を貰っている。



(こんな風に誰かと過ごす事を楽しいと思えるのは、とても幸せな事だわ…………)



これは、あまり人付き合いが得意ではなく、他者をきちんと愛せない冷たい人間なのではないかと考えてきたネアにとって、実はとても嬉しいことであった。



ディノとお喋りをしながら街を歩いていると、こんなに長くの時間を共に過ごしていても、ちっともうんざりしないことに驚く。


会話が終わるとぐったり疲れる事もないし、愛想笑いをしながら、何とか切り上げてここから逃げ出したいとも思わない。

それどころか、もっと色々なところに行きたいと思う。




(せっかくの素敵な時間だもの。少しでも多くを堪能し尽くしてから帰ろう。そしてもし、こちらに残れるかもしれないのなら、真剣に移住も考えてみようかしら…………)



そう考えると、少しだけ萎れていた心がまた希望に持ち上がる。

実はネアは、こちらに移住出来るのなら少しばかりの勝算があるのだ。



どれだけそのようなものが欲しくても、今までのネアは、思うように他者を愛せずにいた。


みんなが普通だとか当然という色のセーターを着て幸せそうに生きている中で、代わりになるものなどないのに、癇癪を起こしてちくちくするセーターを脱ぎ捨てたのがネアであった。



(でも、この世界には、私にとってうっとりとするような手触りのものばかり。………本物の星屑が落ちてくるお祭りがあって、もう使わなくなった傘を空に返す傘祭りもあるのだとか。どれも、ここに残れるのなら是非に見てみたい……!)


なぜかすんなりと心に入り込んできたディノを育んだ世界であれば、また他の誰かに心を動かせるかもしれない。



そう考えて野望に燃えるネアの視線の先には、雪の上に散らした菫の花びらで描かれた術式陣がある。

それを踏んで、夜の祠木のバイオリンを弾くのは、霧雨の妖精の庇護を受けた若い青年であるらしい。


少し開けた場所に出ると、そこは美術館や博物館などに面した公園広場であるようだ。

演奏が終わってわあっと歓声が上がり、長いドレスの裾を引いた雪の乙女達が、旅人の青年に祝福を授けている。


ふくよかな冬の美しさを吸い込み、ネアはその豊かさに胸をいっぱいにした。



「むむ、この甘い匂いは何でしょう?」

「トゥルデルニークだね。木の棒に巻いて食べるものだよ」

「お菓子でしょうか。…………蜂蜜か、シナモンのとてもいい匂いです」

「……………トゥルデルニークかな」

「さては、それ以上のことを覚えていませんね?」

「ご主人様……………」



このようなところでは魔物らしく、それでも多くを理解出来るようになったのだと言うディノには、知らないことも多かった。


屋台で品物を買うことは少し怖がるし、木の枝に引っかかったタオルのような不思議な生き物には怯えてしまう。


しかし、これについてはネアも途方に暮れた。



「……………なにやつ」

「……………属性としては、風のものだね。精霊かな…………」

「木の枝に引っかかった使い古しのタオルではなく……………?」

「うん…………」



すると、ネア達にじっと見られて嫌だったのか、その謎の生き物はワンと鳴いて威嚇してきた。


ディノは、びゃっと飛び上がってネアの背後に隠れてしまい、近くにいた通りすがりのご老人が、タオルに吠えられて凍りついているネア達に苦笑し、隙間風の精霊だと教えてくれる。




「隙間風の精霊さんは、木に絡まるのですね…………」

「うん……………」



おかしな生き物が屋台のすぐ近くにいるので木の棒に薄く巻き付けて焼いた菓子パンのようなトゥルデルニークは少し離れたベンチでいただき、別の屋台で、香辛料の入った美味しいホットワインを買って飲んだ。



夜の雫が入ったホットワインは、カップの中を見れば星空のように煌めく。



(…………なんて素敵な気分なのかしら………)



ほふぅと白い息を吐き出し、ネアは、目が合った美しい魔物に微笑みかける。



「ディノ、何だかいい感じにお仕事も前進していますので、このまま物語に記された事を済ませていって、ここを出ましょうね」

「……………そうだね。早く帰りたいかい?」

「さて、どうでしょう。こちらには、私の夢中になれそうなものが沢山あって、ついついわくわくしてしまいます。…………それと、一つだけ、話しておきたい事があったのですが構いませんか?」



ネアがそう切り出せば、ディノは水紺色の澄明な瞳を瞠って、静かにこちらを見返してくれる。



(私は、まだ何の役にも立てていなくて、助けて貰うばかりなのだから、こんな事はあまり言いたくはないのだけれど…………)



それでも、我が儘な人間には譲れない事があるのだ。


こうして過ごす時間の贅沢さを見知らぬ誰かに返す代わりに、この主張は譲れない。




「…………物語を終えてしまう為に必要な事は、きちんと相談して下さいね。私は我が儘な人間ですので、いくら出口に向かう為だとしても、こうして普通に過ごしているのと変わらない感覚のある場所で、限度を超えるような怖い事や酷い事を強いられるのは御免なのです」

「ネア……………」



頼って欲しいのだと伝えてくれたディノに対し、こんな事を言うのは酷い事なのかもしれない。



(でも、人間と魔物では、きっと許容出来るものも違うような気がするから………)



言い難い事だからと説明の手間を惜しめば、それが、手に負えない大きさになって返ってくるかもしれないのだ。



「もし、そのような事をされたら、この協力関係はぽいです。魔物さんから見れば、私に出来る事は少ないと思われるかもしれませんが、人間はこれでも、怖いものから逃げ出すのはとても得意なのですよ?」



微笑んでそう宣言したネアに、ディノは慌ててしまったのか、そんな事はしないと言ってへばりついてくる。


すっかり羽織りものになってめそめそしている魔物に、果たしてこの魔物をそこまで警戒する必要はあったのかと遠い目になりつつ、ネアは、美しい冬のウィームを眺めながら美味しいホットワインを堪能した。







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